ep.4 盗賊退治(後)
少女の理解追い付かぬままに、事態は次々変転した。だが、傍らの少年はただ微笑んで静観するのみ。優しく背中を叩かれて、見れば少年は事もなげに言う。「さあ、あとはキミの出番だよ」驚いて視線を戻した少女。視線の先、敵として残るはただ一人。憎き山賊の大将のみであった。
古典 アッシアに咲く健気な花 第一章 少年の恩返し より抜粋
深夜。草木も眠る丑三つ時……なんて言うが、ここ最近俺も親父もこの時間はずっと魔剣戦記やってたから、草木寝るの早いな、としか思えない俺が居る。
「実際、今が丑三つ時かなんて分からないしな」
「丑三つ時?」
「そういやここって時間の概念あんの?」
「時間? 朝と昼と夜があればいーだろ」
「あーうん、そーだねー」
投げやりな回答に、納得いかなそうなライカ。
まあそんなことは今どうでもいい。
作戦決行は、しっかりやんないとな。
「でも、本当に夜獣寄ってこねーな。っつーかこっち村と反対方向じゃねーか」
「問題ない。というか、このエンカウントの低さは俺も驚きだ」
松明を焚いて歩いているんだが、どうも俺の想像以上にここの獣は炎が苦手らしい。ゲームじゃそんなこと無かったはずなんだが……計算外のラッキーだ。
「……まぁ、任せるけど。これで、助けられるんだな?」
「八割ってところかな。後は頑張りと運が絡む」
「……仕方ねーか」
「作戦なんてそんなものだ」
どこかしこから獣の遠吠えが聞こえたりもするんだが、こちらに寄ってくる様子もないんだよな。……っと、ここらへんか。
真っ暗って本当に怖いものだと思った。灯りが無いと本当に何も見えない。
ライカが森を詳しく知ってるから、何とかなったぐらいだ。
地図を確認する。ここは、村よりずっと北西に行った地点。そして、木々の風通しが一番良いと思った場所。
「……なあリューキ」
「なんだ?」
「ここ……あたしがリューキを拾った場所だ」
「はは、縁起が良いな。この作戦、上手くいくよ」
「そう、だな!」
なんという偶然。だが、ライカのモチベーションを上げるには十分だ。
それにしてもこんな場所に倒れてたとはなぁ。別に、異界の扉なんてもんもなさそうだけど……。
でもま、関係ない。少なくとも今は。
ライカが手で風向きを確認する。
「間違いねー。いつもと同じ北西の強風だ」
「よし。ライカ、覚悟はいいか」
「たりめーだ。この日の為に、あたしは頑張ってきたんだ……っ」
「はいはーい、感傷に浸るのは後にしてー。……やれ、ライカ」
「任せろ!」
ライカの体が淡く発光する。その色は、赤。
呼応するように大斧へと光が映り出す。そして。
『炎陣舞踊!』
大きく大斧を袈裟に振り、そのまま返しで回転する。その魔剣に、灼熱の炎が舞い踊る。
「下がれリューキ!」
「お、おう」
ぴょん、とバックステップで風上へ。ライカから発せられた炎が、次々に風下の木へと着火する。
「うおりゃああああ!」
「すっげ……」
さながら炎の化身。俺に語彙なんてないから、大したことは言えないけど。
本当に一人で炎の陣営を築いているような、そんな獄焔猛火。風は大きく炎を風下に煽っているにも拘わらず、風上に居る俺まで暑くてたまらない。
周囲の木々に、炎がどんどん頒布していく。このまま風下へ向けて、歪ながらも一直線に。
その炎の勢いは、留まることを知らずエネルギーを増大させて、村へと迫る。
「……はぁ、はぁ……言われた通りにしたけどよ……おめーも知ってんだろ? 村ギリギリで、あの炎さえ防いじまう木があるって」
「分かってる。大丈夫か?」
「あ~、かったりい。けど、負けらんねー!」
汗を拭いながら、強い瞳でライカは俺を見据えた。十一歳には思えないな。
彼女は今、村人を助けることしか頭に無い。……なら、俺もそれに報いないと。
「いくぞ、目指すは村の南東、門の近くだ」
「おーけー、遅れんなよリューキ!」
「へろへろのお前に負けるか」
「へろへろじゃねー!」
軽口を叩きあいながら、俺達は炎を避けて村の方角へと駆けていった。
見張りの一人が、慌てて村の中へ、親分の下へと転がりこんできた。
「てぇへんです親分! 北西に火の手が!」
村長の館、その最奥で。酒を片手に、満身創痍の村娘を抱きかかえた状態のゴツイ巌のような男が、子分の報告に振り向いた。
「っちぃ、門番の報告通りかぃ。オイテメエら! 火を消してこい!」
「「「「へい!」」」」
十数名の山賊が、館の外へと駆けていった。
それを見送り、山賊の親分は舌打ちする。
「この村手に入れてから十日程度しか経ってねぇのに他の賊が来るたぁな……ついてねぇぜ」
思い返すのは、昼間の門番の報告。
村を襲いに来たらしい別の賊の先見が、親分に報告だ、と泡を食ったように逃げていったらしい。それを考えれば、数日中に襲いに来るだろうことは分かっていた。
だから見張りを多めにしていたのだ。
まさか、その日のうちに襲いに来るとは思わなかったが。
「まぁ、仕方ねぇわな。この腐った国でまともに生きるヤツのが少ねぇだろうよ。山賊の数も増えて当然だ」
酒をかっくらいながら豪快に笑う親分。
さらに別の山賊が来た、という報告に、館に拘留されていた村の女衆は既に絶望の表情だった。
「おらぁ! 酒だ酒! 酒持ってこい!」
この強固な村の防衛があれば、問題は無い。五十人を組織する自分は、ここいらでも強力な山賊だと自負していた。
だから、余裕はある。問題ない。
そう、思っていた。
見張りと、館から出てきた山賊の計二十名ほどで組織された火消兼強襲部隊は、火の手が上がったという北西の方角に、わざわざ南の門を経由して駆けつけていた。
「すっげー火だ! 風も強ぇしどうすんだ!?」
「わがんね! けどよ、これ水樹だ! 水樹があれば大丈夫だ!」
「ほんとだ! 火消なんてせんでも、大丈夫じゃねえか!」
真っ赤に染まる北西の空を見て戦々恐々としていた男たちだったが、水樹の発見に安堵する。
水樹があれば火は大丈夫。それほどまでに水樹の存在というのは有名で、なおかつ心強いものだった。
……だが。
ワオーーーン……
ワゥーーーー!
「な、何の声だ!?」
「獣だ! 夜獣だ!」
「こっちに来るぞ! 奴らも火から逃げてるみてえだ!」
がさっと草木が動いたことに、盗賊たちは反応した。反応はしたが、それまでだった。
「ぎゃ!」
「トマ! 大丈夫かってうわああああああああ!」
「グラゥ……!」
炎から逃げてきたと思ったら、美味そうな餌が居た。
満面の笑みでラッキー、とでも言っているような巨躯の狼に、盗賊たちは怯えを隠さず後ずさる。
「こ、コイツ、魔狼だ! 魔狼が出たぞ!」
「ぎゃあああ!?」
「どうした!?」
後方でも叫び声。慌てて振り返ったことを盗賊は後悔する。
何故かって、その一匹でもとんでもない魔狼が、優に十匹は超えていたからだった。
森に逃げようにも、燃え盛る炎から逃れるように次々と夜獣がやってくる。盗賊たちの瞳に絶望がチラつく。
喉笛など一撃で引き裂かれそうな鋭く大きい爪、鋭い牙。二メートルを超える巨躯。そんな狼が十匹以上。
「くっそおおお!」
「バカ、よせ!」
「ぎゃあああああ!」
慌てて背を向けて逃げようとした盗賊を、突如魔狼が背後から叩きつけた。そのままその魔狼はディナータイムへと突入する。
「なんでこんなことになってんだよ……敵の盗賊じゃなかったのかよ……」
盗賊たちは、そのまま魔狼の餌食となる。
火の手が一向に消えた様子を見せないことに、北西の村長宅に陣取る親分は苛立っていた。何故、こんなに手こずるのか。この親分は、腕一つで子分たちを従えてきた猛者だった。それだけに、自身が育てた子分たちの実力を高く買っている。
それが。それが、こんなにも時間をかけて、火一つ消せずに何をしているのか。
「おいサッポ! ちょっと見てこい!」
「わかりやした!」
「……十人くらい連れてけ。乱戦だったらお前一人援軍に行ってもどうしようもねえ」
「へい!」
自身の右腕とも思って抱えていた男を、送り出す。村の守りには自分と十人も居れば十分だ。
飼っている奴隷、元村人連中の守りに五人。この館の守りに五人。それに、今はそれでも遊撃が十人居る。問題ない。
サッポが帰って来ず、報告も一切なく。それで居て炎の勢いが止まない状況が、それからしばらく続いた。
苛立ちで、親分は杯を投げ捨てる。パリンと割れた。
「ええいサッポは何してやがる! なんで誰も帰ってこねえ! おいウッポ! テメエ十人くれえ連れていって様子見て来い! すぐに報告を寄越せ!」
「へい!」
自身の左腕とも称せる男、ウッポを派遣。それで何もできないなんてことは無いだろう。少なくとも、報告を寄越すくらいは出来なければおかしい。
そう思い、もう一度酒を喰らった。
その時勘定さえできないほど酩酊していなければ、自身の部下が残り十名を切っていたことに気付くはずだった。
そして、ウッポからの報告は、半刻待っても来なかった。
「す……げぇ。すげーすげーすげー! リューキすげー!」
「簡単な陽動作戦なんだがな。ライカは、報告に戻ってくるヤツだけ殺せば問題ない。後は森の愉快な仲間たちがライカとごはんのために頑張ってくれる」
俺達は、村の門のちょうど真裏に隠れていた。ここなら獣も来ることなどできない。
だと言うのに、相手が獣だと気づかない愚かな盗賊親分は、次々血の匂いを増やすのに尽力してくれている。ついでに言えば、北西の方角から流れる風に乗って血の匂いが流れるので、どんなに獣を殺しても、夜が明けるまでエンドレスだ。
「残り十人切ったな、次の作戦に移るか」
「次の作戦? まだあんのか?」
「当然」
ライカがよじ登るのは物見やぐら。今現在そこには一人の先客が居る。というよりさっき慌てて駆け昇っていった。流石に状況把握に物見やぐらを使うほどのおつむは残っていたか。……酩酊状態だと思っていたんだが。俺は、櫓の下から状況を見守っていた。
「ライカ、気づかれてから殺せ」
「おーけー……って気付かれてから?」
「断末魔を上げさせろ。んで、そのまま櫓から突き落せ」
「……まあいーや。任せる」
梯子途中からライカが跳んだ。ダン、と俺が掴む梯子まで揺れる。
見事に櫓の上に着地したライカは、「な、何だ!?」と喚く男を散々に大斧で怖がらせてから、フルスイングで切り殺した。
「ぎゃああああああああああ!」
そのまま、どしゃりと櫓から落ちる。
ライカに降りるよう合図すると、あの高いところから悠々と飛び降りた。
「ナイス着地」
「うるせー。どうすんだよ」
「その大斧で樵の真似事でもしてくれ。具体的には、物見やぐらを切り倒す……そこと、そこだけ叩き切ってくれりゃいい」
「……もうわかんねーリューキの言ってること」
わかんなくてもやってくれ。
っと、断末魔に反応したか? とうとう親分のお出ましだ。
バン、と大きく村長宅が開いた。そこから出てきたのは、一、二……六人か。俺達に気付いたな。
「ライカ」
「よっしゃ」
矢倉を奴らが駆けてくる方向へ倒す。はは、まさかこのデカい櫓が倒れてくるとは思わなかったか。……魔剣舐めるなよ?
「うわあああ!?」
「ちょ、助け、こっち来るなあああ!?」
「なんだと……?」
親分らしき人間含む、数名の方向へ倒れ込む櫓。
……だが予想通り親分らしきヤツ、人質の類は連れてこなかったな。
別の山賊の襲撃に見せかけた理由は、ここにもある。
ライカのような、村人救出を主とするヤツに対して人質は優秀過ぎる作戦だ。だが逆に他の山賊に対し人質などクソの役にも立ちはしない。……いや、盾位にはなるな。胸糞悪いが。
よしよし……怖いくらいに順調だ。
思わず口元が歪む。
櫓が倒れたところで土煙が上がる。そこで、俺はライカを強引に引き寄せた。
「わきゃ!? おま、何して……!」
どこか慌てたようなライカの声。だが今はそれに構う時間など無い。土煙が晴れる前に、俺は移動するべきだ。
耳元に口を近づけて、簡易的に説明を付与する。
「俺は今から人質を助けてくる。見張りは一人か二人だが、今の櫓のせいで気が散ってるだろうからな。お前がやることは一つだ」
「お、おう、分かってら! あたしは、皆の仇を討つ!」
目に光の灯ったライカ。グッと大斧を握りしめ、土煙の向こうを睨む。上出来だ。
……とりあえず、俺は弱者らしく、姑息に隠れて人質救出に向かうとしますか。
問題は、山賊とはいえ俺が人を殺せるかってところだけどな。……おおう、手が震えるぜ全く。ライカと獣には散々殺させておいて、虫のいい話だよ。
もう俺の手が綺麗なはずなんてない、そんなこと分かってるつもりなのにな。
「リューキ!」
柵の裏を通って人質救出に向かおうとした俺の背に、舌っ足らずなソプラノボイスが届く。振り向けば、頬に返り血を浴びたライカが、笑って俺に親指を突きだしていた。
「ありがとな! おめーのおかげで、皆が助かるんだ!」
「……ちくしょう、重たいなぁ」
ニカっと、心底嬉しそうなライカの笑み。
あんな笑顔を、俺の罪悪感なんぞでスリ潰して良いはずがないよな。
軽く手を挙げるだけで返して、彼女にもう一度背を向け駆け出した。
『よし。ライカ、覚悟はいいか』
『たりめーだ。この日の為に、あたしは頑張ってきたんだ……っ』
……覚悟が出来てなかったのは俺じゃないか。ライカはもう、村の皆を助けるために全てを捨ててんだ。
少なくとも、俺だってライカのために尽力する義務が出来てしまった。
住んでいた世界が違う、なんて言い訳にもなりゃしない。虐殺を決行したのは他でもない俺なんだ。
『信じるぜリューキ』
この日、こうやって村人たちを救うためだけに無茶をしてきた彼女の期待を、俺のちっぽけな倫理観なんぞで潰していい理由がないっ!
『あたしを……村の皆を助けるのに、協力してくれ! お願いだ!』
涙を堪えて、必死でもがいてた幼い少女なんだ、アイツは。
……どんな世界で育ったにしろ、俺の方が年上で、兄貴なんだ。
だったら、もう迷うことなんてできやしない。
人質が捕まっているリットンさんとやらの邸宅。ちらっと見たところ、見張りは二人、出入り口の前に立っている。……予想通り、あっちでライカが無双してるのを唖然として見ているな。
近づけ。もっとだ。
ジャリ、と土と靴底が擦れる音が、妙に大きく感じる。心臓の鼓動も早い。鼻で息するのが辛い。
軍刀を抜く。すらりと、綺麗な刀身だった。月夜に反射して、幻想的な雰囲気すら醸し出している。……俺は、これを今から人斬りに使うんだ。
落ち着け。ライカにも散々吐いた言葉だ。まさか自分で自分に言う時が来るとは思わなかったが。
もう一歩だ。気づかれるな……山賊の、髭面が良く見える。……っ! コイツ昼間にご老体を甚振ってたヤツじゃないか。
『絶対に、許さねー』
……そうだよな。許していいはずがない。
そうだ。叩っ斬れ!
「ぜっ!」
「……っ!?」
背後から背中を袈裟斬りに捨てる。分厚い肉の切れる音と、妙に生暖かい液体が頬に掛かった。
……はは。
ははは。
なんだ、やれば出来るじゃないか。
この震える手で、今俺は人を斬ったんだ。
糸の切れた人形のように、昼間老人を甚振っていた男が倒れ伏す。
楽勝だ。こんな簡単に人って死ぬもんなんだ。問題ない。俺にだってできた。
俺は、放心状態だった。
だから、失念していたんだ。
見張りは二人だと。
「テメエ何モンだ!」
「……え?」
「この野郎おおおお!」
飛びかかってくる一人の髭面。そうだよ何を勘違いしてんだ! もう一人居たじゃないか!
慌てて軍刀で防御する。
「っぐ!?」
「おいおい良い剣持ってんなぁテメエ。売ったらいくらになるんだろうな?」
「ッツ!」
クソ、重い……ッ!
バックステップ。落ち着け。そうだ落ち着け。
正眼に構えろ、剣先で相手を定めるんだ。……震えるなよ俺!
「妙な構えだが、震えてんじゃねえか。あ~あ、親分も生死分からねえし、テメエを殺してずらかるかな。敵の賊が攻めてきたとか聞いたしよぉ」
「冗談じゃ、ない……」
ニヤつく男のサーベルが鈍く光る。
……怖いよチクショウ。震えが止まらない。
こんなところで死んでたまるかよ、こんなところで!
「うりゃ!」
「うわああああ!」
振り上げられたサーベル。北西の空だけが燃える闇の中、妙に白刃だけが視認できる。
避けられない、なら防ぐしか……!
鈍い音。重さに耐えられない。ライカはなんつー化け物相手にしてるんだっ!
あ、だめだコレ。
そう、直感的に思った。痺れる。手から、軍刀が弾け飛んだ。
ざす、と渇いた土の音が妙に響く。軍刀は地面に突き刺さったようだ。
丸腰になった俺の正面で、男がニヤリと口元を歪めた。
「っは! 弱いヤツで助かったぜ……味方が来る前にやっちまうか!」
考えろ! 考えろ俺!
こんな状況でも考えられるのが軍略家だろう! 窮地をひっくり返してこその軍師だろう!
闇の中。突き刺さった軍刀。味方は居ない。
何かを見落としているはずなんだ! チクショウ! 緊張で頭が回らない!
男がもう一度サーベルを振り上げた……どうすればいい! どうすれば助かる!?
見落とす?
バッと下を見る。転がっている死体。俺が屠った盗賊の男。
『盾くらいには使えるか。胸糞悪いが』
胸糞悪いくらいで死んでたまるかよ!
死体を引っ掴んで凶刃との間に持ってくる。重いが、俺がしゃがんでしまえば問題ない!
肉を斬る音。ついで、男の「死体を盾に!?」という驚愕の声。その発想は無かったってか? だが、まだ俺の窮地は終わってない。
ライカが来るまで待つか?
耐えられるわけがない。
だとすれば、俺の勝利条件は一つだけだ。
ヤツを殺すしか、元々俺の生き延びる道は無い。
考えろ。今の攻撃も機転で凌げたんだ。それに男は動揺している。つけ入る隙はいくらでもあるはずだ。
状況をもう一度把握しろ!
ここは真っ暗。俺の軍刀は真横に突き刺さったまま。拾い上げる余裕くらいある。敵は一人、援軍は来るはずもない。魔剣使い様が居るんだ。大丈夫。
逆に俺の味方も、居ないがな。
ん?
……味方は居ない? 違う。ヤツは盗賊同士の抗争だと思っているはずだ。
俺の味方が来る前にやっちまう、と言っていた。
なら、初歩的だがもう選択の余地なんてないっ!
「助かった! 背中から叩っ斬れライカぁ!」
引っ掛かれ! 俺の腐った演技力を試す良い機会だ!
男の背後。リアリティを重視してライカの身長に視線の高さを合わせる。
コイツが殺されるビジョンを想像しろ!
男は、振り向いた。
「なんだと!」
っしゃあああ!
「掛かってくれてありがとよ!!」
「っぎゃ!?」
突き刺さった軍刀を抜いた勢いで背中を向けた男を切り捨てる。
どさ、と。
男は力なく倒れ伏した。
見れば、骸が二つ、俺の前に転がっていた。
「はぁ……はぁ……」
向かない。絶対俺に戦闘は向かない。
生死の狭間を楽しむバトルジャンキー? ヤバい、そういうやつらの気がしれない。
だが……生き残れて良かったぁ。
押し寄せる脱力感。足に力が入らず、ふらりとへたり込んだ。
だが思えば、寄りかかった場所が悪かったのだろう。
見張りの二人が居たその間の壁に背中を預けたはずの俺は、そのまま抵抗を受けず転がった。
ふと見れば、ちょうど俺が寄りかかった場所は扉だったのだ。
逆転した視界で、家の中を見ると。両手両足と口を縛られた大勢の村人さんたちが俺を戸惑いの視線で見つめていた。
「「「「「……」」」」」
「……あ~。んん。ライカの頼みで、助けに来ました。……ちょっと満身創痍なんで、この軍刀使って勝手に縄斬ってください」
「「「「「!!」」」」」
一番近くに居た人を拘束する縄を断ち切った。そのまま、その青年に軍刀を手渡す。
彼は手早く足と口の縄を取り外したかと思うと、俺に向かって勢いよく頭を下げた。
「ありがとう! 助かった! 皆、ライカが救援を連れてきたらしいぞ!」
彼が次々と周りの村人の縄を断ち切っていく。
各々が喜びをあらわにしながら、俺に口々に礼を告げるとそのままダッシュで館の外へと出て行った。おそらく、ライカの援護か……それか村娘たちの救援だろう。
……今頃ライカ、無双してるかなぁ。
クソ、わざわざ助けたってのに、締まらないもんだ。
カッコよく登場、なんて柄じゃないのは分かってるけど、やっぱり一般人にはこの程度が限度なのかね。
寝転がって、天井を眺める。手の震えは、未だに収まらない。
人を斬った。殺した。
その生々しい感覚は、俺の掌から離れてくれなかった。
「チックショウよわっちいなあ……イヤになるよ」
「そんなことはない」
「……?」
誰かの声が聞こえた。
悲鳴を上げる体をくねらせて声の方向へと視線を向ければ。
縄を外された、老人が一人。館の中に、たった一人だけ残っていた。
どこかで見た事のある、老人だ。
「……キミたちのおかげで、わしらは助かった。断じて、弱くなどない」
「……ありがとな……村長」
「ふむ、知っておったか」
顎の白いひげを撫でながら、好々爺然とした爺さん……村長はしきりに頷いた。
この爺さん、昼間に犬の真似事させられていた爺さんだ。
そんなになってまで、村の人々を守っていた爺さんに、正直俺は畏敬の念を抱いていた。
「……村長さん。俺は今日、初めて人を殺しました」
「ほう……それは」
「震えが、止まらないんだ。俺は、アイツと違ってたった二人しか屠ってないのに」
「……」
「ライカが頑張っているから、俺も頑張らなきゃって思いました。けど、やっぱりいざやってみると、もう何が何だか分からない」
ぶれる右手を見つめる。病的なまでに白くなっていた。それに、どうも寒気を感じる。
そんな俺の手を、いつの間にか近くに居た村長が掴む。
「確かに、キミは人を殺したようだ。その手で、命を刈り取った」
分かっていたことだが、他人に言われるとぐっさり来るな。日本で育ったことを恨む時が来るとは、思わなかった。俺は、甘いんだ。
そんなネガティヴになっていた俺に、村長は言葉を続ける。
「だが、キミが優しい証拠だ。その心を、大事にしなさい」
『……人として大切なものが、お前の中にちゃんとある証拠だ。お前がこの先自衛隊に入ろうと、戦争になろうと。人を殺すということの意味をしっかり考えておけ』
村長の台詞に、親父の言葉がフラッシュバックした。
人を殺す、意味。
俺は、ゲームをやっている間そんなものは必要ないと思っていた。何も考えずに天下を統一して、妙にリアルな戦争シーンを見ても、自分の仕掛けた戦争で多くの命が失われても、特に感慨は抱かなかった。
むしろ、要らないと思っていた。
だって、邪魔だから。戦うのには、必要のないモノだから。
もちろん、人を殺しちゃいけません。社会のルールの中で、それは守っているつもりだった。だけど。初めて人を殺して。それが悪人だと分かっているのに、震える自分が分からない。
「村長さん。人を殺す意味って、なんですか」
「難しいことを聞くの、若人。今の世の中、そんなことを考えている人間など殆ど居るまいに」
「……親父に、言われたんです。人を殺すということの意味をしっかり考えろ、と。でも俺は、そんなもの邪魔だと思うんです。そんな感情が残っているから、今もこれだけ震えているんじゃないかって。それが無ければ、貴方たちをもっと手早く助けられたんじゃないかって」
「……」
村長は、小さくため息を吐いた。それは、どういう意味でのため息なのか、俺には分からない。
「聡い少年だキミは。確かに、人を殺すのは良くない。その人の未来を奪うからの」
「……そう、ですね」
「だが」
そう、村長は息を切った。続きを待つ俺と、視線を合わせて。
村長は、強い言霊を込めて、俺に言葉を刻み込んだ。
「その手でわしら大勢の命を救ったことも忘れてはならん」
「……」
「わしらは、純粋に助けられたことが有難い。この村に、盗賊を殺したキミを咎める者など居りはせんて。だから、キミが人を殺した意味は、そこにある」
「分かりませんよ……それじゃ」
「考えろ、若人」
そう、村長は笑った。
強い人だと、思った。
櫓の倒れた村の広場で、鬼神が炎を纏って輪舞していた。
「てめーらだけは許さねー! 許すわけにはいかねーんだ!」
「ぎゃああ!? 熱い! 熱いよぉ!」
「死ね!」
大斧を振るう。その度に焼死体が一つこんがり焼き上がる。
「化け物か……?」
「うるせー……てめーらが……てめーらが村を襲って、皆を嬲って、村長を苦しませたんだ! だからあたしは怒った! それだけだ!」
いつの間にか櫓にも火の手が上がっていた。
山賊の親分は、未だにこれが悪い夢か何かであればいいと願っていた。
(なんだこれは。村の外が燃えて、敵襲だと思って、子分が全滅して、蓋をあけてみりゃガキ二人の仕業だと!? 冗談にしても酷過ぎる!)
「てめーが、頭か」
「ぐ……これは全部お前の仕業か……?」
背後の全てを炎上させた少女が、その火炎地獄を背景に親分を睨み据えた。
その雄々しい姿に、親分はたじろぐ。
よくよく見れば、いつかがむしゃらに突っ込んできたあの少女だ。
だが、その目に宿る力が、あの日とは段違いだった。
「……森の愉快な仲間たちと、あたしでやった。全部、リューキのおかげだ」
「森の愉快な仲間たち?」
意味不明なワードが飛び出したことに、一瞬呆ける親分だったが。それ以上に、目の前の少女から発せられる殺気が、親分の全身を中てていた。
「もう一度だ。てめーがコイツらの頭か?」
吐き捨てるように、自身の倍はあろうかと言う大斧で焼死体を転がす少女。
そのゴミでも見るような瞳がプライドを刺激することで、親分はようやく人としての矜持を保っていることが出来る。この怒りが無ければ、とうに失禁して逃げ出していただろう。
「……そうだと言ったら?」
「よし殺す」
「っ!?」
瞬間、十数メートルは離れていた少女が目の前へと現れる。
親分は、為す術もなくどっと冷や汗だけを吹き出して。
「……死ね」
「ぐわあぎゃ!?」
その大斧の柄で持って首の骨をへし折られて絶命した。
一瞬の勝負であった。
「……はぁ、はぁ」
大斧を支えに、ライカは息を整える。
如何に魔剣使いと言えど十一歳。体力が辛いのと、それとは別に精神的な疲労があった。今まで十日間。ずっと気を張って暮らしていたのだ。
頭目を潰したことで、どっと安心感が現れる。
そんなライカの視線の先に、村人たちがこぞって村長の館に突入していく光景があった。
「……はは、リューキもやりやがった……本当に、良かった……」
息も絶え絶えになりつつ、ライカはそれはもう深く、深く、そして大きく深呼吸して。
「やったんだな……やったんだ」
未だに赤い北西の空を眺めて、一筋の涙を流した。