急変
地面の中に、意識が吸い込まれていくようだった。
銃の音と、人の叫ぶ声がした。
同時に、体の中に芽生える、熱く、滾るもの。
赤く脈動し、凶悪なほどに、早鐘を打つ。
…どうした、死にたいのか?
立ち上がれない自分を笑って、自問した。
だが、これ以上どうしろと言うのだろう。
倒れた体は、一向に動く気配はない。
どれだけ、腕や足に力を入れても、動くように命じても、微動だにしなかった。
どこかでリズの叫ぶ声が聞こえた。
…クソ。あいつら、何をやってるんだ。
これだけ人がいて、何故彼女一人守れないのだろう。
俺自身もそうだ。
なぜ、こんなところで倒れているのだろう。
自分はいつも助けられてばかりで、なにか、彼女にもたらすことができたのだろうか。
いや、それ以上に。
…なんで、こんな時に、俺はここに倒れている?
言いようのない怒りを覚えていた。
同時に、耐えようのない破壊衝動も。
何かを思うがままに破壊したくて仕方がなかった。
赤い脈動は、彼を支配する。
ドクドクと、人の物ではない脈動を、その手に足に、流し込んでいく。
身体中が熱くなって、力に満たされていた。
瞼が動いて、ゆっくりと瞳を開く。
意識は何かに乗っ取られたように、うつろとしていた。
”バスター”が来るまでの間、カーライルたちは持ちこたえなければならなかった。
だが、想像以上に”ファントム”の凶暴性は高かった。
巨大な体躯を、植物のような触手で持ち上げ、いとも簡単に、小隊の防衛線をまたいでいく。
市街地に侵入され、空軍も要請する事態になったが、事態は好転しなかった。
「一体何をやっとるんだあの者は!!いくらなんでも到着が遅すぎる!!」
ついに自分も銃をとり、応戦に入ったカーライルだったが、攻撃の甲斐はほとんどなかった。
戦車まで出撃する事態になったが、攻撃態勢に入ったまま、動く気配はない。
砲撃手が死んだか、反撃を恐れてかのことか、分からなかったが、どうせ利き目はないので、カーライルにはどうでも良かった。
そんな折、報らされる、最悪な情報。
「総司令。妹さんを乗せたジープが…」
聞いた瞬間に、カーライルは、自分も助手席に飛び乗っていた。
「急げ!」
まだ、いかほども離れていないはずだ。
いまから助けに向かえば、少なくとも、彼女の命だけは、助かるかもしれない。
だが…。
次々と出現する、プレイヤー型の”ファントム”に、住民は捕らわれ、殺されていく。
同時にトール型の”ファントム”は頭上から、兵士たちを、いとも簡単に、吹き飛ばして行く。
防衛形態は崩され、各個は孤立し、前後を”ファントム”にとられる。
それは、カーライルの率いる小隊も例外なかった。
地中から突きだした巨大な根を、絶妙なハンドライドでかわす。
だが、次に来る衝撃は別だった。
揺らいだ車体に、もう一撃、根が襲いかかる。
横転し、余儀なく外へ出ると、回りは囲まれていた。
立ち上ぼる砂煙の中、プレイヤー型の"ファントム"が、退路を塞ぐように、ゆらゆら体を揺らせているのが見えた。
バキバキとコンクリートの地面はひび割れ、時折、枝分かれした触手の色が見える。
「これまでかしらね。総指令」
グロリアが渇いた笑いで言う。
万事休す。
死を覚悟した、その時だった。
『こちらチームブラボー!!
現在、プレイヤー型と交戦中に、正体不明の…あれは…人…か?
分かりませんが、とにかく正体不明の存在が、”ファントム”を妨害しています!!』
「なにそれ…」
わけのわからない、無線越しの報告に、グロリアが”ファントム”を銃撃しながら言う。
「”バスター”ではないのか?」
『…はい。あれは…おそらく…そんな類いのものじゃ…。』
「じゃあ、”ファントム”?」
グロリアの問いかけの直後だった。
耳を突ん裂くような爆音と共に、すぐ正面のビルが吹き飛んだ。
”ファントム”が瓦礫と共に吹っ飛ばされる。
破壊されて出来たビルの大穴から現れた姿に、カーライルは目を疑った。
「……ウェイン?」
それは間違いなくウェインだった。
体の所々は、見たことのある、マグマのような色にひび割れている。
千切れてなくなったはずの腕は、再生していた。
訳が分からず呆然としていた。
生きていたのか?いや、だとしても何故立って動ける?
もう二度と立ち上がれないだろう、致命傷を負ったウェインを、カーライルは視認していた。
まさか何かの奇跡で死者が蘇ったとでも言うのか。
例えそうだとしても、カーライルは彼の復活を喜べなかった。
たった今、ビルの壁を吹き飛ばし、好戦的に笑む姿は、カーライルのよく知っているウェインとはかけ離れていた。
彼の背後で、ビルがゆっくりと倒れていく。
あまりの衝撃に、建物の基盤が損壊したのだろう。
カーライルは姿勢を低くして、衝撃と瓦礫から身を守った。
ウェインは、彼の方を一度見たものの、特に関心を持たなかった。
周辺の"ファントム"の存在に気付いて、にやりと笑う。
それから、地を蹴って飛び上がった。
信じられないほど、高い跳躍だった。
彼は傘型の胴体に飛び乗るなり、巨大な目玉に拳を突っ込んで、中の臓物を引っ張り出した。
"ファントム"は奇声をあげながら、ウェインの方へ触手を伸ばしたが、彼は簡単に、その触手を掴み上げた。
ウェインが引っ張りあげると、まるで抵抗なく、触手は引きちぎれる。
蹴り上げた衝撃で、核が飛沫を上げて弾ける。
その個体が地面に倒れる直前に、ウェインは別の個体に狙いをつけていた。
再び跳躍。
今度は傘型の胴体を引っ付かんで、惰性で落下する勢いに任せて、地面に叩きつける。
天高々と頭上を取って、踵を振り下ろすと、彼の足下の"ファントム"は、風船のように爆裂して四散した。
これを潔しとしなかったのか、周辺にいたプレイヤー型の"ファントム"が、ウェインに向かってくる。
途方もない数だが、ウェインは笑っていた。
臆することなく向かって、強く地を蹴った。
あとは凄惨なものだった。
殴り、バラし、引き剥がし、暴き、毟る。
マグマ色の体液が迸り、滴り、飛び散る。
あまりにも圧倒的過ぎた。
"バスター"など、足下にも及ばない。
もはや、人間に為し得る所業ではなかった。
恐れるべきなのは、敢えて、核を真っ先に潰さないこと。
体の一部を失い、苦しむように奇声をあげる異形を見下ろして、笑っている。
まるで遊んでいるかのようだった。
不意に、地面から突きだした無数の触手が、ウェインの体を貫く。
「…!おい!」
だが、カーライルは要らぬ心配をしただけだった。
血を吐いたものの、その表情は、やはり優位そうに笑っていた。
…そんなものか?
低く、くぐもったような声が聞こえ、鳥肌が立った。
人間じみてさえいなかった。
怒りと殺意だけを持った声だった。
ウェインは、自分の体を貫く触手を引っ掴み、ぶちぶちと力任せに引き抜いた。
肉や血管が、枝分かれした触手に絡まって引き摺りだされたが、ウェインは痛みを感じていないようだった。
両の手で、地面に這っている、太い触手を掴み、勢いをつけて引き抜く。
植物で言う側根に当たるそれを地中から暴き、肩に担ぐようにして、力をかけた。
ぶち、と鈍く、生々しい音を伴って、上空に聳えていた根の塊から、一本引きちぎれる。
直後、大地が震えた。
建物の窓ガラスが割れ、瓦礫が雨のように降ってくる。
「指令!!」
グロリアが声を上げて促す。
彼女の手招きに従って、無人の装甲車に向かった。
振動は続いている。
それは超音波に近かったが、カーライルには、何が起きているか分かった。
悲鳴だ。
「ウェイン!!」
ふと思い立って、カーライルは、ウェインに投げ掛ける。
期待はしなかったが、予想外に、ウェインは、カーライルの呼ぶ声に、確かに反応を示した。
だから、期待を、僅かばかり余計に持ってしまった。
カーライルは、自分たちの進行方向を指差して
「リズが危ない」
皆まで言わずとも、彼がウェイン自身なら、するべきことは分かるはずだ。
ウェインは数秒、カーライルを見つめ返していたが、次の瞬間には、指した方向に向かっていった。
それを見送ってから、装甲車に乗り込む。
「アレ、あなたの言葉を理解したの?」
「分からん。今は急ぐぞ」
副操縦席のグロリアに返しながら、クラッチ繋ぐ。
今のウェインを"アレ"と表現したグロリアの言葉を、何の気なしに流せたのは、少なからず、カーライルも、同じように思っているからかもしれなかった。