かくばかり 惜しと思ふ夜を いたづらに
かむなりのつぼに人々あつまりて、秋の夜惜しむうたよみけるついでによめる
凡河内躬恒
※かむなりのつぼ:雷鳴の壺。内裏の襲芳舎。内裏の北西に南から、藤壺(飛香舎)、梅壺(凝花舎)と並ぶ後宮殿舎の最北に位置。
※凡河内躬恒:生没年未詳。古今和歌集の撰者の一人。仮名序では、前の甲斐の少目。古今集には紀貫之(99首)に次ぐ60首が入集し、後世、貫之と併び称された。貫之とは深い友情で結ばれていたと言われている。三十六歌仙の一人。
かくばかり 惜しと思ふ夜を いたづらに 寝て明かすらむ 人さへぞ憂き
(巻第四秋歌一190)
襲芳舎に人々が集まり、「秋の夜惜しむ歌」を詠む歌会にて、正式の出席者ではない(身分が低いため)けれど、専門歌人として、歌を詠む機会を与えられたので、詠んだ。
これほどまでに明けてしまうことが惜しいと思う夜なのです。
この情趣を感じずに、眠って夜を明かしてしまう人は、実に残念な人と思うのです。
夜の歌会で、躬恒が歌を詠むのは、その身分の低さゆえ、相当な後半。
そうなると、中には居眠りをしている人もいたのかもしれない。
「何のために集まられたのですか?もったいない」、下級官僚でありながら、身分の上の人を、からかうような歌。
おそらく、その場もわいたのではないだろうか。




