それでも彼女は拍手する
この世界で最もあの世に近い場所とされる“送りの霊穴”
青年リンドウが友人に依頼されたのは
アンデッド蔓延る極寒の地で彷徨っている少女シラギクの救助だった
彼の登場に拍手で喜ぶシラギクだが
リンドウはその拍手に違和感を覚え――
おかしな文言が添えられた依頼
違和感のある拍手
だんだんと狂っていく状況に
「ねえリンドウさん。私、ちゃんと拍手できてるよね? ねえ! 私の拍手…………おかしくないよね…………」
「私は……生きてるんだよね…………?」
人は何を以て死とするのだろうか
《生存ではなく帰還を最大目標とする》
《本任務はダンジョンに迷い込んでしまった依頼主の妹であるシラギクの護衛任務である》
《なお、本任務において護衛対象の生死については成否に関係ないものとし》
《生存ではなく帰還を最大目標とする》
❋ ❋ ❋
肌を引き攣るほどの寒さは自慢の黒の外套程度でなんとかできるようなものではなく、俺は後悔とともに我慢する他なかった。
「人が……本当に人がこんなところにいるってのかよ」
ここは“送りの霊穴”。地下へ地下へと続く、迷宮。
道中にはたくさんのアンデッドたちが動き止まりを繰り返している。
「仮に人がいるとして、生きていられるのか……?」
アンデッドの本体は死者の魂とされている。彼らは本能的に仲間を欲し、生者を殺そうとする。
1体だけならともかくにせよ、ともすれば十数体、それ以上が同時に襲ってくるこの環境で一般人がまともに生きていられるとは思えない。
仮に奇跡的に襲われていなかったにしても、この送りの霊穴は寒い。非常に寒い。深層に降りれば降りるほど冷気はその勢いを増し、体力をいとも容易く奪う。
『妹が送りの霊穴で彷徨っているようなんです』
どういう手段でか、その情報を入手した自称友人のクソ女に頼まれ、今は彼女の妹を捜索している。
「数日前に行方不明になった少女が送りの霊穴に……いったい何があったらそんなことになるんだよ」
そもそも送りの霊穴の入口は絶えず警備されていて、偶然迷い込んだということがないようにされている。
そんな中、なんでもない少女がこんなところにいるなんて普通誰も信じない。俺だって。
だが、心底悔しいが、あのクソが言うのであれば“たぶんいる”。
「この階もハズレか? ……そろそろ本気でヤバい寒さになってきたんだが」
フロアの末端、下へと降りる階段の前に到着した俺はそう呟いた。この階には分かれ道なんかはなかったから調べそこねはないはずだが。
「とりあえず、降りてみるか」
階段の暗がりの中に入っていくと、さらに驚異を増した冷気が皮膚をひりつかせる。痛みすら感じるこの寒さには、さすがに身の危険を感じざるを得なかった。
「これ以上は……マズい。一旦引き返そう。せめてもう少しマシな防寒着を――」
下の階にたどり着いた俺な率直な感想はそれだった。これはもう我慢の限界を超えている。
引き返そうと踵を返したその瞬間、俺の視線は釘付けになった。
「………………」
部屋の隅で静かに座っている少女。真っ白という言葉が似合う彼女の姿は、ちょうど手元にある護衛対象、シラギクの姿そのものだった。
近づいて膝を付き彼女の手首に指を添えてみる。が、脈は感じられない。身体もずいぶんと冷え切っている様子だ。
無理もない、と。そのまま目を伏せ、冥福を祈る。どんな偶然か、今いる送りの霊穴は奇しくも最もあの世に近いとされる場所。その最奥はそのまま繋がってるとまで言われている。きっと迷わず逝けるだろう。
「さて……亡くなった人の身体をどうこうするのは好きじゃないんだが……場所が場所だ、仕方ないか」
ここはアンデッド蔓延る送りの霊穴だ。長期間遺体をここに放置しようものならアンデッド化しないほうが珍しい。
「とりあえず、連れて行こう」
この冷気で体が脆くなっている可能性もある。壊さないように、そっと手を伸ばした、そのとき。
「――ッ!」
背後に気配を感じ、慌てて振り返る。
すぐそばには今にも爪を振り下ろさんとしているアンデッドが1体。――大丈夫。低級アンデッドの動きは遅い。間に合う。
右手で刀の柄を握り、抜刀しつつそのまま横一文字に斬り付ける。「ゲヒァア」という断末魔とともにアンデッドの身体は崩れ落ちる。
少し離れた位置に2体。爪先で地面を蹴り、アンデッドたちへ突進する。そして刀を斬り下げ、斬り上げ、アンデッドたちは倒れる。
ふう、と息をついていると突然。
コッ、コッ、カッ、コッ、リズムを刻むような小さな音。誰もしゃべるはずのない空間に、少女の声が聞こえた。
「お兄さん、すごい! とっても強いんだね」
背後から聞こえてきたその声は、今までの冷気が楽園かと錯覚させるほどに、冷たく、背筋を凍らせた。
今、自分の後ろに在る存在はふたつ。ひとつは先程のアンデッド。もうひとつは。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはユラリと立つ真っ白な少女がいた。
その彼女の両の手は、甲同士がぶつけられ音を立てている。
「君は……シラギクだね?」
「えっ、なんでわかったの! お兄さんもしかして心が読める?」
ウキウキ顔でそう聞いてくるが、そんなわけがない。
そう伝えると、ちょっとしょぼくれていた。
「とりあえず聞きたいんだけど、寒くないのか?」
あまりの衝撃につい今まで忘れていたが、彼女の服装をよく見てみればノースリーブのワンピース、薄着である。対してここは極寒の地。普通耐えられない。
「えっ、あー……寒くないよ?」
「……そうか。ならいい」
しかし、目の前の少女はあっけらかんとそう言った。まるで本当に平気であるかのように。
「それからもうひとつ。その、なんだ。さっきの動きは……なんだ?」
そう言いながら、両手の甲を近づけ、遠ざけを繰り返す。決してぶつけないようにして。
「え? 拍手だよ?」
「なっ…………るほど、そうか」
その答えは、想定していなかったわけではなかった。ただ、想定していたはいたが、一旦排除していたものだった。
少し考えてから、口を開く。
「俺の知ってる拍手ってのは、手の甲同士でやるんじゃなくて、手の平同士でやるもんだったけどな」
「何言ってるのお兄さん。そんなの当たり前じゃない」
「……そ、うだな」
ああ、そういうことか。それなら、都合がつく。
シラギクは、正しく拍手をしているんだ。
正しく拍手をしているから、彼女の認識は手の平で叩いているように思う。現実と齟齬が起きる。
『ねえ、知ってる? 手の甲でする拍手は裏拍手って言って、相手を呪うとき、そして死人のする拍手なんだって』
そうクソ女に教えられ、そのままやったのを思い出した。
そんな思案にふけていると、甲高い声に意識を引き戻される。
「お兄さん! お兄さんは私にふたつも質問したんだから、私にもさせてくださいよ!」
「えっ? お、おう。いいぞ」
すっかり元気になった様子のシラギクの勢いに、少し押し切られてしまう。
「お兄さんの名前はなんですか?」
「名前か? そういえばまだ名乗っていなかったな。俺の名前はリンドウだ」
「リンドウ……さん、リンドウさんですね! よろしくおねがいします!」
「ああ、こちらこそよろしく……てか、名前でよかったんだな。もっととんでもない質問されるかと思ったぞ」
「えっ、していいんですか?」
しまった。口を閉じても言葉は戻ってこない。「じゃあ、どこかでまた質問に答えてくださいね」と彼女はいたずらっぽく言った。
「あれ、そういえばリンドウさんはなんでこんなところに?」
もう質問使うの? そうおどけて聞いてみると「あっ、でもリンドウさんもふたつしたし……」と言っていた。
「君のお姉さんと……まあ一応友人で、彼女から君のことを街まで護るようにと頼まれたんだ」
切れるなら切りたい縁だが。
「そうだ、お姉様! お姉様はどこですか!」
そう言いながら、彼女は首を大きく横に振り、周囲を見回す。
「…………? あれ、そういえばなんで私こんなところにいるんだっけ?」
その瞬間シラギクの表情がサッと青ざめる。「なん……だっけ、思い出せそうで、思い出せない」「思い出しちゃ……」まるでその様子は得もしれぬような巨大な不安に襲われているように見た。
これは、まずい。
「シラギク、シラギク!」
「はっ……。えっと、ごめんなさい取り乱しちゃって。もう大丈夫です」
正気こそ取り戻しそう言うものの、まだ少し不安げな様子のシラギクがそう言ってきた。
「謝らなくていいよ。とにかくここにいても仕方ないし行こうか。道中はアンデッドが……いや、これは問題ない。道が迷路みたいに別れてるところがあったりするから、はぐれないように」
俺はサッと左手を差し出した。シラギクは一瞬ためらったようだが、手を取ってくれた。
やはり得もしれぬ不安の存在は大きかったのだろう。差し出した左手はギュッと強く握られた。彼女の瞳には少し涙が溜まり、大切なものがポロリと崩れ落ちた。しかし顔は笑顔そのものだった。
彼女がどれほどここにいたのかもよくわかる。握ってくる四指は酷く冷たかった。
「帰ろう」
俺は来た道を引き返す。
手を引きつつ歩き始める。
シラギクとともに、街へと帰るために。
バレないように拾った右手小指を、
子供には重すぎる死を隠しながら。
それがただの決断の先送りだとしても。
❋ ❋ ❋
非常に面倒なことに巻き込まれたような、そんな気がする。
《本任務はダンジョンに迷い込んでしまった依頼主の妹であるシラギクの護衛任務である》
――そういえば、今までずっと考えたことはなかったが。
人は何を以て死とするのだろうか。
《なお、本任務において護衛対象の生死については成否に関係ないものとし》
幸い地上に着くまではしばらくの時間を要する。
考える時間はありそうだ。
《生存ではなく帰還を最大目標とする》