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豚の決意

 

『あっけない』


  男は荒く息をつきながら、たった今埋もれてしまった岩の山を見る。少し力をいれすぎてしまった。本当はアイリスだけでも生き残らせるつもりだったのに、豚に逆上して力加減を間違えてしまった。


  『(まあ、事故で死んだと言えばなんとかなりますかね。ほかのクロリスの民は幸い残っているわけですし)』


  己に言って聞かせながら、岩場から目をそらし後ろを振りかえる。クロリスの民たちが一様に、絶望の表情で自分を見ていることに、男は快感を覚えた。人が自分を埒外の化け物のように見るその視線は、男にとって自分の尊厳を証明してくれる唯一絶対のものだった。


  『貴様、アイリスを……アイリスをよくも!!』


  怒りをあらわに突っかかってくるクロリスの男も滑稽でしかない。自分と彼の間には確たる力の差があり、彼もそれをよくわかっている。だからこそ吠えるしかないのだと、まるで動物でも見るかのような目で、男はクロリスの民を見下していた。


  『さて………この人たちを連れ帰るとしますか……』





 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「早く目を覚ましたまえ」


 うるさいな……。俺はもう死んでるんだぞ。

 ダンプカーに轢かれて死に、蘇ったと思えば豚の姿でそれも一日と持たずして死ぬ……。一体どこの世界にこんな間抜けで不運な異世界トリッパーがいるだろうか。


  「我は貴様が未だに死んでいないことを知っている。貴様が目を覚ませ」


  次に目を覚ますときは、今度こそ天国がいいなあ。殴られたりはねられたりもうこりごりだ。傷付いた体をいたわるくらい許して欲しい。


  「はよおきんか!!!!」

  「はい!!!」



  耳元で怒鳴られて起きないわけにもいかない。

 あえて無視していたというのにこのジジくさい声は遠慮というものを知らないみたいだ。


  「ジジくさいとはなんだ」

  「別に…」


  参ったことにこの渋い声の主は俺の心を覗けるらしい。思考には気をつけるようにしないと。


  「それはそうだ、貴様のその体は我のものなのだからな」

  「体っていうのは…豚の体のこと?」

  「うむ。貴様が今使用している高性能豚の肉体は、魔神である我の肉体だ。少々縮小してしまっているがな」

  「魔神!?」

  「む。なんだ何も知らないのか」


  知ってるも何も気がついたら豚になっていたんだもの。

 クロリスの民は俺のことを魔神だと崇めていたけれど、あれは間違いではなかったわけだ。


  「そのとおり。貴様の言うところのクロリスの民は、魔神である我を召喚し、我と契約し、我の力を借りうけるはずだったようだが、儀式に何らかの手違いがあったのか、貴様の魂が召喚の魔法に割り込んで我の肉体に入り込んだというわけだ」


  「も、元には戻れるんですかね……」


  「貴様の魂には貴様自身の肉体の記憶がある。それを頼りに貴様の体を復活させることはできなくもないだろうが……」


  言い淀む自称魔神。かりにも神と名乗っている相手にこの態度をとられてしまっては、自分のことがますます心配になってくる。



  「そういえば、今の俺ってどうなってるんですか?」

  「む。死んではいない。我と言葉を交わしていることがその証左だ。見ていたが、落石と度重なる苦痛の衝撃で気を失ったところで我の魂と混線したのだろう」

  「つまり?」

  「貴様は生きている。じきに目を覚ますだろうよ」

  「おお!」

  「とはいえ、依然貴様らを取り巻く状況は厄介なものだがな」


  渋い声主がその声色を暗くする。そうだ、喜んでばかりもいられないんだ。俺が気を失っているということはアイリスさんもそうなっているという可能性が高いということで、あるいは気を失うよりなおひどいことになってる可能性もあるということだ。


  「アイリスという少女も生きているぞ」


  心を見透かして俺が尋ねるより先に答えてくれる魔神。じゃあ、何が問題なんだろうか。


 ところが、魔神は俺の心の声には答えずに、早口で語りだす。


  「貴様の意識はもう覚醒寸前だ。良いか、魔神のカラダを手にした貴様は当然我の力を行使することができる。劣化版だがな。その力をどう扱うかは貴様次第だ」

  「魔法?俺も魔法が使えるの?口から火を吹いたりできるの?」

  「火は吹けんな……いや、やりようによっては可能かもしれないが……コツはな、『自分を確立すること』だ。それだけで貴様は何にも勝る世界最高の魔神となれる」


  魔神の言っている言葉の意味はさっぱりわからない。

 なんのアドバイスでもない。魔法とかどうでもいいから、この世界がなんなのか、俺がどうしたら豚から人間に戻れるかを教えて欲しいんだけど―――


「そろそろ時間のようだ。健闘を祈るよ、御池悠真」


 その言葉を最後に、俺の意識は浮上した。





  柔らかい感触が腹の下にある。蹄で触れるとすべすべしている。心地よい感触。

 味わったことのない気持ちよさと、なんだかいい匂いもしてきた。ふごふごと、その香りを満喫する。元の世界で嗅いだことのあるような気もするこの匂いは……ええと。



  「あ、よかった気がついたんですね」


  顔を上げるとアイリスさんが俺を見下ろしている。

 この位置、そしてこの見下ろされ方と下腹部に感じる感触から導き出される答えは、俺が膝枕(膝ベット?)されているということだ。それも年下の女の子に。

 豚の鼻は敏感らしく、年下の女の子の体臭を否が応でも堪能している。ちょっぴり自己嫌悪。


  辺りは崩れ落ちてきた岩で囲まれており、ふわふわと浮かぶ光の珠がこの場の光源として狭い密封空間を照らしていた。おそらくアイリスさんの魔法だろう。これだけ大量の落石があってなお俺もアイリスさんも生きているというのも、アイリスさんのおかげだと思う。


  「助けていただきありがとうございます。やはり魔神様は規格外ですね」


 ところが彼女は俺にお礼を言う。俺のおかげで助かったと思っているみたいだ。


  「いや、俺じゃなくてアイリスさんのおかげじゃないの?俺は何もしてないけど」


  「えっ?」

  「ん?」

  「魔神様……今、なんと」

  「いや、アイリスさんが俺を助けてくれたんじゃないかなーって」

  「魔神様の声がわかります!!!」


 びっくりしたー。急に大きな声を上げられると小動物の心臓に優しくない。

  対して、満面の笑みを浮かべるアイリスさん。


 でも彼女のうれしさもわかる。俺の口から飛び出てくるのはプヒプヒという豚の鳴き声ではなく、立派な人語である。これはいったいどうしたことか。


  「魔神様が対応してくださったんですね!」

  俺はなにもしていないんだけれど、自分のことを魔神と名乗るさっきのおっさんが用意してくれたのかもしれない。あるいは、俺に備わっているとかいう魔法の力かも。


  「これでやっと契約が結べますね」

  「契約?」

  喜びはそのままに、アイリスさんは表情を引き締めた。


  「本当は召喚した時にやらないといけない手順のひとつなんですけど、さっきは省略してしまったので……」

  存外、彼女は俺の話す言葉に違和感がないらしい。淀みなくすらすらと俺の疑問に答えてくれる。豚と話すなんて奇妙極まりないのに。さすが魔法の世界の住人といったところだろうか。


  「先程洞窟で、力をお貸しくださいと申し上げましたが、魔神様は私に何をお望みになりますか?」

 それって悪魔との契約的なやつ?


  「対価ってことかな」

  「そうなります」

 うーん。正直自分に何ができるかわからないし、そもそも彼女が契約を結ぶべきなのは俺ではなく、あの渋い声だけのおっさんのはずで…。洞窟にいたときはただ、こんな子供を泣かせちゃいけないと思ったから助けようって思ったんだけど、彼女らを取り巻く環境は俺の想像を絶するものだった。魔神?とやらになってしまったらしいけれど、俺の手に負えそうもない。

  何ができるとも思えないし、ここは契約が達成される前に断るべきだ。

 でもなー、なんて言って断ろうかなー。

 言い淀む俺をよそに、アイリスさんは口を開く。


  「魔神様の力をもってすれば、王国の至宝すらも敵ではありません」

  「王国の至宝って?」


 さっきも気になった単語が飛び出す。


「この国が誇る、六人の魔法使いです。それぞれが単体で、一個大隊と戦えるとか…」

「要するに激つよってこと?」

「げき…つよ?」

「めっちゃ強いってこと」

「そうなりますね。あれほどの魔法使いはほかの国を見ても三人もいればよいほうなのではないでしょうか」


 そんなすごい奴に狙われてるのか。ますます持って手に負えない。

 さてなんて説明しよう。


「あの、アイリスさん」

「はい」

「せっかく呼び出してもらっておいてなんだけど、俺、魔法が使えないんだよ」

「な、なんと!」

「だから契約とか言われても、俺じゃあ役に立ちそうにないんだ。ごめんね」

「いえ、おそらくそれは召喚酔いのせいだと思います」


 また聞きなれない単語が飛び出した。


「この世界に呼び出されたばかりの異世界存在は、元の世界で扱えた魔法を使うのに手こずる場合がある――偉大な召喚術士、ドモンの言葉です!」


 へ、へえー。


 つまりアイリスさんは俺が慣れてない(・・・・・)から魔法が使えないと思ってるわけか!

 違うんだ、ほんとに何もできそうにないんだよ…。俺はただの教職試験に落ちたくずなんだぁ…。


「なのできっかけさえあれば、魔神さまもすぐに魔法が使えるようになりますよ!」


 ダメだ断れない気がしてきた!

 というか、この純真な瞳を裏切るなんて、未来の教師たる俺にはできない!


「わ、わかった、やってみよう!」


「では、私が魔神さまを宙にあげようとしますので何か感じたことがあったらおっしゃってください」

「そんなのでいいの?」

「はい。これは自分に作用する世界の流れ、要するに魔法を知覚する、一番簡単な方法なんです」

「ほー」


 変な声が出た。

 まだ中学生くらいなのによく知ってるなあと変な感心をした。


「では、いきますよ! いち、にの、さん!」


 合図と一緒に、アイリスさんが右の手のひらを俺にかざしてくる。体の周囲をなぜられた感覚がして、気が付いたら宙に浮かび上がっていた。


「おお! これが魔法ね!すごい!」

「何か感じませんか!」


 と、言われましても。


「なんもわかりません!」

「あ、あれ? なんかこう、体の周囲をこう、もやもやしたものが飛び回っていたりしませんか?」

「しない!」

「そんなぁ」


 ちょっと泣きそうになるアイリスさん。

 泣きたいのはこっちだ。


「そういえば……」

「何か思い出しました!?」

「あ、いや、そんな大したことじゃないんだけど、自己の確立ってことば、知ってる?」

「自己の確立!」

 

 お、当たりみたいだ。彼女の食いつきぶりを見ればよくわかった。

 嬉々として教えてくれるアイリスさん。


「ええと、自己の確立というのはですね、魔法を行使するのに一番大切な概念で、自己でもって世界を掌握するという理論のことです」

「ほ、ほう…」


 よくわかるようでわからない。というか端的すぎる!


「やり方を変えてみます、こめる力を多くしますので、その中で抵抗してみてください」

「わ、うわわわ」


 体がどんどん上空へ浮き上がっていき、やがて洞窟内の天井にぶつかる。風船のようにぶつかっては弾かれて、またぶつかる。

「い、いた、いたい!」

「魔神さま、抵抗です、抵抗!」

「そ、そんなこと言われても」


 元の世界からここにやってきてまだ一日しかたってないのに、さらにわけのわからない魔法に抵抗しろとかそれなんて無茶ぶり!


「だいたい、魔法なんてありえないものにどうやって逆らうんだよ!―――あいって!!」

「だ、大丈夫ですか魔神さま!」

「いてて……」

「できましたね!」

「今のが自己の確立…?」

 ありえない、って思ったら、魔法から解放されて落っこちた。

 これはいったいどういう仕組みなのだろうか。成功したと喜ぶアイリスさんをよそに、俺にはいまいち実感がない。


 まさか、俺に備わった特諸能力は魔法の無効化…!? チート!?

 それならなんだかやれる気がしてきたけど!!!

 古今東西、相手の能力をコピーする力と相手の能力を打ち消す力は最強だって相場が決まってるんだ。 元の世界の漫画でも、こぶし一つで運命と戦う熱血少年が大人気だった。

 よく塾生とお話ししたなあって懐かしくなった。


「ちょっとアイリスさん、もう一回かけてみてもらってもいいかな? 練習してから、そのしほーだかいうやつのところにお仲間さんを返してもらいに行こう!」


「は、はい!」


 こうして俺たちは暗い洞窟の中でアイリスさんの灯す魔法の明かりを頼りに特訓をした。

 体感時間にして一時間くらいだろうか。

 今は打消ししかできないけれど、作戦も立てた。


「じゃあ、行こうか!」

「行きましょう!」


 異世界の赤髪の女の子と一緒に、超強い魔法使いとの戦いを挑むために俺たちは閉鎖された洞窟の岩をどけることからまず始めた。


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