ep.29 魔の手。義賊の魂。
義賊。それは己の信じる正義の為に戦いながらも、権力と言う名の横暴に正面から抗うことの出来なかった影の勇者たち。しかしてその懸命で精力的な活動は、今より国を盗らんとするアリサたちに、確かな活力を与えていた。
黒き三爪に見る正義 より抜粋
王都内部は、入り組んだ道が続く。大通りがそこかしこに通っている裏で、さまざまな道が迷路状に走っているのだ。これは元々力の弱かったアッシア王家が、王族の逃走ルートを確保するために作ったものだ、と伝えられている。
しかしながら、それならば地下に道でも作ればいい話で。実のところ、どのような理由でこんな難しい道になっているのかは分かっていない。
中心に王城を置き、その周囲には大量に細道が、木の根のように走る。そしてさらにその周りに、大通りが円環のように繋がっている。
王城への進軍を阻害する為かと思いきや、しかしながら王城へと続く道だけは、大きく取られている。これでは堀の役目すら果たせていない。
そんな、王都内部の密集した道の、とある路地裏。そこにある掘立小屋のような家のさらに地下。そこそこの広さを持つ一室で、数人の男女が想い想いにくつろいでいた。
数個の、灯されたランプ。ソファ近くの灯りを頼りに本を読む青年。
ベッドに体を投げ出して、何をするでもなく怠惰の体現のように枕を抱いて転がる少女。
そして。
「っけー。聴いてないですよもう。嫌になるなぁ」
木製のボロい椅子に座った、小柄な少年。腕に包帯を巻きながら、小さくため息を吐いていた。
「だいたい、なんだって言うんですか。僕はただの密偵ですよ? 使えるとしてもナイフですよナイフ。だってのに遭遇するのは隠密特化の魔剣使い? もうね、バカかと」
「やかましいでケスティマ~」
「ヴェルデは寝てばっかりでしょうが!!」
はー。頭を抱えて嘆息する、オレンジ色の髪をした少年。包帯が辛うじて巻かれていない肩に刻まれた、爪のようなタトゥー。
「ま、咄嗟に傀儡使って逃げましたけど。あー、びっくりした。本当にあの時は殺されるかと思いましたよ」
「……魔剣使い相手でも逃げられることが分かったんだ。誇ればいいさ」
「先輩それフォローになってないです」
黒髪の青年は、興味なさげにページをめくっては欠伸をしていた。ケスティマはそんな彼に対しても、ため息を吐かずにはいられない。どうしてこうも、オンオフの差が激しいのかと。
と、先ほどまで枕を抱いて転がっていた少女がふと口を開いた。思い出したように、自然に。
「今日、また五千くらいの兵士が王都から離れたみたいやけど」
「ミモザ皇后の仕業だと聞きましたが。あれでは民の怒りも買いまくりでしょうね。自分は随分と好き勝手やっておきながら、困窮する民の糧を搾り取って戦争まで始めるとは」
この国、ほっといても滅亡するんじゃないですか?
肩を竦めるケスティマの意見に、反応する者は誰も居なかった。別にこの国がどうなろうと知ったことではないが、共通するのは、仕事が出来ない、という点であったからである。
「……どことおっぱじめるのかと思ったら、第二王女らしいですね。なんでも、妾の子だとか」
「派閥争いか、下らん」
鼻で笑うと、ソファに座り直すように体を動かす青年。彼は、王都に入ったにも拘わらず未だに動き出せない現状に苛立っていた。
「……まあその辺は調べてないので何とも言えませんけどねー。グルッテルバニアの王女サマの言うことが正しければ、……先輩の言うとおりくだらない状況なんじゃないですかねー」
「……」
「あれですよ。あの人は仁君なのかも知れませんが。情報ってのだけは、ちょっとどうにもならないですし。あと彼女はちょっと純粋過ぎるんです」
「……彼女は、あのままで良い」
「ま、本当に民のことを考えてる人であることは確かですねい」
ふわぁ、と欠伸を一つ。ケスティマとしても、度重なる諜報活動や情報収集で疲れていたのだ。それになにより、この王都は貧しすぎる。
「それに、王都に残る兵が減ってきたのは良いことじゃないですか。そろそろ、行動を起こしてもいいかもしれませんね」
先輩、と呼ばれた青年が腰に帯びた、黒い太刀。ケスティマは目を細めて小さく笑う。
「……天下最強の魔剣使いが、動く時は近いですよ?」
「お前、良い目だな! 俺らと一緒に、悪を断じようではないか!」
まだ十歳にもなっていない頃だった。
領主館のある村で暮らしていたグリアッドの、懐かしい記憶。貧しかった家の、男手ひとつでグリアッドを育てていた父が困窮して亡くなった直後のことであった。
どうしてこんなことになってしまったのかと思うより、絶対悪が近くに居た。領主さえ。領主さえ殺せればきっと。だが、それはできない。権力というものを、幼いながらに理解していた。
だから、目の前の光景が理解できなかったのだ。
燃え盛る領主館。村民に食料を配る人々。ばらばらの装備に身を包んだ傭兵軍団のような彼らは、過激にも領主館の蔵から食料を奪い去り、そして村の人々に配っていた。
賛否両論の激しい義賊という人生が、その時のグリアッドにはとてもまぶしく見えた。
北アッシア城における、訓練場の占める土地の割合は比較的高い。優に二千人は訓練が出来るほどの広さを持ち、そして平坦を保っている。軍事訓練にはもってこいの場所だった。
そんな、広く幅のとられた訓練場の真ん中で、一人の男が空を仰いでいた。
「……ふぅ」
小さな溜息に込めたものは、いくつもの思いだった。これからやっと、我が主君が表舞台に立つという。不遇な扱いを受けていたこの鳥籠より脱することができるという。そして何より、生まれ育ったこの国を己の手で変えることができるのだという。
竜基の口から、北アッシアとしての旗揚げを行うのはもう少し先と聞いた。当然今は、内部もそうだが外部に対しての準備が全く整っていない。だがそれも、現在根回し中だという話は聞いていた。
他の地方とのつながりは、打倒王都という部分で不思議とつながっているものなのだろう。中でもアッシア王国の南端に位置するエツナン地方の領主はやる気満々という様相で、周囲の仲の良い領主に声をかけてみると言っていた。しばらく前に何やら問題が起こったらしいが、金山の採掘でうまく回そうとしているらしい。
周囲の意思疎通が図れ次第突貫する。竜基はそう言っていた。
多くの地方は、王都に抗う術すら奪われている。その多くが、食糧難ないし、税だ。王都との裏での繋がりがない限り……クリーンな政治をしている限り、領主たちに余分な蓄えをする余裕はない。
そのようなことも含めて、そういう方向ではアッシア王国は上手いことやっていた。
「そのおかげで、苦しむ人たちがいるというのに」
誰にも見せないような、冷たい瞳。空を眺める双眸は、殺意に彩られていた。
金の短髪を掻き上げ、ポケットに手を入れた。なんてことはない、いつものように気だるげな様相。しかしながらその雰囲気は、まるでいつもと違う近寄り難い空気を生み出しているように思えてならなかった。
「グリアッド。おめーなんかこえーな」
「っ!? っとと居たのかライカちゃん」
あわてて振り向いたグリアッドの目の前に現れたのは、大斧を背負った無邪気な少女。その無邪気さ故、周りを威圧するような空気を出す人間にさえ近づくことができたのだろう。
「今は準備中じゃないのかい?」
「なんかみんなせっせと頑張ってる。けど、あたしは難しーことわかんねーから」
「あ……そうだね」
なんで納得されたのかと、いぶかしげな表情で首をかしげるライカに対し、グリアッドは苦笑した。本当に無邪気で、かわいらしい少女だ。
「……それにしても、どした? なんか、嫌な感じがしたぞ今のグリアッド」
「そうかな? ……そうかもしれないな」
ふと、思う。誰に打ち明けることもなかった感情だが、この少女になら話してもいいのではないかと。戦場に赴く前に、だれかに言うのも悪くはないかもしれない。
「……僕はさ。昔、義賊なんてものをやっていたんだ」
「あ~、アリサから聞いた。かっけーな!」
「はは、そんな良いものじゃない。そこの副リーダーでね? リーダーは、別にいた」
「あの鉢巻根性じゃねーのか?」
「ガイアスは、あいつは一番の戦力だったねぇ。リーダーも頼りにしていたよ。それで、僕らは頑張って悪徳領主からいろいろ物品を奪ったり、倉庫をぶち壊して農民に分け与えたりしていたんだ……」
「そこをアリサに?」
「……いや、あの時はアッシアの王女ってだけで色眼鏡で見てしまってね。……いろいろあって、心服した。あんな心のきれいな方のしたで働きたいと思った。だから僕とガイアスは、リーダーの許可を取ってあの義賊を抜けたんだ」
もちろん、あ~ちゃんのスカウトがあったからなんだけどね? そう繋げて、グリアッドは言葉を閉じた。
感慨深そうに語る彼の言葉を、ライカは静かに聞いていた。
「……で? それでなんで怖い顔してたんだよ」
「怖い顔だった? ん~……そのリーダーたち元気かなーと思ってたんだけど、そしたら悪い奴らに対する怒りがふつふつとね。うん」
あの頃、許せなかった領主や衛兵は多く居た。だからこそ思う。自分たちは、これからも戦い抜いていくべきなんだと。そのメンバーたちのためにも、早く世を変えるべきなんだと。
「今、そいつら何してんだ?」
「たぶん、あちこちで戦ってる。今も良い世の中を目指して、悪い奴の噂を聞けばあっちこっち。それが義賊で、それが正義だ。そう信じてやまないからね、みんな」
虐げられた者たちの、確かな反逆。抗いの証。グリアッドも幼い頃胸に秘めた思いを、今こうして戦うことで証明している。優しい国を目指す。そのために戦い抜かなければならないのだ。
「いつか、昔話でも聞かせてくれ」
「ああ。いくらでもね」
興味深そうにしげしげとグリアッドを見つめたライカは、「そろそろごはんの時間だ!!」と背を向けて歩き出した。ごはんの時間にはまだ少しあることから、しばらく一人にしてくれたのだろう。あの少女も、不器用で優しい一面がある。
「……きっと、大丈夫。僕は今も、戦っていますよ。オーバさん」
今もどこかで義賊を引き連れ、多くの悪と戦っているだろうリーダーに、小さく呟いた。
「……エリザ様」
「あら、ルーじゃない」
第一王女エリザの住まう、王城の三階にある一室。そこには心地よい風の当たる、バルコニーがあった。ブロンドの髪をたなびかせながら、エリザは闇の広がる夜の地上を眺めていた。
ちょうど、リッカルドが進軍を開始した、その二日後となった今日。もうそろそろ、王都のあるセントラルアッシアを抜ける頃だろう。
そんなことを想像しつつ、エリザは背後に降り立った自らの部下に振り向いた。
「おかえりなさい。状況はどうなっているのかしら?」
「ご安心を。五千からなる部隊の出立を見送ったところです。北の航路から、北アッシアの東に上陸。波打つように連撃を仕掛けます……まさか海から来るとは思っていますまい。流石は、エリザ様です」
「うふ……これはぜーんぶ、ミモザ(・・・)皇后陛下のお手柄よ? 私はなーんにもしてないわ」
「……さようで」
頭を垂れる金髪の青年は、一つの疑問を抱いた。
「ところでエリザ様。リッカルド様はどうなさるので?」
「どうもしないわ。国の内情を本当に知ってなど居ないもの。……それに、リッカルドっていう次期国王候補の存在は、邪魔なの」
あ~、と小さく伸びをすると、背中の開いたドレスから、艶めかしいうなじが見え隠れする。
「進軍するのがリッカルドだと分かれば、アリサは舐めてかかるんじゃないかしら。そうじゃなくても、あの女の持っている魔剣使いを温存、なんて考えないはず。あの数をすぐに潰して安心したい……そんな心理がはたらくでしょう?」
「……そこを、海からの五千で強襲する、というわけですか」
「……ルー。鼠は退治しておいた?」
「何分すばしこいもので。腹に風穴を開けることくらいしか」
「どこの密偵か知らないけれど、優秀ね」
まあ、それでもルーがどてっぱらを貫通させたというくらいなら、大丈夫でしょう。
どこぞに情報が漏れることはない。
一陣の風が吹き、エリザの髪が美しく靡いた。
草原を、切り裂くように存在する一筋。それはムカデのようにうごめきつつ、前へ前へと進んでいた。そう、リッカルド率いる八千以上の兵士たち。北アッシア討伐大隊の進軍である。
中軍に位置するリッカルドは、草原の風景を眺めながら、馬上で状況の確認を行っていた。
夕刻に差し掛かり、そろそろ日が沈みそうな時間帯。タイミング的には、このまま野営にするのがベストなのだろうが、リッカルドはそうはしなかった。
食糧に乏しいというのも理由の一つではあったが、それ以上に。落とすべき北アッシアの城が、目と鼻の先にあったというのが最大の理由だった。
「殿下、そろそろ北アッシア城が見える頃です」
「敵はまあ、籠城か逃げ出しているか。斥候は出したか?」
「もうすぐ戻ってくることだと思われます」
二言三言、部下と会話を交わして。リッカルドは前方の兵士たちを見据えた。今のところはしっかりと進軍しているようだ。前日もいくばくかの脱走兵が出たことは確かだし、ここに来る間も食糧目当ての盗賊と混戦になった。治安の悪さを彷彿とさせるものではあったが、リッカルドの知ったことではない。皆殺しを命じ、そして遂行させた。盗賊との遭遇回数は、実に四度に及んだ。
目下、リッカルドにこの戦に対する作戦はない。何故ならば、する必要がないからだ。妙な話をいくつかは聞いているが、魔剣使いがいるという眉唾ものの噂があるにしろ、たかだか千もいかないほどの兵士が守っているだけ。
それならば、餓えに餓えたこちらの兵士が、どれだけ必死に戦うかをかんがみて、負ける要素はないと踏んでいたのである。
実際問題、こうしてリッカルドの遠征についてきている兵士の多くが北アッシアからの略奪を望んでいるのである。そう考えれば、当然のことと言えた。
このまま夜に差し掛かれば、相手も糧食を口にできることはない。ならば物量で勝るこちらが。
これがリッカルドの弁で、考えであった。
「そろそろ見えてくる頃か。よし、すぐに陣を敷き、このまま攻め上がる」
少し前に休憩を挟んだことで、兵士たちの疲れも少しは癒されているだろう。強行軍というほどの強引な進軍はしていない。まともな士気はないかもしれないが、それでも戦える状態にはなっているはずだ。リッカルドはあたりを見回して、うなづいた。
陣を敷いたリッカルドは、北アッシア城を望むことが出来るこの位置に満足し、そして全員への号令をかけて、五千の軍で以て攻め上がることを決めた。
夕刻も差し迫り、暗くなってくる時間帯であったが、ちょうどいい。腹を空かせた虎たちが、いくらでも頑張ってくれるだろう。
しっかりと広がりを保ち、易戦の法に沿った、戦を始められる状態に幅を整えた。北アッシア城の地の利は、実はあまりよくない。南から攻め上がる敵に対しての障害物が少ないのだ。この草原も、少々丈はあるものの歩きづらいだけで、進撃に支障があるかといえば、そうでもない。ならば、という話であった。
「……ずいぶんと酷い餌に踊らされている気がするけれど、まあいい。姉上の思惑がどうあれ、手柄だけは持ち帰ってやろうじゃないか」
鼻息も荒く、王都を出たときのことを考える。
ミモザは何を勘違いしたのか知らないが、「エリザ王女が全てお膳立てを整え、弟のリッカルドにアリサ討伐を任せた」と考えており。満面の笑みでリッカルドを送り出した。我が息子が、腹違いで憎らしい女狐を討つ。というような形に脳内で整理してしまっているのだろう。
側室のマリアを毛嫌い……憎悪していたミモザ。その娘にまでだまされたといえば鬱憤は非常にたまっていたのかもしれない。だが殺すことまではできなかった。大義名分が足りなかったし、何より第二王女という肩書を持つ女を殺すことは憚られた。
しかし、それをどういうわけか、エリザは可能としてしまったのである。
なぜなのか。どういった工作を施したのか。それに関してはリッカルドは知らされていない。だが、王城内の風潮は、確実にアリサを逆賊扱いしていたのだ。
「とにかく、アリサを殺せば済む話。そのときに胸を張って姉上を問い詰めよう」
リッカルドは、強く自分に言い聞かせるように言葉を吐いた。それは、自らの意志を確定させるため。そして、いつもいつもダメダメだったはずが、いつの間にか自分の上を行っていた姉を見返すため。
そこに、アリサに対する気持ちなどはなかった。
早い話が、無関心だったのである。幼少の頃より王太子として育てられた彼にとって、妾の子……それも周囲から疎まれた挙句女児である彼女のことなど関心を向ける必要がなかったのだ。
だからこそ、彼女を殺すことに躊躇はない。少なくとも、見向きもされない以上は大して優秀な人間でもないのだろう。
あの王宮を抜け出したことに関しては称賛を送ってもいいかもしれないが、出し抜いた相手がミモザという時点で、頭脳に関しては評価するに値すらしなかった。
リッカルドは、本当に単なる逆賊狩りの気持ちでこの戦に臨んでいた。
「魔剣使いがいると聞いたが」
「はい、連絡では」
「……ルー以上の、ということはあるまい」
鼻を鳴らす。
あの魔剣使いを見れば、確かにどれほど恐ろしい存在かというのはわかる。しかしながら、大軍を相手にして立ち回れるほどの爆散力はない。魔剣使いというのは、一対一で規格外の性能を誇る人間だ。
だからこそ、負けはない。
リッカルドの元に、一人の使いが駆けてきたのは、ちょうど意識を固めたときのことだった。
「前方に、輜重隊らしき敵影! いかがなさいますか!」
食糧難に飢えた兵士の前に、恰好の餌が現れた。




