〈神の目〉探偵の超能力事件簿
慣用句の通りに人が殺される---。
捜査一課の赤嶋と青葉は、現在発生している連続殺人事件に頭を悩ませていた。「顔から火が出る」「骨抜きにされる」など、犯行は常人には実行不可能なものばかり。
ある日、犯行現場で彼らは不審な男女の姿を見つける。彼らは自身を探偵と名乗り、捜査に協力できると豪語した。探偵曰く、彼は他人の視界を盗み見る特殊な目を持っているという。
「超能力者は存在する。彼らがもれなく善人であるという保証はないんだ。ならば超能力犯罪に対抗する手段は唯一、我々も超能力を用いるしかない」
超能力者うごめく現代日本を舞台にした、異能力バトル×推理小説
海外出張から帰ってきてすぐ、一通の手紙が届いた。差出人の名前はメタファー。数か月前から日本を騒がせている、密室破りの連続殺人犯と同名のものだった。
馬鹿馬鹿しい。
ITベンチャーの若き社長、七条晴斗は鼻で笑うと、先日ポストに投函されていた手紙を放り捨てた。紙はひらひらと舞って床に落ちる。警察に届けようか少し迷ったが、文面を見て止めた。これは殺害予告ではないだろう。
『十二月四日と五日の境界。十二を針が示す時、ベッドの上で貴方を骨抜きに致します。メタファーより』
「……夜這いか何か、かな?」
予告の時間までは後十分。七条は地上五十階にあるオフィスで独り、手紙の差出人を待っていた。ベッドとはおそらく、この部屋に設置された仮眠用の簡易ベッドのことだろう。
とはいえ、現在七条がいる部屋は密室状態であった。入り口の警備員には誰も通さないよう言ってあるし、この部屋にたどり着くまでにオートロックのドアを五つも通らなければならない。万に一つもメタファーとやらが入ってこれる筈はないのだが、彼女が本当に予告通り自分の前に現れるのかどうか、その一点に彼は興味があったのだ。夜の誘いというものにも、もちろん彼の関心は寄せられていた。
「来ない……よな」
来ないに決まっている。冷静になってみれば馬鹿馬鹿しいではないか。ふと窓の外を覗き込んでみたが、特にこれといった変化もない。ため息をついて立ち上がった七条は、壁にかけたコートに手をかけた。
その瞬間、先ほどまで座っていた椅子が、ぎぃ、と軋む。
「ちッ、また見られてる」
誰かが喋った。
後ろに誰か、いる。驚きから七条の身体が硬直する。だが、その声色が女性のものだと気付いた七条はほっと一息つくと、コートから手を離した。
「もう帰っちゃうなんて、言わないでよね?」
今度は簡易ベッドの方から甘ったるい声が続く。笑みを浮かべて振り返る------。
**
「で、ベッドの上で骨抜きですか。外傷もなしに全身の骨を残らず取り除かれるなんて、人間の死に方じゃないですよ。奴の犯行で間違いないです」
翌日。新人警官の赤嶋は、床に落ちていた手紙を拾い上げた。その隣に素早く一人の女性が立つと、手紙をひったくる。彼女の名前は青葉。赤嶋とコンビを組んでいるが、彼よりも数年だけベテランだ。
「証拠品はすぐに鑑識に回しなさいよ」
「わかってますって青葉さん。聞き込み、何かわかりました?」
「被害者は多方面から恨みを買っていたようだったけど、過去の事件と繋がるようなものは何も無し」
「またですか……。僕たち後手後手ですね。前回の事件からもう1週間経っているっていうのに、進展はまったくなしです。犯行ペースもバラバラ。被害者も殺害現場も一切の繋がりナシ。唯一の共通点は、その死因が慣用句やことわざの比喩表現になぞらえてあることだけ……。これ、やっぱりメタファーは超能力者かなにかなんじゃ……」
「ふざけないで。超能力なんてあるわけないじゃない。絶対、何かのトリックがあるはずなのよ」
青葉はそう断言した。否、断言でもしないと正気を保てそうになかったというのが事実だった。これまでの事件の状況を見ても、赤嶋が言った通り、超能力でも使わないと実行できないものばかり。だがそんなこと、認められるわけがないのだ。
『腸が煮えくり返る』派遣会社の男性社員
『足が棒になる』男子大学生
『開いた口が塞がらない』エンジニアの女性
『首をひねる』フリージャーナリストの男性
『顔から火が出る』主婦の女性
『嘘ついて針千本飲まされる』男性医者
そして今回。『骨抜きにされる』男性社長
「…………はい、わかりました。ちょっと見に行ってみます」
赤嶋がかかってきた携帯の着信に出る。通話を切ると、困ったように青葉を見た。
「どうした」
「入口の警官からです。なんかここに不審な男女が尋ねに来てるらしいんですが……先輩も行きますか?」
思考が行き詰まっていた青葉は、誘いに乗って外の空気を吸いに行くことにした。
**
「ちょっと中を見るだけだって。なんならぴっちり監視を付けてもらっても構わんからさァ!」
「何度も言うけど、関係者以外立ち入り禁止なんだ。帰ってくれよ」
「黒沢さんもう帰りましょうよ、警官さんも困ってるじゃないですか。ああもうすいません、この人常識ってものが無くて……」
エレベータの扉が開いた瞬間から、既に騒ぎが聞こえてきていた。どうやら男が規制線を乗り越えようとして警備の者と揉めているようだ。付き添いと思われる女性が、ぺこぺこと謝りながら男を止めている。
「どう見てもただの野次馬ですよね、あの二人」
「たぶんな……」
男は入口に歩みよる二人に気が付くと、こっちこっちと言わんばかりに手を振った。
「ああ丁度いい、そこの刑事さん達でも構わんとも。現場を見てきたんだろう。詳しく話を聞きたいんだが」
「ちょっと黒沢さん。失礼ですって…………!」
女性にコートを無理やり引っ張られ、黒沢と呼ばれた男は渋々立ち去ろうとする。
「昨日の『骨抜き』はここで間違いないんだ。現場を直接この目で見れば、わかることだってあるだろうに…………」
「待てよ……。おい、おい待てそこの二人!」
会話を聞いていた青葉は何かに気付くと、突然声を荒げて二人を呼ぶ。
「ちょ、せっかく勝手に帰るところだったのに、なんで引き留めるんですか青葉さん」
「馬鹿ちょっとはアタマ使え、七条の死因は公開前の情報だぞッ……」
黒沢は青葉の表情に気付くと、にこにこと笑みを浮かべて歩みを戻す。警備員の肩をとんと叩き、テープをくぐって堂々とビルに入ってきた。
「よかった、話がしたかったんですよ。おそらくそれは貴女も同じでしょうけど」
「お前……何者だ」
「僕は黒沢。探偵業を営んでいる。あっちは助手の白川君」
「そんなことはどうでも良い。被害者の死因を知っているのはなぜだ。返答によっては、署で話を聞くことになるぞ」
「なぜってそりゃァ、この目で視たからだよ」
黒沢はハハッと短く笑って両目を指さした。だが目は笑っていなかった。
**
近くのカフェに入った四人は、ひとまず自己紹介をするに至った。
「K大の学生さん……が、どうして探偵の助手なんかなさっているのですか?」
「おい、なんかとは失礼だろう」
黒沢が横で口をとがらせる。K大の院生だという白川が差し出した名刺には、超心理学研究所の文字があった。
「私は大学でESP……いわゆる超能力を研究しているのですが……」
「超能力、ですか」
「はい。黒沢さんにその研究に協力していただく条件として、助手として働かせていただいているんです。黒沢さんに確認されている超能力は超感覚的知覚の一種。他人の視界に接続し、自身の知覚の一部とするものです。本人は神の目と呼んでいます」
「ははッ…………馬鹿馬鹿しい」
興味深げに話を聞く赤嶋とは対照的に、青葉の反応は冷たいものだった。
「気を悪くしたなら申し訳ない。が、私は超能力など信じない性質でね」
「別に。あんたが信じようと信じまいと、僕の眼に変わりはないのだが」
黒沢はため息をつくと、トランプの束を投げてよこした。青葉が受け取り、カードをめくって柄に目を通す。
「好きな柄を凝視し給え……ダイヤのエース」
青葉は無言で黒沢を睨んだが、彼は構わず言葉を続ける。
「僕は今、ある不可解な失踪事件を追っている。そこにどうも、連続殺人鬼メタファーが絡んでいるらしいんだ。事件解決を願う君たちと利害が一致しているんじゃないかと思ってね。おや、クラブの7とハートのクイーンを交互に見ている。あ、クイーンを選んだ」
「…………もういい加減にしてくれ。いったい何のトリックなんだ!」
青葉は堪え切れず、トランプを机に叩きつけた。だが黒沢も白川もまったく動揺をみせない。
「トリックなんて無いよ。僕の目にも、それにメタファーにも」
「馬鹿馬鹿しい。そんな話を信じろというのか?」
「そこはお任せするとも。だが超能力者にだって善人も悪人もいる。僕達の存在が一般に認知されていない以上、警察の目を欺くなんて朝飯前だとも」
四人の間にしばし沈黙が流れる。そして、それを破ったのは白川だった。
「ノックスの十戒……というものをご存じですか?」
「探偵小説における十個のルールでしたっけ。その一は確か、『犯人は物語序盤から登場していないといけない』」
「そうです。なら二つ目もご存じでしょう。『探偵方法に、超能力を用いてはならない』」
だが奴は比喩で人を殺すんだな、と黒沢は白川の後を継いだ。
「殺人鬼は超能力を使って良いが、探偵は使っちゃならんなんて不平等だろう。僕は探偵だが小説の登場人物じゃない。ノックスに縛り付けられる筋合いはないんだよ、青葉サン」
青葉はしばらく腕を組んで黙っていたが、やがて覚悟を決めて口を開く。
「……被害者の視界を奪い取ったのか。犯行の瞬間を直接見たんだな。それで公開前の情報を知っていた」
「いいや、僕が奪ったのはそっちじゃない。犯人の方なんだ。どうだ、僕の話にがぜん興味が湧いてきただろ?」
黒沢はずいっと前のめりになると、青葉の目をじっと見つめた。青葉もまた黒沢の目を見ていた。だが彼が視線の先で青葉を見ているのか、それとも青葉の目を通して彼自身の目を見ているのか、彼女は判別しかねていた。