二筋の傷
かおりは仲がよかった槇と康貴とは別のクラスになった年だった。彼女にとってまわりのキャッキャキャッキャしている女の子は鳩と同様かそれ以下に見えていた。
「人類のゴミが。消えてしまえばいいのに」
ボソッと呟くその言葉が口癖であった。
その頃、槇と康貴は仲がさらに酷くなっていたため、せせっと帰る槇と友だちと遊ぶ康貴に分かれ、かおりは1人で帰るしかなくなっていた。学校では一番の美人なのにその性格から誰も寄り付かないし、むしろ、恰好のいじめの対象になっていた。机には油性ペンで数々の罵倒の言葉が書かれ、上履きなんかない。
登下校中に石を投げられる。誰も知らない場所で、彼女は堪えていた。堪えきれず、自分の存在価値がわからなくなっていた。頭が良すぎるが故の結論。自分が死ねば全て平和に終わる。
アブノーマルな人間はこの世に必要ないのだ。一度死のうとした。カッターで手首を切ろうとしたが、やはり怖かった。痛かった。それでついた1つのキズから出る血。結局なにも切れなかった。手首も、人生も。
それでまた、忌々しい日常が流れていった。ノーマルでアブノーマルな日々。その無き異変に気づいたのは、康貴であった。
いつものように教室でかおりは罵倒されていた。
━━━━まじウザい━━━━
━━━━はやく死なないの?━━━━
「いい加減黙ればいいのにカス」
いつものことだった。そこに、康貴が教科書を借りに来るまでは。
「かーおりー! 国語の教科書貸して!」
人を綺麗に避けてかおりの側に寄った時だった。机に書かれたそれ、たまたま見えた左手首の一筋のキズ。
「かおり……!!?」
「…………なんできたのよ」
康貴はかおりの左手を取って教室から出て、人気のない渡り廊下まで連れ出した。かおりの両肩をしっかりつかんで、日が入る窓に押し付けた。
「かおり、なんだよこのキズは!!」
康貴は怒っていた。かおりはそんな康貴の顔を見れず、下ばかり見ていた。
「キズなんてないよ」
「机の上のあれ、なんだよ!!」
「絵だよ」
「……なんで嘘つくんだよ!! なんで言わなかったんだよ!! かおり!!」
「だって……だって……」
かおりは泣き出してしまった。哀れな自分が惨めすぎたのだ。
「もういい!!」
康貴は走ってかおりのいた教室に戻る。少しざわついていた教室。
「おい、かおりいじめてるやつ誰だよ! 誰なんだよ!!」
そこにいる全員がうつむいた。沈黙が全てを語った。
「テメェら、全員ぶん殴る」
康貴は近くにいた奴を殴る。スイッチがオンになったのか、男子総勢で康貴を殴りかかるが、全員返り討ちであった。
次に女子に殴りかかろうとした。
「康貴!! ダメ!!」
騒動を察したかおりが教室に戻ってきており、これ以上なにもしないよう、康貴を突き飛ばした。
康貴はそのまま倒れていき、机の角に頭をぶつけた。地面にぐったりと倒れた康貴の頭からは血が流れていた。
「い……や……!! こ……き……!! 康貴!!」
そのあと、康貴は病院に運ばれ、かおりは厳重注意を受けた。康貴は手術する訳でもなく、むしろその日にケロッとした状態で退院し、その帰宅の足でかおりの住むマンションに向かった。
マンションのセキュリティは万全で、容易には入れず、取り合えずマンション入り口にある機械にかおりの部屋の番号を打った。
呼びベルが鳴り響くが、出る様子はなかった。
「おかしいわね」
「ねぇ、かぁさん。やな予感がする」
「え?」
康貴はそこから走って出て、駐車場にある外階段の壁をよじ登り、不法侵入する。そのままかおりの部屋に向かい、扉を叩くこともせず、開いている扉を入った。
それと同時にシャワーが流れ落ちている音がした。康貴は迷わず風呂場に入る。
「かおり!!」
かおりが左手を浴槽の中に入れたまま倒れている。浴槽の水は血で赤く染まっていた。
かおりが目を覚ましたのは病院のベットの上だった。
起き上がると、横に康貴がいることに気づいた。
「こう……き?」
康貴は涙を浮かべ、かおりを睨んだ。
「もう、そんなバカなことするなよ」
かおりはうつむき、自分の左手首を見た。二筋の切り傷。
今、見ているものとまったく一緒であった。左手を下ろし、立ち上がった。生かされている意味。まだやることがあるのだと。
「取り合えず寝よう」
かおりはダグラスの家に戻ろうとした瞬間だった。
「どうしたの?」
康貴が目の前にいた。
「眠れないの?」
「うん。なんか、疲れちゃってむしろ寝れない」
康貴はかおりの座っていた木材に座った。
「昔っからかおりはそうだからね。エデレスメゼンのあの女性の人のこと考えてたんでしょ」
かおりはまた座って、空を見上げた。
「うん、そう。なんか、仲間がよかったって言い残して塔から飛び降りて死んじゃって。私になにを望んでいたのかな。石と、このペンダントを私に託して……。もう誰が敵かわからないよね」
ポケットから、翼の刻印が入ったペンダントを取り出し、月の光にかざした。