ep.42 反乱の萌芽に目を向けて
布を丁寧に織り込んで作られた地図に目を通しながら、リューヘイは一人物思いに耽っていた。
燭台に灯したろうそくの周囲以外に光はなく、ベッドで横になっている少女以外に人の姿も見えない。 そしてその少女こそが、悩みの種ともいうべきものだった。
『俺たちとともに、戦ってくれないか』
あのときの問いに対しての彼女の答えは、応でも否でも、どちらでもなかった。
『それは……一度主にお伺いをたててからにしたいのです』
義理を果たそうとしてくれているのだろう、こちらの提案には協力的であったが。それでもやはり、主への忠誠が勝っていた。当然といえば当然だが、その主とも言うべき人間の予想が……あまりよろしくない。
リンには、聞かないでいたが。それでもあの五千の兵が向かった先を案じていた時点で、リンの主は十中八九北アッシアの王女アリサ・ル・ドール・アッシアで間違いないのではないかと思う。
「……お家騒動を起こすだけの、暗愚に……これほどの忠誠を……いや、そんなもの、どの国にも居るか……」
リューヘイは考える。
彼女を仲間に加えるのは、ただ単純に隠密がほしかったからではない。
彼女の能力など、片鱗に気付きこそすれ、腹に風穴を開けられたところからしか知らないリューヘイが知るはずもないのだ。
たった一つ。
リューヘイが彼女を気にかける理由は、たった一つしかない。
「……リン」
視線を、少女のベッドに移す。
悲しい運命を背負った人間は、多く見てきた。それこそ、表情筋が鈍くなるほどに、山ほど。
しかしその中でもこの少女は……。
「……どうか、しましたか?」
「……この程度の視線にも感づかれてしまったのでは、もうどうしようもないな」
今まで眠っていたのが嘘かのように、すっと上体を起こしてリューヘイを見やるリン。
彼女の感応能力の高さは、もはや異常とも呼べる域にあった。
そして、その彼女ですら被弾を免れなかったアッシア王城の侮れなさを、改めて実感できる。
「リン、あの時の俺の問いに対する……お前の答えは変わらないのか?」
「……はい。主にお伺いを立てないことには。……きっと、ミーを心配してくださっている、はずですから……」
胸元に手のひらを当てて、幸せそうに瞳を閉じる彼女に、リューヘイは少し躊躇った。果たしてこれは、聞いても良いことなのか。
しかし、聞かずには居られなかった。
どうしても、どうしても。
少女が手のひらを当てたその下。胸の下部中心に宿る……
おそらくは呪印の類の、紋章について。
「……キミの救護をする時に、手当をしたのは俺だ」
「……いえ、感謝はしています。ですが……」
「そうじゃない。そんなこと、盾に取るような人間じゃない」
困ったような表情を見せるリンに、リューヘイも肩を竦めた。勘違いをされるような程度でしかないほどの関係かと。
まだそこまでの信頼は得られていないのかと思いかけて、そもそもまだ自分は彼女を偶然助けただけの人間であることを思い出した。
所詮黒き三爪であるということは、彼女への信用を勝ち取る理由などにはなりはしない。
「……その、包帯を巻いた時に、気づいた。キミの、胸部に宿る紋章に」
紋章、という言葉に、微かにリンが反応した。瞳の抱く感情の色が、変わっていた。
「……どこかで、みたことがある。これは呪いの類だろう。……誰だ、やったのは」
「……ミーは……知りません……そんなの……知らない……」
「……そう、か」
少し唐突に、プライベートに踏み込みすぎたかもしれない。しかしそれでも、あの呪印が気になって仕方がなかった。あれはかなり高度な魔剣を持って組まれた代物だという気がするのだ。それも、対象を遠隔操作で殺せるレベルの。
いったい、誰が……。
「……まさか」
ちらりと視線を向けた先。リンの緊張した面もちからも、何かを察することができそうだった。
そんなの、知らない。普段の口調からかけ離れた言葉の出口は、動揺を多分にはらんだ震える唇。
表情を変えるまでには至らないが、リューヘイの瞳にはその焦燥が見えていた。
そこから推測できるのは、恐怖と不安。中身を知らず、彼女を理解することすら出来ていないリューヘイではあったが、それでも悪意というものには敏感だった。
「主……なのか?」
「ち、違いますっ! りゅ……主様は、そんなこと絶対に……!!」
「……呪印の起こす現象すら、分かっていそうな口振りだな」
「っ……あ、貴方はミーとは関係ない……!」
「関係なくはない。少なくとも、俺は味方になって欲しいと思っている」
「……っ」
ひどく、混濁したような彼女の焦り。呪印があるというたった一つの事実が、目覚めてから冷静沈着たる立ち居振る舞いだった彼女をこうもたやすく崩すのか。
「……主とやらは、知っているのか?」
「あ、主さまは……」
……。
またも、挙動不審。否応どちらにも取れるこの反応に、リューヘイは一考する。
顎に親指を当て思案するのは、仕草としてリューヘイの癖になりつつあった。
「……主の元に、戻りたいのだったな」
「え、そ、それは……」
「俺も、向かおう」
「……えっ!?」
顎から手を外したリューヘイの、言葉の意味を咀嚼するまでもなかった。
リューヘイは黒き三爪の一人。ましてや、リーダー。危険組織の筆頭であり、加えて大陸最強クラスの魔剣使いときた。
そんな人間を、北アッシアに呼ぶ? どんな理由でここに来ているのか、おおよその察しがついているというのに?
「貴方は……アッシアを潰しに来たのではないのですか?」
「……さぁな。……キミを送る意味も含めて、向かおうと考えた」
さぁな、ではない。そう糾弾したかった。
リンの感情は、思わず叫びたいと思うほどにまでかき乱されていたのだから。
しかし、リューヘイのその問いに対する答えがすぐには出てこなかった。
「……貴方は、その……」
「危険、か? そんなこと、百も承知だ。……だから――」
「ま~た僕に魔剣を預けてどっかに行こうっていうんですか? 先輩」
「――ケスティマ、遅かったな」
ひらりと舞い降りた、オレンジの髪をした少女……否、少年。あまりに少女然としているせいでほぼ女性にしか見えないのだが、この前リンが訪ねたところ男だと言うことだった。
「僕が突然こうして屋根から飛び降りても驚かないあたり、本当に異常ですね、リンさん」
「……知り合いの気配なら、驚きません」
「おおぅ、恐ろしい」
肩をすくめるケスティマに、リューヘイは背中の黒刀を投げ渡す。
「……ケスティマの言った通りだ。俺が危険だと言うのなら、魔剣を置いていこう。護衛はヴェルデに任せる。それでも、ダメか」
「主に少しの危険も与えられはしません」
「……思ったより、強情だな……」
ふぅ、とため息を吐いたリューヘイは、もう一度リンを瞳で射抜く。
「譲歩はした。だが、俺は行く以外の選択肢を、残念ながら持ち合わせていない。……もしキミがこの条件を飲まなければ、俺は勝手に北アッシア城に行くだろう」
「……っ。北アッシアが、どうしたと言うのですか」
「卑怯だと思うなら思えばいい。推測ぐらいたやすかった」
「……そこまでして、どうして……」
「キミを知りたいからだ。どうしても、知らなければいけない気がする。そしてなにより、俺がその呪印の存在を許せない」
「…………勝手、すぎます」
五千の軍から主を救う為に、とんだ恐ろしい魔物を連れていく羽目になりそうだというこの状況。
どうすればいいのか、リンには分からなかった。
「ミーには、知も、智もありません……」
小さくつぶやいた言葉は、誰に届くこともなかった。
「どういうつもりですか、先輩」
「なにがだ?」
リンを置いて外に出たケスティマ。オレンジの髪を靡かせて屋上へひらりと跳躍し、先に屋上で寝転がっていたリューヘイの足下に立った。
青空に風が一陣。耳障りな雑音を気にすることもなく、ケスティマの瞳はリューヘイを見据えて動かない。
そんな視線を向けられてもなお、リューヘイに大きな反応は見られなかった。
「呪印だ」
「……は?」
「あの呪印を、俺は見たことがある。ほかならぬ故郷、グルッテルバニアでな」
「……まさか、皇女様を貴方が気にかけていた理由は」
国名を聞いた瞬間に、ケスティマの目が驚愕に染まりあがる。ケスティマにとっても故郷である、大国グルッテルバニア。
リューヘイがそこでわざわざ記憶していることなど、そんなに多くはないはずだった。
「……先輩、そのグルッテルバニアの皇女からの依頼はどうするんですか?」
「アッシア王家の処分。隠密専門の魔剣使いが居ると分かった以上、少数での突貫は俺でも分が悪いのは分かっている。……どうしようかと、ちょうど悩んでいたところだ」
「それで、地図とにらめっこばかりしていたのでさか……」
「そういうことだ。愚直に力押しをするばかりでは、三人などという小勢では勝てはしない」
「……では、どうするつもりで?」
ケスティマの問いかけ。そこでやっと初めて、リューヘイはケスティマのほうを向いた。
「お家騒動の真っ最中だろう? まとめて潰れば行幸だ。さっさと王城を攻めさせれば、それに越したことはない」
「……そういう、ことですか」
風が、吹いた。
北西から吹いたその風は、どうしてか懐かしいにおいを抱いていて、リューヘイは黙って空を見上げた。
「……これからが、本番だ」
黒き三爪が、アッシアの戦争の、中心として動き出す。
さながら、リューヘイの変幻自在を使った時のように、荒々しく、しかし中心は傷つけず。




