終末審判/魔王再臨
四十年前の戦争で億を超える敵国の人間を虐殺したとされる兵器開発者は終戦後に『魔王』と呼ばれ忌み嫌われた。祖国を救い世界に嫌われた彼は一人郊外の森でアンドロイドと共に暮らし、たまに訪ねてくる孫娘との交流だけを密かな楽しみに静かな余生を送っていた。しかしある日、甲高いラッパの音を伴って翼の生えた巨大な白い騎士が天より降り立ち世界各地で同時多発的に『最後の審判』を開始、不出来な人類の粛清を開始する。その圧倒的暴威に人々が絶望に暮れる世界で、彼は怒りに燃えた。
──かつて夢見た願いを叶えるために、再び地の底より這い出た『魔王』は、神に反旗を翻す。
天に喇叭、地に絶叫。
世界に終末が訪れたあの日。
神に選ばれなかった愚かな私たちを、
魔王は決して、見捨てようとはしなかった。
***
──最後の審判を前に、自分の罪を数えてみようと思う。
魂を削るような命乞いと断末魔の叫びが地上から完全に途絶え、私のいる地下シェルターでは女子供のすすり泣く声ばかりがよく聞こえるようになった。
政府も軍も既にその機能を失っており、つい数時間前には近隣シェルターとの通信も悲鳴と爆発音を最後に繋がらなくなった。
おそらく、私に残された時間はそう多くはない。
しかし、まだ猶予はある。
だから私はここに、私の罪を告解したい。
別に赦しが欲しいわけではない。ただ、それをしないままに被害者面をして死ぬのだけは耐えられないというだけの話だ。
私は平凡な人間だった。いや、むしろ劣等と言っても良いだろう。なにせ実の父親からそう言われたのだから間違いあるまい。
戦時下の祖国において軍の名門に生まれながら、戦場に耐え得る肉体も外交を論ずる舌も持ち合わせていなかった私は、何不自由ない環境で期待も責任も背負わずに、ただ時間を浪費する日々を送っていた。
いてもいなくてもいい存在。そんな私に比べて、彼は紛うこと無き天才だった。
彼は私の大学の同期で、在学中に限れば親友と呼べる間柄だったと思う。
田舎生まれの貧乏特待生と揶揄されていた彼と、いけ好かないコネ入学と噂され避けられていた私は、単位取得のために互いに利用し合い、意外と気が合うことが判明して学外でもつるむようになり、気づいたときには二人で学生起業するまでに至っていた。
彼はその発想力によっていくつもの画期的なアイデアを保持していたが先立つものと社交性がなく、私は想像力が貧困なれど不本意ながらコネと詭弁に覚えがあって。
彼の妄想を私が実現させるという形で互いの不足を補い合う関係。
『世界を救う発明がしたいんだ』
そんな子供っぽい夢を素面で語れる彼の背中を支えるのは不思議と楽しくて、彼の発明がたちまち国を席巻していくまでの過程は、自分の人生がようやく動き出したような充実感に満ちていた。
例えば、つい先日まで人間にとって人間よりも身近な存在として親しまれていた家庭用アンドロイドの基礎を築いたのは──と、ここで述べるのはやめておこう。
全てを語るには半日でも足りないのだが、どうやらシェルターがとうとう奴らに発見されたらしい。防壁を叩く重低音が響き始め、シェルター内は阿鼻叫喚だ。
時間が無いので早めに本題に入ろうと思う。
先に戦時下と述べた通り、祖国は当時戦争の最中にいた。
隣国との小競り合いから世界大戦にまで発展したそれは、開戦から完全な終戦までを、休戦期間を含み二十五年もの歳月を要した長い戦争だ。
末期には在学中の私たちも軍に徴兵されることになったが、もちろん私たちのような鶏ガラ人間は戦場では肉盾にもならないので、兵器工廠の研究員として人を殺す武器の開発を命じられた。
私は父の教育の賜物か雀の涙ほどの愛国心しか持っていなかったのだが、元々正義感の強かった彼は徴兵直前で人生初の恋人に巡り会ったことも相まってその張り切り様は凄まじく──
『彼女の愛するこの国を救うのだ!』
と鼻息を荒くしていたので、私は肩をすくめながらそれに付き合うことにしたのだった。
今思えば、あそこが分岐点だったのだと思う。
父親の伝手を使えば徴兵だって拒否できたはずなのに、そうしなかった。
この世に地獄の釜を開いたのは軍か、それとも私だったか。
彼が天才であることに疑いの余地はなかったが、まさかその天職が兵器開発者だとは誰が予想できただろう。
私が羨望を向けていた彼の才能はまだほんの蕾にしか過ぎなかったようで、工廠内に押し込められた彼は瞬く間にそのセンスを開花させた。
一年ほどで祖国の軍事技術力を一段階上に押し上げ、敗色濃厚だった大戦を泥沼化させて継続させるという大戦果を上げたのだ。
これに関しては私もそこそこ貢献していたと思う。
口下手な彼に代わって企画書を上層部に 持ち込み、老獪な幹部たちを説得するという役割は辛くもあったが、国のため、友のためと考えると遅めの青春のように感じられてそう悪い気分ではない。
二年目、彼は彼は新規に建設された工廠の責任者を任されることになる。
上層部に才能に目敏い将軍がおり、周囲の反対も聞かずに大抜擢した形だ。
オーダーはたった一つ『自由にやれ、金は出す』とのこと。
随分といい加減な指令だったが、それが彼の心に火を点けてしまう。
三年目、新型戦車が西の共和国を蹂躙。
四年目、最新鋭航空機が北の連合を征服。
五年目、電磁加速砲が東の連邦を粉砕。
真に快進撃、暗澹としていた祖国の空気も一転して戦勝ムード。
彼の発明した兵器の数々はその従来の常識を越えた性能から未来型だと国中から賞賛され、私たちも自分たちの造った兵器が何万人を虐殺したかなんて考えもせずにそれを無邪気に喜んだ。
六年目、終戦目前に海向こうの合衆国が参戦を表明。
国内に亡命政権の樹立も認め、世界に徹底抗戦を訴えた。
汚泥に満ちた戦争が継続の鐘を鳴らす。
世界を相手にした戦争は苛烈さを増し、やがて祖国は四方囲まれた。
どれだけ質で勝ろうと、圧倒的に物量が足りない。かつての同盟国にすら見捨てられ、二十五年に及ぶ戦争に疲弊した祖国にはもはや血の一滴すらも残されてはいなかった。
軍も、政府も、国民も内心では悟っていた。
戦争の敗北と、その先にある凄惨な未来を。
世界の嫌われ者が倒される日を、心待ちにしている者が壁の向こうにたくさんいる。
奴らはきっと自分たちの死体を踏みつけにしながら、平和と正義と勝利の美酒に酔うのだろうと。
あの日、誰かが彼に言った。
『戦争を終わらせてくれ』
誰かも彼に言った。
『祖国を救ってください』
だから彼は──その通りにした。
全ての過去を覆す、圧倒的なまでの質。
超弩級人型決戦機動兵器──その忌名を、サタン。
彼とその鋼鉄の悪魔は一夜にして合衆国を消し飛ばし、
その翌日、大戦は世界連合の無条件降伏を以て終結した。
彼は見事に願いを叶えた。戦争を終わらせて祖国を救ったのだ。
だがここで一つ問題が生じる。
一人を殺せば殺人者、百万人を殺せば英雄と称される世界で。
三億人を殺した人間を、我々は何と呼べば良かったのだろう?
……英雄と呼ぶには、血に塗れすぎていた。
造れと言ったのは政府で、実際に使ったのは軍。
だがそのあまりにも非道徳的な悪魔の力に恐れをなした上層部は、国内外から向けられる批判・恐怖・嫌悪の眼を自分たちから逸らすために、全ての責任を彼一人に押しつけようとした。
血も涙もない冷血なる科学者の暴走と位置付けて世論を煽り、戦争を止めたかっただけの青年を、世界を救ってみたかっただけの少年を、
『魔王』と呼んで、憎悪した。
……私が傍にいてやるべきだった。
彼が多数に悪意を向けられた状態で冷静に弁明できるような人間ではないことは誰よりも知っていたのに、私はたった一人の親友を裏切った。
ああ、そうだ。怖かったんだ。
サタンのもたらした戦果は虐殺としか言い様がない代物で、それに加担したという事実を認めたくなくて、あれほど大嫌いだった父親に従って、
『近寄るなこの化け物!』
そう叫んだときの、彼の泣きそうな笑顔は今でも鮮明に覚えている。
親友に、恩師に、同僚に部下。挙げ句の果てには家族にさえも同じように拒絶されながら、彼は黙して語らずその全てを受け入れた。
たった一言、悪魔に『殺せ』と命じるだけで終わったのに、そうしなかった。
唯一彼を傍で支えた妻は心労に耐えかねては早くに死んで、誰一人理解者のいなくなった世界で彼が何を思っていたのか私は何も知らない。
自分が何をしたのかを理解するにつれて込み上げる吐き気と罪悪感を誤魔化すために、私は全てを忘れたふりをして四十年を生きた。
……だから、これは罰なのだろう。
空に喇叭の音色が鳴り響き、翼の生えた巨大な白い騎士達が地に降り立ち文明を蹂躙し始めたとき、政府は生物兵器によるテロだと発表し、マスコミは異星人が襲来したのだと騒いでいたが、私はついに私の罪を裁かれる時が来たのだと変に納得していた。
人々は神に救いを求めているが、最後の審判が始まったのだ。
他ならぬ神の御意志によって、罪深き人類は粛清されていく。
シェルターに逃げ込んだ身で言うのも何だが、私は少し安堵していた。
核にすら耐え得るはずの防壁が破られたとしても、心は不思議なほど落ち着いている。
眼前に立つ白亜の鎧、掲げられる白金の剣。
……ようやく、理不尽が糺される。
すまなかった、友よ。
君は嫌だと言うかもしれないが、
だけどもし、あの日をやり直せるのなら。
──君と共に、戦いたかった。
***
『管理者権限による起動申請を確認、承認決議を開始』
『敵性体の脅威度を判定────エラー、規定値を逸脱、計測不能』
『トリアージをブラックと仮定』
『戦闘区域・稼働時間を無制限に設定』
『十鎖拘束・全武装アンロック』
『全承認──サタンを起動』
『おはようございますマスター、貴方の夢を叶えます』