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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

レムレースの夜

作者: イカ大王



4000文字程度です。

 

 校医の吉川(よしかわ)透子(とうこ)は焦っていた。


 時刻はすでに21時過ぎ。日はとっくに暮れ、街灯のおぼろげな光が保健室に差し込んでいる。


 今日、この蓼科(たてしな)高校では教師たちの定期検診が行われた。

 彼女は校医として、今日中にその報告書をまとめなければならなかった。


「間に合うかしら…」


 透子は小さな声で独り言ち、頭をかいた。


 校門が閉まるのは21時半であり、それまでに報告書を完成させなければならない。

 腕時計を見やると、21時15分。ギリギリだ。

 おのずとキーボードを叩く腕に力が入る。


 ノックの音が室内に響いたのは、時計の長針が真下を過ぎた頃だった。


「はーい。開いてます」


 透子はノートパソコンとにらめっこしながら言った。

 控えめに扉が開き、痩せ細った中年男性が顔を覗かせる。透子はちらりとそちらを見る。


「吉川先生。仕事熱心なのはいいことですが、そろそろ校門閉めちゃいますよ」


 高校の夜間警備を担当する警備員だった。

 (のり)の効いた紺色の制服を着込み、紀章をつけた制帽を被っている。右手には懐中電灯。


 名前は知らないが、透子は遅くまで残ることが多いため、顔なじみの存在だ。

 警備員の背後の廊下はすでに暗く、消灯を済まされたことを示している。おそらく灯りがついているのは自分がいる保健室の机の上みだろう。


「あら、ごめんなさい。でもちょっとだけ待っていただけるかしら。もう少しで終わるの」


「そうですか。あと何分ぐらいで終わりますか?」


 警備員は丁寧に聞いた。

 透子はやや間をおいて答える。


「あと5…いや、3分で終わるわ」


「分かりました。5分後に来ます」


 警備員はにっこりと笑った。

 透子は終了時刻をサバ読みしてしまう癖がある。警備員は今までの経験からそれを知っていたのだ。


 透子は赤くなり、小さい声で「ありがとう」と言った。

 彼女は校医になって日が浅い。

 生徒たちからは『保健室のお姉さん』として慕われていたが、報告書一つしっかりとできない自分を見ていると情けなくなってくる。


 警備員は保健室から出ていった。

 光源が机のライトスタンドのみでは、室内すべてを明るくすることはできない。薄暗い保健室。そこには再び一人だけ。


 カタカタというキーボードを叩く音のみが、単調に、室内に響いている。


 突然、窓から不穏な風が吹き込んだ。

 カーテンがゆらゆらと揺れ、街灯の青白い光が遮られる。自分の黒髪も揺れる。

 いくつかの紙が舞い上がった。


 ───あら?


 透子は不審に思い、窓を見やる。

 風が入ってきているため当然と言えば当然だが、開け放たれていた。網戸さえも開いている。


 ()()()()()()()()


 自分は開けていない。開けるはずがない。


 透子は若干の恐怖を感じた。

 あり得ないことが起こっている。不穏な風と共に入ってきた冷気が、その恐怖を増長させた。


 透子はキーボードを叩くのをやめ、ゆっくりと立ち上がった。窓に歩み寄る。


 ばさばさと風にあおられるカーテン。

 隙間から差し込んでくる青白い光。

 足元から突き上がってくる刺すような冷気。


 近づくにつれ、それらは彼女に圧迫感を与える。


 それに耐え、近くまでゆく。窓から首を突き出し、不審なものがないか外を見渡した。真冬の寒気が肌を貫くが、かまわない。


 目の前には駐車場へとつながる道路と、そこに光を注ぐ一本の街灯。その向こうには高校敷地を縁取るレンガの塀が広がっていた。

 見慣れた光景だが、不気味に色()せて見えた。


 透子は窓を閉めた。

 途端に風は止み、カーテンは落ち着きを取り戻し、冷気は去っていった。


 ───なにやってんだか、私。


 急にバカらしくなってきた。

 ただの閉め忘れだろう。今まで風もなく、カーテンに隠れていたから気づかなかっただけだ。


 透子は自嘲(じちょう)的な笑みを浮かべると、机に戻ろうとする。


 だが──。


「ひッ…!」


 なんの前触れもなく、冷たい金属のようなものが両頬に触れた。


 それは身体中の血液が一瞬で凍ってしまいそうな冷たさだった。その冷たさが全身を貫き、恐怖心が全身を硬直させる。


 頬に触れたのは指のようだった。

 

  右五本、左五本。

 何者かわからないが、誰かが背後に立ち、まるでバスケットボールを抱えるようにして、自分の顔に触れている。


 ───不審者?窓から入ったの?いつの間に?


 透子は必死に考えるが、身体は凍ってしまったかのように動かない。頬に触れる指は冷たく、血の通いを感じられなかった。

 警備員に助けを求めようとしたが、舌がもつれて声は出ない。


 その時。指が顔から離れた。


 逃げるなら今しかない…と透子は思った。

  体をひねり、ついさっき警備員が出ていった扉を目指して駆け出そうとする。


 だが。

 それはできなかった。


 大きな2つの腕が首筋に滑り込み、細く白い彼女の首に手をかけたのだ。


「あがッ!」


 首から顎にかけて衝撃が貫く。呼吸が停止する。一気に身体の力が抜けた。意識が遠のく。

 

 透子は霞つつある視界で『冷たい指』の正体を見た。


 身長は2メートル以上ある男?だった。

 闇夜よりも黒々としたローブを身にまとい、隙間から出た長い二本の腕が、透子の首を絞めている。


 顔は見えなかった。


 いや、見えたが、理解ができなかった。


 ローブ男の顔は靄がかかり、靄は顔の中心にかけて渦を作っている。

 渦は吸い込まれてしまいそうな闇であり、どこまでも続いているような気がした。


 この世のものとは思えない───人間にも見えない男は、首を絞めつつ、透子の華奢な身体を持ち上げる。


「あ…ああッ」


 悲鳴が口から漏れた。

 足が床から離れる。今まで以上の負荷が首にかかり、口から体液がこぼれ出す。視界が歪む、


「やめ…て。お願い……だから」


 意識が削り取られる。


 命の火が消える。


 男は絞める力を弱めない。それどころか、徐々に強めている。

 透子は足を振り、抵抗した。しかしそれも首の負荷へと繋がり、意識はさらに遠のく。


 死にたくない──。嫌だ────。


 もうなにも見えない。聞こえない。

 息が止まって何分経っただろう。苦しい。


 鉄板が割れたような鈍い破砕音が響いた。

 いや、()()()()()()()、といったほうが良いかもしれない。


  自分の首の骨が折れたことなど、透子にはわからない。それを考える意識を彼女はもう持ち合わせていなかった。


 抵抗していた手足が動きを止め、だらりと垂れ下がる。


 ローブ男はただ無言で、透子の死体を見つめていた。





 ◇




「ん?」


 物音がする。気のせいだろうか、と警備員は思った。

 耳を澄ませ、物音を確認する。


 確かに聞こえる。

 ドタバタ、といった類の音だった。


 それは自分の背後──保健室の方から聞こえてく気がする。


 警備員は踵を返し、保健室へと向かった。


「吉川先生。大丈夫ですか?」


 扉をノックする。返事はない。


「開けますよ」


 警備員はゆっくりと扉を開けた。懐中電灯で中を照らす。吉川先生を探す。


 彼女のデスクに彼女はいない。ほんの数分前まで彼女はそこに座って報告書を書いていたが、今は席を外している。


 警備員はおかしいと感じた。


 吉川先生は生真面目な方であり、報告書作成から離れるわけがない。

 警備員を待たせている以上、報告書が完成するまでは意地でもパソコンに向き合っているはずだ。


「吉川先生?」


 警備員は今一度校医の名を呼んだ。

 もしかしたら帰ってしまったのだろうか、と考える。


 だがノートパソコンは起動されたままであり、画面を見る限り、報告書も未完成だ。


 ではトイレ?いや。私は保健室の近くの廊下にいた。保健室から吉川先生が出てくれば気がつくはずだ。


 警備員は何個か並んだベッドへと向かう。

 保健室はさほど広くない。少し見渡せば部屋全体を見ることができる。唯一見えないものと言えば、カーテンで仕切られた5つのベッドだった。


 いるとすればここしかない。

 警備員はベッドのカーテンを一つ一つめくり、ベッドを確認してゆく。


「…!」


 最後のベッドのカーテンに手をかけようとした時、警備員はカーテンの向こうに人影らしきものを見た。吉川先生かとも思ったが、身長が2メートル以上ある。


「誰だッ!」


 警備員は一瞬たちろいだが、すぐに自身の役割を思い出し、できる限りの鋭い声で叫んだ。


 懐中電灯の光を人影に向け、左手は腰の警棒にかける。

 まさか吉川先生はこいつにやられたのか…。私としたことが、侵入者を見過ごすなんて、と警備員は自身を呪いたくなった。


「誰かと聞いているッ!」


 2メートル近い人影は大きく唸った。

 警備員の足は震えていた。この職種に就いているものの、安っぽい正義感だけが取り柄のただの中年男にすぎない。


 警備員は意を決して、カーテンを振り払った。

 懐中電灯を向けて相手の目くらましをしつつ、左手で警棒を展開、いつでも攻撃に移れる態勢をとる。


 だが、警備員は固まった。


「わぁ!どうしたんですか!?」


 カーテンの向こうにいたのは吉川先生だった。

 彼女は両手をかざし、懐中電灯の光をまぶしそうに見ている。表情は驚愕一色だ。


「よ、吉川先生…」


 警備員は警棒を下ろし、次いで懐中電灯を下ろした。

 大きく息を吐き、胸をなでおろす。同時にものすごく恥ずかしくなった。


「申し訳ないです。返事がなかったので…何かあったのかと」


 不審者と勘違いして若い女性に殴りかかるところだった。別の意味で自分を呪いたくなった。

 2メートルの人影も、光の角度でそう見えただけだろう。


 吉川先生は意外にも冷静だった。


「なら仕方ありません」


 彼女は警備員の脇をすたすたと歩くと、デスクの前で立ち止まる。


「吉川先生。右のほっぺたに何かついてますよ」


 警備員は自分の失態に何も言わない校医を訝しみつつも、彼女の顔が少し汚れていることに気づいていた。すれ違いざまに見えたのだ。


 美形の顔に墨汁のようなものがこびりついている。見方によっては赤にも見えるか。

 言われた瞬間に、彼女は自らの白衣でゴシゴシと擦った。


 ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ。


「吉川先生?」


 ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ


「もう取れてますよ、先生。吉川先生」


「あらそう?」


 校医は擦るのをやめた。右頰の皮膚が剥がれ、血がにじんでいるが、暗闇で警備員は気がつかなかった。


「報告書は終わったのですか?」


 警備員は思い出したかのように聞いた。

 時刻はすでに22時前だ。


「報告書?」


 吉川先生は聞き返す。


「報告書ですよ、報告書。今日中に終わらせなけばならないとかなんとか…」


 警備員はノートパソコンを指差した。

 彼女は首をかしげる。


 ───何故だろう。会話が噛み合わないな…。


「終わったわ」


 そう言い放って踵を返す。


「今日は帰ります」


 愛用のノートパソコンやカバンをそのままに、コートもマフラーもつけず、彼女は保健室を足早に去っていった。


「あ…」


 警備員はパソコンつけっぱですよ、と言おうとしたが、そんな暇はなかった。

 保健室前の廊下に出るが、右を見ても左を見ても校医の姿はない。


「どうしたんだろう」


 警備員は緊張と緩和に疲労し、ただ立ち尽くすことしかできなかった。








はい。終わりです!


ローブ男は一体何者か、などの続きは構想として考えています。

でも、気分転換のために書いたので続くかはわかりません。今の連載小説が完結すればあるいは…?


感想があれば遠慮なくお願いします!!

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