ep.73 しゅらばらばらばら
生きるというのは、わからないものです。村でずっと縮こまって生きていたわたしが、今は大将軍様の義妹として王城に入ることができる。
この国を変えた、エル・アリアノーズのお姫様に、名前を覚えてもらえた。そして、お義兄ちゃん……なんだか呼ぶのは恥ずかしいけど、お義兄ちゃんと文武で双璧を為すリューキ様にもお会いすることができて。あの城には、わたしなんかが足下にも及ばない人たちでいっぱいです。
ですから、がんばります。わたしも、お父さんと同じように義に生きる為に。
シオンの手記
シオンはその日、一日をガイアスの部屋で過ごした。部屋と言ってもかなり広く、大将軍が城での生活をするに困らない規模だ。
だからこそ彼女一人が一日居る分には何の問題もなかったのだが、逆にそれがとても彼女を不安にさせた。
「こ、これが一人分の部屋……?」
普段屋根裏で過ごしていたシオンにとって、この部屋は広すぎたのである。
ガイアスが、「ちょっと言い訳してくる!」と胸を張ってずんずんとどこかに向かってしまってからしばらく、彼女はここに一人。
部屋を出ようと彼は文句を言うことはないだろうが、むしろ自分がこの大きな城で迷子にならない保証がどこにもなかった。
しばらくの間、部屋中をうろうろして落ち着きもなくさまよい歩いていたシオン。ぺたぺたとことことしばらく周回していたが、彼女はそこでふと気づいた。
ここは確かに大将軍の部屋であり、だから広い。ガイアスはかなり偉いヒトだということはわかる。
だが冷静に考えると、ここにはもっと偉いヒトが居るのだ。
王城だということをすっかり忘れてしまっていた。
「ど、どうしよう。ガイ……お、お義兄ちゃんを呼びにきた偉い人が、わたしが居ること知らなくて、泥棒とかだと思われたらどうしよう」
あわわ。
シオンは食堂で働いていた少女である。
あの村は道の途中にあったこともあり、様々な旅の客が居た。とすれば、噂もよく耳にするもので、王城にどんな人間がそろっているか、だいたいとは言えわかっていた。
当然ながら、救国の意志固く「豊かで優しい国を作る」と死力を尽くしてエル・アリアノーズを建国したアリサ王女。
そのアリサ王女の一番槍である最強格の魔剣使い、大将軍ガイアス。
さらに、そのガイアスと文武で双璧を為す内政官兼筆頭軍師、リューキ。
「……アリサ王女様はすっごい綺麗な人で、銀の髪で……そしたらきっと王女らしくって、わたしなんかが話しかけるのもだめな人だ」
「それで、リューキ様はお義兄ちゃんと双璧なんて呼ばれてるけど、お義兄ちゃんみたいに優しいのは絶対普通じゃないから、きっと、も、モノクルとかかけて睨んでくるすっごい怖い人だ」
どうしよう。
もしかしたら今自分を襲っている恐怖は、魔剣使いに遭遇した時かそれ以上ではないだろうか。
早く帰ってきてお義兄ちゃん。
そう願っても、彼は出かけてからしばらく戻ってくる気配はない。
誰か来て。心細い。
力なく、置いてあった中でも一番小さな椅子に腰掛けて、彼女はどうしようかと天井を仰いだ。
そして、天井に居た全身真っ黒の少女と目が合った。
「へっ?」
「ぇぁぅっ!?」
一瞬目を丸くした少女は、変な声を出して次の瞬間には消え去っていた。
……。
「え、いまのなに!? なんで天井に人が居たの!? え!? え!? えあうってなに!?」
シオンは首が振り切れる勢いで周囲を確認するも、もう少女の姿はどこにもない。
一瞬なにが起きたのかさっぱりわからなかったし、そもそも天井に平然と人が立っていたことも理解が不能だ。
「……え、お化け? 幻? わ、わたしやっぱり疲れてるのかな……」
慌てて目をこすって「気のせい気のせい」と念じても、やっぱり無理だ絶対何か居た。
本当にこの城大丈夫なのだろうか、そんなことを思いながらじっと待機していると、どこからか声が聞こえてくる。
そのうちの一つに聞き覚えがあり、義兄のものだと分かって少しほっとした。だが、それはつまり誰かしらを連れてこの場所に来ているということ。
緊張が体を包み、思わず立ち上がって直立不動の姿勢になる。
数瞬の後ち開いた扉から入ってきたのは、義兄ではなく……自分よりも五つは年上であろう、銀髪の少女だった。
……銀髪の、少女?
イヤな予感が脳随を貫く。しかしシオンが思考を結論に導くよりも早く、次に入ってきたのは黒髪の二人。
少年と少女。この二人は同い年くらいだろうか、先ほどの銀髪の少女よりも少し大人に見える。
そしてやっと、自分の知った顔が見えて少しだけほっとした。
「で、昨日は戻って来ることが出来なかったという訳だ!」
「いや誇れることじゃないから胸を張るな」
会話の途中だったらしく、わらわらと部屋に入ってきながらガイアスと黒髪の少年が言葉を交わしていた。
大将軍である義兄と対等に話をするあの少年が何者なのかも気になったが、目下は自分に近づいてくる銀髪の少女が問題だ。
「へぇ。この子がペレノアの?」
「ああ、義娘だったらしい。根性こそ足りないが、素質はあると思って連れてきた!」
「もうそれ拉致だよね。大丈夫なの?」
呆れたような口振りでジト目をガイアスに向けるは、黒髪の少女。サイドテールに結んだ髪と、冷静そうな顔つき。何者かは分からないが、この人も偉い人なのだろうと思うともう怖くて仕方がない。
今自分は、数日前までは想像もつかなかったような雲の上の人々と会っているのだと。
「がちがちに緊張しちゃってるけど、そんなに慌てなくていいから。ガイアスに事情は聞いてるし、大丈夫よ」
にこりと笑う、目の前の少女。どこか包容力があるそのほほえみに、自然と力が抜けていくのが分かる。なぜだろうか、とても強い安心感が、シオンの全身を巡っていくようで、
「シオン。その人がアリサ様だ」
「ひぅ!?」
「めちゃくちゃ怯えてるんだけど何吹き込んだの貴方」
心が穏やかになっていくと思ったらガイアスの一言で現実に引き戻された。目の前の彼女があのアリサ・エル・アリアノーズで、この国の頂点に君臨する人間だと思うと体がふるえて仕方がなかった。
おそれ多いとか、そんなレベルではない。
「シオンはどうやらアリサ様を神格化しているみたいでな。俺の時もそうだったんだが、王女やら大将軍やらという肩書きが怖いのかもしれん」
「いや、まあ確かにいきなり王女とか大将軍が目の前に現れるなんてことはなかなかないと思うが……」
少年のツッコミなど、シオンの耳には入っていなかった。
そんなことよりも、自分の至近距離でにこにこと顔を覗き込むアリサ王女に意識が向く。失礼をはたらいてはならないと、数年で培った接客意識のようなものが出てきてしまっていた。
「う~ん」
「な、なんでしょうか!」
しかしそれはシオンにとっては接客でも、店主が教え込んだ"隷属"のような扱いでもあった。教育されてしまった彼女の身体はまだ、その癖が抜けきっていないのだ。
「そんなに怖がらないでくれると嬉しいのだけど」
「その様子を見るとちょっと難しそうだな」
ふむ、と頷くのは先ほどの黒髪の少年。この四人の中にあって、一番どこか大人びた雰囲気を感じる。ガイアスより年下であろうと、対等に向き合っているこの少年は何者だろう。と思ったその時だった。
「緊張しているのなら、根性で和らげればいい! まずは自己紹介だ!」
「……いやまぁ根性除けばその通りだな、全く」
ガイアスが胸を張り、高らかに笑う。少年が呆れ、サイドテールの少女が「双方知ってるガイアスが紹介すれば早いと思うんだ僕」と額を抑えていた。
「じゃあ、私ね。私はアリサ。アリサ・エル・アリアノーズ。この国の王女をしているの。女王でもいいんだけど、なんとなーく王女です。よろしくね」
「は、はい!! し、シオン・ブリューナクです!!」
紫の二房を勢いよくさげて、シオンはアリサに応じた。どこかまだびくついている節はあるが、これは一朝一夕に直るものではないだろう。
若干の諦めを交えてアリサは苦笑すると、ちらりと後方の少年を振り返った。
「あ~……俺は竜基。南雲竜基だ。一応、この国の色んなことに首を突っ込ませてもらってる。よろしく頼むよ」
「なぐっ!?」
「……おいおい、俺まで怯えられてるパターンか? ガイアスお前本当に何を吹き込んだ」
シオンが目を丸くしてフリーズしてしまい、竜基は後頭部を搔きながらガイアスを睨む。だが当のガイアスも別に何もしていないからと肩を竦めるのみで、結局のところ解決策にはなっていなかった。
シオンはといえば、確かに多少大人びているとはいえまさか目の前の人物が"あの"ナグモ・リューキであると知って驚愕の一言である。
もっとも、シオンの知っている"ナグモ・リューキ"はだいぶ誇張が入ったものには違いないのだが。
「んじゃ、最後は僕か。僕はヒナゲシ。ヒナゲシ・シムラ。一応この男の副官をやってるよ。よろしくねシオン」
「あ、はい! よろしくお願いいたします!!」
「……僕にはまともってことを考えると、アリサとリューキはなんだか尾ひれ背びれのついた噂が広がっていると見て間違いないんだろうね」
「……噂の払拭っていうのは難しいよなぁ」
握手を求めたヒナゲシの手に、両手で応えるシオン。そんな彼女を見て、三人とも思ったことがあったのか。
他の村に行った時に悪い噂が広がっていやしないかと、一々確認することになりそうで辟易した。
「……噂っていえばさ、セイヴェルン領に出た盗賊の処理、しておいたよ」
「流石はヒナゲシ! 仕事が速いのは素晴らしいな!」
「……ま、褒められて悪い気はしないけどね?」
サイドポニーをさっと払って、ヒナゲシは若干頬を赤くして目を逸らした。
褒め殺しに弱いというか、どこか子供っぽいというか。
高らかに笑うガイアスと、どこか恥ずかしさを孕んだヒナゲシの表情に、シオンが勘違いをするのが……地獄の始まりだった。
「えっと、お義兄ちゃんとヒナゲシさんは、お付き合いを――」
ガイアスが、「はっはっは、ないない」と笑って流そうとしたその瞬間、空気ががらりと変わる。
シオンは何かまずったかと思ったが後の祭り。
ちらりと、目の前に居たサイドポニーのお姉さんを見れば、にこやかに笑っていた。……ただし瞳はその限りにあらず。
不気味な様相に悲鳴をあげるより先に、ヒナゲシは言う。
「違う違う。シオンのお義兄ちゃんを取ったりはしないから安心して。あ、そうそう。せっかくだから僕のことを少し教えてあげよう。というよりは、シオンもこの城内の関係を把握しておく必要があるからね。うん。いいかい? 僕が――」
「その先、何を言おうとしているのかしら?」
さも楽しそうに語っていたヒナゲシの表情も恐ろしかったが、それ以上に冷え切った声が背後から響く。嫌な予感に、錆びついた蝶番のような首回りでシオンは背後を見て、そしてそこには修羅が居た。
「ねえヒナゲシ。シオンのような幼気な女の子に、嘘を教えてしまったら信じてしまうでしょう?」
「やだな。僕は本当のことを教えようとしただけだよ。それよりも、僕がシオンと話をしているから、あとにしてくれると嬉しいかな。あぁそうだ、王女サマに回さなきゃいけない書類があったから、そっちやっててよ」
「それなら、そうね。シオン、私と一緒に散歩に行きましょうか。ヒナゲシは後で、その仕事を纏めて渡してくれればいいから、もうちょっと頑張ってて」
「あはは、冗談きついな王女サマ。王女サマの仕事が終わんなかったら、僕の仕事が終わるわけないじゃないか」
「あら、この状況で終わらせてあげると思っているの?」
「あはは、面白いねそれ」
「うふふ」
なんだかヤバい状況になった。
ガイアスが額から汗をたらりと流して雲行を見守っている中、同じように状況を把握しているはずの竜基が隣で口を開いた。
「そういえばさ、さっきファリンが俺のとこに来てさ。『みぃはNINJA失格です……』って落ち込んでたんだけど、何があったんだろうね」
「今、そんなことを言ってる場合か……根性でも辛いぞ……?」
「やだな、現実逃避に決まってるじゃないか」
「りゅううきいいいいいい!!」
乾いた笑いに目はうつろ。女の圧力というのはほとほと怖いもので。
とてもではないが割りこめる空気ではない。だから怯えた瞳でガイアスの方を見る童女が居ても、彼にはどうすることも出来なかった。
「ああそう、分かったよ。いいよじゃあ、シオンの案内してあげなよ」
「もとよりそのつもりよ? シオン、ついていらっしゃい。色々教えてあげるから」
どうやら、収束したようである。
ほっと一息ついた竜基とガイアスは、横を通り過ぎるアリサに目をやった。
「それじゃ私、シオンの案内に行ってくるわね」
「ああうん、いってらっしゃい!」
「お、おう! 気をつけてな!」
こくこくと頷く竜基とガイアス。やっとこの騒ぎが収まるのかとほっとした、その矢先だった。
「さぁて、仕事はちょっと残ってるけど――」
三人の背後から聞こえる、伸びを交えた心地よさそうな声。
まずアリサが振り返った。シオンの争奪戦に敗北したというのに、やたらと余裕そうなその声色はいったい何かと。
だが、それを問いかけるよりも早く開いたヒナゲシの口が爆弾を落とす。
「――この前約束したデート、しよっか。竜基」




