ep.39 酔えぬ美酒(後)
一歩間違えれば負けていた。そしてその責任は自分にある。
しかし、これは糧だ。
赤い斧の集団が来てくれたからこそ気づけたこと。
自分がやってきたことはマイナスではない。
そう思ったからこそ、敗北寸前まで進めてしまった自分と真っ正面から向き合って叱り散らすことが出来る。
そう話していた少年が、隣で笑顔で兵士たちを労いながら、城内を歩いている。少女は、そんな彼を見つめて一つため息を吐いた。
「でも、なんとかなって本当に良かった」
笑顔で言う少年に、少女も頷いて隣を歩む。
「正直どうなるかと思ったけれど……ああ、村長さんが後で会いたいと言っていたわ。だからそれまで休んでいなさい。寝ていないのでしょう?」
「それはアリサだって同じのはずだ」
「ふふ、私はちゃんと、睡眠はとりましたっ!」
「……あー、そー」
きゃぴるんっ、なんて効果音が付随しそうな勢いで、少女は少年の前に躍り出るようにしてVサイン。呆れたように、少年は肩を竦めた。
「まあ、そういうことなら少し休むとしようか。気遣い、ありがとうな」
「気にしないで。それよりも、ゆっくり……ね?」
「そんな気にすることないよ。じゃあ、また後で」
二人が歩いていた廊下。ちょうど、少年の部屋の前にまで辿りついていた。ノブに手をかけた少年を見送るように少女は手を振って、パタリと閉じた扉を見つめて呟いた。
「……無理、しないで。貴方は強くなったけど……それ以上に……」
とても苦しそうだから。
パタリ、と扉が閉まった。
真っ暗な一室に、居るのは少年ただ一人。
先ほどまで陣頭指揮に当たっていたが、そろそろ限界を迎えていたのだ。年下の主に命じられて、仕方なく自室へと戻ってきた。
一面の、暗闇。ランタンに火を灯し、ベッドに飛び込むという一連の流れがいつもはあるのだが、今日に限っては違った。
扉付近の壁。
それを、目一杯の力で一発殴りつけた。
そこまで、響くような音でもない。
ただただ、自らの拳がジンと痛む。
「……れは……」
俯いた顔が持ち上がることはない。打ち付けた拳が下ろされることもない。この痛みすら、今は生ぬるいとさえ思えてもう一度拳を振りあげる。
壁を打つ鈍音は、それでも全くといっていいほど効果はない。罅の一つさえ入らない。当然のこと。だがその当然のことすら、今は悔しくてたまらなかった。
壁を張った少年の拳は、小さく震えていた。
唇を噛み、声にならない掠れた呼吸を幾多にも繰り返す。
「お……れは……」
擦れるようにゆっくりと沈んでいく、少年の拳。同時に屈み、うずくまる少年の体躯。
「なんで……俺は……!」
脳内を埋め尽くすのは、仲間たちの顔。そして、敗北の二文字。
負けた、負けた負けた負けた負けた。
あれだけ格好付けておいて、あれだけ安心しろなどと偉そうなことを言っておいて。
こんな無様は、ない。
「クソが……」
こんな無様はない。
「クソがあああああああああああああああああ!!!!」
うずくまり、腕と背中で外界からシャットアウトされた、一人ぼっちの暗闇で少年は叫んだ。頼むからほかの人間には聞こえてくれるな。今だけは。今だけはこの悔しさと、そして昨日までの自分と戦わせてほしい。
グリアッドは死んでいた。ライカも見捨てるところだった。自分は死ぬことさえ安易な選択肢に入れていた。アリサのあの悲壮な表情も、是として考えてしまっていた。
最後の最後まで見栄を張っている自分に反吐がでる。
どんな策を並べ立てようと、どんな口を叩こうと。人の死を悼む資格さえ、今の己には無い。
正直に言えよ。
あの村の人間が来なかったら、自分たちは敗北していたのだと。この城は落とされていたのだと。
それはつまり、賢者と呼ばれた愚者の成れの果て。
今まで、勝利しか納めてこなかったから分からなかったのだ。
この世界では、勝たねば死ぬ。
それをリアルに受け止められなかった自分だから、あんな偽善に身を染められたのだ。人の死に涙する資格は、少年にはまだ無かった。ただひたすらに生き延びる。そして主の夢を叶える。それすらも達成出来ないような人間に、戦争で敵に慈悲を与えることなど出来ようものか。
「負けない……俺は……絶対に……もう二度と……」
床に爪が食い込みそうなほどに、しゃにむに力を入れ続けて喉を憤りに震わせる。
大切な人を守りたい。大切な人の夢を叶えたい。
その気持ちと相反する、この大陸に生きる人々を舐め腐った考え。そんなもの、今は要らない。要らないんだ。悼む気持ちは武器に変えろ。勝利を納め、優しい国を作るという夢を叶えるのだ。それさえも出来ないのなら、それはただの空想。夢は夢物語にすぎない。
「もう、負けない。俺は……あいつ等を守らなきゃいけないんだ。絶対に」
コンコン、と。
木製の扉を軽く優しく叩く音がした。
「…………ふぅ」
我に返った少年は、立ち上がると膝を払って、扉の前へと進む。といっても、目の前と言っても良いほどの至近距離で蹲っていたこともあり、大した移動にはならなかった。
先ほどまでの行動を棚に上げ、もうそろそろ寝るモードだったのだがと思考をぼかしながら、扉の前に立つ。
もしかしたら、予期せぬ事態が起きたのかもしれない。
まずは冷静になることだ。襟を正して、ノブを掴む。
がちゃりと開いたそこには、懐かしい顔がほがらかな笑みを乗せて立っていた。
「村……長……」
「久しぶり、じゃのう」
にか、と人好きのする表情。今の今まで嗚咽に苦しんでいた少年も、つい口元が緩んでしまうほどの、そんな温かい雰囲気。
村長がゆっくりと持ち上げた右手にあるものを見て、少年は村長と目を合わせた。
「どうだい? 一杯」
一升瓶を軽く揺らしながら茶目っ気のする身振り手振りで、少年は思った。ああ、敵わないな、この人には、と。
「何もないっすけど、良ければどーぞ」
後頭部を掻きながら、手のひらで部屋奥を示し、村長を通して扉を閉めた。
「そこ、座ってください」
「ありがとう」
比較的柔らかいソファは、羽毛を使ったクッションのような造りだ。対座するように腰かけた二人の間には膝丈程度のローテーブルがあり、少年はカップを二つ取り出した。
栓抜きも、持っていたのだろう。村長は器用に開栓して、耳に心地よい音とともに酒をなみなみと注いでいく。
こちん、と軽い音をさせて乾杯すると、少年は一口。村長は一気に煽った。
「……この酒はの」
空になったコップをゆらゆらと揺らしながら、村長は呟いた。
また一口傾ける少年と目を合わせて、楽しげに言う。
「お前さんがあの村を救ってくれた時から地下に貯蔵されていた……最後の一本じゃ」
「……随分、懐かしく感じます」
「ふはは、若人にとって、二年は長いからのう!」
二杯目を注いだ村長の顔は、既に雰囲気に酔っているのか赤かった。本当に嬉しそうで、楽しそうで。今の自分のテンションとは大違いだと、少年は軽く自嘲する。そんな少年をじっと見つめて、村長はもう一度一気にコップの中の酒を飲み干した。
「あの時は、素直に死ぬ覚悟で居た。それを救ってくれたキミと、共にこの酒を飲む。それは、いつからか決めていたことだった」
双眸に射抜かれて、少年は何かに呑まれたような錯覚を感じた。まるで村長の雰囲気に完全に支配されたか、気づかぬうちに取り囲まれているのではないかとすら思えるほどの迫力。
しかしながらその瞳には、確かな優しさがあって。
「……きっと、いつか。一度でもキミに恩が返せた時に。こうして対面にキミを迎えて、飲むのが夢だったよ。――悩める、若人の愚痴を聴きながら、な?」
「……村長……貴方もしかして……」
好々爺とした表情を崩さないまま、片目を閉じて朗らかに言う。最後の言葉に反応した少年は、まさか先ほどまでの慟哭が聞こえていたのではないかと考えて……首を振る村長に、前のめりになっていた姿勢を収められた。
「そんなことは知らない。ただまあ、そうだのぅ……年の功か、分かるんじゃよ。例えば、誰かを心配しながらも一生懸命実務に当たる可憐な少女を見かけるとな?」
「……はは……なんかもう貴方には勝てる気がしませんよ……」
とす、とソファに背を投げて、少年は天井を見上げた。酒が入ったせいか、少し上気し混濁した脳で呟く。
「そうか……やっぱりアイツも気づいてて……俺を気遣って……」
「持ちつ持たれつ。いいことだと思うがの」
何杯目になるのやら、コップに酒を注ぐ村長。少年も身体を起こして、二杯目の酒に手を出した。どうしてか、こういう時は酒を飲まずにはいられなかった。
素面でなんか、話したくない。
そんな思いが込み上げてきて、何かに気付いた少年は、ふと村長を見る。
ん? と首を傾げる以外に、特に変わった様子はなかった。
そんな優しい老人に、少年は笑みと、涙を抑えることが出来なかった。
「わざわざ……すみません……酒も、このタイミングも、一対一なのも……俺を気遣って……貰っちゃって……」
「気にするな、若人。きっといつか、自分が導くべき後輩が出来たときに、こうしてやりなさい」
またしてもなみなみと注がれた酒を一気に煽って、「カーッ!」と、とても美味しそうに、そして楽しそうに飲む村長が、少年にはとても眩しく見えた。
そして、相対的に醜く感じる自分に、思わず膝を握りしめて俯く。
心の底からひねり出すように、吐き出したい己の愚かさを、自責の念を……ぽつりと口にした。
「俺は……」
「ん?」
「俺は、今回。自分の失態で敗北を喫するところでした。皆さんが来てくれなかったら……俺は……」
「のぅ、若人」
「……」
目を細めて、村長はまた酒を注ぐ。自分のものだけではなく、目の前の少年のものも。
「キミが勝ったから、今ここに居る」
「でもそれは」
「それは……今まで勝ってきたからだ」
「……え?」
どういう、ことだろうか。
俯き気味だった顔を上げて村長を見やれば、彼は自らが注いだ酒を手に持ち、お前も持てとばかりにジェスチャーしていた。
仕方なしに手に取ると、村長は頷いて笑う。
「……先日、ある少女……ん? 少女? 男だと言っていたが……まあ少女か。少女が儂の元を訪れての。手紙を、持ってきた」
「手紙……?」
「それは、ファリンからのものだった」
「っ!! アイツはどこに!?」
注がれた酒を零しそうになるほどの勢いで身を乗り出す少年を、村長はもう一度宥めてから言葉を続けた。まあ落ち着け。それを何度言われても、少年の焦り癖は治らない。
「王都の騎士に痛手を負わせられ、その養生を、ある男の元でしているとのことじゃった。それよりも、そこには一つのことが記されていた」
「……」
「王都から五千の軍が出立した、別働隊に違いない。だから村長、主を助けて……と」
「っ……!」
歯噛みする少年の頭に、村長は穏やかな笑みを浮かべながらぽんと片手を置いた。
「血反吐を吐きながらも、どんな手傷を負おうとも、キミのことを案じていたよ。彼女のことだ、きっと帰れる状況ならいちもくさんに帰っただろう。それがないということは、彼女はきっと、重傷だ」
「……」
「それでも、キミを支えようとしている。キミを助けようとしている。……それは、キミが今まで勝ってきたからこそ、出来たものだ。儂らもそう。キミが手を差し伸べた少女もそう。そして……キミを気遣っていた、あの王女サマもそうだ」
だから。
「負けるな。これからも、ずっと。儂らが支えられる場所は、残念ながら広くない範囲にしか及ばない。だから勝って、勝って素晴らしい仲間をこれからも見つけなさい。そして、支えて支えられて生きていくんだ。それが……
キミが持っている大切なもの。
殺す相手にすら供養を出来る、キミが持っている優しさだろう?」
「……く……ぁ……」
俯いた少年の髪の間から、ぽたぽたと雫が落ちるのが、村長には見えた。
涙が、膝に点々と落ちていく。
自分は。
自分が持っているものは、何なんだろうか。
特別冴えた軍略でも、キレる英知でもない。ただ単純な、思い。
夢を追いかける少女を。慕ってくれる妹分を。支えてくれる副官を。そして、多くの猛者たちを。
助けたいという思いが、一番最初に来ていたのだろうに。
今回の戦いが悔やまれた。
次は、絶対に負けない。
だが、それは自分のプライドが許さないからではない。自分が悔しかったから勝つのではない。皆の思いに自分の心を載せるから。だからこそ、負けられないのだ。
「分かったら、ほれ」
「……は……ぃ……」
コップを突きあわせ、村長は一気にそれを煽った。
そして少年も、一息に飲み干した。
この敗戦を飲み干して、次の戦いでは絶対に負けないようにしよう。
ただただ愚直なその思いを、少年――竜基は取り戻した。
いつの間にか一升瓶の中身は、一滴すら残っていなかった。
一気飲みはやめましょう。
活動報告【僕となろうとネット事情vol.9】にて一つ告知があります。
是非ご覧ください!




