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豚のお食事

「ぷひーーー!!!」


 思わず心から豚語で喝采をあげてしまう。


 長いこと洞窟にいたのが、ここに来てようやく別世界の「外」を見ることができた。


 新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。


 ここが異世界だ、という感慨はなかった。

 目の前には薄汚れた煉瓦の壁がせまっていて、解放感あふれた景色を想像していた俺は面食らってしまった。


 後ろからアイリスさんが追い付いた。



『まって、逃げないで……って外に出たかったんですか?』

「ぷひ」


 うん、と頷いたら自然とぷひと鳴き声がでた。


 アイリスさんの後ろ、クロリスの民がわらわらと追いかけてくる。

 先頭の男の人は、松明と化していた右手をぶんと振るうと明々と燃えていた青い炎が沈黙させた。



『アイリス、魔神様の管理はきちんとしてくれ……』


 ぜえぜえと息をつき呆れたようにこぼす大柄な男性。

 この人はいったい何者なのか?

 先程ちらっと話に出たクロリスさんのお兄さんなのだろうか。それにしては似てない気がするけども。



「ん?」


『…………あそこのソーセージ……うま…………まえも…………おごるから…………』

『…………まえにも……たや…………っき昼飯……こじゃん……だ……のかよ』


 そう離れていない場所の声も聞こえる。

 豚の耳ってすごい。


 どうやら彼ら、ソーセージをおやつとして食べたいらしい。昼飯を食べたそのおなかにまだ食べたりないとは贅沢な悩みだ。


 そういえば俺はまだ昼御飯食べてないな……。不合格がショックすぎて喉がご飯を受け付けなかったんだ。



 ぎゅるるるるる。


 だめだ、考えれば考えるほどおなかがすいてきた。豚もお腹って鳴るんだね。



『魔神様、ひょっとしてお腹すいてるんですか?』

「…………」


 恥ずかしい。女の子に心配されるというのがもう恥ずかしい。


『町ならなにかあるでしょうし、ご飯あげます』

「ぷひぃ!?!?」


 マジで!?やったーありがとうアイリスさん天使だ!


 せめて感謝の言葉だけでもと、全身を使い飛び回った。アイリスさんがあははと笑いながら俺をだっこする。



『アイリス、時間がないんだぞ』

『でも、こちらに呼んでしまったのは私たちだしちょっとくらいは』

『…………わかった。すぐ戻ってこいよ』

「ぶひーー!!」


 良かった、反対されたら脱走してでもご飯を食べに行くところだった。

 ありがとうの意を込めた鳴き声をあとに、アイリスさんが小走りで駆け出した。




 暫定異世界に来て最初の町は、思ったより活気のないところだった。

 俺の想像したハードルが高かったせいかもしれない。

 俺の暮らしていた地元の帰宅ラッシュ直前くらいには人通りがあったが、もっとワイワイしたお祭り騒ぎを思い描いていたのだ。



『ここは帝都の郊外なんです。 帝都までいけば人もたくさんいますが……大国の首都以外はどこもこんな感じです。 だから、ご飯とかもあんまり凝ったものはないんですよね』


 暗にあまり期待するなと釘を刺してくるアイリスさん。

 俺は少しファンタジーというものを甘く見ていたらしい。先進国の日本でこそいつだって屋台やお店で小腹を満足させることができたけれど、あれと文化水準を一緒にしてはいけないということか。教師になれたら生徒に教えてあげられることがまたひとつ増えた。なれる目処なんて立っていないけれど。


 町は、まばらに人通りがある程度。

 人が七人ほど横に並んで歩ける程度の通りに、ポツポツと青空商店が並んでいる。勧誘するような元気もあんまりないようだ。


『一応この街は、帝国の首都トルセフォルテと、観光都市サイトスを結ぶ主要街道の関所なんですけどね……サイトスの山向こうが戦争中なので誰も行きたがらないんです。いつもはもっと活気があるって、兄さんが言ってました』

「ふむふむ」


 まともな人語を意識して離さないとこのまま心まで豚になっていってしまいそうなので声を出す。たぶんアイリスさんには豚の鳴き声に変換されて聞こえているんだろうけど。

 彼女の疲れた口ぶりから察するに、おそらくその「山向こうの戦争」というのは、彼女たちの故郷を襲った王国のことであるのだろう。あちらこちらに手を伸ばしている暴君という印象を受ける。

 にしても帝都トルセフォルテか……学生の頃に忘れてきた中二心が疼いてしまう。いつか行ってみたい。



「ぷひ!」


 美味しそうな臭いをキャッチした。

 肉の焼ける香ばしいこの香りはおそらくソーセージ。先程すれ違った男たちが話していたそれに違いない。さて、どれほど美味しいのか期待に胸が膨らむ。



『あれが食べたいんですか?』

「ぷひ!」


 ヨダレが出てきそうだ。ヨダレが溢れてしまったら、拭うための腕がないので、せめて口内でとどめられるように集中する。



『すいません、ソーセージ二つください』

『あいよ! お嬢ちゃん、いいのかい?』

『なにがですか?』

『や、お嬢ちゃんの連れ、ぶたさんだろ? 共食いはキレるんじゃないかね?』

『あ!!!』



 ソーセージって確か豚の腸の皮で獣のひき肉を包んで燻製にするんだっけ?なるほど、確かに共食いだ。まあでも、人が人肉を食べるより抵抗は少ないだろうし、なにせ今の俺は豚であって豚ではない。気を抜くと豚語が口から出てしまうが、心は人間のままである。



「心外だぶ!」


 俺は大丈夫だと高らかに宣言する。誰も聞いてくれてやしないけど。


『大丈夫そうだな!食い意地のはったやつ、嫌いじゃないぜ?』



 ナイスガイなスマイルを向けてくる店主に若干たじろぎつつ、アイリスさんは代金を支払い串刺しのソーセージを二本受け取った。鼻先に向けられたソーセージからは、芳醇な肉の香りが漂ってくる。ただでさえ感度の高い豚の鼻に、痛いくらいに刺激的な香辛料のハーモニーが突き刺さる。

 口の中を駆け巡る幸せな刺激に全身が震える。実際この世界に来て幾らもいっていないんだろうけど、体感で数日分の心労を味わってる気がする。 一度死にかけているというのが大きいのか。


『どうぞ』


 アイリスさんのお許しが出たので、大口を開けてソーセージにかぶりつく。肉を包む皮がシャキっと小気味いい音を立てる。肉汁が舌の上にじんわりと広がり、こんなに美味しいものがこの世にあったのかとすら思う。

 アイリスさんも、一心不乱にソーセージを食べていた。彼女もまた、魔神召喚とやらに精神をすり減らしたり、祖国を心配する緊張があったはずだ。俺よりも困難の連続に遭遇している。 誰にも咎めるなんてできない。



『いい食べっぷりだねえ! も一本サービスしちゃうぜ』

『そんな、お金はお支払いします』


 そこそこ大きめのソーセージを一本ぺろりと平らげたアイリスさんが、店主の御好意に恐縮して小さくなっていた。


『いいっていいって!そこのぶたくんもまだ同胞を食べたりなさそうな顔してるぜ?』

「………そんなことはないよ」


 はっきりと否定できない自分が悔しい。ここのソーセージは、豚になってはじめてのごはんという贔屓点を差し置いても、かなり美味しかった。シャウ〇ッセンを超えたぞこれは。



『じゃあ、いただきます。 魔神様いります?』


 首を振って否定する。小動物の胃には十分な大きさのソーセージだった。また一心不乱にソーセージをほおばる少女を横目に見ながら、ソーセージ屋の店主が愚痴をこぼした。



『最近はツィード王さんの仕掛けた山向こうの戦争のせいでこの町での商売も上がったりなんでよ』


 彼も戦争の被害者らしい。

 ツィード王。初めて聞く人名だけど、この王様がアイリスさんたちの国に戦争を仕掛けたんで間違えなさそうだな。



『今日はどっかのがっこー?ってやつから子供らがいっぱい買いに来てはくれたんだけどよ? にぎやかだったあのころが懐かしいぜ……』


 ん?

 今この人学校っていった? この世界にも学校が存在してるのか?口ぶりから察するに、日本みたいに当たり前のものじゃないのか?



『こんな町でも、こんな時でも、子供の声が聞こえるってのはいいもんだねえ』


 青空を見上げ、店主はため息をつく。



「その人たち、どこ行ったか知ってる?」

『うん? ブタさん、子供たち見に行きたいのか?』

「うん」

『あっちにいってたぞ』


 俺の豚語を理解しているように見えるが気のせいだ。

 店主さんが指さした方向に耳を澄ませてみる。あっちの方が確かに賑やかそうだな。



「行きたい!」

『行きたいんですね』


 おお、こっちも通じた!


 ソーセージ屋のおっちゃんに手を振り、子供たちがいるという方向へ向かう。





 その場所は街の中に誂えられた小さな公園だった。二十名ほどの子供たちが芝生の上に座ってソーセージをほおばったり、お弁当箱をつつきながら談笑していた。遠足のお昼ご飯みたいな様子だ。


『あ! 豚さんだ!』


 子供たちのうち一人が俺の姿に気づいて声を上げた。


『バカあれはうりぼーって言うんだよ!』

『なにそれ!』

『わーかわいい!!』


 あれよあれよというまに動物が目の前にいるという興奮が伝播していき、子供たちが一斉に群がってきた。

 一メートルほどの距離を開けてぐるりと囲まれる。じりじりとにじり寄ってくる彼らの顔はこれ以上なく笑顔なのだが、今の小さな体から見上げる表情に本能が危険を訴えている。


『それっ!』

『ふわふわだ!』

『毛があるから豚じゃないんだよ!』


 掛け声と共に一気に距離を詰めてきた彼らはめいっぱい両腕を伸ばしてくる。体中のあちこちを手加減なく全力でなで繰り回されて、俺はもみくちゃになる。助けを求めることすら許されず、上げる悲鳴は子供たちのはしゃぐ声にかき消される。



「助けてアイリスさーん!」

『あ、鳴いた!』

『可愛い声~』

『もっと泣けもっと泣けー!』


 逆効果。俺が鳴けばますますヒートアップ。そうだ、子供たちっていうのはこういう生き物だったことを忘れていた。 鳴け、の意味が違う気がするけど気のせいだよな?

 アイリスさんは、と思ってさがすと、輪の外で微笑んで見守っている。確かに子供たちは楽しそうだけど俺これ地獄だよ!?


『すいません、私の生徒たちが……』

『大丈夫です、たぶん魔神さ……その、私の子豚も喜んでると思います』

『マジン君という名前なんですね、可愛いので子供たちも大喜びですよ』


 あ、アイリスさんの隣にやつれたカーデガンを着た初老くらいのおばちゃんが近づいてきて会話を始めた。内容から察するに、彼女が先生として子供たちを引率しているのだろう。俺も子供たち連れて遠足行きたかった。


「いいなああああああああ」

『うわ!』

『あ、逃げた!』

『追いかけろ!』

「おいやめろ俺はあの先生とお話するんだ!」


 どうやったら先生になれるのか聞かせてもらうんだ、君たちに邪魔されるわけにはいかない!

 子供たちの足の隙間をかいくぐり、アイリスさんと先生を目指す。

 鬼ごっこでも始めたつもりなのか、嬉々として追いかけてくる子供たち。恐怖だ。


『とても元気ですね。楽しそうです』

『もうほんと、毎日あんな感じで、すくすく育ってくれています。ありがたいことなんですけど』


 そんな俺を尻目に二人は穏やかに会話を続けている。微笑んで見てないで助けてくれ!



 捕まってはもみくちゃにされ、脱走し、また捕まってはもみくちゃに――というのを三巡くらい繰り返したところで、子供たちはへとへとになっていた。

 彼らがそんなに疲れるということは、それ相応の時間遊んでいたということであり、すなわち、


『あ、早く戻らないと!』


 アイリスさんが焦るに十分な時間だった。

 すぐ戻るといったのに、一時間くらい遊んでいただろうか。


『うわ!』

『きゃ!』

『動かないで!』


 アイリスさんが俺のもとに駆け寄り、抱きかかえてもとの洞窟のあったところまで帰ろうとしたその間際、大きな揺れが広場を襲った。


『今の何…?』

『こわーい』


 子供たちも首をかしげている。

 揺れはほんの数秒で終わったが、かなり大きかった。

 余震がこないことを確認して、アイリスさんと帰ろうと顔を見ると、彼女の顔が真っ青になっていた。


『まさか、あの人たち……もう…?』


 ぶつぶつと何事か呟くアイリスさんの様子はただ事ではなく、俺は先に走り出す。抱っこされている状態だと、アイリスさんが十分なスピードを出せないから。


 アイリスさんも子供たちと先生に挨拶をして走り出す。

 子供たちのばいばーいという声を背中に受けながら、俺とアイリスさんは洞窟まで走った。



 たどり着いた洞窟前の入口はしかし、入れないようになっていた。

 先程の揺れのせいで崩れてしまったのか。

 確かみんな中に入っていたはずだし、これは困ったことになったと俺が焦っていると、アイリスさんは別のことに気を取られていた。


『なんで、あなたが……』


彼女の見据える先、俺らよりも洞窟の入口の近くに立つその男。



『おや、意外と遅かったですね』



 背の高く病的なまでに痩せこけた、眼鏡をかけた知的な男性が一人、ニヤニヤと場にそぐわない笑みを浮かべていた。


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