ep.30 前哨戦(上)
今週の、僕となろうとネット事情 は火曜日の更新です。日曜日の間、家に居られないので。……くそう、活動報告にも予約機能ないかなー。
アッシアの悪政に対する国民の怒りは、アリサ王女の奮闘とともに声高となっていく。
しかしながら今はまだ、それが表に出るほどに彼女の力は強くなかった。
エル・アリアノーズ戦記より抜粋
北アッシア城の入り口では、百人の兵士と、騎乗したヒナゲシを見送る竜基の姿があった。二言三言交わすと、ヒナゲシの号令で城門が開く。その向こうにはさらに壁があり出撃には中々不便なのだが、これは一長一短の防衛策なので仕方がない。城門の左から、外に出られるように出口が作られているのだ。
「竜基、信じてるからね」
「何とも重い言葉をありがとう。足がまだ治ってないんだ。囮になるなど考えず、すぐに逃げてくるんだぞ」
「分かってるって」
そう、馬上のヒナゲシは、松葉杖は取れるようになったものの、未だ歩くには覚束ない体だった。だからこそ元々はこの戦いに参加させるつもりも無かったのだが、他ならぬ彼女の強い要望で、竜基はもっとも交戦する可能性の薄い工作部隊への所属を命じたのだった。
「それじゃあ、行ってくる。竜基、頑張ろうね」
「ああ。そうだな」
頷いて、見送る。ヒナゲシの後を、百の兵士に守られた輜重隊が進んでいった。馬車には穀物輸送の為の白い幕が張られ、進んでいく。
「刈り入れ時だからねぇ」
「いたのかグリアッド。その意味深な台詞が、なんだかちょっと笑えてくるよ」
ヒナゲシたちが出て行った城門を見据えて、突如現れたグリアッドと笑う。
とにもかくにも、今日が勝負だ。
「もうすぐ暗くなるし、僕も準備を整えるよ」
「任せた。というか、最終防衛ラインなんだ、頼んだ」
「気が向いたらね~」
飄々と、そんなことを言って居なくなるグリアッド。だが、言葉尻とは裏腹に竜基は彼を信用していた。
そして、こういった信用が生まれてきたことを、嬉しくも思っていた。
「何事にも抜かりのない仲間たちが増えて、俺は幸せだ」
竜基は頭を掻きながら、司令部へと戻っていく。
夜に向けての準備は、全て整っていた。
ライカの配置は済んだ。クサカは意図を汲んで戦ってくれるはず。ガイアスにしても全く問題はない。となれば、あとは首尾よくいくはずだ。
分かっていても、竜基の頭から不安が離れることはなかった。この軍は、全ての作戦が竜基の立案の元に成り立っている。つまるところ、彼次第でアリサ達は、生きもするし死にもするのだ。命運は、完全に竜基が握っていると言っても過言ではなかった。
「……いい加減吹っ切れようぜ、俺」
嘆息。廊下を歩きながら、自らの中で鉛のように重く、そして蠢く心の錘を吐き出そうとしていた。こればっかりは、ストレスが溜まっている以上仕方ないとはいえ。それでもやっぱり、いい加減切り離したくて仕方がなかった。
アリサが血の河を渡る覚悟をしてまで、優しい国を目指しているというのに。自分ときたら未だにうじうじしているのだ。
「だがまあ、周りに心配かけないレベルまで行けたのは間違いなくアリサの御蔭だろうな」
自分でも、そう思う。
あの夜獣の森の戦い。その夜にアリサと語り合ったこれからのこと。
きっと、引っ叩かれたあの時の御蔭で、竜基は前を向いていられる。戦えている。
もう、何千人を殺す覚悟は……いや、アリサの悲願を叶える覚悟はできていた。ならば、せめて。
「……戦い続けることで証明しよう」
戦争の妙。それを知らないはずがないのだ。この南雲竜基の名に懸けて。
戦わずして勝つことが不可能だとしても。己の持つ兵士達が、どう頑張っても乏しいと、分かっていても。それでも、軍師を。参謀を目指して生きてきたこの南雲竜基の沽券に懸けて、きっと勝つ。鮮やかに勝つ。
拳を握りしめて、天井を仰いだ。
「あ~ちゃん?」
「ん~?」
窓の外を眺めていたアリサに、グリアッドは声をかけた。兵士達は既に配備が完了しており、グリアッドは彼女を守っていれば良かった。
命に代えても、守り抜く。もし万が一竜基の策が外れたとしても、最後の砦として任されたのが自分であった。
こう考えると、どんなに竜基の策で渡り合えたとしても、未だ自分たちは完全に劣勢なのだと嫌でも自覚させられる。
しかしながらその“いつまでも劣勢”というこの状況が、油断を生まず、慢心することなく、いつでも慎重かつ丁寧に戦いを演出することが出来るというのも確かだった。
強者の余裕も、弱者の必死さも見せてはならない。
そんな状況であればこそ、グリアッドも気を抜かず、そして平静でいられることができていた。
「……なんだか、胸騒ぎがするのよ」
「竜基の策が、外れると?」
振り向いたアリサの不安げな表情に、グリアッドの顔も引き締まった。彼女の口から告げられたのは、どうカテゴライズしても不吉な言葉。
竜基の策は、今回全員に知らされてはいない。相手の準備が整ってからの戦ともあって間者を警戒したのだろうか。その真意は分からないが、竜基は何等かの考えの元に、作戦の殆どを自分と、アリサの二人だけで行っていた。
そして、アリサの表情を見るに、おそらく彼女も作戦を聞いただけ、という形なのだろう。
「リューキは大丈夫だと言っていたし、私もこれで問題ないと思ってる。けれど……どうしても何かが引っ掛かるの」
「今回の戦、かな?」
「分からない。それすらも。けど、何かが不安。皆が無事なら……良いけれど」
グリアッドは、会話を切った。こう言う時に、大勢を見越した発言が出来ない自分に、辟易する。ヒナゲシか誰かに今度教えてもらうべきかとも思いつつ、肩を竦めてアリサに笑いかけた。
「大丈夫だよ。僕もだけど、皆が頑張ってる。あ~ちゃんのその心配が、具体的に分かったら教えて欲しいな」
「……ごめんなさい。君主失格よねこんなことを言ってちゃ。とにかく、グリアッドは私を守ってくれているから心配はないわ。後でリューキに聞いてみる」
強く頷いて、アリサは扉を開く。彼女の配置は、対攻城戦。部隊も整っているのだ、一点からの攻撃ならば、竜基の作った兵器で護ることが出来る。
だから。
アリサの不安も、何もかも。
今夜の戦いで明らかになるのだ。
王都の、迷路のような路地裏。
日中だというのに、陽光の一筋すら入らないようなそんな、ジメジメとした暗がりの道を、這うように進む一つの影があった。
ボタボタと垂れる滴は、ドロリとしていて生暖かい。それが点々と、その影の通ってきた道を続いていた。
紅い。
片腕を路地の壁に置き、支えることで辛うじて立っていた。しかしながら、進もうとする足は思った以上に重く、辛く。そして視界すら、うっすらとぼやけてきた。
血が足りない。
しかしながら、そのようなことは関係がなかった。
一刻も。一刻も早く、このことを主にお伝えしなければならない。そうでなければ、主は。そして、主の仲間たちは。
一歩、進む。
左腕で強引に抑えている腹からは、今も血が漏れている。これは、とてもではないが止まりそうにない。
この傷を受けた相手と対峙してしまった時。見つかるはずがないという慢心が招いた動揺が、勝負の分け目であった。
脱兎の如く逃げ出すも、瞬間的な速さで遅れを取り。そして受けた傷がこの致命傷。
よく、撒けたものだと思う。
しかしながら、これでは主の元にすら帰れず、倒れてしまう。
一歩、進む。
視界がとうとう、言うことを聞いてくれなくなった。だんだんと白い靄に邪魔されて狭まってきた世界が、とうとうその靄に包まれて消えそうだ。自分がどこを歩いているのか、そもそも歩けているのか。足に力が入っているのか。
それすらも分からなくなってきた。
痛い。痛い。
どてっぱらに受けた攻撃は、貫通するようにして腹を突き破った。その時の衝撃と激痛は、今も思い出すだけで寒気がする。そして、瞬間的な激痛とはまた別の、鈍痛が今も自らを呪いのように襲っていた。
「……っぐ……」
声が、漏れた。
ダメだ。弱みを見せてはいけない。それに、こんな遅い速度でしか動けないなど、失格だ。迅速に。迅速にお伝えしなければ。そうでなくては、主たちが。
そう己を叱咤する。しかしながら、その叱咤する体力すらも、失われようとしていた。
足が、震える。
僅かながらに進めてきたこの歩みすら止まってしまいそうになる。
それだけは許されない。務めすらも全うできないようでは、自らを拾ってくれた主に示しがつかない。
そればかりか、信頼を裏切ることになってしまう。
「……あ」
信念と、執念で持ちこたえていた。
だが、体の方は既に限界を迎えて久しかった。
思うように力が入らないことも自覚していた。自覚していながら、普段を思いだしシミュレーションして、やっとのことで進んでいた。
だが、とうとう思考すらも鈍り始めた。頭がふらつき、足が震え、体がぐらりと揺れる。
いけない。
分かってはいても、どうすることもできない。重い。重い。重い。
どうにか……どうにか……
「主、に……おつ……たえ……を……りゅ……き……さま……」
幼き隠密は、王都の路地裏に倒れ伏した。
腹に、何かで貫かれたらしき、大きな怪我を抱えて。
血だまりが、広がろうとしていた。
仲間の二人は各々の仕事の為に出かけていた。
やらなければならないことはいくつもあり、前準備はしておくに越したことはない。
リューヘイはそう考えて、王都の入り組んだ路地を歩き回っていた。
理由は簡単。単純に王都のこの迷路じみた道道を掌握してしまおうと考えていたのである。脱出するにしろ、攻勢に移るにしろ。
いずれにせよ報酬はグルッテルバニアで貰うのだ。アッシア王国からは、依頼遂行と同時に消えても構わない。
だからこそ脱出経路や、その他諸々に使う道、ないし地理は把握しておいて損はなかった。
「ミナは……元気だろうか」
ふと、一人の少女を思い出す。彼女はあの実直そうな父親と上手くやれているだろうか。あの村はきちんと発展を取り戻しているだろうか。シャルルは、政を今日もこなしているのだろうか。
リューヘイはたまに感傷にふける時があった。
このご時世で、おまけに記憶喪失。意識を取り戻した時に持っていたのは、思った以上に恵まれた体と、そしてどこで手に入れたのか分からない策略の知識だけ。昔のことや、この世界の文字の読み書きといった一般教養は完全に欠落していたのだった。
だからこそ、だろうか。
人の情というものに、敏感だった。
人道に沿った、などということは考えられない。だけれども、間違っている、と思ったことに対しては何を差し置いても刃向った。立ち向かった。
善いかどうかなど知らない。
だが、間違っていることを正したいという気持ちは。そのために自分が泥を被っても構わないという意気込みは。誰にも負けないつもりでいた。
リューヘイは、あの時もミナという少女を助けることが正しいと思ったからそうしただけだ。目の前に映る、農民を奴隷のように扱う炭鉱が間違っていると思ったから正しただけだ。
何よりも真っ直ぐで、人に認められず、そして抗う。
それがリューヘイで、それが黒き三爪だった。
理解などされなくてもいい。だが、間違っていると思ったことを正す。
人を、助ける。
礼を言われずとも、正しい人達が笑顔で居られる世界にしたい。
それが、願いだった。
「……元気だと、いいが」
口下手で、意地が悪い。そんなリューヘイだが、人一倍に思いやりが強かった。
だが、それでもリューヘイは己の正義を貫くためにいつも前を向いていた。
「元気で、いてくれよ」
一度や二度しか会っていない少女に、願う。空を見上げて、滅多に動かさない表情筋を吊り上げて小さく笑った。
「……ん?」
道が、またも分かれていた。三叉路、である。どの道から進んでいこうか迷ったが、特に何事にも迷わない性分であったリューヘイは、気の向くままに右端の道に決めて、一歩を踏み出した。
と、その瞬間に動きが止まった。
「……血痕?」
足元に、点々と続く赤い痕。この道を進んでいったかのように、奥へ奥へと続いていた。色を見るに、まだ新しい。
「……ッツ」
駆け出した。戦闘になることも考え、背中の蓑から刀を掴み、そのまま駆ける。
そして見つけた。倒れ伏した、黒装束の少女を。
「おい、無事か!」
触れようとして、息を呑んだ。どてっ腹に大きな傷。これはもう、何かしら……おそらく刃物のようなもので貫かれたに違いない。
喉に耳を近づける。……息はあった。
「生きてろよ……胸糞の悪い……!」
なるべく傷つけないように少女を抱き上げ、その軽さに一度驚くも、すぐに気合を入れ直して片腕で刀を振るった。
「変幻自在!」
地面に突き刺さった刀は、その丈をぐんぐんと伸ばしていく。
リューヘイは跳躍すると、刀の伸びる勢いを受けて高い屋根へと飛び乗った。地面から引き抜くようにして刀を納め、駆けだす。
「アジトまでもってくれ……」
ただ純粋に苦しむ少女を、リューヘイは泣きそうな表情で見つめ、そして再度駆け出した。
「……来たか!」
北アッシア城の物見櫓から情勢を眺めていた竜基の喉が震えた。
目下、城より三十里ほど離れた地点で作戦行動に入っていたヒナゲシの工作隊に、突貫する勢いで襲い来る敵が現れたのだ。
「……いくつくらいだ? グリアッド」
「だいたい五千くらいだねぇ」
手で庇を作って、隣に居たグリアッドが呟く。竜基はその数を反芻して、そのまま思考に入った。
おそらく半分以上がこちらに来ている。ということは陣の中には四千弱よりも少ない兵士が守っているだろう。
「大将旗は?」
「見えないねぇ」
「退却のドラを鳴らせェ!」
グリアッドのサポートで、竜基の頭脳は高速で回転を始めた。
軍師の命令ともあって、北アッシア城の外壁ではいくつものドラが鳴り始める。
それは中継地点に居た兵士を繋ぎ、伝播し、やがて工作隊の耳にも入ったのか、ヒナゲシらしき人影の合図で百人の工作隊が逃げ帰ってきた。およそ五里程度の距離しかない相手との幅。城の近くまで来ていた敵兵たちは、そのまま食糧を回収しようと動く。予想通りの展開だ。
ドラを鳴らす役割を、狼煙のように兵士の駐屯で扱ったことで、より迅速な処理が可能となった。これはヒナゲシのアイデアであり、竜基も満足してこの状況を見守る。
「日没は近いな。よし」
一つ頷く。草原では、大量の荷車を囲む愚かな敵兵たちの影。
向こう側遠くに見える敵陣は、動く様子は無し。
完璧だ。
「強襲部隊を! ライカを出せ!!」
竜基の指令に、ドラの音色が変わる。そして、しばらく。
秋の乾いた草原に、朱の色が加わった。
五千からなる部隊の中。輜重物資を手に入れた兵士達の中には、当然というべきか我先にと物資を食糧を得ようとする輩が現れた。
突撃部隊に、リッカルドが居なかったこともあってか、いまいち統率がとれていないのも仕方のないことだろうとは思う。しかし。今回は勝手が違ったのだ。
うぇへへと下劣な笑みを浮かべて白い布を引き裂き、荷車の中身を見た兵士達の目に映ったのは、食糧の入るような俵や瓶などではなく。
荷車一杯に詰められた、どこかきつい臭いを発する石のような――
「なんだこれ?」
と混乱をあらわにしたその瞬間。
兵士の周囲は火の海へと変わっていた。
「え? え?」
先ほどまで、食糧物資を強奪し意気揚々と帰ろうとしていたところ。だったというのに、なんだこれは。
周りにあった荷車は愚か、人々の叫びが、焼け焦げていく世界が目前に広がっていく。
「え、なんで――」
荷車に乗っていた男が訳も分からないうちにそう言いかけて、そのまま荷車ごと爆砕した。
焔が舞う。
「炎陣舞踊!」
拙い少女のソプラノに乗せて、炎が草原を焼き尽くしていく。
爆発の轟音。吹きだす黒い煙。その中で踊る、緋の少女。
「今日は炎の機嫌が良い! きっとリューキの御蔭だな!」
彼女の大斧、そしてその演目である炎陣舞踊は、周囲に火炎をまき散らして周囲五里以上を火の海に変えてしまう他、その場に踊る炎達をある程度自在に操れる、ということが可能だ。
で、あればこそ。
硫黄煙硝の詰まった荷車というのはとても美味しい燃料で。そして何より、エイコウの御蔭で出来た銅碗口銃の影響で火薬の質も上がっていたのが大きかった。
今の彼女の指揮下にある炎は、実に数里にも及んでいた。
「……待ち伏せした場所ドンピシャに敵軍が通るんだもん。さすがリューキだぜ!」
うりゃりゃりゃりゃ!
火炎の舞いは、終わらない。彼女の魔力尽きるまで、命を吹き込まれた炎たちが消えてしまうことはない。
草原という、ある種障害物が無く燃料が大量に存在する地点というのは。ライカに取っては絶好の暴れられる環境であったのだ。
「先に進んでいった兵士達が炎に包まれています!」
その一報を小耳に挟んだリッカルドは、従者の案内で陣の前方まで出てきていた。
そこで見たのは、北アッシア城との間にある草原が、文字通り火の海となってしまっている構図。それも既に陽が落ちたこともあって、日中は見えていた北アッシア城が見えなくなってしまっていた。
代わりに、炎に包まれた草原の空が、とても明るく見えていた。
「……! 逃げ帰ってきたようです!」
従者の声と、指差した方角を見る。すると、這う這うの体で帰ってきた、兵士達の一団が見えた。しかし、様子がおかしい。
「門を開き、迎え入れろ!」
リッカルドの指令に、控えていた兵士が駆け出す。従者は既に進撃の準備を整え始めていた。
実際問題、ここで五千の兵士を失う訳にはいかないのだ。ここは迅速に攻め上がるしかないだろう。
と、入ってきた兵士の一人が、転がるようにリッカルドに傅いて言った。
「申し上げます! 化け物が! 化け物がすぐに!」
何事かと振り返った瞬間に、陣全体が地震のように揺らいだ。
柵が大破、さらに焦げ尽きて、倒れている。いったい。
「来たぞおおおおお!」
兵士の怯えたような叫び。
合わせてリッカルドが目にしたのは、文字通り日輪だった。
炎の玉が、柵にぶつかって爆ぜたのである。
「……なんだ、このふざけた芸当は!」
いや、それよりも。
「風だ! 向かい風のせいであの炎がこちらへ向かっている!」
叫んだリッカルドの動揺した表情に、周囲の兵士達も浮足立った。
何より総司令官がその有様である。とにもかくにも、自然の脅威というのは恐ろしいもので。リッカルド程度の人間では、落ち着いた対処が出来なくなっていた。
「退却だ! 退却だ!」
「落ち着いてください殿下! まだあの炎の中で、五千の兵士達が戦っているのですぞ!」
「知ったことか! あの炎の勢いじゃ何れ死ぬ! お前らまで死にたいのか!」
炎は今も差し迫っている。既にリッカルドは気が気ではなかった。
と、そこへ従者が走り寄ってきた。その背には、矢を受けていて。
「どうした!? 陣中の兵士達を集めてくるのではなかったのか!?」
「そ、それが! 兵士達の中で戦闘が起きています!!」
「なにぃ!?」
暗がりの中で、従者の言葉は混乱をさらに引き立たせるものでしかなかった。
バカな、何が起こっている。
意味も分からないこの状況の中、確かに背後からも剣檄を交わす音が聞こえてくる。
「ぐ……どうする! どうするのだ!」
「総司令官が動揺してはいけません! とにかくこの場所は危険です!」
正面からは、炎が、風に煽られて次々と押し寄せる他、どんな力を使っているのか知らないが、炎の玉をぶつけてくるなんて攻撃を仕掛けてきた。
そして背後では誰が味方か分からない戦いが演じられているという。
進退窮まったこの状況で、リッカルドはパニック状態。
まさか八千もの兵士が、こんな風に潰走しているなどと信じられなかった。
「くそう! なんで同士討ちなどが起こっているのだ!」
吐き捨てるリッカルドの言葉など待ってはくれない。
戦いは既に始まっていた。




