ep.7 村を訪ねた憂鬱の王女
アリサ様は、自分を助けてくれる賢者様を探しておられました。
今まで自分が一人で頑張ってきたお仕事を、手伝ってくれる人が欲しかったのです。
賢者様の家に行くと、御留守のようでした。
仕方なしに帰ろうとすると、なんと不思議な妖精がやってきて、案内してくれると言うのです。
このことに、アリサ様は運命を感じました。
妖精についていくと、川がありました。
そこでは一人の男の子が、釣りをしていました。
「呼ぼうか?」と妖精は言いました。
けれど、アリサ王女は首を振って、「賢者様が楽しんで居られるのを、どうしてわたしの都合で邪魔できようか」と答えました。
妖精は小さく笑ってどこかへ消えていきました。
しばらく経つと、男の子が釣を終えてアリサ様の方へとやってきます。
「ずっと待っていてくれたのか」
なんと、賢者様は気づいていたのです。
気づいたうえで、アリサ様を試していたのです。
「あなたの時間を、わたしの都合で邪魔できません」
アリサ様はそう言って、それはそれは美しい笑顔でほほえみました。
賢者様は目を丸くして言いました。
「そこまでしてこのような若輩を使いたいというのであれば、いくらでも役に立ちましょう」
この日、アリサ様にはとても強い味方が出来ました。
童話 ありささま より抜粋
村長の地図を使い、アリサとグリアッドは徒歩で夜獣の森を歩いていた。
この森は馬で行くには悪路が多く、森へと入る時に馬は断念して村に預けてきた。
「それにしても、なんで村の中に住んで居ないんだろう?」
「分からないわ。もう、謎だらけよこの村」
嘆息するアリサ。村を囲む壁に空いていた穴は、矢掛けと言って弓矢を通すための穴だそうだ。自分たちは怪我をせず、相手を攻撃する手段として重宝されているらしい。
何故そんな簡単なことに気付かなかったのだろう、と思うと同時に、その「誰でも気づきそうなこと」を為し得る賢者にさらなる興味が湧いた。
もしかすると、やはり本物なのかも知れない、と。
あの村長は、どんな方向性であろうと計り知れない知性が感じられた。その男をもってして、足元にも及ばない。……だとすれば、十中八九、本物なのだろう。
「楽しみだわ」
「村長に会ってから何か変わったねあ~ちゃん」
「あんな傑物に保証された人材よ? 欲しいに決まっているじゃない」
鼻歌さえ歌い出しそうな彼女に、内心ため息を吐くグリアッドだった。もし見込み違いだったらどうするつもりだろうと。
「……! 下がれあーちゃん!」
「ふぇ!?」
ばっとアリサの前へ出るグリアッド。敵の気配に短剣を抜く。
どこに居る。どこに!
周囲を警戒していたグリアッドだったが、何の事はない。いつの間にか彼は、喉元に大斧を突きつけられていた。
「……な!?」
「……何モンだ? おめーら」
視線を正面に向ければ、アリサよりも一回り小さい少女が、グリアッドを睨み据えていたのだから。
(いつから居たんだこの幼女は……!)
この殺気、クサカと比べればまだマシだが、それでもグリアッドが浴びた事のあるソレの中でも段違いの気迫を放っていた。
燃えるような赤い髪。鋭く細められた、蒼の瞳。一目見るなら可憐なだけの少女に、気圧されている自分に驚いた。
「……え、と?」
混乱しているのはアリサだった。目の前の展開が分からない。
だが、声を漏らしたアリサに、その少女は目を向ける。
「……こっちにはあたしとリューキの家しかねー。何の用だよ」
「え、えぇ。そのリューキって人に会いに来たのよ」
「……リューキに?」
少女が首を傾げた途端の事だった。
大斧から首を反らしたグリアッドが、短剣を抜いて大斧を弾く。
してやった、とほくそ笑むグリアッドには、次の瞬間脳天から大斧の柄が振り下ろされていた。
「がっ!?」
「……立場弁えろばーか」
そのまま、グリアッドは倒れ込む。まさかこんな年端もいかない少女の一撃で気絶するとは思っていなかったアリサは目を剥くも、倒れた彼の首根っこを引っ掴んだ少女から視線を離すことが出来なかった。
「……あ~あ、やっちった。まあいーか。リューキに用があんだって? 変なことしてみろ、こーなる」
「わ、分かったわ」
憮然とした表情で、気絶したグリアッドをつまみ上げる少女。
アリサが仕方なしに頷くと、少女は着いて来いとでも言いたげに大斧を担いで背を向けた。
「リューキは今家には居ねー。……ホントに何の用だよ」
歩き出した少女の隣に、アリサは慌てて追い付く。
横目でみた彼女の表情は、先ほどとは違ってそこまで険しいものではなくなっていた。
「私はアリサ。アリサ・ル・ドール・アッシア。この北アッシア地方の領主になったばかり。まずは貴女の名前を聞かせて?」
ずるずるとグリアッドを引き摺る少女に、問いかけた。
すると彼女は胡乱げな視線をアリサに向けて。それからしばらくその紅玉の瞳を覗き込むと、小さくため息を吐いた。
「なんだよ領主かよ……おめーの部下凹にしちまった。許せ」
「……ふふ、領主だと知ってもその態度なのね。私、そういうの好きよ」
「あたしはライカ。名字なんて大そうなもんはねー。十二歳の女の子だ」
「……そう。ライカ、貴女リューキと住んで居るの?」
「そーだよ。……ほら、ここが家だ」
ライカとともに歩いて少し。割と大き目のログハウスが目に入った。
彼女は慣れた手つきで扉を開くと、別の(・)部屋へと移ってグリアッドを投げ捨てたのち、リビングへと戻ってきた。
「座れよ、お茶くらい出してやる」
「……え~っと、グリアッドは?」
「おめーの部下? ベッドに投げといた。気絶してるだけだが、半日は寝てるだろーよ」
「そ、そう……」
目の前の破天荒な少女に、着いていけないアリサ。勧められた椅子に腰かけ、ログハウスのリビングを見渡す。
「思ったより、広いのね」
「リューキが改造してくれたからな。二人で住む分には快適だ!」
先ほどまでの憮然とした表情はどこへやら。リューキの自慢になった途端、笑顔で応対してくれるライカ。淹れてくれたお茶は、村長のところでいただいたものとは比べるべくもないが、不思議ととても美味しく感じた。
「リューキって、凄いの?」
「すげーに決まってる。あたしが一人で躍起になってた時に、策略だけで五十の盗賊を追い払ったんだ!」
「……へぇ」
おそらく、それは彼女の誇張が入っている、とアリサは睨んだ。何故なら、彼女の実力がどう考えても普通の少女のモノではないから。いくらなんでも義賊として修羅場を潜りぬけてきたグリアッドを容易く叩き潰すような童女が居るのはおかしい。
リューキのことも気になるが、アリサは目の前の少女のことも気になり始めていた。
彼女の強さの秘密に、王宮育ちで博学のアリサは一つ心当たりがあった。
もし、本当にそう(・・)だとしたら、彼女としてはこの少女も引き抜きたい。
「貴女も凄いわよね。どうしてあんなに強いの?」
「……おめー、性質悪いな」
首を傾げたアリサを、ライカはジト目で見つめた。その瞳には、「だいたい分かってて聞いてるだろ」という憮然としたものが含まれている。
「……言いたくないならいいわよ。今日は、リューキに会いにきただけ」
「……リューキと何の話をする気だ?」
「さあ? 貴女が教えてくれるなら、私も教えるわ」
「やっぱ性質わりーよおめー」
嘆息したライカは、しばし考えて。それから、口を開いた。
「お察しのとーり、あたしは魔剣使いだ。この大斧は、魔剣だよ」
「……やっぱり、か。魔剣使いと、噂になるような賢者が一緒に居るなんてね。どんな人外魔境よここ」
ライカが淹れたお茶をもう一口すする。
少し温くはなっていたが、それでも美味しい。……よくよく考えてみれば、お茶なんてものを庶民が持っている時点でこの村はおかしいのだ。
それを、村人はこぞって「リューキのおかげだ」と誉めそやす。
「……ますます、リューキに興味が出てきたわ」
「あー、そゆことかおめー」
「ん?」
対面に腰かけたライカが、納得いった表情でアリサをみつめていた。
「あれだろ。リューキの引き抜きだろ」
「正解。なんでこの村の人たちはこんなに頭が回るのかしら」
「村長にでも会ってきたか?」
「ご名答」
いつの間にか、アリサは目の前の少女と交わす会話が楽しくなってきていた。
久しく、歳の近い同性と会話することなど無かった自分。内容はどうあれ、おしゃべりすること自体が楽しかった。
「リューキは、留守?」
「アイツたまにふらーっと居なくなるからな。でも夜までには絶対戻ってくるな。死ぬし」
「ああ、夜獣の森の内部だったわねそういえば……」
なんでそんなところに住んでるんだ、とも言いたくなったが、気にしたら負けのように感じた。
「わりーけど、夜まで待つは却下だ。そーなったらおめーら泊めることになるし。今日は帰れ。明日来るならリューキ引き留めとくからよ」
「あら、意外と引き抜きに前向き?」
「あたしは、リューキについてくだけだ」
「ふ~ん……リューキを引き抜けば、もれなく魔剣使いもついてくる、と。良いコト聞いたわ」
くすくす笑うアリサに、ライカは額に青筋を浮かべた。
その視線は、アリサの顔の下に向いている。
「おめー、その無駄な脂肪でリューキ誘惑しやがったら殺す」
「わ、分かってるわよ。というか無駄な脂肪って言うな! 私だって気にしてるのよ!」「あ!? そりゃあたしへの当てつけか!?」
「むしろ羨ましいわよ!」
「よし殺そう」
「待って待って待って!」
大斧を持ち出したライカの目が虚ろだった。
冷や汗を流しながら、アリサは慌ててライカを宥める。
と、我に返ったライカはため息を吐いた。
「ま、いーや。半日バカくれーは預かってやっから、おめーは村にでも泊まれ。んで、明日来い」
「……妥当ね。でも、貴女と話すのも楽しかったわ」
「う、うるせー! 早く帰れかっ飛ばすぞ」
「冗談になってないわよソレ」
苦笑どころか苦虫を噛み潰したような表情になったアリサは、小さくため息を吐いてから手を振って、ライカの家を後にした。
後ろ手で扉を閉めたところで、再度ため息。
結局、今日中にリューキに会うことは叶わなかった。
数日城を空けても、ガイアスとクサカが居ればなんとかなるだろう。
そう考え、アリサは一つ頷いた。
リューキにとりあえず会おう、と。
時間はそろそろ夕方に差しかかろうかと言うところ。まだ、夜まで時間はある。
「……護衛とか居ないけど、帰りくらい大丈夫よね」
「護衛ならここに居りますが」
「うわ!?」
突然近くの木が揺れたかと思えば、黒装束の少女が降ってきた。
「あ、アンタまた!? え!? いつから居たのよ!?」
「さきほどから、村長の命で貴女の護衛を」
「……何よこの村」
嘆息するアリサを、黒髪の少女は首を傾げて見つめる。
アメジストのような色をした瞳が、アリサをじっととらえていた。
「リューキ様を発見しました。お会いになっていかれますか?」
「え? 探してたの?」
「はい。ミーはNINJAですので。造作もないことです」
「にんじゃ?」
「いえ、NINJAです。リューキ様の教育のもと完成された、リューキ様のための完璧なる隠密、NINJAです」
「そ、そう……もうなんでもありなのねこの村」
NINJAが一体なんなのかは分からなかったが、とりあえず納得しておくことにした。
そうしないと、これ以上ついていけない気がしていた。
「じゃあ、案内してくれる?」
「はい、こちらです」
さっと、黒装束の少女は背を向けた。
腰元に赤く細い帯があり、そこに細い剣のようなモノを差している。
それにしてもボディラインがくっきり浮でる服装だ。よくそんなものを着て歩けるものだと感心する。
「疲れてないですか?」
「ええ、気にしないで」
時折、振り返ってこちらを確認してくれるのはありがたい。歩いているだけだと言うのに、彼女は異常に早いのだ。それに、足音一つしない。
「NINJAですので」
「心も読めるのか……」
がっくりと肩を落とすアリサだった。
「こちらです」
「ありがとう……あれか」
滝が近くで大きな音を立てている、下流の川。石積の河原に、一人の少年が座っていた。
胡坐をかいて、川へと向いている。何をしているのかと思い、少し興味が湧いた。
「御呼びいたしますか?」
「いいわ。何かをしているのなら、私の用なんて後でいい」
「? さようで。では、周囲の警戒をしています」
「お願いするわ」
「御意に」
煙のように消え去ったが、もう何をされても驚かない。
この一日で、アリサには妙な耐性ができていた。
黒髪を首元まで伸ばした、軽装の少年に目を向ける。
あれがきっと、少年賢者と呼ばれるリューキその人なのだろう。
「……やっぱり川の流れを引くのは無理か……?」
ぶつぶつと、何かを呟いているようだった。
言葉が聞こえない以上、アリサの視線は彼の持っている長い棒状のモノに集まる。
(あれは……棒、よね? あれを川の方に伸ばして……先端にあるのは……糸? 違う、蔓だ。もしかして、釣り? にしては随分とお粗末なものを使っているけど……)
「……というより、製作者の俺でも釣れないのに皆が釣れるはずもないか……いやでも井戸があればあの村は完璧なまでに要塞になる。水樹の植林は失敗したし……」
もしあのお粗末な棒が釣竿なのだとすれば……この光景は、どこかで見た事がある。
――釣りをする賢者を待つのが名君の所業
アリサはそれを聞いたことがあった。ならば私は名君になろう。
そう、思った。
それからしばらくの時が経った。
相変わらず、蔓付の棒を持った手は微動だにしないし、独り言の類も全くとどまらない。
「水源が村の中にあるってのはどう考えても必須条件だ。地下水脈を当てるような知識は俺にはないし、やっぱりここから引っ張るのが一番いいんだが……地下?」
次の瞬間、ばっと少年が立ち上がった。
「そうか、水樹の水分も下に流れるんだから、そこから地下を伝って水を引っ張ればいいんだ! うっは、早く気付けよ俺!」
そう言うが早いか、棒状のものを川に投げ捨てた。
「釣り知識が無いのになんで釣りしようとしてんだ俺、馬鹿か。姜子牙のマネか。ああもう、さっさと帰ろう。ライカに話したら何とかなるかも。…………え? キミは?」
一人で暴走していた少年が、アリサに気付いたのはその時だった。
水源を村の中に確保するのは、目下の最優先事項だった。
何故って、要塞化したあの村に欠点があるとすれば、水だからだ。
外に確保しに行くしか、現状での水分調達の方法は無い。
一番近くの川に行くにも、朝に出かけたら帰りは昼になってしまう。俺の体感時間で言えば、往復で二時間はかかっている。
これはもし、夜獣の森外部に包囲網を張られた時に手痛い打撃を喰らう元となる。……いや、この村どれだけ恨み買うつもりなんだ、ってなるけど、俺の目標は無敵要塞だからな。一応、現行技術と材料だけで出来得る限りは最強にしてみたい。
日本でやっていた歴史シュミレーションゲームも兵力より内政に力入れる方だったし、何よりこの世界は物の育ちが早くて助かる。
何故なのか考えてみたけれど、生物学に詳しくない俺では正直無謀にもほどがあったので放置。もしそっちに強い知り合いが出来たら聞いてみよう。
閑話休題。
とにかく、あの村はかなり強化したはず。わざわざ土の壁をライカの炎で焼いてコーティングしたから防壁は堅固だし、矢掛けだって作った。
火矢の類も防げるよう、畑などは内部にしたし、家も防火加工はばっちり。
防壁を上ってくるバカ用に、連挺まで作ったのは少々やりすぎた気もするけど。
連挺っていうのは、古代中国の守城兵器の一つだ。持ち手と接敵部分がロープで繋がってて、接敵部分は釘バットみたいになってるから、鞭みたいな要領で相手を叩き潰せる。
鞭の先端に釘バット装着的な凶悪な武器だ。
死角がないから性質悪いよ? 上る側はどうしたって両手塞がるし。
まあ、それはともかく水源だ。
村を夜獣の森外部から囲まれた可能性を考えてみると、水を取りに出たところを襲撃された時点で詰み。……そんな張りぼての最強(笑)要塞なんて死んでも御免だ。
ってことで色々考えているのだけれど……。
釣りって言うのは、物事に集中するのに最適だと聞いた。
なので、簡素な棒切れと蔓を組み合わせ、蔓の先端にそこらへんに居た虫公をぶっ刺してみたのだが……釣れない釣れない。
それでも、確かに河原にあぐらをかいてぼうっとするのは確かに集中できる状態だった。
おかげで、一つ策が思いついたのだから。
水樹だ。わざわざこの川から水を引かなくても、水樹の根から地下水を作ればいい。それなら斜面の角度的にも何の問題もないし、竹に似た植物もあったから水路の準備は万端だ。……毎回、焼き固めにライカの炎を使うのは申し訳なく思っているが。
よし、決まり。さらばだ釣竿(笑)!
ポイ、と河原に棒切れ+蔓(もはや釣竿などおこがましくて呼称できない)を投げ捨てて、立ち上がった。
いてて……割と石の上って痛くなるな。
「釣り知識が無いのになんで釣りしようとしてんだ俺、馬鹿か。姜子牙のマネか。ああもう、さっさと帰ろう。ライカに話したら何とかなるかも」
と、振り返ったところで俺の動きが止まった。
森と河原の境目に、一人佇んでいたのは少女のようだった。水精のような、幻想的な美しさを持つ少女。年の頃は、俺より少し年下だろうか。
夕日に映える銀髪は、ボブカット……だったか? ふんわりと纏められている。
俺を射抜く紅玉の瞳は、どこか不可思議な魅力を感じる。
美しくも可愛らしい、そんな少女だった。
……どこかで見た事あるのを除けば。このデジャヴはいったいなんだろう。
つい一年ほど前にも、こんな状況があった気がする。
「……え? キミは?」
「貴方に用があったのよ」
小さく笑う少女。そのしぐさも上品で、正直見とれてしまっていた。
……待て。用があってそこに居た? まさか、一連の奇行を見られていたのか?
待て、動じるな。落ち着け。
こういう急転の事態にこそ、落ち着いて対処するのが、俺の目指す目標だ。
「……俺に? 話しかけてくれれば良かったのに」
「あら? 自分が欲しいと思う人材に礼を尽くすのは人として当然じゃない?」
「……どこの文王だ」
思わず、呟いた。
その昔、殷周易姓革命で活躍した軍師、太公望。彼が周に協力した理由の一つとして、周の文王の人となりを認めた、というところがある。
太公望が釣りを楽しんでいたところを、文王は邪魔することなく静かに待ち続けた。
それこそ、陽がくれるまでずっと。
この状況は、その逸話と似通い過ぎていた。
それにしても、欲しい? 俺を?
……もしかして、スカウト?
困惑する俺を余所に、少女は自身の胸に手をあて、瞳を閉じて優しげに名乗る。
その涼やかな音は、まるで歌声のようで――
「私はアリサ・ル・ドール・アッシア。北アッシア地方の領主になったばかり」
「アリサ? ……え? ル・ドール・アッシア?」
「? え、えぇ。どうかしたの?」
「ああいや、なんでも」
――つい、ボロを出した。
っとと。腑抜けた時に声を出すなよ俺。バカか。
ともかく、アリサという名前でヒットしたのは一人の少女。
その少女は、容姿も名前も目の前の彼女とかなり酷似している。
誰かと言えば……魔剣戦記で一番苦戦した敵国の大将、アリサ・エル・アリアノーズ。
そして逆に混迷を深くしているのは、それが酷似しているだけ、ということ。
そっくりそのまま同じであれば、ライカという例がある。そういうものだと受け止められた。だが今回はそうではない。彼女のミドルネーム以降は、俺が知っているものと違っていた。
と、思考の海に沈んでいた俺に、アリサの訝しげな視線が向く。
……思えば失礼すぎるだろ俺。名乗っても居ないじゃん。
「っと失礼。俺は竜基。南雲竜基だ。この近くの村で世話になってる」
「リューキね。よろしく」
軽く握手を交わす。
その手はしなやかでありながらも、硬かった。おそらく、鍛練と筆の跡。どれほどの研鑽を積んだかなど、その道のプロでない俺には分からないが。
それでも、彼女の手からは何かを感じた。
一年前くらいに、この近くで感じたものと、同じだ。
確か、そう……
覚悟、だ。