愛され巫女は朝から夜までてんてこ舞い。
人生というものには刺激というものが必要である。刺激がなく毎回同じことの繰り返しでは色々と飽きてしまうから。人間、飽きると何もやらなくなるし何より飽きによる現状への慣れが恐ろしいのだ。慣れというのは心の緩み、現状維持は相対的な衰退と変わらない。実に面倒くさく厄介な事柄である。そして何より時として刺激ですらも命取りにもなりかねないということも肝に銘じておくべきなのだ。一見なんともないような小さな刺激によって歯車はズレて狂うということを。それ単品ではなんともなくてもそれだけでは収まらない、どんどんと周りを巻き込みズレは歪みへと変わり歪みは破滅へと向かう。つまるところ大したことは無いと思っていた小さな刺激だけでもそれは大きな歪みとなるということ。行くところまで行くと取り返しがつかなくなるということ。
でもだからこそ言えることがあるとすれば今を大切にしないといけないということ……それがきっと一番大切なこと。そこに気がつけるか気がつけないか。
でも、刺激がありすぎるのも問題があるんだよね。
そんな私の悩みなんかはつゆ知らず、相変わらず空は清々しいほどに澄み渡っている。燦々と降り注ぐ太陽の光は優しく暖かい。
それにしてもすごい量の花びらである。たった一夜放置していただけなのにここまで参道をピンク色に埋め尽くすとは驚きが隠せない。とても綺麗なのだけれども、掃除の大変さというものは格段に上がってしまうのが難点。
そして何より大変なのは時折吹く風が集めた花びらを撒き散らすこと。おかげで掃除はいつもよりもさらに時間が掛かる。いつまでたっても終わらないような錯覚に軽いため息をついたその時。
「どうだい花撫、調子の方は」
唐突に後ろから声がかかった。
「いつも通りなんの問題もありませんよ」
「ふむ、そうかそうか……なら良かった」
彼は何か言いたげに口を開いたが結局それだけを言い残して箒を担ぎ口笛を吹きながら拝殿の方へと歩いていく。
茶色がかった短い髪(本人曰く地毛らしい)と確かな力を感じるけれどもやる気のなさそうな黒い眼、あとはあの少々面倒くさがりのあの精神さえどうにかすればもっとまともになるのだろうけれどあれがここの神主。でもそんな彼がいなければ今の私もないのだということ、やはり人生というものは分からないものであるということを再認識する。次々と別の方向へ向かって転がっていく。
「きっと私が思っているよりも……」
優しい春の風が私の頬を撫でていく。そうして再び集めた花びらは舞い散っていく。
「………………」
せっかく半分ほど集め終えたというのに……。
「本当にどうしようも無い神主じゃ」
音もなく私の後ろに現れたのは銀色の髪を持ち金色の瞳を輝かせる女性。私よりも少し小さく身長は150cmくらい……なのだけれどなんで私よりも胸が大きいんだろう。というか今日はやけに後ろから声がかけられる。
「心臓に悪いのでいきなり後ろに出てくるのはやめていださい。それにどうしてくれるんですか、また集め直しですよ」
一見私と変わりない巫女装束を羽織っている。しかしその背中には彼女の身長くらいあろうかという大きな光輪がクルクルと回りながら浮遊している。そしてまた彼女自身も宙に浮いている。
「ふむ、悪かったのじゃ。次は気をつけるのじゃ……にしても妾にそんなこと言うのはお主くらいじゃぞ」
そう言って笑うのだ。
「私は思ったことを言ってるだけですよ。それに鈴蘭だってこんな感じ、というかもっと酷くありません?」
それにどうせ、分かってしまうのだから。彼女には私が何を考えているのかが筒抜けなのだから隠すだけ無駄である。
「説明したじゃろ。鈴蘭はただの人間では無い。どちらかと言えば妾達に近い存在じゃ、それに妾自身たいして気にしとらんのじゃ。だからお主もそのままでお願いするのじゃ」
「そう言うものですかね……それでご用件は?」
「ふむ、お主の掃除が終わってからにするのじゃ。それに妾にはまだやることがあるのじゃ」
そうしてふわふわと宙を浮きながら拝殿の方へと漂っていく。
風や何やらで邪魔をされ続け、参道を掃き続けはや1時間。もういい加減終わりにしたかったというのに……タイミングが最悪なのだ。どうしてこういつも出てくるタイミングが悪いのだろうか。
ともあれそんなことを思っていると割と真面目に天罰が下されかねない。なんせ彼女は由緒正しき女神様なのだから。
『天照大御神』
言わずと知れた日本の最高神。高天原の主神、太陽神、農業神など幅広く、伊勢神宮を主に信仰されている神様の中の神様。
そんな神様がなぜこんな所にいるのかというと、本人曰く「暇なのじゃ」との事だけれども本当の神意は全くわからない。向こうがこちらの心を読むことができても私があちらの心を読むことは出来ない。それでもとにかく言えることはマイペースな性格であるということだろう。ふっと現れていつの間にか消えている。もはやマイペースというよりも自由奔放という言葉の方がしっくりくるのだけれど。
でも、あそこまでいくと本当に天の岩屋戸に神隠れしていたことがあったのだろうか、と疑いたくなる。どうにも彼女が洞窟に隠れている姿が想像出来ない。
ともあれそんなことを抜きにしても私たちからすればとんでもない存在ということに変わりはない。
そうしてしばらくすると拝殿の方から悲鳴が響いてきた。
「………………」
ここに来ると毎回のごとくあのような悲鳴というか断末魔が確認される。当然悲鳴の主はここの神主その人。本当に困ったものである。
「はぁ……」
それにしても最近やけに来ることが多くなった。神様って普段そんなに暇なのかな。
***
なんだかんだ言っても、何事には必ず終わりが来る。というわけで参道の掃除が無事終わり、拝殿横の母屋へ行くと女神は縁側でお茶をすすっていた。すっかりくつろいでいらっしゃる。
「それで、ご用件は何ですか?」
「うむ、鈴蘭が呼んでおっての。急ぎの用事らしいのじゃ」
「鈴蘭が?」
できることなら関わりたくないのだけれども……それは無理だろう。なんせ女神様がこうして直接出向いてきているのだから。
「ふむ、死活問題らしい。手遅れになる前に行かんと色々と面倒じゃからの、こうして妾が来たのじゃ。さあ掴まれ」
湯吞みを置きすっと立ち上がる。
掴まれと言いながら私の腕を掴み有無を言わさず術が展開される。
瞬間、辺りに強い光が放たれる。
次に私が目を開くと、そこはさっきまでいた神社ではなく鬱蒼と生い茂る数々の竹。まだ昼間だと言うのに日光は竹の葉で遮られ薄暗い。その中に鎮座する日本家屋が鈴蘭の自宅である。普通に豪邸と呼んで差し支えない程の大きさがあり彼女はここで様々な実験を行っている。
「……私、この術どうしても好きになれません」
『瞬間移動』
その名の通り、自分の言ったことのある場所ならばどこへでも瞬時に移動できるという術なのだけれど、なぜかこれを使うと毎回酔ってしまう。
「ふむ、やはりこれも改良が必要じゃな……霊流の逆流を利用するのは負担が大きすぎるようじゃ」
「……あれってそういう術なんですか?」
だとしたら毎回酔ってしまうのも納得だ。霊源というのが神社や寺、森など基本的に神聖な場所に存在し霊流なる流れを発生させている。術を使う際に霊流に沿って発動すると威力も上がるらしい。そもそも術を発動するには霊力が必要なのだけれどそもそもこれは霊源とは全くの別物である、けれど連動はするようなのだ。基本的に霊力というものは人間の体を血液のように循環している。つまり間接的にそれを逆流させていたとするならば確かに気持ちが悪くなるのも納得である。血液だったら即死なのだからかなり恐ろしい術である。
「まぁ、よい。とにかく行くのじゃ」
「というか、彼女に死活問題なんてないんじゃないんですか?」
「い、いや……そうでも無いのじゃ、ここ最近は特に……」
それだけ言って玄関の扉を開け放つ。そうして中へと入り込んでいく。
「鈴蘭、花撫を連れてきたのじゃ。おるかの?」
何かが崩れる音がしてドタドタと廊下を走る音が近ずいてくる。
「か〜な〜でぇ〜」
白いエプロンを首から下げた彼女は私を見つけるなり容赦なく飛びついてくる。その様子はまるで子供なのだが、長い黒髪に髪と同じ目の色そして何より主張の激しい彼女の胸が容赦なく私に襲いかかりその体型は決して子供などには収まらない。すらっと伸びた身長に出るところはしっかり出て無駄な肉がない。私も小さくはないはずなのだけれど、どうも2人を見ていると小さいのではと疑いたくなる。
そして当然だけれども私よりも身長の大きい彼女が突進してきたその勢いを私が支えきれるはずもなく後ろへと押し倒される。そうしてそのまま上から覆いかぶさられる。
「……鈴蘭、用件というのは」
「むふふふぅ、これよこれ。どう、むしろここに住まないか?」
顔を私の腹部に埋めながらそう喋る。玄関で女性が女性に覆いかぶさっている、なんてことが街中で起きていたら軽く警察沙汰である。そこまでいかないにしてもかなり冷たい目で見られることは間違いない。そしてその矛先は彼女だけでもなく私にも向くということだ。なんとも納得出来ない。
「何を持ってむしろなのさ……死活問題なんじゃなかったの?」
女神はあらぬ方向を向き我関せずとでも言いたげだ。どうやら見事嵌められたようだ。
そうしている間にも私の匂いを嗅いでいるのだろうか、すぅはぁと何度も呼吸している。もう早く警察に引き渡してよ。誰でもいいからさ。
「いやなに、最近花撫成分が足りなくて、何をするにもやる気が起きなくてね。それに何より花撫の巫女装束が見たかったのさ、流石は巫女。うふふ、眼福眼福」
もう本当に誰かどうにかして。どうして世の中こんなにもどうしようも無いことで溢れているのだろうか。
「あなたって本当に仙人なの?」
本当に本気で疑いたくなるレベルである。正直私自身これを仙人様だとはどうしても思いたくない。仙人様と言えばもっとこう高貴なイメージがあった。というのも今となっては過去の話だけれどもそれでもあの出会った時の鈴蘭はどこに行ってしまったのだろう……もうため息しか出てこない。
「失礼な、私は十分高貴だろ」
「鏡を見ても同じことが言えるんですか?」
十中八九今のこの姿を見て彼女のことを仙人だと思う人はいないだろう。
「無論、私はいつでも仙人の鑑のようであると断言出来る」
「なんでうまい事言った、って顔してるんですか……」
もはや皮肉すら通じないという、なんともポジティブな思考である。こんなのが仙人など知っていても知りたくもない事実だ。それだけでは無いのだ。さらにはこれが日本で五本の指に入る仙人と言うのだからいよいよ世も末である。絶対何かの間違いだと思う、お願いだから間違いであって欲しい。
「何度も言うが、お主と会うまではまともだったのじゃぞ。どうしてこうなったのか妾が聞きたいのじゃ」
……なんで私が悪いと言われなければいけないのだろうか。これといって何をしたわけでもないのに。というか何もしてないのに。
やはり世の中はとてつもなく理不尽だ。
「というか、そろそろ離れてくださいよ」
「う〜ん、もう少し……」
口で言っても聞かないので、無理やり引き剥がす。なんとも残念そうな顔をするのだけれど、普通ならこんなことはありえないので無視しておく。
というかそもそも私は客人じゃないのだろうか?
一体全体何がどういうことなのだろうか。
この人達、1名は人ではないが……いや、そもそも普通の人間が私以外この場にいないのだろうか。
「まぁ、用件は別にある。立ち話もなんだ。中に入ってくれ」
そしていつも思うのだけれど、このスイッチの切り替えは一体どこにあるのだろう。できることならいつもこの状態でいて欲しいのだけれど……。
とにもかくにも客間まで案内される。というか用件が別になかったら間違いなく速攻で帰らせてもらうところです。
「はぁ……なんでこうなったんじゃ」
女神様は盛大にため息をこぼすのだった。