同居人と自分
魔術がまだ、そこらに残る少し不思議な世界。
魔術を大学で研究する自分と、夢魔の家系の同居人、色々あったが今では穏やかな日々を過ごしていた。
そんな中、大学卒業を翌年に控えたある日、実家に同居人と一緒に帰省しようと考えた。
八月になったというのに、七月の梅雨はまだ日本列島に居座り続けていた。
午前八時半、例年であればこの時間には、自己主張の激しい太陽が窓から挨拶してくる。
しかし、生憎の曇天、おかげで未だに眠気が取れない。
同居人が起こしてくれなければ、この時間に朝ご飯は食べれなかっただろう。
ザクっ、パンをひと齧り。
「あっ、フレンチトーストだ」
「そうだよ。ようやく起きてきたみたいだね」
コーヒーを二人分、持ちながら片方をこちらに差し出してくる。
黒猫のカップに砂糖少なめの人肌加減の温度、紛れもなく自分の為のコーヒーだ。
椅子を引く音を立てながら、濡れぼそったショートカットが、向かい側で揺れる。
「もしかして、ゴミ捨てに行ってくれた?」
「違うよ。シャワーしてたの。あと今日だっけ?ゴミの日」
「うん、いや分からない。……その、今日誰かと会う約束でもあるの?」
「いや、別に。なんとなくかな」
そうか、と思いつつ二齧り目を飲み込む。
そういえば、今日のフレンチトーストはいつものより甘いな。
眠気眼で最初に見たフレンチトーストには、粉砂糖はかかっていなかったはずだった。
自分の手元に落としていた視線を元に戻すと、同居人はカップに口を付けながら窓の外を眺めていた。
「今日も雨だ」
「そうだね。思えば生まれて初めて八月になっても梅雨なような」
「うん、確かに」
「ねぇ、今日のフレンチトースト、どう?美味しい?」
そう言われ、口の中の咀嚼物に意識を移す。
さっき感じたように、いつもより甘く感じる。寝起きの糖分が足りていない体は、とても喜んでいる。
苦めなコーヒーともよく馴染む味わいだ。
おいしいよ、と飲み込んだ後に伝えると満足げな表情で、コーヒーを注ぎ足してくれた。
─α─
同居人との関係は、自分でもよく分かってない。
中高一貫で全寮制の男子校で同級生だった僕と同居人は、卒業とともに違う大学へ進学し、それ以来だった。
しかし、二年前の春先、急に僕の自宅にやってきた。それも愛らしい女の子になって。
世の中、不可思議なことが少なからずあるとはいえ、まさか質量保存の法則を無視して、142㎝のちんまりしたお嬢さんになってくるとは思わなかった。
同居人も、最初は誰かに相談しようと思ったらしいのだが、父母はおらず保護者の叔父も学会で国外にいるという状況だった。
では、何故、自分の所に来たのか。大学の友人とかはいないのかと聞いてみたが、
「君は、六年間寝食を共にした友人と一年半ぐらいの期間でたまに講義で一緒になる友人、どちらの方が信頼できるかも分からないのかい」
そう言って、呆れられた。
その後、連絡の取れた同居人の叔父と協議した結果、通っている大学は退学し、僕の家で新たに通信制の大学に入学するという事になった。戸籍の方は、叔父側が書類を取り纏めてくれたおかげで割と早くに変えられ、ほんの半年程で日常生活を取り戻せた
肩を揺すぶられ、目を開く
「もうすぐ、到着するよ」
「んん?あ、ありがとう」
そうか、今は同居人の運転の元、自分の実家に帰る途中だったんだ。
どういたしまして、と言いながらコンビニのMサイズのコーヒーを一飲みする。
そんな同居人の姿を見つつ、どこか違和感を感じた。
頭のてっぺんから腰あたりまでをゆっくり見る。
「な、なに?そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
そんな視線に、もどかしそうに視線を返してくる。
「いや、なんかいつもと違うような気がして」
「いつもと違う?ああ、クッション敷いてるぶんいつもより、座高が高いからだよ」
142㎝で車の運転はきついからね。そう、腕を上に突き出して伸びをしながらぼやく同居人。
さもありなんという風に肯定の意を示す自分。
これも、自分が運転免許を持っていれば済む話なのだが、それで済まないということはそういうことなのだ。
「ねえ、なんの夢見てたの?」
唐突に尋ねられ、ウェっと体の変な所から声が出た。
べつに、と少しぶっきらぼうに返すと、少し間を空けて
「昔の思い出でしょう?ねぇ、そうでしょう」
そう、分かっていた。夢にしては少し明瞭過ぎた。それこそ、物や空気の匂いまで手に取るように分かる夢なんて、ほとんど現実に変わりない。
「この魔術師、また夢を弄ったな」
「祈祷師です。それに最近、寝つきが悪かったみたいだし」
「……そうか、へんに心配させたみたいか」
エンジンを掛けつつ、現在地を把握する同居人。最近の車は、鍵を回してエンジンスタートさせるのではなく、スイッチを押してスタートさせるらしい。
音、静かに動き出す。
「あと、どれくらい?」
「うーん、今が小田原だから……、40分ぐらいかな。まぁ、だから寝ててもいいよ」
「いや、いいよ。今度は、また違った夢にしてくるんだろ」
運転用の黒ぶちメガネをかけ、ハンドルを握る。
そう思えば、こうして遠出するのは初めてかもしれない。特段、用事がなければ、自分は大学と自宅を行き来する生活だし、同居人は通信制だから外には基本的に出ない。日常の中で食材や服を買ったりするのは、徒歩か電車を使ってという場面が多かった。
それに、
「満更でもないし、役得もあるしな」
控えめに言って、この同居人はかわいいのだ。
男から女になるというのは、フィクション世界では所謂”TS”として扱われているもので、美少女化するのはごくごく普通の事なのだ。
しかし、同居人は顔も変わらずにそのまま女の性に変化した。
元から、女の子ような顔をした男であり、その容姿は卒業した学校内でも有名であった。
「学年に一人、必ず男の娘がいる。……うん、我らが母校七不思議だ」
「……ん?」
「いや、なに、お前がかわいいってことだよ」
「んっぁあ?!」
今まで寝ていたんだ。これくらいに揶揄うことは清涼剤として必要だろう。
──β──
「寝ないとか言いながら、横でがっつり寝てたんですけど」
「申し訳ない!」
「こうなってから初めての遠出だから、道中で色んな事、お喋りできるって期待してたんだけど」
「面目ない!」
「わたしの純情は、どうなるの」
「有理贏!無理輸!」
「それは、えーと、中国のネットスラング?」
あの後、自分でも気が付かないうちに眠ってしまっていた。
それに、腹を立てているというか形式的に怒っている同居人は、すべからく女の子気分なのだろうか。
時刻は、午後三時半。朝から、相も変わらずの天気は曇り。
「怒る気持ちも分かる。しかし、今日は何曜日だ?」
「なに、日曜日だけど……、もしかして、神様も休んでるんだから、自分も寝てるぐらい許せと言いたいの?」
「いや、なに理解が早くて助かる。そこらのペダントリーな学生とは大違いだ」
「ふーん、そう。知ってる?今ね君の実家にいるんだよ?」
「おっと、そいつは困った。ママに助けて貰わなきゃな」
もうやめよという感じで手を振る。それにここまで運転してもらった恩と、帰る時にまた運転して貰うという予定済みの恩がある。相手を刺激していいことは、そこまでないのだ。
それに、これから少し揉みくちゃにされる同居人のこともある。
実家の駐車場から石畳の道を歩き、玄関までやってきた。
思えば、大学に進学してから一度も帰ってなかった。
家族は、そんな自分をどう思っているのだろうか。
そして自分は、どういう顔をして、どういう言葉を投げかければいいのだろう。
呼び鈴を押そうか、押さないか迷っていると、横から細い腕が伸びてきて、ずいっと押してしまった。
「押さないの?」
「今、押したよね?悩んでたのに押したよね?」
リリリーンと独特な呼び鈴の音が、家の中に響き渡るのが分かる。
そして、ドア越しでも分かるスリッパの音、間違えない。
まぎれもなく
「やだぁ、帰ってくるなら連絡しなさいよ。あら、そっちのかわいい子は?もしかして恋人?ちょっと、誰か!たまえさん!急に帰ってきた息子が、女の子連れてきたわ!どうしましょう!ねぇ、ちょっと!たまえさーん!」
母だ。
他を圧倒する喋りの投射量、そこに誰の介入を許さない言葉の繋ぎ、数年会っていないとはいえ、衰えは見られなかった。たまえさんというのは、昔から家にいるお手伝いさんだ。
呼び鈴を押した同居人は、目を大きくして、声には出さない精一杯の驚きを表現している。
それに、無意識かどうか、僕のTシャツの端をぎゅっと握っていた。
「その、凄いお母さんだね」
「会ったことなかった?寮のイベントとか学祭とか結構来てたけど」
「そうなんだ。ボク、あまり目立つようなことしないから」
「うーん、そういうものか。あと一人称戻ってるぞ」
たまえさんを連れてきた母は、再び喋り始めた。
「見て、この子!とってもかわいいじゃないの!ねぇ、名前はなんていうの?お付き合いし始めてからどれくらい?息子とは、どう知り合ったの?何にも連絡よこさないのよこの子!」
「お、奥さま、まずは自己紹介をなされては」
「まぁ、そうでした!どうも、母です。あら、それスマイソンのポーチ?お上品ねぇ……」
「応接間の方に……」
「ええ!そうね!そうしましょう!さぁ、入って」
固定型台風と幼き頃の自分は、母に対してそう名付けたが、あながち間違いではないと今でも思う。
実を言うと、今回の帰省の目的は、この同居人を母や家族に認知させることだ。
来年の四月には、大学を卒業してしまう。そのまま、ずるずるとこの生活を続けても悪くはないが、ケジメをつけるべきではないかと思った。
「これから、三日間よろしくな」
「う、うん。頑張るよ」
同居人は、そう声を漏らした。