夢の中のわたし
雨の音で目を覚ました。どんよりとした雲が空を覆っている。起きていても夢を見ているように部屋はじめじめと湿気を伴って私の髪もじわりと水気を帯びているように感じた。
金色の長い髪は湿気を帯びてくるくると丸まり、翡翠色の瞳は小さな窓を見つめている。
「また雨ね。毎日、毎日雨ばかり」
記憶の中にある晴れ間なんてどこにもない。部屋からも出られなければ屋敷からなんてもっと出られない。一日に1冊、いつの間にか本が置いてあるだけ。
誰が置いているのかは分からない。寝ている間に置かれる本と食事。それが私の世界だった。
屋敷の部屋から見える景色は変わらない。文字を覚えたのも、毎日本が置いてあるから。自然と覚えた。
覚えた、というよりも覚えていた。誰か自分ではない記憶が頭の片隅に存在している。消そうとしても消せない記憶は、本の知識を借りて言えば前世の記憶とでもいうのだろうか。
その中では世界が晴れていて、もう一人の私が微笑んでいた。
水溜りには青空が映し出され、大きな水溜りを飛び越えようとしてその前で転んで水浸しになる。
リヨン。それが私の名前であり、璃音は夢の中の名前だ。
私の名前は手紙に書いてあった。生まれた時から記憶ははっきりしていて、全て覚えている。嫌そうに私の世話をする乳母は私が成長し6歳になると突然部屋に来なくなった。
その代わり、寝ている間に本と食事が運ばれるようになった。
それからはずっとこの部屋で一人。鍵の掛けられた部屋でひっそりと暮らしている。
「退屈でしかない」
娯楽と呼べる娯楽も無ければ、あるのは雨音だけ。つまらない。ああ、つまらない。
夢の中は楽しそうに笑う一人の少女と、顔に影の掛かった少年が一人。なんだったか、思い出せるようでいて全く思い出せない。
「さて、今日の本は……っと、これね。童話にしては厚みがあって読み応えもありそう」
不思議なのはこれまで一度も同じ本は持ち込まれていなくて、じめじめとした日しかないのに少しも本はよれていないのだ。
もちろん屋敷どころか部屋からも出たことのない私はこの本がどこの物かも分からなければ、もし屋敷の蔵書であればどれだけの本が眠っているのだろうと考えるとわくわくが止まらない。
「白雪姫。これは知っているわ。童話の短編集ね。読み応えがありそうだと思ったけど、どれも知ってる話じゃない」
確かに読んだ事のない本ではあったが、その中の一つ一つは何度か読んだ事がある。翻訳している人が違うだけで話の筋は殆どが同じ。中には残虐な描写も含まれていたが、それはそれで面白かった。
だがこの「白雪姫」は読まなくても同じような話なのだろうと推測できる。姫が林檎を食べ、花が敷き詰められた棺の中へと横たわった挿絵が印象に残っていた。
「やっぱり同じお話ね。……でも、少し違う?」
そう思ったのは挿絵が見た事のない描き方をしていたからだ。
白雪姫は白い花が敷き詰められた棺の中で歌を歌っている。それは彼女が目を覚ましているから。
その前の描写では白雪姫は王子様の口付けで毒林檎を吐き出している。
「私が知っているお話と違うのね。面白い」
私の知っている白雪姫のお話は「白い花が敷き詰められた棺で永遠の時間を過ごす白雪姫」だった。
永遠の時間とは、美しいままその場所で眠り続けるというもの。
時間は流れていくのに、白雪姫だけは取り残されたように棺の中で眠っている。
「白雪姫だけじゃ……ない? どのお話も私の知らない終わり方をしているわ」
何度も読んだお話は結末が書き変わっていた。
そのどれもが幸せに暮らしていたり、死んでしまっていたこれまでの結末とは違い生きているという希望を与えるようなものばかり。
知識を蓄えていればいつかこの塔から出た時に一人で生きていけるのではないかと思っていた。
自分と同じように塔で過ごしていた女の子のお話も塔の中で過ごすだけでなく、最後は王子様と結ばれた。
「私には、王子様はいないのね」
自虐的に呟いて惨めな気持ちが湧いてくる。
それもこれも本のせい。
本があったから、本が無ければ私はこの気持ちを知ることもなかった。
怒りや悲しみ、沢山の感情を本から教えてもらった。
そう思ったら、この気持ちをどこにぶつけていいのかも分からなくなる。
「いつか王子様が現れてくれるのかしら」
じめじめとした塔の中でリオンは呟いた。
ホーホーと響く梟の声を聞きながらいつしか白昼夢を見る。