終わる世界に手向の花を
プツリ、と映像が開始する。
画面に映るのは金髪碧眼の青年、そして虹の如き髪と目の少女。
屋外の花畑で撮影されているのだろうか。
風の遊ぶ音が聞こえ、彼らの周りでは鮮やかな花々が咲いて、紅色の空が見えている。
──青年が語り出す。
「私はノア。『ノア=アンサル』と言うものだ。この少女は『イヴ』。私の愛娘さ」
男は微笑み、白衣の裾を掴む少女の頭を撫でつつも話は続く。
曰く、世界は滅びかけであったらしい。
資源の殆どは枯渇、各国は資源を手に入れるために資源を食い潰す戦争を始めたそうだ。
そして、彼はそんな世界を救うべく奔走し──手段を破壊され、計画は失敗。
現在のような世界になったとのこと。
「大まかな試算だが……この世界の寿命は楽観的に見ても五年程だろう。故に、この子の力で別世界に諸々のデータを送る。君たちは間違えぬように、このデータも」
「どうか聞いて欲しい。失敗した私達の話を」
「なるほど。進捗は九割を超えたか……ああ、ようやくだ。ようやく我々の悲願が達成される」
荒廃した世界にある、巨大な研究所。
周辺には色とりどりの花々が咲き誇っている。
季節に沿った花は当然とし、季節外れの花でさえも鮮やかな花弁を広げている。
あまりに特異で非常識ではあるが、その場においてはそれが当たり前なのだ。
白亜の建物の中にはおおよそ四百名程の研究員が闊歩しており、ただ一つの計画の為に活動している。
そんな研究所のとある一室。蛍光灯による無機的な光が降り注ぐ部屋にて。
ディスプレイに相対し、唸る一人の青年がいた。
年齢は二十程だろうか。新成人特有の弱々しい雰囲気ではなく、老獪さを孕む芯の通った強さを全身から滲み出させている。
そんな彼の整えられていない薄い金髪と、充血した碧眼、整った顔立ちを崩す顰めっ面が現在の研究の難解さ等を如実に示している。
「主任、報告書を持ってきました」
「了解、そこに……『方舟』建造の進捗は?」
入室した女性に進捗を捲し立てる彼の名前は『ノア=アンサル』。青春時代からずっと研究に明け暮れていた悲しき非モテである。
極端に性欲が薄い彼にも結婚願望はあるものの……彼にとって優先する事は第一に計画の上、スケジュール的に余暇が存在していない。
つまるところ、現状彼に恋人を作ってデートと洒落込む余裕は微塵もないのだ。
そんな彼の部下──同期ではあるが立場上は副主任である彼女の名は『カレン=クレイブ』。艶のある黒い髪をポニーテールに纏め、それと同じ色彩である、怜悧さが滲み出る鋭い瞳が特徴的な女性である。
ノアには遠く及ばないものの、世界でも有数の才媛であり、気の遠くなる努力を重ねて能力を磨き上げて地位を掴み取った秀才。
また、その美貌に釣られて数多の男が彼女に告白を行なったが、それらは須く玉砕した。
彼女の冷たすぎる返答が彼らを叩き潰すためだ。
「実は既婚なのでは?」という噂もちらほらと聞こえるが、人事部からは未婚と情報が出ているために一切の信憑性がない。
そのため、『彼女が告白を受けるか』に対する賭けは張り詰めるような空気の漂う研究者の間でも娯楽の一つとして成立している。
……個人情報を開示する人事部には誰も疑問を呈さないのだろうか。
「なるほど、ありがとう」
「いえ、これも仕事の内ですから」
足早に部屋を去ろうとする彼女。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
「副主任。食事は?」
「申し訳ございません……まだやるべきことが残っています」
「そうか」
ああ、無情なるかな。一切の下心無き食事の誘いであろうと、彼女の鉄壁を崩す事は不可能に近い。
その事実を再確認した彼はいつも通り一人寂しくパンを食べ始めるのだった。
それを見る事無く彼女は恭しく一礼、流れるように部屋の外へ。
内面の感情を悟られぬよう、その顔に笑みを貼り付けながら。
──余談ではあるが、ノアがカレンを食事に誘った理由は非常に単純である。『性行したい』という部類の、いわば肉欲が元となっているのではなく、寂しさ故の行動。
誰であろうと卓越した才能は人を遠ざけ、近寄らせることを困難にさせる。
彼もその例に漏れる事なく、現時点で一人の友人も存在していない。
これまではそれでもよかったのだ。
だが、『人類救済計画』が開始してから──否、己で始めてから数多の研究者が一箇所に集まった事で無数のコミュニティが出来上がった。だが、その輪の中にノアが含まれる事は無く、それが無意識下の寂しさを助長させた。
彼なりにコミュニケーションを取ろうと努力しているものの、青春時代という他者との友好関係を結ぶには格好の時期を研究に費やしていた。それが仇となったせいで、誰かに話しかけることは不可能に近い。先ほどのように話されたとしても返す言葉は淡白極まる…
彼に近づく者は一定数いるものの、全てが利権や実験データの買収やら……彼と友好関係を結ぼうとする者はほんの少しもいなかった。
哀れ、ノア博士。
だが……まだ、まだこれは序の口。
彼はまだ、何かを失うことを知らない。
〇〇〇
「────おい、これはどういうことだッ⁉︎」
『方舟』の構築、調整のために百平方キロメートルが割り当てられたプラントに怒号が響き渡る。
声の主は計画の第一人者であるノア。
彼はプラントに到着し、中に入った瞬間に組み伏せられた為に激しく動揺し、普段からは想像もつかない声音を発する。
そんな、無様に取り押さえられたノアを見下すのは各国から集まった科学者。彼を囲むように殆どが立っている。
中心にはカレン。
周囲の状況から彼女が主犯であることは容易に想像がつく。
目の前の人物から紡がれる言葉は。
彼を絶望させるのには十分に過剰であった。
「『人類救済計画』は本日をもって終了。貴方は永久に封印処分され、『方舟』を凍結、分解し、世界を殺します」
「────な、何を言っ「無論、貴方の事は世界中の皆が覚えるでしょう。『方舟』によってこの世界を崩壊させようと画策した極悪人、咎人として」」
助けを求めようと首を動かす──が、皆はニヤニヤと嗤うだけ。誰もノアの味方はいない。
四面楚歌。彼は部下の裏切りによって己の地位を全て剥奪され、人生を崩されるのだ。
ノアは真っ青な顔で、弱々しい声を紡ぐ。
「『方舟』を凍結、分解だと……そんなことが出来るはずが「可能なんですよ」──なっ⁉︎」
カツリ、カツリと足音が響く。彼女は『方舟』へと歩き出す。その足に、一切の迷いはなく。
機械で構築された三、四の円環が金光の周囲に浮かんでいる。何処を見ようとに無数の幾何学模様が存在し、今なお稼働を続けている。
それを支えるかの様に極太の鉄柱が突き出ており、輪の補助を成している。
その中心に存在する光球。それは発生したエネルギーが装置によって収束した成れの果て。
舟と呼ぶには相応しくない金光と機械群が──未完成ではあるものの、『方舟』と呼ばれる代物だ。
カレンは振り向き、揚々と語る。
逆光で表情こそ見えないものの、その声はどこか狂気を含んだように感じさせる。
「私は……貴方みたいな天才っていうのが大嫌いなんですよ。私たち凡人がどれだけ頭を捻っても思い浮かばなかったそれを当たり前のように思いついて、呼吸する様に実行して。本当に憎らしい……今どんな気持ちですかぁ? 信じてた部下が全員裏切って、こうして全てを失おうとしている気分はぁ? 私は最高ですよ……フフフッ!」
狂喜に声を震わせながら、語りは続く。
「……この際です。どうやってコレを止めるか教えてあげますよ。私たちが秘密裏に作り出した装置──『松明』を使用する事で全てのエネルギーは吸収され、このクソッタレな装置はただのガラクタになるんですよ……ウフフッ。最ッ高に面白いと思いません⁉︎」
立てかけられていた棒を掲げる。その大きさは腕程だろうか。恐ろしいほど精巧に造られているそれこそが『松明』と呼ばれる装置。
その本質はエネルギーの吸収。対象のエネルギー全てを奪うことにより、『方舟』を凍結させると言うのだ。
「ふざけるな……ッ! そんな嫉妬如きで「そんなこと? えぇ、貴方にはわからないでしょうね! 何度も失敗し続けて、失意の中でも惨めに這っていく凡才の気持ちなんてッ!」」
深淵の憎悪が壊れた鉄仮面から溢れ出て。
止まらない感情は身体を突き動かす。
彼女の手にある、凡夫の執念は、
淀みなく方舟へと吸い込まれ──
「や、めろぉ……ッ!」
──その時は訪れた。
執念の炎が、希望の方舟を燃やしていく。
だがその火は船のみならず、人類、果てには世界をも焼き尽くす。
力は収束する事無く、膨張を開始。
光は森羅万象を飲み込み、無音で世界へと拡散し。
世界を、地球の全てを塗り替えていく。
この日、世界は崩壊した。
……だが、それでもまだ終わらないのだ。
〇〇〇
「────────はっ⁉︎」
目が覚める。
真紅が視界いっぱいに満ち満ちていて。
耳は気味が悪くなるほどの静寂を。
嗅覚は万象が混ざり、千切れゆく混沌を。
触覚は焼けるような、それでいてどこかひんやりとした空気を捉える。
起き上がり、辺りを見渡すが、見えるのは地平線のみ。
────あぁ、なんの因果か。自分は生き延びたというのか。
ふ、と気配を感じ、爆心地に視線を向ける。
クレーター全てを埋める、目を覆いたくなるような色彩の花々が咲き誇り。
中心には虹の髪を持つ少女が眠っている。
穴にはトルコキキョウ、マリーゴールド、沈丁花……自分がもつ知識の範疇では、規則性がないように思える花々が。
まるで揺り籠のようだ。
斯様な芸術をなるべく踏まないよう気をつけ、クレーターを降りてゆく。
近づくほどに少女の髪色が変わりゆくため、陽光の反射によってあの鮮やかな色が出ているのだろう。
不意に現れた少女を抱き抱え、光の加減で色が変わる髪を撫でながら、ゴミ同然になるまで読み込んだ旧約聖書を反芻し。
「……『イヴ』」
ポツリ。呟くように少女へ名をつける。
この子は『人類救済計画』の産物なのだろう。きっと、偶然の。
そうならば、自分はこの子の親となるに違いない。
少女の目蓋が開かれ、千紫万紅たる寝ぼけ眼と目が合う。
「おはよう、イヴ」
紅い天は、どこまでも晴れやかに広がっていた。