ep.36 戦場の絆
戦場において、情が働く例は少なくない。
しかしながらこうして、恩義を感じた村が総出で領主を救いに来るという形は、本当に稀である。
エル・アリアノーズ戦記より抜粋
「ははっ……なんで……なんでここに……」
現実だとわかっていた。分かっていたからこそ、竜基の口からは乾いた笑いしか漏れなかった。
このタイミングで。この状況で。まさか、彼らが駆けつけてくれるとは。
眼前に広がる光景は嘘ではない。竜基が数ヶ月前までの一年間、ひたすら世話になった村の、村人たちであった。
「五百は居るわ……報告書にあった村の人口の、四分の一も。どれだけ、彼らは貴方に恩義を感じていたのでしょうね」
「……なんか、だめだ。涙が……」
こする瞳は赤い。これまでかと思っていた。最後に残しておいた策は、絶対に使いたくなかったのだ。だからこそここで背後を突いてくれたあの村の軍の存在は大きく、そして彼らの思いが胸のうちに流れ込んでくるような感覚は、まるで溶岩のように竜基の心を熱く呑み込んでいく。
「竜基、ぼうっとしている場合じゃないみたいだ。気を張りなよ」
「……っ。そうだな、行くぞ」
後方がほつれた今だからこそ、竜基がここで畳みかける必要があった。どんなに的確な場所から突入したからといって、彼らは農民兵。練度はともかく、士気という意味では心許ない。加えて敵軍の動きを見るに、早くも対応し始めていた。
「クサカたちの部隊はまだ持ちこたえられる。今はとにかく、敵軍の綻びから切り崩しにかかるんだ!」
竜基の位置から見える敵軍の動きを見るに、後方が崩れた影響で中軍後方が甘くなっている。そのフォローをと、敵の将校が動かす兵域は――
「ライカに連絡を回せ! いったん退いて、斜め前方の攻城中の兵士にぶつけさせろ! ガイアスには、後方との連絡を取りつつそのまま攻め上がれと伝えてくれ!」
……こちらからの攻撃がまだ甘い箇所から兵を持ってくるのなら、ライカのところの兵が少なくなるはずだ。なら本来はライカが突貫するのが一番良い……ように見えるだろう。
フェイクだ。
敵将がそこそこ優秀なら、ライカからの攻撃に気を配るようになるはずだ。だからこそそこを逆手に取り、ライカ隊の攻撃を退かせる。
逆にガイアスが攻め入れば、敵将の思考のキャパシティを一挙に奪い去れる!
「見てやがれ。さんざん苦しまされたこと、そっくり返してやる」
竜基の拳が強く握られた。
その心には、またしても自分の甘い認識で敗北しそうになった悔しさと、情けなさが滲みでていた。
「後方! 崩れ始めています!」
「敵兵力およそ五百! このままでは中軍まで背後を突かれます!」
伝令の発言に舌打ちをする。どこからそんな伏兵が沸いてでたのだ。
将校の心の中にドス黒いものが貯まっていく。この戦がここまで長引くどころか、こちらにとって不利な展開になるとは思いもしなかったのだから仕方がない。
「おい!! あの間者はどうしたっ!!」
「え……あ……!」
赤い斧の集団に気を取られている隙に逃げ仰せたようで、金髪の男は雲のように掻き消えていた。部下を殺すよりも単純で、自分の不意を打つよりも殺気を感じづらい。
最優先事項をとっさに変更し、目の前にある手柄を放棄した選択には舌を巻く。
まさか槍で囲まれた間を縫って消え去るとは、あの人間はあの人間で卓越した能力を持っていたようだ。
しかしながらそんなことを考えている場合ではない。かぶりを振ると、しかるべき処置だけをとって指揮に戻る。このままでは全軍が瓦解する。
「赤い斧の集団には左翼の部隊をぶつける! 攻城戦を行っている部隊を一旦引き上げ、そのまま反転、攻撃に当たれ! 右翼は攻城を続行! 追い打ちのような真似を許すな!」
一転して苦々しげな表情。先ほどまではきっちり手堅く攻めることができていたというのに、とんだ伏兵だ。
いったいどこから現れたというのか。
五百程度、すぐに揉み潰してくれる。そう呟いて腹の虫を抑えつつ、全軍に向かって大きく息を吸った。
部隊の反転はうまくいっている。あとは左翼にいる魔剣使いだが、炎の魔剣が猛威をふるえるような戦場ではないのだ。今の状況が続くのなら、細心の注意さえ払っていれば何の問題もない。
左翼部隊の転撃の際に生じる隙さえ凌げれば、残り兵数でも何とかやれるはずだ。
もし万が一のことがあっても、左翼側にはしっかりと目を配っていく。
あれだけ有利な状況だったというのに、互角にまで持ち直されてしまったことに、苛立ちは募るが。
それでもまだ、王都軍の有利は変わらない。
「……それにしても、落ちないものだ」
五千の兵で、そこそこの攻城兵器も揃え、果敢に戦闘を行っているにも関わらず未だに一兵すら城を越えられなかった状況。最初の一兵さえ侵入できれば戦況は一気にこちらに傾くというのに、その一報が未だに無かった。
「前線の連中はなにをやっとるんだ……」
若干の焦りを感じつつある、将校だった。
しん、と静まったボロの家。
王都内部、スラム街一歩手前と化してしまった、入り組んだ迷宮のような路地の一角。
扉の開く音で、リンは目を覚ました。
「……起きていたか」
「いえ……今目が覚めたところです」
「そうか」
凶悪な顔。未だ年齢もそこまでいっていないだろうに、表情には壮絶な半生が簡単に想像できてしまいそうなほどに強くきつく絞られた表情。
その口から紡がれる言葉はしかし、確かな優しさだった。
「あの……」
「何だ。お前はもう少し、動かない方がいい」
「いえ、ですが」
近くの、穴の空いたソファに腰をかけたリューへイは、おもむろにサイドテーブルから本を取ると、開いて目を通し始めた。
リンは、戻らなければならなかった。しかしながら、王城で受けた傷は深く、未だに血が足りなくてふらつく。
この劣悪な環境で、食料が満足に手には入らないことも一つの原因であった。
にも関わらず、今こちらを見向きもしない男は数少ない食料を、仲間でもない自分に分けてくれていた。
そのために自分が取る分が減ってしまい、そのことを難度も翡翠色の髪の少女――ヴェルデに咎められていたように思う。
「なんで、ここまでしてくださるのでしょうか」
「それが、俺の為すべき正義だと思ったからだ。昨日も、同じことを言ったはずだ」
「……正義ですか」
「そうだ」
視線を本から離すこともなく、リンの言葉に受け答えするリューへイ。鬱陶しがっているのではない。だいたい、他の仲間と話す時にもこの男は素っ気ないのだから。
リンは、思う。この不器用な優しさは、とても暖かいものだと。たとえこちらに視線をよこすことがなくても、それでもこの男の心は優しいのだと。
「リューヘイ、さん」
「なんだ」
「……正義って、なんですか?」
初めて、リューヘイの視線が動く。徐々に寝そべりつつあった体がむくりと起き上がり、リンのベッドへと顔を向けた。
「……正義が、何か。か」
「黒き三爪。あなた方の話はよく耳にします。しかし、しかしミーは、正義というものがいまいちわかりません」
「……」
ふぅ、と息を付いて、リューヘイは天井を仰いだ。リンの瞳は、そんな彼から逸らされることはない。
言葉を探すように、しばらく口元を小さく動かしては首を振るリューヘイを、リンはただ静かに見守っていた。
「そう、だな……この場に連中が居ないから言うが……正直なところ、正義が何かなんて、俺には分からない」
「……」
「絶対、なんてものはないんだ。俺の心の中にある、あやふやなもの。それを、固めて、ぶつける。そうして打ち勝つことで、やっと正義というものが生まれると思う」
いつになく、饒舌だった。
リューヘイの語り口は、普段のような鋭いものではなく。どちらかと言えばナマクラで、要領を得ないものだった。
だが、リンはリューヘイの言葉を静かに待った。この男の思いを。多くの人間を殺し、そして自らの道を探しさまよい続ける男の言葉を。
「俺には、正しいと信じる条がある。間違っていると思う感情がある。その全ては、俺のものだ。俺は、俺に従って、この世の全てと、向き合いたい」
「アッシアの今が、間違っているから動く、と」
「そしてキミを助けるべきだと思ったから、助けた」
「……そう、ですか」
リンが思わず俯いたのを、リューヘイは小さな笑みとともに見ていた。その口元は、誰にも分からないほどに浮き上がり、それがリューヘイにとってのほほえみだった。
「俺は、器用じゃない」
「はい」
「だから、俺を正せるような人が居るのであれば、それは俺が間違っているのだろうと思う。だが、そうじゃない限りは俺が正しい。そう思って動くしか、ない」
「知将、と言われる貴方らしくないですね」
「ーー誰に聞いたのか知らないが。俺は知はあっても智はないのだ。知っては居る。だから、戦いには負けない。だが、未来への展望や、国を動かすような人間にはなれないだろうな」
「よく、わかりません」
「分からなくていいことだ。お前も、智はなさそうだ」
小馬鹿にしたような笑み、ではなかった。純粋に、ただただ目を細め、リンを見た。
自分と同じだ、という自嘲であろうか。それとも、別の何かであろうか。
リンには、よく分からない。
「ケスティマが、もうキミの言葉は伝えているだろう」
「!! で、では!」
「……事情は聞かない。だが、「主が危ない」とだけ伝えておくように言ってある。もう北アッシアなら到着しているだろう。その人を信頼しているのなら、キミはゆっくり休めばいい」
「そう、ですか……」
ひとまずの安堵を顔にだし、リンは目を閉じた。
リューヘイは、北アッシアという地名に対して何か言いたげであったが、結局黙っていてくれた。
一度の誠意は貫く、と。誰が主なのか、もしかしたらリューヘイは知って居るかもしれない。
だが、リンが言葉を伝えたのは、とある村の村長だ。
だから、大丈夫だ。
「なあ、リンよ」
「なんでしょうか?」
「もしお前がよければ、なんだが」
リンの顔を見つめ、リューヘイは立ち上がった。
そして、小さく手を指しのばした。
「もしキミがよければ、なんだが。その主の元に帰るまででいい」
「……はい?」
リューヘイの意図が読めない。
だが、そんなリンの感情など気にも止めない様子で、リューヘイは続けた。
「共に、戦ってはくれないだろうか? この国を。この国の人々を悪政から救う為に」
リューヘイの真摯な瞳が、リンの双眸を貫いた。
一時間後に新作投稿します。
ジャンルは全く違いますがよろしければそちらもどうぞ。




