氷の姫
階段を上れば上るほど大きくなる詩。
『自分がいる世界が』
『くすんでいるのは私がくすんでいるからで』
『蛾のように汚れた目で見られようとも』
『澄んだ蝶に嫌われようとも』
『消えてなくなれば意味などなさず』
『弾圧され生きる意味失えば』
『罪さらに重くなって』
『堪えられなくなる』
女性の澄んだ声でその詩は何度も何度も、輪唱のように訴えられていた。
この場が寂しく揺れるのはこの詩のせいなのだろうか。かおりは涙を我慢しながら走った。
魔法の力もなくなり、足に疲労が一気にかかる。それでも走る。待っている、否、堪えている人がいる。彼女を動かしている原動力はそれだけだった。上れど上れど、次は見えなかった。
焦っていた。
「まだ……なの?」
焦っている。
「まだなの!」
やっとのことでたどり着いたドア。勢い良く押して中に入る。
真っ正面に見えるのは、大きく開いている窓と、それに続くベランダ。そして果てしなく続く星空と切なく降り続ける粉雪だった。その空の中心には、1つだけの黄色い満月が地を眺めている。
その月を見つめながら、ベランダで詩を謳っている緑髪の女性。
かおりは二丁の銃を取り出し、指の回りで一回転させてから、腕をクロスさせて銃口を女性に向ける。
「宝珠を渡しなさい!」
詩が止まった。
無音がうるさかった。
ゆっくりと振り返り、つむっていた瞼を開ける。
「来たのね」
かおりの荒い息は白くなり消える。
「待っていたわ。あなたが来ることはわかっていた」
冷たい視線がかおりを固まらせる。
「━━はじまりはゆうしゃのみちびき━━」
その女性はそう呟いて続けた。
「なにも無くしてないのに」
「全部無くした気分になって」
「適当な理由探しては」
「気丈な自分が」
「とてもいやになる」
「しかし」
「天秤にかけた」
「溺愛する」
「あなたにとっての大切な人は」
「終にはどちらも」
「手にすることなく」
「死んでしまうのに」
「まだあなたは、自分の」
「罪を」
「確かめないで」
「上ってきたの?」
かおりは銃を下ろしてしまった。
「なにを……、言ってるの?」
かおりはその意味がわかっていた。
あの本に書かれた解き方と同じなら、間違いなくそれは動揺を誘うものだった。
「さぁ、戦いましょう。これがサガなら、あなたのディスティニーは私にとっても悲しいことよ」
女性は右手を地面と平行に上げた。
「あなた、名前は?」
「かおり」
「私はメリー」
女性、メリーは左手も同様に上げた。
「エデレスメゼン、第2部隊隊長『氷雉』の本気を見せてあげる。ここで死になさい」
自分の体を足先から、指先から凍らせていくメリー。それが体を全体を覆うと鎧のようになり、背中には凍てついている翼が地面に突き刺さる。頭すら覆い、あの姿はまるで鳥のようであった。
「神器氷槍!」
急に強大な魔力を感じると、床から上がる氷の柱。それをおもむろに掴むと、氷は弾け飛び残った三本の刃がついた槍の刃先が蒼く光った。
それを片手で軽々しく回し、矛を地面に向けた。
「冷たいのは好きかな?」
「……なんで、そう思ってるのに、戦わなきゃいけないのよ!」
かおりは自身に風を舞わせてメリーに向けてトリガーを引いた。
放った気の弾丸は槍で弾かれる。
それを確認する前に左に飛び3発連続で放つ。
その次に背後で5発。
その次にはまた左に飛んで3発。
一斉に11発の弾がメリーを襲う。
「その程度かしら?」
ニヤリと微笑むメリー。しかし、身動きをとろうともせず、弾があたった。はずだった。
「そんな生温さじゃ、私に触れることすら叶わないわよ」
その瞬間にはかおりの背後にいた。
腹部の激痛。
「神器氷槍の味はどうかしら?」
気づいた時にはその槍が貫通していた。槍が抜かれるとすぐに横から顔を蹴られ、ゴロゴロとベランダまで出された。
激痛が走る腹部に触れるが血なんか出ていない。
穴が空いただけだった。
「わたしじゃ……」
━━━━チームプレーだよ━━━━
諦めようとした。そんな時に康貴の言葉を思い出す。
「今1人なのにチームプレー? なにバカなこと……」
かおりは立ち上がった。
「チームってどういう集団のことを言うのかな?」
かおりは考えた。
意味なく。
ただ、心を落ち着けるために。
「チームプレーなんだから、死んじゃダメよね」
フロアからかおりを見ているメリーを見て、左手に掴まれた青い宝珠を見せつける。
「大事なものは確り隠さなきゃダメだよ。私から見えるところにあったら、盗れるに決まってるじゃん」
メリーは驚愕した。
「じゃあね!」
かおりはベランダの脇にあった階段を上る。
「待ちなさい!」
メリーは壁を走りかおりを追った。かおりは白い息を吐きながら必死で突き当たりまで登っていく。
塔の天辺に出た。もうそれ以上の逃げ道はなく、戦うしかなくなった。
かおりは円状のフィールドの真ん中に向かい、階段の方を向く。
「覚悟はできた?」
メリーは冷静過ぎた。
宝珠を取られたことに動揺もせず、そこで翼を広げていた。
「覚悟なんて最初っからできてるわよ」
「そう。じゃぁ、奪ってみなさい」
バレていた。偽物の石ころだと。
「……勝てないわね」
かおりは銃口をメリーに向け、撃ちながら下がる。