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御池悠真の災難

「落ちた……」


俺は教員試験の不合格通知を握り締め、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げた。

通知書はゴミ箱の淵にあたり、跳ね返って床に落ちる。


「ああ、くそ……」

たった数歩、歩く気も湧いてこない。ベッドに仰向けになり、天井を見上げる。


「落ちた………」

何度言葉にしても現実がひっくり返るわけでもなく。

それどころか、口に出せば出すほど落ちたという事実が重くのしかかってきて、気分がどんどん沈んでゆく。


俺の名前は御池悠真。 平凡な大学四回生。 夢は教師になること。

この前採用試験を受けて、そしてたった今、不合格通知が届いて人生に軽く絶望しているところ。


筆記試験は完璧だったはずだ、面接も、ゼミの仲間と練習してた時の何倍もうまく話せた。 力まない、いい笑顔だったと自分でも思う。 別に、受からないはずがないと自分を過信してたわけじゃない。 行けそうだ、って、自信はあったけれど。 何も慢心まではしてない。

なのに、なんで。


ずっと、とりとめもない思考が、頭の中をぐるぐる回る。

外へ気分転換しに行きたいところだが、立ち上がる気力もない。

タバコを吸う人間なら、お酒をよく飲む人間なら、こういうときぱーっと一服するなり焼酎をあおるなりして気分を紛らわせられるのだろうけど、あいにくタバコは吸わないし、お酒も別に好きではない。

それもこれも、教師になろうと思って今まで頑張ってきたことじゃないか。

面接会場の外で、タバコを吸っているライバルを見て、こいつよりは俺の方が教師にむいてる、とも思った。

傲慢だろうか。

ひょっとして、あの彼は合格したのだろうか。

まさか、俺が落ちたのならあいつなんて、いや、でもまさか――


気持ちが落ち込む以上に、怒りとか、恨みとか、なんだかよくない方向に進み出した。

だめだ、止まらない、誰か、


「……もしもし」


そんな僕の醜い感情を止めたのは、携帯のコール音だった。

液晶に表示されたのが母親やゼミの友人なら無視していただろうが、そこにあったのはお世話になっているバイト先の塾の教室長だった。


「もしもし、御池君かい? 今日空いてるかなあ?」


「ええ、空いています」


――落ちたからこれからずっと暇なんです、という言葉はぐっと飲み込んだ。


「あ、じゃあさ、今日ヘルプ来てくれないかなあ。 講師の方がのってる電車が人身事故にあったらしくてさ、電車動かなくなっちゃったらしいんだよ」


「わかりました、行きます」


塾へ行き、子供たちの面倒を見れば気もはれるだろうか。

自分に無理やり理由を持ってこないときっと、このまま一週間でもベットに寝転んでいそうな気がしたので、いい機会だと自分に言い聞かせて、重い体を起こす。

洗面所の鏡に映る顔は幽鬼のようにげっそりとしており、おもわず苦笑い。


私服を、バイトでいつも着ているスーツに着替えて、家を出る。


自転車で十分の先にある進学塾は、大学一回生のときからずっとお世話になっている職場だ。

高校生の時に教師になりたいと決意し、大学もストレートに教師になれるように教育学部のある学校を選択した。

教師になるには大学で学ぶ先生としての心構えも大事だが、それ以外にも教える技術も実地で学ばねばな、と思ったのだ。

真面目な子も、元気な子も、ちょっとやんちゃな子も、無理矢理連れてこられた子も、学校が嫌いな子も、みんなに楽しいと思ってもらえるように接してきた。

大学では教育学部で学ぶこととは別に、同級生の女子と、本気で先生になりたいと思っている人のために互いに切磋琢磨できるサークルを作り上げて、みんなで授業プランをねったり、学部の先生方に模擬授業を見ていただいてアドバイスを受けたりした。


あ、そういえばあいつは受かったのかな。

浮かんだのは一緒にサークルを立ち上げた同級生の女子の顔。 彼女がサークル長、俺が副サークル長でサークルを運営していた。

快活で、いつも率先して発表したり、サークルメンバーのことも、誰より気にかけていた。

彼女が落ちるなら、ほかの誰が受かるだろうか。


ズボンのポケットからスマホを出す。

受かったよとメールが届いていないだろうか。

自転車に乗りながらスマホをいじるなんて、仮りにも教師志望がしていいことじゃない。

でもまあ、あと一年は教師になれないわけだし、今日くらい…いいよな。


どうにでもなれ、と考えていたのは認める。

たしかに僕は自分が教員試験に落ちたことに落ち込みすぎて、普段なら絶対しないような行動をしていた。

それは自転車を漕ぎながら片手でスマホをいじることもそうだし、


「あ、メールきてる。 そっか、受かったのかあいつ」


メールの送り主に、おめでとうと返信するのではなく、電話をかけたこともそう。

いつもの僕ならぐっと我慢して、次に直接会ったときに、と考えるところを、今日はなぜか―――元気を分けてもらいたかったのか―――あいつの声が聞きたいと思ってしまった。


「もしもし? ゆうま君?」


「うん、俺。 おめでとう。幸村、受かったんだな」


「ありがとう! もうすっごい嬉しい!」


本当に嬉しそうな彼女の声を聞いてると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。

電話してよかった。


「ゆうま君は?」


「…ダメだったよ」


精一杯、暗くならないように告げる。 向こうまで暗くしてしまったら、なんのために電話したのかわからなくなってしまう。


「そっかー…。ゆうま君が受からないなら他に誰が受かるんだよって感じだよね! その面接官の名前教えて! 私が抗議しに行くよ! ううん、この際サークルのみんなで文句言いに行こう!」


「あはは」

奇しくも、さっき自分が思ったことと同じことを言われて思わず笑ってしまった。



「私が一発ぶん殴ってもいいかな!? あ、でもゆうま君とあわせて二発も殴っちゃうと顔が変わっちゃうかな」


「幸村が殴るのかよ」


「えーだめー?」


「幸村の分も俺が殴る!」


「あはははっ! そうこなくちゃ!」


気がついたら、僕の視界は朧気に歪んでいた。 ほんのり、鼻も詰まってきた。


「…………なれるよ、絶対」


「……………うん。 なるよ」


元気をもらおうって、半分冗談で電話をかけたのに、想像以上に励まされてしまった。

これだから彼女はすごいんだ。

たぶん、とんでもなく名教師になるに違いない。 いや、絶対になる。 僕が保証する。


「一足先に―――」


彼女がスピーカーの向こう側で何か言っている。よく聞こえない。なんだ、うるさいな、この音は車のクラクションか、


スマホ片手に通話しながら、右折した先からダンプカーが直進してくる。

片手ハンドルでよけようにも、うまく操作は効かない。ゆるゆると進み続ける自転車はそのままダンプと正面衝突し、ぐしゃぐしゃと潰れながらも突き進む。そのまま僕の体も車体にぶつかり、大きく吹き飛ばされた。

全身を襲う、知覚できないほどの衝撃に気を失う直前、宙に浮かぶ僕は、最後に好きな娘の声が聞けて喜んでいた。

天国というものがあるならば、そしてそこに学び舎というものがあれば、彼女の言葉を胸に、やっぱり教職に付きたいなと馬鹿なことを考えながら、やがて僕の意識はふっと暗く闇に落ちた。



次話は明日投稿いたします

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