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短編

相思相愛誤解ループ

作者: 片桐ゆかり

私だけが好きだと、思っていた。

形だけの婚約者なのだと思っていて、けれど婚約者という形でももらえただけでいいのだとそう思っていたのだ。

その言葉を、聴いてしまうまでは。


婚約者、といっても相思相愛でなったわけではないと私は思っていた。

私の家は会社を経営しており裕福な家庭だった。子供は私と兄の二人兄妹で、歳の離れた優秀な兄が家業を継ぐために目をかけられていたから、女である私はのびのびと育てられた。

そして、私の婚約者である東雲高臣さんは、父の会社と取引をしている得意先の会社のご子息。父と彼の父親は幼馴染で、それこそプライベートでは家族ぐるみでの付き合いがあった。

眉目秀麗な兄と彼は、社交的で外を出歩くのも好んでいたが、私はあまり活発なほうではなくて本を読んだり音楽を聴いたりすることが好きだったので、兄たちとはあまり一緒に遊んだことがなかった。

私は兄が好きだったし、兄も私とは歳が離れているから甘やかされていたこともあったけれど、気の置けない友人同士である高臣さんがいるときは率先して二人きりで遊びに行っていた。

けれど、高臣さんはくるたびに私にお土産を持ってきてくれた。それは、小さな花だったり、お菓子だったりいろいろなものを。私はそれに目を輝かせて喜んだ。

どんな小さな話でも目を合わせて聞いてくれたこと、私の話が聞きたいと言ってくれたこと、そのどれもが私の淡い気持ちを育てていった。兄がいない時だけ独占できるその人の笑う声が好きだった。

憧れの兄という存在が、憧れの男の人に変わったのは必然だったのだろうと思う。私はたまに会えるその瞬間を心待ちにして、そしてわけがわからぬまま甘い余韻にひたっていた。


その時はもう兄たちは中学を卒業する間際だったから、余計かもしれない。

手の届かないものへの憧れは特別に大きく膨れ上がる。

そんな私と彼の婚約が決まったのは、私が中学生になった時のこと。

中高大と一貫教育の受けられる私立の女子校に、兄と父の是非という勧めで通う事に決まっていた私はそこでものびのびと過ごしていた。そんなときに兄が憮然とした表情で、母が穏やかに笑いながら、父が少しだけ拗ねたような顔で言った言葉を私はまだ鮮明に思い出すことができる。


「高臣くんの婚約者に、ぜひお前を、と」


その時の舞い上がるほどの嬉しさを、私は抑えることで精いっぱいだった。

大好きな、憧れの人の隣にたてるのだ、と。

その日からの私は、のほほんと過ごすことを少しだけ変えた。隣に立っても恥ずかしいと言われたくなくて、真面目に勉強に励み家事や裁縫を習った。

お菓子や料理を習って、兄に食べてもらい及第点をもらったことがうれしくてそのまま高臣さんにふるまうこともあった。どれも、おいしいと食べてくれたことがうれしかった。

けれど、私と高臣さんが二人きりになるということは婚約者になってからはなく、いつも兄が間にいるか、誰かを傍に置いてあっていた。

だから高校3年生になった今でも私は彼とデートをしたことはおろか、二人きりで手を握って並んで歩いたことも、ない。


だからきっと彼は私のことを妹だとしかみていないと思っていたのだ。

婚約者=恋人なのだと思い込んでいた自分の浅はかさに泣いた。決して冷たくされるわけでもないがしろにされているわけでもないけれど、歩み寄れないことが何よりも悲しくて。

それでもたまに会いに来てくれる時間が嬉しかったのだ。

望みはないものだと思っていた。いくら二人で話したい、といってもはぐらかされてしまう悲しさも、いつまで続くのだろうと。

実力行使しかないかと、ある日兄と三人で談笑していた時に、兄が電話で呼び出されたのを機にそっと腕に抱き着いてみてもどうした?と柔らかな声で聴かれて、堪えられずにまごついているうちに腕はするりと外された。

その時の私の顔はとてもひどいものだったと、思う。そのまま私はその場から逃げて部屋に閉じこもった。高臣さんは、何も言わなかった。


その出来事から一月がたちどんどん臆病になった私は、考えるだけで悲しくなるこの関係に憂いて兄に相談しようと、兄の自室のドアをノックしようとしたのだ。

そこで、私はドアが少しだけ空いているのに気付いて、そっと中に入った。空いているということは、きっといるはずだ。


「いい加減限界だ」

「もうちょっとの我慢だろうが」

「そもそもなんでお前の言う通りにしないといけないんだ?婚約者だぞ」

「お前は友人としては認めているが、俺の可愛い妹を好き勝手していい権利はまだやらないといっているだろうが…!」

「どうしてそんなにシスコンになったんだお前は」


呆れたようにため息を吐き出した、高臣さんの声と声を荒げている兄の声に息を殺しながら近づいていく。

兄たちは話に夢中になっているからか、いつもなら気付くはずの私の気配に気づかない。


「お前が、紗良が高校を卒業するまでは二人で会うのは禁止だと頭のおかしいことをぬかしたから守ってやってるんだろうが!」

「そのまま一生禁止させてやりたいくらいなんだよ!俺は結婚なんて認めてないからな!文通から初めろ!」

「俺のことを殺す気かお前は!」


こんな風に言い合うところは初めて見たし、それになにより二人の会話に私は目を白黒させた。

――兄が言ったから、それを律儀に守っていたというの?

そして、私のことをもしかしたら、思ってくれているのかもしれないという期待に落ち込んでいた私の胸は高鳴る。

口元に手を押し当てて、私はこぼれそうになる言葉をおしこめた。


「惚れた女が傍にいるのに触れないんだぞ」

「だからまだ早いつってんだろうが!」

「お前シスコンも大概にしろ!」

「あの、それは、ほんとうですか?」


思わず声を上げた私に驚いたように顔を向けた二人はばつが悪そうに咳払いをしていた。今更、取り繕わなくても大丈夫なのにと思いながら、高臣さんと兄を見る。

兄は私の瞳が潤んでいるのを見てぎょっとしたように駆け寄ってきて、そして私の顔を覗き込む。


「紗良、どうした?やっぱり高臣が気持ち悪いんだな?」

「な…!」

「ち、ちがいますお兄様!」


絶句した高臣さんに、慌てて兄に取りすがる。

私の涙をそっと指で拭った兄はふうん、と面白くなさそうに唸った。


「わたし、高臣さんが好きです。でも私、妹だとしか思われていないと思っていて…。だからうれしいのです」


そういえば、兄が苦虫を噛み潰したような顔で高臣さんをにらんでいた。

兄は、少し私を大事にしすぎるきらいがある。

高臣さんが兄から私をグイと引き寄せて、そっと私の手を取り口づけた。

指先に触れた感触に、心臓は早鐘を打つ。

こんな風に、口づけをされてことなんてなくて。私の胸は張り裂けてしまいそうなくらい、甘く痛む。

私を見やるどこまでも優しい瞳が嬉しくて、兄がいることも忘れて私は高臣さんを見つめた。


「悲しい思いをさせて悪かった、ずっとこうして触れたかったんだ」

「高臣さん…、私、貴方の隣に立ってもいいのでしょうか」

「誰が何と言おうが、俺の隣にはお前しか考えていないよ」


うれしい、と私の言葉は声になっていなかったと思う。

そっと抱き寄せられた彼の温度に、香りに包まれながら私はそっと顔を兄の方に向けた。ぶすっとした顔を背けている兄に、私は苦笑する。


「お兄様、赦してくださいませんか?私、高臣さんと幸せになりたいのです」

「むかつく、が、お前が幸せになるのが一番だからな…」


憮然とした顔のまま言われた言葉に私は高臣さんの腕からでて兄に抱き着いた。


「ありがとう、お兄様!だいすき!」

「おい高臣、聞いたか?お前より俺の方が好きだそうだぞ!」

「あ、あの、高臣さんも大好きです!」

「お前への好きと俺への好きは種類が違うんだ、兄貴だからって調子に乗るな!」


次は高臣さんの機嫌が悪くなったので、兄から離れて少しだけ高臣さんに近づいた。

そうすると今度は兄の機嫌が悪くなるので、どうしたものだろうと困ってしまう。兄も好きだし、高臣さんもかけがえのない人なので仲良くしてほしいのだ。

そもそも、ここまで言い合う二人を初めて見たのでちょっとだけ怖い。


「そろそろ次の段階に進ませてくれ」

「………泣かせたら承知しないからな」


不承不承兄は頷いていた。そもそも次の段階がよくわからないので、私は首をかしげる。

次の段階とは、なんだろう。

二人でデートをしてもいいということだろうか?


「あの、次の段階というのは…?」

「いいか、紗良。こいつが襲ってきたり迫ってきたりしたら叫ぶんだぞ、暴れなさい」

「お前は何を言って…!」

「まあ、高臣さんはそんな乱暴なことしませんよ、ね?」


どういう状況で私を襲ったり、迫ったり、ということになるのかはわからないが絶対にないだろうと言えば、兄は怪しげな笑みをこぼし、高臣さんはがっくりと肩を落としていた。


「デート位なら赦してやるが、キスは高校を卒業してからだ」

「あ、あの…、そんな。お兄様ったら…!」

「どれだけ束縛するんだお前は…」

「キスなんてしたら、子供ができてしまいます…!」


かあ、と赤くなった頬を両手で押さえてそう叫べば、兄と高臣さんが同時にピタリと動作を止めた。

そして、高臣さんはこめかみを抑えながら、兄はにやにやと笑いながら、私に詰め寄る。


「手とり足とり教えてやるからまずは保健の教科書を持ってきなさい」

「そうだな、いい子だな紗良は。キスは結婚式まで取っておけよ」


どちらをとっていいのかわからずに右往左往していたら、一部始終を除いていたらしい父に兄と高臣さんは怒られてしまった。

申し訳なく思いながら、それでも私は幸せだった。

想いを返してもらえることはなんて幸せなことなのだろう、と思いながら緩む口元を抑えるすべを知らず、まだ高鳴っている胸を両手で押さえた。

この幸せが長く続きますように、と願いながら。







***

このあと、めちゃくちゃ保健の勉強させられた。(もちろん、教科書で)



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