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豚になった日

いやはや、あんなに簡単に人って死ぬものなんだと、妙な感慨にふけりつつ、ふと気がついたらなんだか体がバキバキだった。

力の入らないからだに喝を入れ、えいやこらと体を起こすと当たりは真っ暗闇。

確かに動かしている感覚のあるはずの自分の手すらも認識できない。

天国というには、やや聞いていたよりもへんてこな場所だなあと辺りを見回しても、当然真っ暗闇なので何か見つかるわけもなく。

そうか、ひょっとしたらここが死後の世界とやらかもしれない。

ずっと歩いていればやがて光も見えてきて、そこで神様とご対面、生前の行いを評価されて地獄へ行くか天国へ行くかが決まる、というような感じなのか。

地獄へ行くこともないだろうけど。 天国へ行けるほどいいことをした覚えもないし、っていうか、死ぬ直前にスマホ片手持ち自転車乗りなんていう、ろくでもないことしたわけだし。


「歩いて塾に行けばよかったなあ……時間あったしさ」


後悔を声に出しても何も変わらない。懺悔を聞いてくれる存在もいない。

ダンプにはねられて、体がグチャグチャになってないところからも、まだ最悪の状態ではないと自分に必死に言い聞かせる。

ただまあ、体がグチャグチャになっていたとしても死ななかったかもしれないということを鑑みる―そんな可能性はおそらくない―と、死後の世界に飛ばされた俺は最悪の一歩先を歩んでいるのかもしれない。


これが異世界転生ものの小説なら、ナビゲーター役の天使や女神が目の前に現れて、どんなチートにするか決めさせてくれるというのに、辺りは全く真っ暗闇。不親切にも程がある。


とにかくあるいて、出口でもなんでも探せばいいや。

そう考えて地面に四肢をついたまま這いつくばって歩きだした僕の体はしかし、数歩も行かないうちに立ち止まった。

壁があるわけではない。なぜか、体がそれ以上先へ進もうとしないのだ。


「おかしいな…?」


首をかしげつつ、反対方向へ。

しかしこちらは、十歩ほど歩いてまた先へ進めなくなってしまった。

短い手を伸ばせば空間はあるんだ。ただ、足がこれ以上先へ進まない。ジャラジャラいうような音もないし、鎖でつながれているわけでもないのに、どうしてだろう。


自分で自分の体を思い通りに動かせないという、およそ人生で味わったことのない感覚に戸惑いながら、ここで、違和感に気づいた。

四つん這いになって体を支えている右手を持ち上げてみる。真っ暗闇なので、顔の前にまで持ってきても見えない。

左手も持ち上げてみようとして、バランスを崩しそうになって慌てて四本の足で体を支える。


…両腕を同時に持ち上げられない。


嫌な予感がして背筋が震えた。

立ち上がろうとしてみる。

「どっこいしょおおおお!」


……無理。

地面についている四本の腕と足のうち、二本を同時に地面から離せない。


なんてことだ、これじゃあまるで俺が動物にでもなったみたいじゃないか、いやいやそんな馬鹿な!

ブルブルと首を振る。

嫌な妄想を振り払うために。

すると踏ん張っていた足から力が抜けて、俺の体は地面にころりとお尻を付いてしまう。


地面は冷たく、石ころの感触がする。 室内ではないみたいだ。



ふと。



「貴様らが我を呼んだのか」


若々しい、それでいて重厚さのある、渋いおっさんの声がした。

バリトンの、鈍いのに軽やかなその声は、この空間にどこまでも響いていくみたいだ。

格好いい中年のおっさんの美声だ。



この声が、俺の喉から出ているのでなければ、素直にほかの人間がいると喜べたのに。



なお悪いことに、俺が狙って声をだしたわけではない。

無意識に、というよりも、まるで乗っ取られたかのように、俺の口が勝手に動いたのだ。

まさかここは地獄!?

俺は幽霊に乗っ取られたのか!?


採用試験に落ち、死んだと思えばさらに動物になった疑いがあって、それらのみならず、神様はとことん俺を見捨てるのか!?


『~~~?』


何か聞こえた。

誰かが一言だけぽつりと、俺に取り付いた幽霊のこのしびれる美声に返事を返してきたようだ。


「我の名は―――」


また口が勝手に動く。

おっさんは自己紹介をしようとしたらしい。

俺もこの幽霊がどんな人なのか、ちょうど聞きたいと思っていたところだ。

西洋人でも、東洋人でも、果ては宇宙人だとしてももう驚かない。


だが、そこで急に、喉からすっと力が抜けていく。

と同時に、辺りが急に明るくなった。


自分の体を見てみる。

ふさふさの茶色い毛並み、しっかり生えて地面をがっしりとつかんでいるひづめ。


どうやら本当に、俺は動物、それも豚か猪かになったようだ。


その事実を認識して、俺はぷぎゃあと、思ったよりも可愛らしい悲鳴を上げた。




◇   ◇   ◇



想像していたよりも狭い洞窟が、前後にうんと伸びている。

そして俺の前後左右を取り囲むように、黒いローブに全身を包んだ人たちが驚いたように僕を見ていた。


どうしたことか、先程までの幽霊のおっさんの声はもううんともすんとも返してくれない。


「御池悠真っていいます」


だからまあ、とりあえず自分の自己紹介をすることにした。



周りにはぐるりと総勢二十人を超えるであろう黒ローブの方々と、そして一人だけ、真っ白なローブを着ている赤髪の少女が、じっと俺を見つめていた。

ファンタジー小説の挿絵でしか見たことのないような真っ赤な髪の少女は、おそらく中学生くらいだろうか。周りの黒ローブの面々は、お年寄りから俺と同い年くらいの青年まで、男女問わずいろいろな年代の人が、怖いものでも見るかのように俺の一挙手一投足(一挙手と呼んでもいいのだろうか)を見守っていた。

居心地が悪い。


ただ、どの顔も、怖いだけでなく、微妙な安堵のような色も浮かべており、ますます意味が分からない。

その表情は俺がするべきなんじゃないのか、とくに怖がってる表情。

死んだはずの世界で、見知らぬ人々に囲まれて一人、幽霊に取り付かれた哀れな元・青年の動物。

どう考えてもここは天国じゃない。 彼らの服装は天使というより死神を連想させる。いや、俺はもう死んでるんだし当たり前か。


俺が一歩足を進めると、僕の進行方向にいた黒ローブたちが小さく悲鳴を上げて遠ざかる。

ところが、彼らに近づくよりも先に、僕の体が動かなくなる。

あからさまにほっとした顔を浮かべる彼らを見て、俺もホッとした。今のところ、向こうはこちらを怖がっているようだし、彼らから近づいてくることもないだろうと。

ちょっぴり、避けられて泣きそうなのは秘密だ。


赤髪の、一人だけ白いローブに体を包んだ少女は、自分の背丈ほどもある木の杖のお尻で、地面をどんと叩いた。

周りの黒ローブが、一斉に数歩下がった。 狭い洞窟が、ほんの少しだけ広くなったように感じる。

少女が何事かつぶやくと、俺の立つ地面が白く発光を始めた。 光は幾何学的な円模様を描いており、ひと目でこれはおとぎ話の魔方陣なのだと気づく。 さながら、俺はこの世界に召喚された勇者(豚)、といったところだろうか。

どうせ召喚されるならこんな薄暗い洞窟で、こんな薄気味悪い人たちじゃなくて、もっと綺麗な王城みたいなところで、ものすごい美人に、格好いいイケメンとして召喚されたかった、と思ってしまうのは男性の――人の悲しい性だろうか。


『我らが民の願いを聞き入れてくださり、ありがとうございました』


「えっ」


目の前の赤髪の女の子が話すことがよくわかる。

同じ日本語として理解できる。

ただ、話す口の形と聞こえる音が違うのは、彼女らの話す言語が日本語ではないからだろうか。それとも、俺が豚だからなのだろうか。


『我らが民は、今滅亡の危機に瀕しています。 どうかそのお力をお貸しください』


「え、ちょ、まってまって、力って? ただの一般人だよ?」


これは、俗に言う現代知識無双とやらを求められているのだろうかと考える。

だとすれば、俺の協力できることなんて教育くらいしかないんだけど。しかもその教育すら不合格通知を突きつけられるレベルなんだよ。しかも今人間じゃないし。

このことを早く伝えて、彼女らの召喚(?)は失敗した、人(動物)違いだということを伝えないと、傷はどんどん深くなるばかり――


「あのさ。俺、そんなすごい力、もってないよ」


口をついて出る言葉。

もしこれが神様に仕組まれた異世界転移物語なら、とんだ笑い話といったところだ。

もとの世界で何かすごいことをしたわけでもない青年が、異世界にとんだ先で豚!


「ほら、見て分かるとおり豚か、もしかしたら猪だしさ、ひょっとしたらイノブタなのかもしれない。この前教職の採用試験を受けたんだけど、それすらも落とされちゃうような奴でさ」


自嘲を、少女は真剣な顔で聞いてくれる。

話している自分が言うのもなんだけど、ろくでもないな、俺。

それとも、彼女たちはそんな落ちこぼれた豚にだってすがらないといけないくらい切羽詰っているのか。



『どうか、どうか我らを………我らの同朋を、お救い、ください……』


あれ。

ちょっとまってこれ話聞いてない。

というか言葉が通じてないっぽい。

もしやと思い、一度黙ってみる。


マイクテスト。


「あ、あーー」

『ぷーぷひー」



よーく耳をすますと、俺のことばを上書きするように豚の声が発されていた。

最悪だ。

発声する声はすべて日本語でもこの世界の人語でもなくただの豚語だった。

衝撃の事実。

なるほど、さっきからの俺の情けない一人語りは全て「ぷひぷひ、ぷひひ……ぷひ、ぷひぷひぷぷっひ?」的な感じで俺の口から話されていた、と。


あーよかった、俺の落ちこぼれ人生話を聞かれなくてよかったなー!



……冗談はさておき。

コミュニケーションが取れないというのは思ったより難関だ。これは参った。

この薄暗い洞窟の中で、いくら黒ローブの彼らがこちらに手をだしてこないとはいえ、彼らは救いを求めているようだ。俺がもし、彼らにとって有用ではないただのブタだと判明してしまえば、俺はこの場で捌かれてあすのボタン汁になってしまうかもしれない。いや、この世界の文明度合いによっては生きたまま丸焼きにされてしまうかもしれない。



『どうか、どうか我らをお救いください……どうか……』



俺のパニックをよそに、目の前の赤髪の少女は、膝をつき、祈りでも捧げるように豚に向かって乞う。


彼女の真似をして、周囲の黒ローブも跪く。

彼らは全員、瞳から涙を流していた。

目の前の赤髪の少女だけは、気丈に涙をこらえていた。

なんだか気色が違うなと思って、俺も落ち着いて向き直る。



『助けて……助けてください…私たちは、まっとうな世界で、穏やかに過ごしたいだけなんです……』



死ぬ前の、バイト先の塾の生徒のことを思い出した。

学校に行きたくなくて、でも勉強は頑張りたくて、それで俺の働いていた塾にやって来た子。

頭は悪くなくて、教えることはスラスラ飲み込んで、運動も好きだそうで、ジョギングが趣味。

いじめられていて、校門までならなんとか入れるけど、クラスの扉をどうしても開けられない。


「御池先生がクラスの先生だったらよかったのにね。 普通のクラスで、皆普通に仲が良くて、いじめとかなくて、みんな幸せに卒業できたら、私は――」


そうまで言ってくれたあの子の顔と、目の前の赤髪の娘の顔が、ダブって見えた。



誰だよ、子供にこんな顔させる奴。



居ても経ってもいられなくなって、赤髪の少女の目の前まで近づく。

魔法陣のふちにぎりぎり入らない辺りで膝をつく少女は、僕が近づくのを見てもたじろいだりしないで、ただ、僕の目をまっすぐ見据えてきた。


「ぷひ!」


思いつめたように僕に祈りを捧げるこの少女の悩みを解決するにはまず、どうにか俺の言葉を彼女に理解してもらうことから始めなければ。


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