ep.2 健気な花
物語は不意に訪れる。舞い踊る蝶のように柔らかに、雷霆のように突然に。
さすれば稀代の天才軍師と、彼の愛した懐刀の邂逅も、一つの物語の始まりだったのやもしれぬ。
古典 アッシアに咲く健気な花 序章より抜粋
夜獣の森、と呼ばれる森があった。そこは、昼は比較的穏やかでありながらも、夜になると凶暴な獣たちが食料を求めて徘徊する、きわめて危険な森だった。
そんな、森の少し開けた草場。一人の幼い少女が、鍛練に励んでいた。
まだ身長もなく、小柄な体躯で得物を振るう様は見ていて微笑ましいものがある。
……普通の得物ならば。
短く、首元でばっさりと切った赤髪。吊り上った勝ち気な目。粗野で年上から可愛がられそうな、そんな少女が振り回していたのは身の丈の倍くらいありそうな大きさの大斧であった。
一回一回大斧が風を着る度に発する轟音は、森にすむ小鳥たちを一々驚かせてやまない。
それに中々どうして彼女の素振りは様になっており、自身の身長よりも長い鉄の塊を振り回してなお彼女は疲れたふりすら見せなかった。
「128、129、130! ……まだだ、まだ足んねー!」
舌足らずなソプラノボイス。似合わない粗野な口調に乗せて、己の心を吐きだす。
瞳に宿るのは憤怒。いったい何が彼女をそうさせているのかは未だ分からないが、彼女はその目に涙を溜めて、懸命に大斧を振るっていた。
「クソ! チクショウ! 絶対! 絶対助けるから!」
涙を溜めども、流すことだけは許されない。
そう自分に言い聞かせ、少女――ライカは体を苛め抜いていた。
夕暮時。大斧を担いで自身の住まう小屋へと戻る最中のライカ。
森はだんだんと不穏な空気を醸し出し始めており、彼女の足も自然と早まっていた。
ところが、そんなライカの足が止まる。
「……旅人にしちゃ、荷物が無ぇ。けど適当に筋肉もついてやがる。兵士かと思えば身綺麗だし見た事ねー服装だし。帯刀してっし。おめー、何モンだ?」
「……」
ライカは、帰り路に足元に転がっていた少年に、しゃがむこともせず声をかけていた。
物乞いやスリの可能性もあり警戒したが、今更取られるものなど何もないのに、と心中で自嘲する。
「……おい、聞いてんのかてめー」
「……」
俯せに転がっている少年は、白い服に身を包み、黒い髪をした珍しい風体だった。別に黒髪が珍しいわけではないが、その真っ白な服というのが、この辺境であるアッシア地方には中々見られないものだった。
興味が湧いて、大斧の石突で背中をつつく。されど、身動き一つしない。
ごろりと仰向けにして少年の顔を見た彼女は、大きくため息を吐いて空を見上げた。
「寝てやがる。こんな物騒な森で」
彼女の視線の遥か先で、ワイバーンが空を舞っていた。
目が覚めたら、年端もいかぬ少女に大斧を向けられていた竜基です。
丸太小屋か何かに寝かされていたようで、外を見れば真っ暗。本当に真っ暗。東京じゃ実感できなかったほどの暗さです。
まぁ、それはいいんだが。俺は今現在、ここの家主らしき幼い少女に大斧を突きつけられていた。
……というかこの女の子、どこかで見た事あるんだが。なんだろう。大斧持ってるのも凄い既視感がある。
「おめー、何モンだ?」
「……人間であることは確かだな」
「真面目に答えやがれ!」
ぐいっと大斧を首元にまで持ってくる少女……ってソレ俺のような一般人に向ける代物じゃないと思うよ?
だが、この程度で慌てていたら将来参謀役は務まらない。そう自分に言いきかせる。
ああ、怖くない。相手はただの女の子だ。首を切られる前に動けばいい。
俺は自衛隊で上に行く男になるんだ。この程度で尻込みしていてどうする!
「……な、名前を問う時はまず自分からだろう」
「……ライカ。この小屋に住んでる、11歳の女の子だ」
不覚にもキュンと来たんだが今。ちゃんと自己紹介してくれると思わなかった。
大斧突きつけられて言う台詞じゃないが、可愛い。
……って。ライカだと?
思い出した。この舌足らずな喋り方といい、愛らしいソプラノボイスでの粗野な口調といい、首元までしかない短髪の赤毛といい。
魔剣戦記でも五指に入るほどの豪傑、ライカだ。
……え? ゲームキャラ?
なんで俺は今現在そんな猛将に大斧突きつけられているのだろう。
というかライカさんソレ魔剣だよね? もしゲームキャラのライカさんご本人だとしたら、キミの魔剣って炎纏って“炎陣舞踊”とかいう敵陣火の海にするチート武器だよね?
ゲーム内で、敵陣焼き尽くしてましたよね!?
え、怖!? 本物だとしたらって考えるだけで怖!?
前言撤回だわ将来軍師とか言う以前に今ここで死ぬ可能性がある!
「お、俺は南雲竜基。しがない中学生だ。15歳男子」
「ちゅーがくせー? その変な格好はちゅーがくせーの正装か?」
「変な恰好?」
ふと、自分の服装を見る。っておいおいなんだコレ! なんで俺が海上自衛隊の白い隊服着てるんだよ!? 軍刀も佩いてるし!?
「……どーした?」
「いや、俺もなんでこんな恰好してるのか驚いてたところだ。これは俺の国の……まあ軍隊の隊服なんだ」
すっと、大斧が下ろされた。怖かったぁ……。
ライカは不機嫌そうな顔で、俺を睨む。
というか、なんでライカが現実で目の前にいるのだろうか。
何が起きているのか状況が掴めないんだが、どうもそれは目の前のライカも同じようなのだ。
「なんで自分が着てる服に驚くんだよ意味わかんねー」
「俺もわかんねー」
「……やっぱ殺すか」
「待て待て待て待て!」
俺の発言にイラッと来たのか、額に青筋を浮かべて大斧を持ち上げようとするライカを慌てて静止させる。流石に冗談だったようで矛先を下ろしてくれた。
いつまでも俺だけが座っているわけにもいかないから、彼女も座るように促す。その際、俺が何故か持っていた軍刀は遠くへ放り投げた。
「俺は敵意なんて持ってない。どうしてここに居たのかさえも分からないんだ」
「……まあ、軍人ならあたしも警戒することはねーんだけどよ。おめー、何も覚えてねーのか? 夜獣の森で寝てたんだぞ」
「夜獣の森!?」
……魔剣戦記じゃないか。このライカだけなら混乱も落ち着いたはずなんだが……。夜獣の森は、魔剣戦記に登場する野戦場の一つのはずだ。
だとすれば、俺は今魔剣戦記の世界に居るってことか? いや、流石にそんな短絡かつ早計は止めた方がいいか。
だがそれはそれとしても、もし俺が夜獣の森に寝ていたとしたら、今頃ヤバい獣の晩御飯だった可能性が高い……拾ってくれて助かったな。
「助けてくれてありがとう。……済まないが、ライカ。ここはどこだ?」
「記憶喪失ってわけでもねーのか。ここはアッシア王国の中でも北西の北アッシア地方にある辺境の森、夜獣の森の中だ」
「森の中!? 確かここは夜になると危険な獣がうじゃうじゃ居たはずだが」
「……知ってんのか。この家の周りに4つの精霊石を置いてるから、襲われる心配はねーぞ」
精霊石。確か、精霊石に囲まれた場所で野営をすれば、獣から襲われる心配はなくなるっていうアイテムだったはずだ。
なるほど。それならこの森の中でも安全だな。
……というかアッシア王国だ? それ魔剣戦記に登場する、既に滅んだ国の名前だった気がするんだが。
……マジで魔剣戦記説濃厚?
「おめーが軍人なら話は早えー。あたしは夜獣の森でおめーを拾った。帰りの道くれーは案内してやるよ」
「……いや、多分俺帰れないわ」
「あ?」
俺の目の前で胡坐をかくライカは、訝しげな瞳で俺を睨む。
いきなり帰れないなどと言ったら、それは警戒するか。流石に。
「下手すりゃ異世界からすっ飛ばされてきたらしい。どうすればいいだろうか」
「あたしが知るかよ!?」
夢であってくれれば、いいなぁ。
変なヤツを拾ってしまった。
ライカは、夕餉にするための山菜と獣の肉を煮込みながら、小さくため息を吐いていた。
ちらりとテーブルの方を見れば、その変なヤツはどこから出したのか分からない真っ白な布のようなものに、黒い棒状のもので何かを描きこんでいるようだった。
「……ふぅ」
木製のお玉で鍋をかき混ぜる。
混沌とした鍋の中が、彼女の心中を表しているようで嫌になる。
意味が分からなかった。
異世界から来たかも知れない、と呟きながら指折り何かを数えて。そうかと思えばライカとライカの得物である大斧を交互に見て。その上最終的には自分の頭を叩いたり頬をつねったりという奇行に走る少年。
……何なんだよいったい。
話掛ければ理性のある対応……というよりも、自分よりもずっと聡明そうな答えを返してくるので、精神がイカレているわけではないはず。
……こんなヤツの世話をしている余裕なんてないはずなのに。
ライカには為すべきことがある。助けなければならない人たちが居る。
それを差し置いて見知らぬ少年を拾っている自分が嫌だった。
まるで、力及ばず救えない人たちの代償行為に、彼を拾ったのではないかと勘繰ってしまって。
幸い奇行には走るものの、奴らの手先ということはなさそうだ。あの妙な服装といい、あの混乱具合といい。そしてこの森に居たにも拘わらず自分を知らなかったこととい。
ライカが危惧していた、敵の密偵ではなさそうだ。
と、そんなことに思考を巡らせているライカの背後。
いつの間にか件の少年が隣に突っ立っていた。
「ライカ、ちょっといいか?」
「……なんだよ」
「確認だけ。ここはアッシア王国北西の北アッシア地方。んで、夜獣の森内部」
「そーだ。どーかしたか?」
「いや、ありがとう。だいたい理解は出来た。……したくなかったけど」
がっくりと肩を落とす少年……竜基。
何がそんなに落ち込む要素だったのかは分からないが、ライカは彼のことなど特に気にする様子もなく鍋を煮込む作業に戻った。
と、後ろから聞こえる声。
「まあ、とりあえず整理は付いた。西に行けば村があったはずだから、俺はそっちに向かうよ。ありがとう」
「は!?」
バッと振り返れば、軍刀を佩いて出ていこうとする竜基の姿。
……確かに、ライカは彼をここに置くなどとは言っていなかったが。
「待て待て待て待て!! おめー今の外の状況分かってんのか!? やべーヤツがゴロゴロいんだぞ!? 死ぬ気か!?」
「ああ。獣の習性ってのは色々あってな。まず、火に近寄ってくることは殆どないんだ。松明替わりのものは即席で作れるし、火の熾し方も知ってる。大丈夫だよ」
「……いや、そーかも知れねー……って。火に近寄って来ないってのはホントか?」
「? ああ。本能的に火を怖がるものなんだよ、獣ってのは。人間含めてね」
「……物知りだなおめー」
慌てて呼び止めたライカに、竜基は肩を竦めて説明を施す。
実際松明程度で寄ってこない獣など大したことはなく、夜獣の森レベルになると山火事でも起こさない限りは怯える獣はごく少数だと竜基は考えていたが……心配している彼女にわざわざそれを言う必要もない。
と、ライカは小さくため息を吐いて、彼を見据えた。その瞳は、呆れとともに優しさが灯っていて。
「一日ぐれー泊めてやる。謙虚すぎんだよ。ちったぁ泊めてくれとでも頭下げてみやがれ」
「……日本人の美徳だからしょうがない。……ていうか、流石に女の子の家……それもワンルームに泊まるのはマズいんじゃないか?」
「ワンルームで悪かったな。気にすんじゃねー。っつーかもうおめーの分まで飯作っちまってるんだ。黙って泊まればーか」
後ろ指でかまどの方を指すライカ。男前な雰囲気がするものの、それを十一歳の少女がやっていると思うと微笑ましい。
ありがたさとそんな感情が、竜基の中に溢れる。
まさか、泊めてもらえるとまで思っていなかったのだ。
「……ほんとに、いいのか?」
「いーんだよ! くどいぞ」
……わけも分からずこんな場所に居た。目が覚めたと思ったらたった一人で森の中。
だが迷惑をかけるわけにもいかず、獣と相対する覚悟までして出立しようとしていた竜基の心情は、実は心細くて仕方がなかった。
冷静沈着であれ。軍師を目指していた彼はそうやって感情を押し殺すのが得意だった。父親の教育も、そうであったから。だからこそ、今も冷静に対処しようと努力していた。
だが、ここまで混乱したのは生まれて初めて。一寸先は闇、というのがこれほどの恐ろしさを秘めているとは知らなかった。
彼が地球で送ってきた生活こそ非日常ではあったものの、それでも帰る家があってのことで。十五歳という年齢にして見知らぬ土地に放り出された絶望感は、割と大きかったのだ。
……そして、そこにぶっきらぼうでありながらも差し伸ばされた、優しいてのひら。
不覚にも、感情を潰すことが出来なかった。
「お、おい何で泣くんだよ!?」
「……すまん……ちょぉ……色々……」
玄関口で、肩を震わせ俯く竜基。
そんな彼に、ライカの中に残っていた、最後の猜疑も拭い去られた。
どこぞの下手人や悪人であるはずもない。人の優しさに心を震わせるほどの、感情がしっかりあった。
ライカは考えていた。自分が右も左も分からないような場所に飛ばされて、先ほどまでの彼のように、冷静に対処できるかと。
否、無理だ。
だからこそ、最後まで気を許すことはできなかったのだ。
「……ッツ、てめー年下相手にいつまで泣いてんだ」
「……ありがとう。ライカは優しいヤツだな」
「ばっ、ふざけんな締め出すぞ!」
「……はは」
「……んだよ、その目は」
顔を背けた少女に、竜基は小さく笑った。竜基の目の前にある彼女の耳が、頬が、真っ赤に染まっていたから。
そのまま横目で睨んでくる彼女が、どうしようも無く可愛らしかった。
「ライカ」
「この恩は、必ず返す。俺の矜持に懸けて」
「お、おう……」
初めて見せる、真剣な眼差し。ライカは若干気圧されたように頷くものの、まだ頬の熱さが取れていないこともあって顔を合わせるようなことはしない。
「ライカ」
「なんだよ!」
「鍋、吹いてる」
「うわああああああああ!?」
かまどのほうに慌てて駆けていく少女。
竜基は小さく笑ってから、人の優しさに中てられたこのどうしようもない感情を早く押し殺すのに必死だった。
こんなんじゃ立派な軍略家には到底なれないな。そう、玄関先で自嘲した。
翌日ライカが朝から鍛練の為に外へと出ると、既に竜基も起き出して体を動かしていた。
「風が強いな、この森は相変わらず」
「西の方にある山脈のせいだ。夜からこのくらいにかけては、結構吹くんだ」
竜基は鬱陶しそうにしながらも、ライカが見た事のない体術を、淡々と繰り出す。
だが彼は、鍛練の為に体術の型を行っていたわけではなかった。
(昨日一通り覚悟はしたが……ここはやはり魔剣戦記の世界なのか? 西北西から吹く風というのも、魔剣戦記に出てきた夜獣の森の設定とまるで同じ。互換性が高すぎる)
掌底、回し蹴り、マカコからのフォーリア。
体を動かしていると、自然に頭が良く回る。体術は考え事の副産物でしかなかった。
だからこそ、体技はめちゃくちゃ。しっかりと連鎖は組んでいるものの、断じて実戦向きとは言えない。
竜基の父である龍平も、体術の教え方を誤った、と匙を投げたレベルである。
(俺の最後の記憶と整合すると、嫌な仮説が一つ生まれるんだよなぁ)
下段蹴り、中段に肘、上段には空中からの回し蹴り。
竜基の頭の中に、情報が組立てられていく。
神隠しの噂、魔剣戦記から発せられたメッセージ。最後に、『ようこそワンダースフィアへ』
ワンダースフィアってどこだよ、とも考えたが、魔剣戦記の設定資料集に、そんな文字を見かけた記憶がある。
間違っていなければ、舞台となる大陸……否、世界そのものの名前。
(ゲームの世界に誘われました? 笑えない冗談だな、これは)
竜基の立てた仮説は、それだった。ゲームの世界に呼ばれてしまった。
『天下統一に一番近い貴方に問います』
(……俺が一番近かったから呼ばれた? いや、だとしたら神隠しとはまた違うのか?)
最後にサマーソルトを放ち、着地。汗を拭った。
「情報が足りないな……ん?」
嫌な、視線を感じた。
具体的に言えば、目を輝かせた少女が、身の丈に合わない大斧を抱えてこちらを見ているような。
そしてそれは、間違いではなかった。
「かっけーな今の!! な、ちょっと教えてくれ!」
父である龍平や竜基にとっては、実戦向きではない役立たずな体術であっても。
異世界の体技を初めて見るライカにしてみればそうではなかったらしい。
逆に竜基は、ライカの年相応の笑顔を初めて見た気がして、少し苦笑した。
(そう、このライカという少女も、魔剣戦記の世界に来たという仮説に一役買っているんだよな)
「こんな体術、役に立たないぞ?」
「かっけーからいーんだよ! 教えろ!」
楽しそうなライカに釣られ、ついつい竜基も頬が緩んだ。
仕方なしに、掌底の型から教え始める。
(魔剣戦記では五指に入る猛将ライカ。確か、16歳で登場だったはず。……そう、俺があの問いで5年前に設定したことで、彼女が11歳である今ここに来たというのも辻褄の合う話なんだ……)
『天下統一に一番近い貴方に問います。次回のプレイがあるとしたら、何年から始めますか?』
彼女は、はっきり言ってどう見てもあのライカだ。
……あまり5年後と変わらないし。寸胴体型だったから。
「こう、か?」
「そうそう。というかそんな簡単に覚えられると立つ瀬がないな」
「あたしは強えーからな!」
さっそく掌底をマスターした彼女に、竜基は肩を竦めた。
胸を張るライカの姿は、微笑ましいものがある。覚えるペースといい、竜基が持っても思い鉄棒を軽々振るう尋常ではない力といい、普通の少女でないことは確かなのだが。
(とにかく、今俺が出来るのは、情報収集くらいのものか。どうも、帰れるとも思えないしそれに……)
教えていないはずのサマーソルトをこなしているライカをちらりと見る。
(たとえばこんな凄い人材を指揮する軍師になれるとしたら、それはそれで悪くないしな)
苦笑を漏らした竜基に、ライカは「何か間違ってるのか?」と頬を膨らませて抗議していた。
小さく首を振ってから、竜基はライカに無駄な体術を教えるべく、思考を放棄した。
事の発端は山菜で作った朝食を食べている途中の、竜基の一言だった。
「ライカは何でここに住んでるんだ? 村とかじゃなくて」
その問いかけに一瞬目を丸くしたライカだったが、表情に陰を落として、小さく呟いた。これは、何かあるとリューキは考える。
「おめーには関係ねー」
「まあそうだろうけどよ。さっきの鍛練といい、なんだか必死が先走って無茶をしているようにも見えた」
「おめーに何が分かるんだよ!?」
ダン、と木製のテーブルを引っ叩いて立ち上がるライカ。それだけで罅が入りそうな勢いに竜基は目を丸くして。ついで彼女の憤怒の籠った瞳を見て。
それから、ボサボサの後頭部を掻きつつ、頭を下げた。
「何かあるんだな。会って1日の相手が深く入りすぎたようで悪かった」
「いや……その……あたしも……急に怒鳴った……わりぃ」
素直に謝られたことに毒気が抜けたライカも、ゆっくりともう一度席に着く。
気まずい朝食になるかと思いきや、竜基はそこまで気にした様子もなく、別の話を振っていく。
「とはいえ、俺も情報が無いと何も出来ないからな。地図とか、借りていいか?」
「? ここら一帯のしかねーぞ?」
「それで十分。小さなことでも、大事にしないと」
訝しげに竜基を見るライカ。ついで、彼女は竜基の服に目をやる。胸には、小さな勲章が付いていた。
彼女は、ふと思いついたことを問いかけた。もし、この男が軍人なら。
あの体術を見る限り、弱くは無いはず。だったら、もしかしたら……。
体技がめちゃくちゃで、戦闘能力が皆無だとは知らず。ライカは一縷の希望を見る。
「……リューキは、軍人なんだよな?」
「正確には軍人志望だ。俺の歳じゃまだ軍隊……というには語弊がありすぎるんだが……自衛隊に入るには早い」
「そっか……そのじえーたいって、皆そうやって頭使ってんのか?」
「ん?」
竜基という名前が呼びにくいとのことだったので、リューキに落ち着いた彼の呼び名。
山菜サラダを頬張る竜基は、ライカの問いの意味が一瞬分からなかったようで。
補足するように、ライカは言葉を続けた。
「おめーは本当に右も左も分からねー状況なのに、なんか冷静だ。それに、1個1個頭を使って動いてるように見えるんだ。……だからリューキの言う異世界のじえーたいってのが、凄そうだと思った」
「まあ、自衛隊の人たちは凄いな。俺なんか、どんな技能でもあの人たちに敵うとは思わないよ。でも、皆得手不得手がある」
天井を見上げるようにして、木製のフォークを行儀悪く振るいながら竜基は言う。
戦場での前線指揮が得意な人も居れば、大国との干渉が得意な人も居る。最前線で自身が大立ち回りするのが得意な人も居る。
「その中で俺は、後方指揮や策を練るのが得意な人種なんだよ。それだけに限って言えば、自衛隊でもかなり上層部に居た人間と対等に軍略戦が出来るようになった」
「……参謀ってことか?」
「それ、俺のあだ名だったな」
こっちでも言われるとは、と苦笑する竜基。
「ってことは、リューキはすげーのか?」
「そうなりたいな、俺は。軍略家として、最高クラスの人間になりたい」
なに夢語っちゃってんだかなあ。そんな風に自嘲しながら竜基がライカを見ると、その表情は複雑だった。
例えるなら、不安と期待の入り交ざったような、そんな瞳。
何度か、口を開きかけては閉じる。
しばらく竜基が黙って彼女を見つめていると、意を決したようで、ライカは彼に向き直った。
「……リューキは、50対2でも戦争に勝てるか?」
「いやに具体的な数字だな。平面でぶつかりあったら勝てない。俺弱いし」
「……そっか」
「だが」
「……?」
一気に落ちこんだ様子を見せるライカの目の前に、人差し指を出して竜基は笑った。ライカは、小首を傾げて続きを待つ。
「ありったけの情報を集めて背中からザシュッと行くのが反則じゃないなら、その限りじゃないな」
「……反則じゃ、ない! あんな奴らに、反則なんてない!」
「……まあ気づいてたけど、現状がそんな感じってことか?」
「うぐ。……そうだよ」
図星を突かれたライカは、小さく俯いて。
ゆらりと立ち上がると、テーブルを回って竜基の目の前へと歩いてきた。
そして。
「あたしを……村の皆を助けるのに、協力してくれ! お願いだ!」
バッと頭を下げた。
その勢いか何かは分からないが、床に何滴か雫が落ちる。
そのまま、もうそれ以上の雫が落ちることは無い。彼女は、体を震わせながら耐えていた。
悔しいのか、恐怖なのか、それとも別の何かなのか。そんなことは竜基には分からない。
だが、いずれにせよ竜基の出す答えは決まっていた。
「いいに決まってるだろ」
「……ぇ?」
「一宿」
ライカと竜基の間にある床を指差す。
「一飯」
自身の前に並べられた、既に空となった皿を指差す。
「この恩は必ず返す。俺はそう言ったはずだ。最初にな」
「……いいのか? 関係ねーのに」
「ライカは俺の恩人だからな。下手すりゃ昨日で俺は死んでたんだ」
嘘ではない。彼女が拾ってくれなければ、この夜獣の森で竜基は死んでいた確率が高い。それに、一日泊めるなんてことまでしてくれた。
「それに、成功するかは、状況次第だ」
「……それでも、あたし一人よりずっと良い」
「なら、決まりだ」
腕を組んで頷く竜基。その腕組みには、もう問答はしない、という意味が込められていた。
そんな竜基に、ライカはバッと頭を上げた。その目には、限界まで溜まった涙。
泣き出すのか、と身構えたが、彼女はブンブンと顔を振ってから、憮然とした表情で言った。
「泣くのは、皆を助けた時って決めてんだ」
「カッコいいな11歳」
「歳は関係ねーだろ! でも」
ありがとう。そう言って彼女は頭を下げた。
古典 アッシアに咲く健気な花――ライカとリューキが結ばれた小さくも幸せな終わりを描く、年ごろの少女たちに大人気な物語。漫画や小説にもリメイクされており、粗野な少女とそれを包んだ少年の有様が色濃く描かれている。大戦以降の記述が沢山あり、正史が何れなのか分からない現在、彼らの歩んだ一つの可能性として、文献としても注目されている。