ep.55 ウルビダ小山脈の戦い(下)
「な……なんだとコラ」
「ただの刀に切り落とされるような温い魔剣技を行使する、そんな雑魚を魔剣使いとは思いたくないな」
ずしん、と氷の槍が地面に落ちた。
ビスタが目をあけた先に居た、いつか助けてくれた"黒"の男。
あの日見た黒の長刀ではなく、国で正式採用されていそうな美しい刀身の刀を持って、彼はやせぎす魔剣使いの前に佇んでいた。
「何者だテメエ」
「……竜基め。『魔剣を取りに行くのも好きにしていいが、俺たちの戦いを助けろ』、か。食えない男だ」
これは奴の手のひらの上か。
不機嫌そうに、そう言葉を吐いた"黒"の男。その眼中に、果たして目の前の脅威は写っているのか、否か。
「リュー……ヘイ……さん?」
「? ……誰かと思えば人の縁とはわからないものだな」
くるりと首だけ振り返った男の名はリューヘイ。黒き三爪のリーダーにして、大陸最強の魔剣使い。
だが、その刀は。
「テメエ、魔剣使いでもねえのにオレたちを雑魚呼ばわりたあいい度胸だな」
「……ああ、そういうことか」
リューヘイの握るその刀は、魔剣ではない。一人に一つしか、適合する魔剣はないのだ。その刀がどういう代物であれ、リューヘイが真価を発揮できるのは黒き長刀"変幻自在"ただ一つだ。
先ほどアイコンタクトで、小太りの男は後方に向かった。まだ二千以上の兵士が突き進もうと隘路を進んでいるのだ。その相手をしに行ったに違いない。
「ふざけてやがるな。殺すぞ雑魚」
「出来るものならな」
レイピアを使う、やせぎすの男が憎々しげにリューヘイを睨む。
魔剣使いでもない人間に氷の槍が砕かれたことがプライドにさわったのか、それとも、単純に雑魚魔剣使い呼ばわりされたからか。
いや、両方、なのだろう。
「……リューヘイさん」
「なんだ」
「ヴェルデさんが、言ってました。リューヘイさんが、並の魔剣使いなら素手でも倒せるほどの実力者だと。……恥を忍んで、言います。もう一度、助けてください。ミナと……ミナとまた会いたいんです……」
「少し、違うな」
ビスタの言葉に、リューヘイは背中を見せることで答えた。ビスタを守りながら、相手の魔剣使いと相対する。
「並の魔剣使いでなくとも、素手で倒せる」
「ふ、ふざけるなああああ!!」
プライドを傷つけられたやせぎすの男が放った氷の槍。
しかしリューヘイはものともせず、あっさり刀をふるってそのつららを両断した。
次々と雨霰のごとく降り注ぐ氷柱の群。それを、リューヘイは巧みにいなして突き進む。
「……構成が甘い、魔力が乏しい、そしてなによりこんな一辺倒の攻撃がーー」
鋭く光る黒の瞳が、魔剣使いを萎縮させる。
身体をひねり、攻撃を回避し、そして切断。美しき剣技が、その体術が、魔剣のハンデをものともしない。
魔剣使いの、尋常ならざる身体能力。魔力によるブースト。
すべての氷槍を打ち砕き、やせぎすの魔剣使いの目の前に現れた黒の男は、その眼光ですら相手をひるませる。
「ーーこの俺に通用すると思うな……!!」
「ひぁっ!?」
「死ね」
一閃。
目を見開きながらも、断末魔さえあげることを許されず首を飛ばされたやせぎすの魔剣使い。たった一本、レイピアの魔剣だけが地面にころりと転がった。
「……すまんな。王都に向かう途中、こちらのほうで騒ぎがあったので駆けつけた」
「いえとんでもありません! 命を二度も救われてしまい……本当にありがとうございます!」
ふりかえり様、謝罪を口にするリューヘイにビスタはかぶりを振った。もしリューヘイが到着していなかったら今頃どうなっていたかなどわからない。
いや、ほぼ確実に死んでいただろう。
そう思うからこそ、リューヘイに対して感謝の気持ちはあれど、文句を言うつもりはいっさい無い。
「……竜基は完全に俺を計略の手札にしてやがったな。そうすると、ズレたのか。まあ良い、とにかくもう一匹片づける必要がありそうだ」
大きく舌打ちをかましたリューヘイは、ビスタを後目に跳躍、小山脈後方へと向かっていく。目指すは小太りの魔剣使いが猛威を振るう、中軍だ。
エリザの思惑は、殆どが上手く行っていた。
王の排除、エリザの専横、王都を含むアッシア王国の疲弊、国家の腐敗。
殆どが上手く行っていたのだ。
だからこそ彼女は上機嫌だったし、未来への展望について思いをはせていた。
彼女の一室は王城の塔の一角。広々とした部屋に一人、優雅に紅茶を飲んでいた。
揺り椅子に深く腰掛けて、日の当たるところでの一服は心地の良いものだ。
そう、殆どの計画は上手く行っていた。
「アリサ……!」
ポツリ、呟いた彼女の表情に一瞬の陰りが出来る。
殆ど、という分類にカテゴライズされないたった一つの懸念事項はそれであった。
リッカルドを差し向けて北アッシアを疲弊させ、自ら奮起させる。ここまでは良かった。後は、王都に向かってきたアリサを嬲り殺しにするが如く、魔剣使い達で猛攻を浴びせればよかったのだから。
そうすればアリサの手元には何も残らず。
この国は確かに彼女のものとなるだろうが、それはエリザと……バックの“あの人”が居てのもの。美しき傀儡国家の誕生は、もう間近だったというのに。
ここまで来て、どうして上手くいかないのか。
分かっていた。
余裕の表情で振り払った「エル・アリアノーズ建国」から歯車が狂い始めているのだと。
「魔剣使い二人を派遣して、とりあえず一番面倒なエツナン地方を潰しにかかったは良いけれど。まさかこんなに早く、多くの領主たちが決起するなんて」
予想外なのはそこだった。
彼女の計算では、アリサ軍だけが王都へと進軍し、王都軍に半壊させられた後ちにようやく領主たちが腰を上げ、熾烈な戦いへ発展する。そのくらいのタイミングだろうと思っていたのだ。
いったい何故、こんなに領主たちの動きが早いのか。
北アッシアの動向は常に探らせていたから、食糧や金銭にいくばくかの余裕が出来ていることは分かっていた。
だが、そんなものは当然ながら、他の領地に行き渡るほどの力は無いはずだ。
「……何かが、おかしい。何かが、狂ってる」
だがそれでも、焦ることは無い。
相手側の動きが変わっただけで、自分たちが損害を被ったわけではないのだから。
エリザは聡明だ。
十年前から計画を立て、こうして全てを順調に進めてきたほどに。王城を手中におさめ、妃の動きを全て把握し、王を毒殺し、繋がった相手との意思疎通も完璧にこなす。こんなことが、普通の王女に出来るわけもない。
彼女は間違いなく、優秀だった。
自らの国を破滅に追いやると知っていても実行してきたのは、先見の明があったから。何れ滅ぶこの国を、早々に見切ることが出来ていたから。
当然、今目の前で起こっているイレギュラーに困惑している節はあるものの、それでも凡百を負けないくらいには采配の腕もある。
エツナン軍をまず潰す為に、魔剣使いという手札の内二枚を切る。四枚しかないその手札を、瞬時の判断でエツナンにぶつけることが出来る。その思いきりの良さも、将の持つべき一つの資質だ。
そして、彼女の武器は何よりも判断が早いこと。領主たちが決起して攻め上がってきた際に、周囲を取り囲まれているという現状でエツナンをまず潰しにかかるその速さ。兵は拙速を尊ぶ、その体現のような彼女の指令としての素質は素晴らしいものがあった。
だからこそ、凡百相手に負けはない。常にアッシアで頂点に立ってきた。
北アッシアの戦いも、遠くに居ながらにして相手を苦しめることが出来るほど、彼女の力は強く、技量も確かだった。
「エリザ様!!」
「……どうしたの?」
慌てふためく将校が、彼女の部屋の扉を勢いよく開いた。穏やかではないそのそぶりに、エリザは眉をひそめる。だが、その余裕も長くは続かなかった。
「魔剣使いのお二人が討死に! 敵にはとんでもない隠し玉があったようです! エツナン軍は王都に向けて尚も進撃中! その数、二千!!」
紅茶を取りこぼす、陶器のカップが砕け散る。
エリザは、真に理解していなかったのだ。
今回の相手は、凡百ではない。
覚悟も新たにした、人死という壁を乗り越えた、エル・アリアノーズの最高頭脳。
相手は“本気”のナグモ・リューキだ。
エツナン軍から千人程度の死傷者が出たというファリンからの報告を聞いて、竜基は一つ息を吐いた。エリザの迅速な動きによる、魔剣使い二枚の派遣には流石に無傷勝利は難しかったかと反省する。
リューヘイを繰り出したタイミングも、リューヘイがエツナンとの交流があることも、彼の情を利用することも、全てが竜基の計算の内だった。
だからこそ、惜しい事態に少しもったいないことをした後悔がある。千人のこの犠牲は、無くても良いものだったからだ。
必要以上の犠牲を出すことに、胸が痛まないほど彼の成長は早くないし、人間離れもしていない。
だから、少しネガティブに落ち込みもするのだが、今の竜基には、そんな時に後ろから引っ叩いてくれる仲間が居る。
「うじうじしない。ほら、次の仕事も控えてるし、なんだか気になる点もあるんでしょ?」
「ありがとう、ヒナゲシ。とりあえずは、予想以上に領主たちの動きが良いことが、嬉しい誤算だったりするんだけど」
「金銭的に余裕が殆どない状態で、あんな強行軍が出来るのかってことね。確かに僕も、それは思うことだよ。北東の領地とか、一番搾取の被害にあっていたんじゃなかったっけ?」
竜基の執務室では、今日も二人が調べものに勤しんでいた。とはいえ、それも今日が最後。アッシア討伐軍に、ヒナゲシは従軍しない。
エル・アリアノーズ本拠を固める為に、彼女はここに残ることが決まっていたのだから。
「えっと、その辺の資料があったはずだよな」
竹簡を漁る竜基は、いくつかの物を広げてはあれでもないこれでもないと探し回る。そんな彼の目の前に、突き出されたのは一つの竹簡だった。
「はい、これ情報纏めておいたから。それと、変に漁るの辞めてよね。僕がわざわざ統計ごとに全部分割してるんだからさ」
「……あ、ありがとう。いつの間に?」
「僕はこれからエル・アリアノーズ本拠を預かるんだ。きみの部下としての仕事だけしてるわけにもいかないから、一生懸命だったんだよ?」
ふわ、と小さく欠伸をする彼女の姿に、一瞬竜基は目を奪われた。
何? と視線だけを寄越すヒナゲシはいつも通りで、でもどこか不思議で。
「ねえ竜基」
「ん?」
ヒナゲシから貰ったその資料は、なるほど美しく全てが書かれていてとても分かりやすいものに仕上がっていた。熟読する彼にかかった声に、ふと顔を上げれば、そこには当然ながらヒナゲシが佇んでいて。
「ギースさんの仇とか、僕は結局取ることは出来なかったけど。それでも、アッシア王国が変わることは、凄く良いことだと思うんだ」
「そうだな。……あん時は何も言わずにいて、ごめんな」
「ちょっと説明くらいは欲しかったね。じゃなきゃ、あれだけアリサ王女に当たることも無かったんだ」
思い出すのは、初めて彼女とまともな会話をした病室。あれから半年以上が経った今だが、昨日のことのように思い出せる。
ヒナゲシは郷愁に浸りながら、可愛らしく微笑んだ。
「まあでも、許す。あの時、僕はそんなことを言われてもどうしていいか分からなかったと思うし、キミは僕を利用するよりも、人として扱ってくれたんだ。責められることじゃないよ」
ヒナゲシを救いだしたあの日、確かにサイエン地方や王国そのものにヘイトを向けることは出来ただろう。だが竜基はそれを良しとせずに、殺した自分へと怒りの矛先を向けさせた。
それが結局、偽善なのかどうかは分からない。
けれど、竜基のその行為の真相に気付いた時から、ヒナゲシは彼を恨む気持ちは無くなっていた。
「だから、竜基」
「なんだよ」
「キミは今から戦いに行くけれど、絶対に死なないでね。僕との約束だ」
「……そう、だな。ありがとう。絶対に死なない。絶対に負けない。アリサの願いの為にも、俺達が目指すものの為にも、こんなところで倒れるわけには、いかないもんな」
握りしめた拳は、優しい両手に包まれて。
ヒナゲシは竜基の耳元に顔を寄せて、ポツリと呟いた。
「頑張ってね。僕、待ってるから」
「あ、ありがと」
囁かれるようなその一言に、竜基は一瞬硬直したが、それでも上ずった声で彼女に声を返す。
くすくすと、楽しげにヒナゲシは笑った。
「ケンカしたり、これからも色々あると思うけど、僕は竜基のこと嫌いじゃないよ。だから、まだ一緒に、仕事とか、いろいろしたい」
「それはまあ……俺もだけど……」
「アリサとばかりいっしょで、ずるいって思ってるよ?」
「は?」
「ううん。なんでもない」
ちろりと舌を出して、竜基から離れると。きょとんとした竜基を見てため息。
本当に、何も分かっちゃいない。
「ねえ竜基」
「なんだよ」
「かえってきたらさ、ここをもっと良い街にしておくからさ」
手を後ろで組んで、彼女は竜基から顔を背けた。横目で見られると、なんだか睨まれているようにも思うのだが、赤くなった頬が、負の視線でないことくらいは教えてくれる。
ヒナゲシは、困ったようにはにかんで言った。
「戻ってきたら、デートしよっか」
「……は?」
「ま、街の巡回だよ! 僕が弄ったあと、キミが気になることもあるかもしれないじゃないか!」
「……あー……まあ、うん、そうか。そうだな、分かった」
「……ん。じゃあ、決まりね」
デート、という言葉。からかわれたのだろうか。
ヒナゲシはライカと違い、どんな愛情も向けられている自信が無い。だから、変に勘違いを起こしても恥ずかしい。
そう思うからこそ、竜基はどう返していいか分からなかったが。
それでも、嬉しかった。
「分かった。楽しみにしてるよヒナゲシ」
「任せなって。僕をなめるなよ?」
資料は粗方見終わった。後は、王都に向けて戦いを挑むのみだ。
竜基は表情を切り替えて、真っ直ぐに前を向く。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、頑張って」
りゅーきのへや、と書かれた扉を開き、彼は手を振ってから部屋を出た。
残されたヒナゲシは、小さくため息をついて天井を見上げた。
「デートしたい、って思うってことは……僕やっぱりアイツのこと好きなのかなあ?」
まぁいっか、楽しいし。
そんな風に彼女は笑みを深めて、明日からの業務の為に、手元の仕事に取り掛かった。
王都との、正面決戦が、始まる。