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魔剣戦記~異界の軍師乱世を行く~  作者: 藍藤 唯
日ノ本ノ国、この世界
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ep.76 共通ルート ヒナゲシ #2






「昔話を、してもいいかな?」


 夕暮れ時の、静かな墓所で。竜基とヒナゲシはたった二人、丘の上に向き合っていた。斜陽の陰りに半身を窶して、彼女の姿は黒と赤のコントラストに包まれてよけいに魅力的に見えた。


 沈黙を肯定と受け取ったのか。

 柔らかな表情を崩さないまま、ヒナゲシはとうとうと語り始めた。

 そっと撫でた冷たい墓石に彫り込まれた名を視界に入れて、彼女の瞳は優しげな光を帯びる。


「僕には記憶が無い。いつからか、って聞かれると、だいたい二年半ほど前くらいからなんだ」

「二年……半」


 竜基と出会ってから、一年と数ヶ月。

 残りの時間は、あの夜獣の森の戦い以前のものなのだろう。だとすれば、昔話とはその頃のことだろうか。彼女が今何を考えているのか、竜基には分からない。けれどもその瞳はじっと彼女を見つめていた。


「初めの頃は、本当に訳が分からなくてさ。僕はお爺さんとお婆さんの二人に拾われたんだ。良い人たちだったよ。記憶が無い、なんて現実味の無いことを信じてくれて、優しくしてくれた。けど……ぜんぜん食べるものが無くて。どうしようかと思っていたんだけど、そういう意味では良かったのかもしれないね。……突然、拉致されたんだ」

「……拉致?」

「そ。気が付いたら僕はサイエン地方の領主直轄の街に居た。というか、その後ろにあった兵舎だね。サイエン領主レザム卿の私兵。愛着なんてなかったし逃げようかとも思ったんだけど……逃げたところで行き場もないし……そこで、この人に出会った」


 この人。

 それが誰を指すのかは、竜基にも分かった。

 彼女の触れていた墓石に刻まれていた名は、ギース。ヒナゲシの義父とも言える、サイエン兵のリーダー的存在。

 竜基の策で蹂躙されたうちの、一人。


「ギースさんに、色々教えられたんだ。馬の乗り方とか、弓の扱いとか……食べられるものと食べられないもの……とか。分からないことだらけだったけど、それでも何とか、今まで生きてこられた気がする」


 そっと、愛おしげに墓石を撫でるヒナゲシ。彼女の胸中は知れず、さりとて声をかけるのもはばかられた。

 竜基は、ギースという人間と声を交わした記憶は無い。どのような状況で散っていったかすら知らない。


「だからさ、あの森での出来事があった時に、僕はまた全てを失ったんだ」

「……」


 困ったような笑顔。そんな話と一緒に、そんな顔をしないでくれ。

 そう思っても、声は出ない。ヒナゲシの表情は変わらず複雑だが、竜基の方はそうもいかなかった。全てを失わせた原因は、今彼女の目の前に居るのだから。


 一瞬、言葉が途切れて。


 ヒナゲシをみれば、まっすぐに竜基の瞳を射抜いていた。しかし、その奥に宿る意思は間違いなく親の仇に向けるものなどではなかった。

 優しく、穏やかで。


 まるで、先ほどまで横の墓石の主に向けていたような、そんな色。


「目が覚めて、全てを思い出して。僕は本当に胸が張り裂けそうだった。これが現実だなんて思いたくなかった。夢だから早く醒めてくれって、ひたすら願った。……けど、やっぱり起きたことは本当で。それで、僕だけが生き残った」


 掴み取った手、掴み取られた手。

 竜基もあの時の感触は、焦臭は、熱気は、今でもずっと覚えている。

 忘れられようものか。あの時が一番、何も理解せずただの一少年として、その身に余る暴力を振るった覚えがあるのだから。

 あとのことを考える余裕もなく、おだてられて、結果として多くの命を奪った。押し寄せた後悔は、尋常ではなかった。


「でも、僕は生きられて良かったと思ってる。無我夢中であの時差し伸べてくれた手を掴んで、良かったって。だってそれは、きみがくれた命だから」

「……ヒナゲシ」

「あの時、ただ何も分からずに、赤ん坊の悲鳴みたいにそこら中に当たり散らしたことも僕は覚えてる。あの王女サマにも酷いことを言ったし……何よりきみに、竜基に、僕は思いの全部をぶつけたんだ」


 後悔の記憶は誰にでも。

 けれど彼女のそれは受動的なもので、彼女が悪い訳ではない。だというのにも拘わらず彼女はそれを悔い、どこか申し訳なさそうに竜基をみる。

 しかし違う。竜基には、許すも許さないもなかったはずなのだ。

 自分がやったことに対する業として、今まで受け取ってきた。だから彼女に謝られても、ずっと否定してきた。


「……竜基は、自分がやったことの結果だから、あの時のことは謝らないで欲しいっていつも言うけど。それでも僕は申し訳ないと思ってる。だって、あの時竜基は誰かのせいにして、僕の感情の矛先を背けることだってできたはずだから」

「……」

「それをしないで一身に受け止めてくれた。だから僕は今もこうして真っ当に生きていられる。そうじゃなかったらきっと、復讐することしか考えられない、悲しいことになっていたと思うから」


 ヒナゲシの言葉に、竜基は口を開くのを躊躇った。


 自分が受け止めるのは当然のことで、それをしなかったのも当たり前だ。なんていう風に返すのは、違うと分かったからだった。


「それで、僕はあの時からお城で手伝いをすることになって。難しいことも色々あったけど、それでも竜基に色々教えて貰えた。囲碁も、また久々にやりたいな。思い出すと、楽しかったことがあふれだしてくる」


 本当に嬉しそうに、彼女は笑う。はにかんで、どこか照れくさそうに。あれだけのことがあったのに、彼女は昔を思い出しても竜基に悪感情を抱くことはない。それがどうしてなのか、頭では理解できても心では納得できなかった。


 受け止めてくれたから、支えてくれたから。


 そう言われたところで、竜基が彼女の仲間を、同族を、義父を殺めたことに変わりはない。その前提条件が覆らない限り、竜基はヒナゲシに感謝される義理はない。


 そして覆ることは、無い。


 竜基が背負うべき咎。代償は重く。


 なのにヒナゲシが言葉を重ねる度に、それは違うのではないかと思ってしまう。


 何故だろう。それは、何でなのだろう。分からないのに、分かりたくない。


 自分が背負っていた重みが無くなってしまったら、今まで償いの思いで行ってきたことが無駄になってしまうから。


「竜基が居たから、あの時から僕は僕で居られた。記憶が無くて、身寄りがなくても、それでも僕は生きて来られた。活きて来られた。それはきみが居てくれたからなんだ」


「……それは」


 思わず、とうとう声が出た。絞り出すようなそのか細い呟きに、ヒナゲシは当然気付く。けれど竜基の表情を見て、小さく笑うと手で制した。


「竜基の言いたいことくらい、僕だって分かってるってば。けど、今は僕の話を聞いてくれたっていいだろ? たまには、語らせてよ。珍しいんだぞ? 僕がこんなにしゃべるのは」


 何故だかとても楽しそうに、竜基の言葉を一蹴するヒナゲシ。だが言葉の遮断に悪意はなく、それでいてどこか彼を思うような、そんな。


 竜基が彼女を知る以上に、彼女は竜基を知っていた。


 竜基が言いたいことが分かった上で、彼女はそれでも微笑んだまま。


 全部が全部自分がしたくてやった偽善だ、そんな竜基の思いを分かった上で何故彼女は笑っていられるのだろう。


 その答えは、竜基自身には出せないまま。


「僕が記憶を失ったっていうこと。それを知った時にも、僕の為に動いてくれた。……あの時も僕は感情に流されて、酷いことを言ったと思う。あはは……だめだめだな、僕は」


 おどけたような彼女の自嘲。

 ヒナゲシが自分のことを卑下するなど、竜基の前でしたことが今まであっただろうか。


 一度小さく俯いて、小さく手を握った彼女。

 斜陽を受けた彼女の、どこか影のある表情は綺麗で。

 竜基は思わず息を飲んだ。


「けどね」


 にっこりと、ヒナゲシは竜基を見やる。

 先ほどまでの自嘲はなく、純粋に嬉しそうに、そして楽しそうに。


「あの時、なんだ。やっぱり」


 あの時。ヒナゲシの言葉が指し示すのはきっと、バルコニーで二人思いを交わした、ある秋の一日。


 ヒナゲシを記憶喪失だと知り、もしかしたらと竜基が言葉を投げた、あの日。


「あの、時?」


「そう、あの時。あの時が、僕にとっては決定的だったんだ。……大事な、ひなげしっていう名前を貰った、あの時が」


 両手を握り、胸に抱いて。


 そこに負の感情は無い。竜基の目にもそう言い切れるような何かがあった。だが、何故なのだろう。


 普段仕事をしている時や、まじめにならなくていい時は気にならないかもしれない。けれど今こうして面と向かって過去の話をしているはずなのに、何故彼女に一切合切怒りや悲しみの思いが無いのか。


 竜基の胸中をぐるぐると思いが渦巻いて、しかしその一つとして表に出すことはできない。ヒナゲシの口にした言葉と矛盾した竜基の思い、感情、常識。


「僕はあの時からヒナゲシで、あの時からきっと――」


 そこで初めて、ヒナゲシは言葉を出すのを躊躇った。

 どこか寂しそうに首を振り、乾いたのか唇を少し舌で触れて。


「竜基はあの時も、その前も、そして今も、僕の為に何かをしてくれてる。その全部を、その時その時に気付く訳じゃないけど、僕が気付いた時にはしれっと助けてくれているんだ。それは……竜基が思っているような感情から生まれたものじゃないんだ」


「……え?」


「贖罪でも、償いでもないよ。竜基が僕に色々してくれるのは、きっとそんなものじゃない。そんなものじゃないんだ。だって、ライカや王女サマにも、同じことをしてるんだもの」


 たおやかに、優しく。

 彼女の言葉は、流れるような思いとは裏腹に刺激となって竜基の耳へと滑り込む。竜基の思うような、償いではなく、贖罪でもなく。


 ただただ単純に、竜基は。


「優しいんだ。きみは。償いなんて、考えなくていい。ただきみは優しくて、そういうところが、きっとみんな大事なんだ。竜基が壊れてしまわないように、崩れないように、そうするのが、僕の役目なんだ。……だから、償いなんて考えないで、前を向いて進んで欲しいんだ」


「そんなこと言ったって……俺は背負わなきゃいけないものがあって……だから……俺は……!」


「潰されたくないんだ。竜基を。もしそれでも背負わなきゃいけないものがあるなら。もし、そんなものがあるのなら、竜基」


 慈愛。

 そんな言葉がはまるような、彼女の表情は柔らかで。


「一緒に、背負わせてよ。もし、僕にまだ償い切れないと、竜基がもしそう言うのなら――」


 す、とギースの墓石の前から、風のようにヒナゲシは場所を離れた。


 どこに行くのかなんて、そんなことを考えるまでもない。


 だって彼女はいつの間にか竜基の目の前に居て、そして一瞬で視界から消えて、


 柔らかな温もりが体を包んで。


 ああ、抱き締められているんだって。


「――赦す。僕は、きみのすべてを」


「……ぁ」



 耳元で囁かれた言葉は小さくとも優しく。

 ふわりとした香りと共に舞い込んだその心は体中を駆け巡って。


 じわりと芯から暖まった感情は、そのまま行き場を失って。


 滲んだ視界は、きっとそのせいで。


「……ぉ、俺、は……」


「もし、きみの背中に背負っていたものが、これで無くなるのなら。失うと言うなら。代わりに手を握るから。僕が、隣に居るから」


 震える声で言葉を紡ごうと、開いた口は途中で遮られて。全部が全部、彼女の中に答えはあって。


 もしかしたらそうかもしれないと思っていた。


 訳が分からない彼女の言葉の羅列の全て。理解しようとも納得できない思いの全て。それはきっと、積み上げてきた思考の最下層が、そもそも条件を違えていたのだと。


 温かな思いと、清らかな願い。


 彼女の思いは、彼女の願いは、瞳の奥の意思は。


 その全ては最初から、きっと竜基と違っていて。


「……俺はきっと……これからも」


「きみが、優しい世界の為にやることなら」


「何度も何度も……どの国の人も」


「それでも思いは貫くでしょう?」


「……けど……俺は……」


「その先に見えるから、大丈夫」


「……お、れは……」




「僕は赦すよ、あの時のこと」




 一際強く腕に抱かれて。


 囁く言葉は永らく胸中を縛り付けていた鎖を解き放ち。


 その反動は、声に、瞳に。




 ああ、自分は彼女に、最初から。



 赦されて、いたのだと。













 慟哭が響いたその後の、日が落ちてしまった丘の上。


 そっと離れた二つの影は、互いにしばらく動かぬままだった。


「昔話をする、って言ったよね?」


 片方の影がそう笑う。


「あ、ああ」


 もう片方も、頷いて。


「だから、ここまでが昔話。これからするのは、未来の話」


 楽しげに、嬉しげに。


「未来?」


 問いかける声は訝しげ。声色は嗄れても穏やかで。


「そう、未来。これから色々、苦難はたくさんあると思うけど。もしその全部が終わったら、僕には一つ夢があるんだ」


 楽しげな声は恥ずかしげ。嬉しげな声は照れくさげ。


「それはちょっと聞きたいな。もし俺が聞いて、よければだけど」


 もう片方は優しくて。ますます片方は顔赤く。


 それでも勇気を振り絞り、覚悟を決めて、少女は言う。


「けっこ――」






「りゅうううううううきいいいいいいいい!!」





 割って入るような叫び声。幼く拙く荒々しく、童女の声にもう片方は振り向いて。


 当然片方の声は聞こえず、しかしもう一度繰り返す勇気はなく。


「――しよっか……って、言ったのに」


「ごめん、もう一度」


「言えるかあああああああああああああああああああああ!!」






 その方面では、赦されず。


 それからしばらく赦されず。

 

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