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「リリアンジュ様。お茶をお持ちしました」
『……入ってこないで。一人にして』
予想通りの返答にアメリーは人知れず息を吐いた。
主の命は絶対であるし、聞こえた声が鼻声であったとしても入って来るなと言われれば引き下がるのがメイドとして正しい対応だろう。
二週間前ならば通例通りの対応をしただろうが、アメリーにとってリリアンジュは既にお客様ではなく仕えるべき主なのだ。
主の為に忠言を述べるのも自分の役目と、アメリーは躊躇無く寝室の扉を開け放った。
あっさりと命令を無視されたリリアンジュは、涙に濡れた瞳を目一杯見開いて固まっている。
「あらまあ。酷いお顔」
どれほど泣いて居たのだろう。
目はうっすらと腫れ、鼻の頭は赤く染まっている。
「すぐに冷やす物を用意しますわ」
「い、良いのよ。気にしないで」
温かな紅茶を差しだしながら顔をしかめたアメリーに、最早隠せないと判断したリリアンジュは薄く息を吐きながら紅茶を受け取った。
温かい紅茶を口に含むと、思わず息が漏れる。
「心配をかけてしまったみたいでごめんなさい」
「いいえ。むしろ、きちんと感情の出せるお相手がいらっしゃるのは良い事ですわ」
別邸で彼女に仕えて二週間と少し。
少々世間知らずな所はあるものの、思慮深く、他人に疎まれているという現実を突きつけられた時にさえ動じた素振りを見せなかったリリアンジュが、常日頃から自分を律しているのは目に見えている。
自分の言葉がどれだけ影響を与えるのかをきちんと弁えた振る舞いは令嬢として素晴らしいが、見ている側としては常に張り詰めた糸を見ているようで気が気でなかっただけに、アメリーは今の状況を安堵の気持ちで受け止めていた。
「そうかしら。でも、感情的になるのは恥ずかしいわ。いつもならきちんと取り繕えるのよ」
「そうですね。リリアンジュ様はとても、感情を隠すのがお上手だと思います」
おそらくは、長子として常に正しく振る舞うよう躾けられた為だろう。
長年貴族を相手取ってきたアメリーでさえ感情を掴みかねるほどに、リリアンジュは何でもない振りが異様に上手い。
「けれど、ずっと押し込められていれば、何時か本当の気持ちが自分にも分からなくなってしまいますわ。ですから、親密な方の前では取り繕わずとも良いのでは?」
「でも。セシルはただの幼馴染だもの。何時までも一緒には居られないわ」
喧嘩をしてしまったし……
ため息交じりに零したリリアンジュは、まるでふて腐れた子どもの様な顔をしている。
今まで見てきたリリアンジュは何だったのかと思う程わかりやすい反応に、アメリーは思わず微笑んだ。
「セシル様に特別な感情をお持ちなのですね」
「違うわ。どうしてそう思うの?」
「私、一言もセシル様が親密な相手とは言っておりませんもの」
間髪入れず告げられた返事に、リリアンジュは思わず顔を伏せた。
そういえばそうだったかも知れない。
けれど、今の言い方は確実にセシルを指していたと思う。アメリーは意地悪だ。
唇を尖らせると、アメリーから笑う気配が伝わってくる。
リリアンジュは更に唇を尖らせた。
「リリアンジュ様の中で、セシル様が一番に想像する近しい方ですのね」
「そうね。でも、違うのよ。だって……婚約者の弟なの。姉弟みたいなものなのよ」
仲が良かったのは認める。
気がつけばいつも一緒に居たのだから、親密かと問われれば否とは言えないだろう。
けれど、それはあくまで幼馴染として近しいのであって、アメリーの言うような特別な感情などリリアンジュは持ち合わせていない。
否、そうで無ければいけないのだ。
セシルはリリアンジュの婚約者では無いのだから。
ぐるぐると巡る思考で、急速に口内が渇く。
紛らわす様に口に含んだ紅茶は、既に冷め切っていた。
けれど、代わりを頼む気にはなれない。
「リリアンジュ様の仰るとおり、セシル様へ抱く感情ただの幼馴染みへのものかも知れません。それは他人である私には判断しかねますが、何にせよ、一度きちんと向き合わねばならない事だと私は思いますわ」
「向き合う?」
「ご自分の気持ちをはっきりとさせるのです。曖昧な気持ちに気付かない振りをしたままでは、誰に嫁ぐにせよ心にわだかまりが残りますもの」
アメリーの静かな声が身体を通り抜けて行く。
曖昧だなんて、アメリーは間違えている。
この感情が特別なんかではない事は分かりきっている。だって、ただの幼馴染なのだから。
自分の感情をリリアンジュ自身が間違えるはずなど無い。
「私が好きなのは、ヴィクターよ。私の婚約者。セシルのお兄様が私の好きな人だわ」
その言葉はまるで、自分に言い聞かせている様だった。
頑なな様子に、話にならないとアメリーから嘆息が漏れる。
「リリアンジュ様。セシル様は貴方を怒らせたと仰っておいででした。そうなのですか?」
「え?」
「大事な事ですわ。……それで?怒っていらっしゃいますの?」
攻め口を変えたアメリーの問いかけに首をかしげながらも、リリアンジュは小さく頷く。
「それは何故?リリアンジュ様は、ご自分が使用人に悪く言われた時さえ怒りを表に出さなかったでしょう?」
「あれは、私も悪かったのだもの。怒る場面では無かったわ」
「では今回は、セシル様が全面的に悪かったのですね?」
果たしてそうだろうか。
じんわりと生じた微かな疑問が、肯定を遅らせる。
「……だって。セシルが、私の事なんてまるでどうでも良いみたいに接してくるから」
やっと零れ出た言葉は酷く頼りないものだった。
「まあ。リリアンジュ様は、セシル様に他人行儀な対応をされるのがお嫌でしたのね」
いざ言葉にされてみると、自分はなんて小さな事で腹を立てていたのだろうと恥ずかしくなる。
けれど、でも。
口を開きかけて、リリアンジュは戸惑った。
浮かんでくる言葉はどれも言い訳じみたものばかりで、アメリーを納得させられる気がしない。
それでも、何か口に出さなければアメリーの言葉を認める事になる気がして怖かった。
「だって……」
けれど否定をしようにも、掠れた声はそれ以上音にならない。
リリアンジュが唇を噛みしめたその時、軽いノックの音が部屋に響いた。
『リリアンジュ様。ベティです。いらっしゃいますか?』
次いで聞こえてくるベティの声にリリアンジュがほっと肩の力を抜いたのを見止め、アメリーが立ち上がる。
「ベティさんが帰っていらしたようですね。私は紅茶を入れ直して参りますわ」
「あ。アメリー」
思わず呼び止めてはみたたものの、結局言葉は見つからなかった。
振り返ったアメリーに申し訳無く思いながらそっと息を付く。
「あの、次はミルクティーにしてくれる?」
「はい。直ぐに」
とっさに取り繕った話題はお見通しなのだろうけれど、それに触れる事無くドアに消えたアメリーを見送り、リリアンジュは今度こそ大きく息を吐きだすのだった。




