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古今和歌集から(1)  作者: 舞夢
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天の原 ふりさけ見れば 春日なる

                         安倍仲麻呂


天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

                   (巻第九羇旅歌406)


このうたは、昔仲麿をもろこしにもの習はしにつかはしたりけるに、あまたの年をへて、え帰りまうでこざりけるを、この国よりまた使ひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとていでたちけるに、明州というところの海辺にて、かの国の人、むまのはなむけしけり、夜になりて月のいとおもしろくさしいでたりけるを見てよめる、となむ語り伝ふる



大空をはるかに仰ぎ見ると、故郷の春日の三笠山から出た同じ月が見えるのです。


この歌は、昔、阿倍仲麻呂を唐の国に遣わした後、多くの年を経ても帰って来ることができなかったのを、この日本から再び、遣唐使が到着した時に、一緒に帰って来ようとして、出発する時に、明州という場所の海辺にて唐の人が餞別の宴会を催してくれた。その夜になって、素晴らしい月がのぼった様子を見て、詠まれたと語り伝えられている。



阿部仲麻呂は、大宝元年生まれ~宝亀元年没( 701~770)。

大和の国に生まれ、若くして秀才ぶりを発揮し、十六才の時に、留学生として唐に渡った。

その後は、玄宗皇帝に仕え、李白や王維らの著名人と交際し、かの国での評価もすこぶる高いものがあった。

三十年近くの滞在の後、仲麻呂が五十一歳の時、玄宗皇帝に帰国を願い出て帰路に着くけれど、その途中で嵐にあい安南ベトナムに漂着。

やむなく仲麻呂は再び長安に帰り、唐の地でその生涯を終えた。


仲麻呂が三笠山を思い出すのは、遣唐使が出発前に三笠山に渡唐の無事を祈る決まりがあったこと、阿部氏の社が三笠山にあったからとも言われている。

尚、仲麻呂が本当に詠んだ歌かどうかは不明とされているけれど、見事に望郷の想いを表現していることは事実。


これも日本人の歴史に残る素晴らしい歌と思う。


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