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豚のコミュニケーション

 


「ぷひぷひ!」


『……?』




 まさか死んでから、コミュニケーションの重要性を我が身を持って実感することになるとは思わなかった。

 相手の言うことはわかるのだが、どうにも俺の話す言葉は全て豚語として彼女らの耳に届くらしかった。

 しきりに首をかしげる黒装束の妙ちきりんな集団相手に、豚ならではのボディランゲージを駆使して対話をはかる。が、その効果は今ひとつ現れない。

 教員採用試験の面接よりもハードなことを課せられているような気もする。


 順番を間違えたかもしれないと俺が気づいたのは、自分の足でひらがなを地面に書いて見せたものの、対話が失敗したその時だった。

 必死に祈りを捧げる彼女たちは、「私たちを救ってくれ」や、「導いてくれ」など、抽象的ではあるにせよ、彼らの望みを必死になって豚である俺に伝えようとしてきた。

 あのまま待っていれば、ひょっとしたら彼らの置かれている現状がわかったのかもしれない。しまった順序を間違えた。




 俺がそろそろ自分の体をブンブン振り回すことに疲れてぜえぜえし始めたとき、風向きが変わった。




『なあ、アイリス、ひょっとしたら魔神様は我々の言葉を理解しているんじゃないか?』


『え?』


『俺もそう思います。 なんだか、魔神様は俺たちに何か言いたそうに思えるんです』


「ぷひぷひ!(そうそう!)」



 この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。 必死に首を縦に振る。

 すると、おお、とどよめきが湧いた。 さすがに頷きというのはどこの世界でも共通らしい。よかった、この世界での首を縦にする行為が『お前の母ちゃんでべそ!』という意味じゃなくて。



『まさか!』


 そのまさかだよ!

 可愛らしく鳴き声を上げ、ここぞとばかりに援護射撃。


『今の首振りを見ただろうアイリス!』


 今ので通じなかったのなら煮るなり焼くなり好きにしてくれ。


『でも、動物特有の身震いかも』


 どうやらこの集団のリーダー的立ち位置にいるらしい、アイリスと呼ばれている赤髪の少女はてんで見当違いな、今の俺にとって最悪な方向の推測を深刻な声音で言う。


『どのみち彼が魔神様であることには変わりないんだ、話しかけてみよう』


 魔神なんてたいそれたものじゃないのだけれど、お年寄りに諭されて、アイリスさんは俺とコミュニケーションをとってくれるようになったらしい。


『魔神様。 私の言葉がわかるようでしたら、私の右手に触れてください』


 そう言って、アイリスさんは俺の顔の前に右手を差し出してくる。ためらわず、すぐ鼻先を右手の指先に触れさせる。


『やはり……』


『魔神様は我らの言葉を分かっていらっしゃる!』


 アイリスさんの隣に立つ大柄な青年が喜びの大声を上げると、先程よりも大きなどよめきが起こった。




『召喚は成功だ! クロリスの民よ! 俺たちは助かるぞ!』


『おおおおおおおお』


「ぷひーーーー!!」



 沈んだ顔をしていた黒ローブを着た彼らは、僕という豚とコミュニケーションが取れると分かったのが本当に嬉しかったのだろう。 誰も彼も、喜色満面の笑みを浮かべている。

 先程までの御通夜のような雰囲気が嘘のようだ

 ついでに俺も、豚の丸焼きになるという最悪の未来が回避できて一安心。




『…………』


 アイリスさんだけ、ひとり浮かない顔をしていた。


 どうかしたのか、と俺は尋ねる声を持たないので、返事をする代わりにまだ目の前にある彼女の右手のひらを鼻でぐっと押した。

 ハッとして俺の顔を見やるアイリスさん。




『まだ、です』


『なにがだ?』


 他の黒ローブを沸かせた大柄な男がアイリスさんの小さなつぶやきに反応する。



『伝承では、魔神は召喚者と対話し、召喚者の願いを叶える代わりに対価を望むはず。 なのに、私たちは魔神様が何をおっしゃっているのかさっぱりではないですか! 召喚の際の赤黒い濁りも気になりますし……私は、失敗したのではないでしょうか』


 真剣な表情で、自分のミスを潔く認めて仲間に疑問を呈するアイリスさん。 確かに彼らの声は聞けるのに、俺も自分の言葉を伝えられないのは不便である。 それに、対価というのも気になる。 そもそも魔神とはなんだ? 俺がその魔神であるというのはほぼ間違いないのだろうけど、思い当たる心当たりは微塵も――そうだ、あの渋いおっさんの声。 あれが魔神だとするなら合点はいく。 だとすれば、あのおっさんと俺が違う人間であるということを伝えないといけないが、やはりここでも言語の壁が邪魔をする。



『失敗? 何を言うんだ、時間がなく、一回こっきりしか許されない魔神召喚術を君はやり遂げたんだ! たしかに魔神にしてはやけに体の小さい子豚だと思うが……そもそも我々の常識とは一線を画す存在だろう?』


『ええ、ですが、対話ができないという大前提が崩れている以上、この魔神と契約するのは―――』



 そこで、アイリスさんの声が途切れる。


 大きな地響きが洞窟を襲った。


 生前は地震大国と言われた日本で暮らしていた俺もビビってしまうような大きな揺れ。

 特に、出口が見えない洞窟の中というのが余計に不安をあおる。

 もしこの天井が崩れたら、ダンプカーに轢かれた数時間後に圧死するという悲惨な運の無駄使いをすることになる。


 前か? 後ろか?


 咄嗟に走り出そうとした僕を止めたのは、足元の魔方陣。

 さっきは気付かなかったが、どうも俺はこの魔法陣の中から出られないらしい。

 揺れは未だに続いており、黒ローブの人間たちも不安げに天井を見上げている。



『うろたえるな! アイリスが魔神と契約し終えるのを待ってすぐにこの洞窟から脱出する!』


 男が指揮を取ろうと、右手を大きく頭上に掲げた。 その右手には、綺麗なブルーサファイアの炎が点っていた。

 どんな手品か、魔法か、彼は熱さというものを全く感じていないようで、燃える拳を松明のように掲げ、仲間たちを落ち着かせる。



『さあアイリス、早くここを出よう。契約してくれ』


『…でも』


『もう俺たちには時間がないんだ。 たぶん、この地震だっておそらく――』


 おそらく、なんだというのか。

 先程から彼女たちの言う、『外敵』とやらなのだろうか。

 地震を起こせるような強敵に追われていると考えると、いよいよ僕の立つ瀬がなくなってくる気がする…。


『わかった』


 ずっと渋っていたアイリスさんも、決意を固めたようだ。

 杖を両手で持ち直し、仲間に下がるよう合図する。

 彼女がボソリと何かつぶやくと、魔法陣の光がより強くなり、一瞬目を閉じてしまった。


『魔神様』


 目を開けると、今まで誰一人として入ってこなかった魔法陣の中にアイリスさんが足を踏み入れていた。




『私たちを、助けてください!』


「ぷひ!」



 いいよ! って大きな声で返事したつもりだったのだけど、やっぱり口から飛び出るのは豚語。

 しまらなさに苦笑いしつつ、アイリスさんが伸ばしてきた両腕に逆らわない。

 彼女は俺を抱き上げると、お仲間の黒ローブに向かって言う。



『魔神様の許可はもらいました…。 ちゃんと言語契約ができてないのはやっぱり怖いけど、とりあえず、ここを出ましょうか。 追っ手はもうすぐそこまで来ているでしょうし』



 言い終わると同時、彼女は何もいない中空に向かってキッと睨みをきかせると、『はじけろ!』と叫んだ。 

 ボンッとボールの破裂するような音がして、地面にバラバラになった昆虫かトカゲかの死体が落ちた。



『使い魔……』


 静かな焦りのざわめき。 なるほど、アイリスさんはそれに気づいて、自身の不満よりも先にここを脱出する安全を優先することにしたのか。


『急ぎましょう』



 アイリスさんを筆頭に、一同は洞窟を歩き出す。

 俺はアイリスさんに抱っこされたまま、この年になって女の子に抱っこされることの恥ずかしさを必死にこらえていた。


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