ep.31 前哨戦(下)
北アッシア侵攻戦と呼ばれるこの戦いの序章は、まるで物語の導入かのように柔らかに火蓋を切られた。しかしながら当然のように、この攻城戦は始まったばかりだったのだ。
エル・アリアノーズ戦記より抜粋
「ガイアス!」
届くはずがないとわかっていても、叫んでしまう。
竜基の作戦は軌道に乗っていた。風と炎を合わせ、草原という天然の火薬庫を利用した火計。前回の記憶が蘇ってしまうのを、頭を振って遮る。アリサと決めた、誓い。優しい国を作るため。戦っていくのだ。
ガイアスの姿は暗闇に紛れて見えないが、それでもあの激しく燃える火炎玉を敵陣にぶつけているのは間違いなくあの男の仕業であった。
よくやった、と思う。
竜基には本当に遠目にしか見えない、戦場の真っただ中。だがそこには輝くように猛威を振るう魔剣使いがいて。
自らの夢であった、魔剣使いを指揮する軍師という憧れは、気づかないままに達成されていた。
今回竜基が立案した作戦は、そう難しいものではない。
実りの秋と、乾燥した草原、そして風と炎の魔剣という条件を並べれば積木のように組み立てられるほどのものでしかなかった。
とてもシンプルで、分かりやすい。しかしながらそんな戦略でも、人の本能さえ操作できれば容易く成功するのだ。
慢心。
たかだか千もいかないような兵士が守る城。それを、こんな軍団で攻めるのだ。恐怖とか不安と言ったものはどうしても押し流されてしまう。そういう風に鼓舞されていたことも一役買ってしまったのだろう。
飢え。
こちらが、大きなウェイトを占めていたと言っても過言ではないほどの威力を見せていた。実りの秋に、わざわざ城外で育てていた食糧。戦争前の備蓄が遅れたのだと思えば飛びかかっても仕方がない。何せ、食糧は無くとも炊事の準備は軍で整っているのだ。奪い取れれば、自らの欲望が満たされる。
だからこそこの作戦が嵌った。
ヒナゲシの工作部隊にさせていたのは、硫黄煙硝を食糧に見立てて運搬させること。そして、着火。あとはライカを突入させれば、百以上の車に火が付く。加えてこの空っ風の吹く乾燥した草原だ。夜獣の森など比ではないほどに焔は踊る。
ライカの炎支配の力も増し、ガイアスの風圧操作で炎を煽ることも出来る。試験的ではあったが、火計に関しては最高の布陣と言えるだろう。
夜の帳に煌々と爆ぜる草原の火計。暗がりに混乱を巻き起こし、背後に回っていたクサカの部隊が突入。ちょうど戦争前で気を抜いていた敵軍には、大打撃を与えることが出来たのだ。
「クサカがリッカルドを捕縛するのは無理があるか?」
突入部隊はそろそろ引き上げ時だ。あれは混乱を引き起こすには使えても、そのまま攻め上がるには危険な部分がある。クサカの部隊に捕縛を命じていたは良いが、竜基の目には、この状況だと捕縛は難しそうに映ってしまっていた。
ガイアスの本陣強襲で、敵陣への攻撃には事欠かないが、さて。
「まあでも、クサカならやってくれそうだ」
自らの武将への信頼。それは竜基がこの世界に来て初めて得た、戦いの中での絆が生んだ物だった。
くるりと反転して、竜基は物見櫓を後にする。クサカが心配な以上、用意してある次善の策をいつでも使えるようにはしておきたかったのだ。
万が一には備えられるようにする。これも、信頼とはまた別の形で得たものだった。
規定の日時になっても、ファリンが帰ってきていないのだから。
クサカ率いる一隊が背後から敵陣に突入できたのは、いくつかの理由があってのことだ。リッカルドの敷いた陣付近はちょうど身を隠しやすい丈の草や、木々などで見晴しが一番悪い場所であったことと、そして哨戒の敵兵が前方の火計に目を奪われていたこと。
二つが重なりあうことで、スムーズな手口を成功させていた。
「よし、陣にも火を付けてしまえ!」
兵士の動きは、日々の訓練の成果もあって迅速であった。まだまだ足りない部分はあれども、ここまで短時間で練度を上げることができたガイアスに小さく感謝の念を抱く。軍部を任されていたとはいえ、実地の訓練にあたるのは自分ではないのだから。
クサカの叫びに気づいたか、敵兵がちらほらと現れる。しかしながらクサカの用兵術と、武具や偽令による錯乱で、戦場を巧みに支配していく。
卓越した戦闘技能。それがクサカの持ち味であった。この状況からいかにして最も味方に有利に働きかけられるか、また命じられた仕事を最高以上の完成度で成し遂げるにはどうすればいいか。
そんなイロハが叩き込まれていると言ってもいいほどの経験と技量。クサカという戦力は、アリサ軍においては一番戦略的行動向けの司令官であった。
「……む!」
瞳の端に見つけるは、こんな状況にあってまだ軍をまとめようと足掻く数人の隊長格。
クサカの記憶では、そろそろこの陣の中核を成す場所へと到達していい頃であった。荒らしに荒らして回ったのだ。突入する準備は出来ている。
任務は、敵陣の混乱とあわよくば敵総大将の捕獲。
軽く言ってくれるが、相当な難易度だ。しかしながらクサカは、この状況に一人口元を釣り上げる。
「なるほど。こんなあっさり行くことまで見越しての任命かい」
アリサに聞いて、その人となりを把握していたのか。クサカの実力に対する信頼か。そのまた両方なのかはわからないが、ここまで円滑に事が進むことまで読めていたのだとしたらまた恐ろしい。
「そいやあ!」
槍を振るう。馬上からのスイングは、敵兵の胴をまるでゴルフのように弾き飛ばす。
突き刺し、馬を操り牽制し、振るい、切り裂く。
敵陣営の真っただ中にありながら、我が道をゆかんばかりにクサカの進撃は続いていった。
「出てこいリッカルドォ!」
敵中深く。普段だったらとっくにかき乱して撤退している状況ながら、クサカはまだリッカルドを捕縛するために動いていた。
そして案の定声のかかる範囲に居たのだろう。十数人の部下を率いて駆けているところを視認する。身を屈めて馬を走らせているところを見ると、すでに逃亡を開始しているとみていい。それほどまでに今回の策は嵌っていたということだ。
「逃さん!」
馬首を翻し、槍に代わって弓を取り出す。番えた先にはリッカルドの周囲を固める兵士たち。弓矢の精度が決して優れているわけではない。だが長年の経験にものを言わせて、一人の首を的確に射抜く。
見ればリッカルドは、味方が倒れたのを見るや否や猛然と振り返った。そして、その先に居るのは昔からリッカルドも何度も見てきたアリサの古将、クサカである。
「クサカ……きっさまああああ!」
よほど今回の戦いが堪えたのだろう。わけのわからないままに味方が殆ど崩されたのだから仕方がないといえば仕方がないが。残念ながら、殺した敵兵の数など二千を超えるかわからない戦なのだ。リッカルド軍はそのほとんどが、逃走兵によっての瓦解だったのだ。
「久しいな! 悪いが捕えさせてもらうぞ!」
「ふざけるなよ……こんなことになった報いは必ず受けさせてやる!」
激昂をあらわにしながらも、されど今は逃走に徹するようで。リッカルドは南東の草原奥にある林へと入ろうとする。それを見て、クサカは口元を緩めずにはいられなかった。
なぜなら。
「やれぇ!」
「うわ!?」
リッカルド率いる小隊が林に入るか否かというタイミングで、丈の長い草に隠れた伏兵が槍を突出し、馬を狩りにかかったからだ。
リッカルドの馬も例外なく転落し、瞬く間に兵士たちによって捕縛される。
離せ離せと喚き散らすこの青年を見下ろしながら、伏兵の場所まで的確だった己の上官に対しての笑みを、小さく浮かべた。
水面に浮上するが如く、ゆっくりと意識が前面へと押し出されるようにして目を覚ました。ここは、いったいどこだろうか。
随分と年季の入った木造の屋根は、腐食が進んでいるのか妙に黒ずんでいて。首を横に倒せば、どこかのリビングのような一室だった。揺り椅子と、ソファ。そして、ランタンとランプ。ろうそく。小さなテーブル。
荷物らしきバックパックが三つ、仲良く部屋の隅に積まれている以外に、目立った家財は見当たらない。
テーブルの上には、羽ペンと、布製の地図……だろうか。妙に作り掛けのようで、白い部分が目立つものが載っていた。
扉は、テーブルの近くに一つだけ。ソファと椅子も、随分と破れや修復痕が目につく古いもののようだった。
「……誰か、居るのでしょうか……」
不安で仕方がなかった。
何より、伝えるべき情報を抱えているままだ。五千もの軍が追加で北アッシア城を狙っている。主にこのことを知らせなければ、一気に戦況は不利になってしまう。
主が自分を頼りにしているからこその、危惧であった。
だが、立ち上がろうとしたところで視界がふらついた。
血が足りないようだ。腹に巻かれた包帯には、じんわりと褐色が広がっている。止血すら、完全には済んでいないのだと今になって気づいた。
しかし。いったい誰が。
ふと思考が過った瞬間のことだった。キィと、軋んだ蝶番の音が鳴り響いた。警戒を露わに、動こうとしても体が思うように働いてくれない。
舌打ちしたい気持ちを我慢してせめて天井に張り付いて難を逃れようと跳躍する寸前で、声がかかった。
「目が覚めたか」
「……どちらの方でしょうか」
長身で、引き締まった体をした男だった。オールバックの髪といい、その尋常ならざる鋭い双眸といい、どこか歴戦の傭兵を想像させる戦士然とした青年。
しかしながらその身に纏う覇気とオーラは、自らの主とは対極に位置するような殺伐としたものを孕んでいた。
「あなたが……ここまで?」
「ああ、意識を取り戻してくれたようで何よりだ……痛みは?」
「特には」
会話の節々から、優しさは垣間見えた。だからこそ、警戒は一層強まってしまう。この世の中には、自分の主のような優しい人間はほとんどいない。見返りか、要求か……何がこの後に待っているのか。
虚空を掴む手のひらを滑らせまさぐって、とにかく抵抗できるものを探す。視線は青年から外すことができない。とにかく、何か。武装など、自分のものはすべて解除されてしまっているのだ。当然ながら、周りには抵抗の足しになりそうなものは無かった。
「……そんなに敵視されてもな。困る」
「すみませんが……何故わざわざこのようなことをされたのか」
「……自己満足だよ」
肩を竦めた青年に悪意は見えない。瞳こそ黒く染められているものの、その奥には確かな光が見えた。
「俺はあの時、お前を助けることが正義だと思ったから助けた。ただそれだけだ」
「正義、ですか」
「……理解は、されにくいことだがな」
青年はまた笑う。当然、理解はできなかった。
「俺はリューヘイだ。お前は?」
「……リン。リンです」
「そうか。いろいろ事情がありそうだが、しばらく静養するといい」
一つうなづくと、近くのソファにどかりと腰かける。リューヘイと名乗ったその青年は、一振りの太刀を取り出すと、その鞘を抜いて丁寧に刀身を磨き始めた。
リンには、それがどうにも動けない理由となってしまっていた。彼に対する害意はなくとも、動いた瞬間が怖くて仕方がない。
だが、だからと言って主に伝えるという義務を怠るわけにはいかないのだ。
「あの……ミーは……」
「事情があるのはわかるが、今動くと倒れるぞ。すぐに」
「わかっています。でも、それでも」
「……聞いてもいいか?」
「伝えないと、大切な人が危険なのです」




