ep.59 王都平原の戦い(上)
少々短め。
王都軍側の布陣が終わったのは、アリサ軍が到着してすぐのことだった。睨み合う、というには少し離れた距離はあるが、相手側の動きを予測できる程度の物見櫓は作ってある。
ルーの展望は、夜。夜になってから攻撃を仕掛けることが、一番動きやすいだろうと踏んでいた。
というのも、ルーの高速機動を生かす為にはこの雨は非常に厄介だ。そしてそれ以上に、混戦になった場合に兵士たちにも分が悪い。ぬかるみで鈍い動きしかできないような状況で、相手のあの風の魔剣使いでも出てこようものなら一網打尽だ。一気に根こそぎ兵力をもっていかれてしまうのは、旨くない。
「この天候なら、夜には雨が止むだろう。その後、暗闇の中で攻め込むのが吉だ」
空を睨めば、降りつける雨粒に痛みさえ感じる。
だが、それもすぐに終わる。雨さえ止めば、こちらの思う壷というもの。暗闇の中で、一番の不穏因子を刈り取ってやる。
王都軍とアリサ軍の相対に、そこまでの時間はかからなかった。
場所は平原。互いに陣を敷き、睨み合いの状況だ。雨は徐々に強まり、地面をぬかるみに変え、草花を打つ雨音が耳に障る。
両軍の距離は相応に離れ、どう打って出るかと互いに攻めあぐねているかに見えた。
しかしその裏で、竜基はいくつかの報告から策を練っていた。
アリサ陣営は本隊到着と同時に、エツナン軍が既に敷いていた陣に合流、再編成をすることはなくとも、左翼にエツナン軍を置く形で改めて陣形を整える。
その本陣の幕舎の中で一人地図を広げ、竜基は思考に没頭していた。
「とりあえず、この辺りをアリサに報告する必要があるな……」
外は雨。緊迫した状況でもない今、一日くらいは雨を凌ぎ防御を固めた方が良いのだろうというのが竜基の考えだった。
しかし、内乱が続くとなれば必ずやグルッテルバニアなどの他国が目を離さないだろうとは思っている。腐った国であれど、軍備の情報を表に出さなかったエリザの行動の賜物であるのだが、今は関係がない。
むしろ問題は、そのエリザがなりふり構わず内乱へと力を入れていることにあった。
他国から見れば奪ってくださいと言わんばかりのこの環境は、竜基達にとってもとても美味い状況とは言い難い。
だからこそ、竜基は早期決戦が望ましいとは思っていたのだが、この雨で総力戦は望ましくない。
目の前の戦で敗北すれば、その先などありえないのである。
ましてや、竜基の持つ魔剣戦記の知識が通用するかも分からない今だ。もし未だに「権力、名声、部下全てを失った傀儡女王」の肩書にまっしぐらにアリサが向かっていたらと思うと背筋が凍る。
だからこそ、迂闊なことはしたくなかった。
「入るわよ」
「えっ?」
幕舎の中で一人だった竜基の元に、声。見れば見張りの兵が頭を下げて入口の方を向いていた。一声くらいかけるのが筋だろうと思うも、その気持ちはすぐに覆される。
「何度呼ばせても来ないんだから」
「あれ、そんなぼーっとしてたか」
背後にグリアッドを伴って、竜基の幕舎を訪れたのは白銀の君。
アリサはその紅玉の瞳を細めて小さく微笑むと、すぐに表情を戻して竜基が睨んでいた地図へと目を落とした。
「リューキ、何を考えていたの?」
「今後というか、この雨の状況とこれからの展望の大筋についてだ。ファリンに調べさせたところ、やはり向こうにはルー・サザーランドが居るらしい。決戦の時は近いし、むしろこちらから仕掛けるほうがいいくらいに思っているんだが……如何せん天候がな」
「天候? ……それより、相手の兵は8000とはいえ王都の民。どうにかして脱走を煽れないものかしら」
「それだ。こちらから仕掛けるべきは、敵性兵力の士気低下。だからどうにかして誘引作戦を行いたいんだが……相手がルー・サザーランドだからな」
「それが、どうかしたの?」
「ファリンですら殺されかけた相手から、そんな大がかりな脱走がばれない訳がないだろう。いくつかの間諜を放って別方向からというのも考えたが、難しい。ファリンの話では、行軍中に脱走兵を尽く捕まえてさらし首にしたせいで、絶望的な空気が漂っているようだ」
「……」
思案するアリサを見て、竜基は思う。彼女は優しいから、きっとその恐怖に縛られた兵士たちをこちらに引き込めないかを考えているのだろう。
竜基もいくつか案を考えては見たものの、そのどれもがルー・サザーランドという人間の存在のせいで潰されていた。
「正面衝突は避けたいんだがな」
「いたずらに兵は失うものではないわ。その考えは当然よ」
「でも、この平原を早めに突破しないと、エリザが他国と繋がっている可能性が高い以上怖いものがある」
「……じゃあ、どうするの」
「エリザの狙いが分からないから余りどうこうするのも怖いが……そうなったらテンプレート通りに動かすのが手だろうな」
「どういうこと?」
竜基が地図上を差し示すのに従い、アリサは視線をもう一度テーブルに落とした。この平原は、三本の街道の中央にある。西から伸びている、細い商業道。南西のウルビダ小山脈を抜ける道。そして、北東の王都へと繋がる街道だ。
その中央にある平原に、高低差はない。道も、坂を殆どふくまない場所になっている。
そして、その平原の中の北と南に別れて布陣をしている。
竜基が指示したのは、北に陣取る王都軍の背後。つまりは北東の街道付近だった。
「トルネ山?」
「そう、北東の街道から平原に入るちょうど入口部分の北に聳えるトルネ山だ」
「そこがどうかしたの?」
「空を見る限り、今日の夕刻には雨が止むはず。そうしたら、勝負だ」
「……?」
首を傾げるアリサに、竜基は細かい作戦を立案して教える。
背後でアリサの護衛をしているグリアッドにすら聞かせず、アリサにだけ耳打ちで言葉を伝えるあたり徹底している。おそらく、何かを起こそうとしているな、とだけグリアッドには分かっていた。
「これだけ大仰に陣を張っておいて、そう来るのねリューキは」
「敵を騙すにはまず味方から。戦の定石とも言える手段を使う以上、余計に徹底しないといけないさ」
肩を竦めて、竜基はその地図をくるくると纏めて笑ったのだった。
その夜、天候は微妙だった。
星が瞬けるほど良い天気ではなく、かといってどしゃぶりの雨かと言うとそうでもない。
一刻ほど前に止んだ雨の匂いを残しつつ、曇天は未だ平原を包んでいた。
「……いや、悪くない」
松明以外に明かりのないエル・アリアノーズ陣営。星や月もない空は、思いの外心許ないものだ。だが、それが逆に竜基を味方しているようにも思えた。
彼の目の前には、ライカを始めとした数百の部隊が整列していた。
各々の瞳には強い光が伺える。この戦いが自分たちに懸かっているのだと、彼らは自覚をもっていた。
竜基は軽く息を吸うと、命令を伝える。
褒賞は弾む、だから、がんばってくれ、と。
ライカがリーダーに置かれている以上、この部隊が全滅ということはまず無い。
後は、手はず通りにことを運ぶだけだ。
「よし、いくぞてめーら」
軽く魔剣大斧を振ったライカに付いて、数百人が陣の外へと抜けていく。その服装は一様に黒く闇に溶けた。これでルーのところに襲撃をするというの愚の所行だが、竜基は順調にことが運んでいることを確信する。
「ご注進! 王都軍が陣を打って出、こちらへ向かっています!」
「だろうと思った。雨は互いに状況が悪いが……この暗闇で、邪魔すら入らなければ……ルー、お前なら攻めてくるだろうよ」
敵軍の出陣を伝えた間諜を労い、竜基は予定していた通り陣内の広場へと向かう。
既に名だたる将兵が揃っていたその場所では、松明のあかりに照らされた主君が堂々と立っていた。
「来たわねリューキ。編成は整えておいたわ」
「ああ、こっちも準備はできてる」
全軍が整列する前で、威厳を保ち睥睨するアリサ。竜基と視線を合わせることもなく、彼女は決戦に向けて未来を睨んでいた。
わかっていた。これが、大一番の幕開けだと。
今まで戦ってきた相手はどれも厭戦気分の高まった雑兵。王都侵攻の最初の戦いは、ここなのだと。
「でも、信じてるからね。リューキ」
「任せろ」
ぽん、と肩を叩かれて、アリサの前へと竜基は進む。全軍と、主立った将たちの視線が突き刺さる。
既にだいたいの命令は下した後だ、先ほど軍議でおおかたの作戦は立ててある。
ならば。
「グリアッドとクサカ、ヴェルデさんで王女殿下の護衛を。ガイアス、お前が先陣で敵の先鋒をぶち壊せ。シャルル殿はエツナン軍と合流、敵側面より錐行陣で突貫。本隊は待ちかまえるのではなく、ガイアスの開いた戦端から、傷口を抉るように攻めあげろ!」
命令を飛ばす。
その言葉尻に併せて、アリサが声をあげた。
「いきなさい!! これが我々の戦い、開幕の狼煙!! エル・アリアノーズが真に国家として立ち上がる為に、勝ちなさい!!」
「「「「「おおおおおおお!!」」」」」
鬨の声を上げ、軍が動く。
次々に命令系統に従い、陣の正門から打って出た。
残された中で、アリサが言葉を漏らす。
「大丈夫よね?」
「平原の戦は数で決まる……っていうのはまあ、本当に全力でやればのこと。それにガイアスには戦端を開き次第撤退を命じてある。大丈夫だ」
一抹の不安。
しかし、竜基は大丈夫だと頷いた。この戦、矛を交える前に勝負は決まっているのだと。




