ep.26 足音
みんながひげなしひげなしって言うから出来る限り漢字にした。
だって私までそう見えてくるんだもの。
けど直した。読めないんだもの。
優秀な副官を得た天才軍師竜基の活躍は、エル・アリアノーズ戦記において非常に見どころともなっている箇所だ。エル・アリアノーズ戦記を影で支えた者と、光の元で戦った者。この二人なくして、エル・アリアノーズ戦記は無かったのだ。
黒き三爪に見る正義 より抜粋
「これなに」
「キミがやるべき書類だよ」
竜基の目の前に存在するのは、途方もないほどの竹簡の山だった。天井に着かんばかりとまでは言わないまでも、明らかに積載量は机の重量を超えている。西の山脈に行っている間にたまった、竹簡だった。
「ヒナゲシ、これ自分で処理できなかったの?」
「まさか。あとはキミが判を押すだけのものも結構あるよ?」
「それ積むって嫌がらせだよな!?」
「僕がそんなことするはずないじゃないか」
澄まし顔で言うヒナゲシに、竜基のジト目が突き刺さる。木製の執務チェアに座った竜基は、書類の山の一番上に手を伸ばし、届かず、立ち上がって手に取った。
瞬間、崩れた。
乾いた騒音とともに雪崩をうつ巻物の群れの、その一番最後まで転々と転がっていった一本を、二人して茫然と見つめていた。
「……結構頑張って積んだのに」
「確信犯じゃないか!」
天井を仰ぎ、額を手で覆う。どーすんだこれ、と嘆息する竜基の隣にかがみこみ、ヒナゲシはいそいそと書類をかき集め始めた。
「ほら、もう一回積むよ」
「趣旨がもう違うんだよ!!」
トドメと言わんばかりのツッコミに、ヒナゲシは書類を机に乗せながら、けらけらと笑った。
「……なんだよ」
「いや、なんというか。お互い元気なもんだなと。あんなことがあった翌日だし、僕はちょっぴりぎくしゃくするかと思ってたよ」
「するだけ無駄だってことだろ。仕事の上で、俺達は一番のパートナーで居なきゃならないんだ。ぎくしゃくなんて、そんな余裕もないからな。何せ、アッシア王都の様子がおかしくなってきてるんだ」
「……風情がないなぁ。そこはもっとこう、さ。ないの?」
「何がだよ」
その辺がキミの良くないところだ。そう呟きつつ、ヒナゲシは人差指を竜基の胸にとんと乗せ、唇を尖らせて竜基に迫る。竹簡を小脇に抱え、頭半分ほど違う竜基を覗き込むような形で。
「なんというか僕は、キミと言う人に呆れる人生になりそうだよ」
「近いんだが」
「緊張でもしているのかい?」
「は、バカ言え」
似た者同士というべきか、変なところで頑固と言うべきか。その点が似通っている二人の会話はヒートアップを見せていく。
ああ言えばこう言う。そんなドッジボールのようなやり取り。
しかしながら、ヒナゲシの言うとおり、気まずいものは一切なかった。昨日のことを引き摺っていない、というよりはどちらかと言えば、昨日のことがあったから距離が一歩縮んだというべきか。
ずい、と竜基の顔がヒナゲシに迫る。もう間に矢を通すことさえ危ういほどの至近距離に、今度はヒナゲシが慌てる番だった。
「ちょ、りゅ、竜基! キキキキミはもう少しデリカシーというものをだね」
「なんだよ。お前が――」
背を反らして顔を引くヒナゲシに、勝った、と笑みを抑えることもしない竜基。ヒナゲシはそのままバランスを崩し、慌てたように竜基の服の裾を掴むも、竜基が支える間もなく二人して共倒れに体勢を崩していき……。
またしても、乾いた音を立てて竹簡が辺りに散らばった。
竜基が何か柔らかいものを感じ目を開けると、そこにはヒナゲシの顔が超至近距離で……なんてことはなかった。そんな古典的なラブコメのような状況に、そうそうなるものではない。ヒナゲシの顔の上に見事に開かれた竹簡が、二人の間を邪魔していた。
「……ん? コイツは何の書類だ?」
体勢は覆いかぶさったまま。書類に視線だけ流すと、これはどうやら領民増加の資料であるらしかった。
首を傾げながら、その不可思議な数値に――
「……を……ってに……」
「ん?」
「人の上にいつまでも乗ってるんじゃなあああい!!」
「ぶへ!?」
顔に乗っていた竹簡をむんずと掴み竜基に向かってパイ投げのように投擲すると、猛然と起き上がるヒナゲシ。たまらないのは竜基で、されるがままに尻もちをついてしまった。
「ってて……」
「キミは! 本当にわざとやっているのかってほどボケる時があるね! 余りに酷過ぎやしないかと常々思ってるよ僕は!」
顔を真っ赤にして埃を払う。自分の顔の上で読書をかまされるなどという珍事は、彼女の生涯でもきっと一度だ。記憶がない時ですら、こんなことはされたことなど無かっただろうとヒナゲシは確信する。
竜基はと言えば、バツが悪そうに後頭部を掻きながらも、ヒナゲシの顔に乗っていた書類が気になっていた。
「このヒナゲシの上に乗ってた竹簡なんだけどさ」
「いっそ清々しいくらいに不愉快な言い方だね」
「……領民が、ある一定の時期から増えなくなってるのはどういうこと?」
「……ああそれか」
付き合っていられなくなったのか。ヒナゲシは引き摺ることもバカらしいと判断し、竜基の読んでいる書類に一瞥をくれた。
「僕もおかしいとは思ってたから、ちょうど相談するところだったよ。昨日纏めたものなんだけど、時期的には5日ほど前。それから、殆ど入領者が増えなくなってる。流民たちも粗方集まったのか、とも思ったけど、商人の出入りさえ滞っているからおかしいと思って調べさせたんだけど……どの書類だったっけ」
「……うわぁ」
周りに大量に散らばる竹簡を、かたっぱしから調べる作業をしてしばらく。
「……これだね」
ヒナゲシが竜基に手渡した資料は、商人やその他情報通の人間から集めた、取材メモのようなものだった。
とはいえ、雑多なことしか書いていない。アッシアの王都で何かがあったらしいという商人同士のネットワークを含め、彼らは具体的なことを知らないようで。
どうやら八日前くらいから何かがおかしいということと、北アッシアに流れる人民がぱったり減ったということ。それから王都近くの村が王都の兵士にちょっかいを出されているらしいこと。それくらいしか分からなかった。
「……八日前から、アッシア王都で人集め、か」
「え?」
「農村が襲われているのはきっと臨時徴収だ。人と、食糧。そして、北アッシアへは行かれないよう……いや、王都から出られないよう規制が掛けられた。これも北アッシアへ人間が流れることを防ぐ以上の何かがあると見ていいはずだ。商人たちのネットワークが働くのも、財が奪われるのを防ぐのに必死だからだろう」
「早めに気付いて良かった、のか。ごめん、そんなことも分からなくて……本格的に、向こうからの潰しが始まるのか。コッチの兵がどの程度見込めるかだけれど」
「仕方ないさ。こういうのは学ばないと無理だ。この前の徴兵分を纏めて、クサカさんが出した見積もりは八百人。後続であと百人見込めるかどうかというくらいかな」
「……九百か……!」
思わず渋い顔になってしまったのは、仕方のないことと言えるだろう。
あのサイエン地方ですら、士気最低とはいえ六千を出して来たのだ。王都と言えばそれなりに人間も居よう。それを相手取って、戦える手持ちは四桁にも満たない。
そんな現状に、顔を顰めるしかなかった。
ましてやこちらは練兵すらまだ整っていない調練中の兵士。国盗りを始めるに当たっての準備はそれなりに続けてきてはいたが、これから本腰を入れようと思っていたところなのだ。攻勢に出る必要がある以上、いったいいくつの兵士を相手にすればいいのかと思うと背筋に汗が伝う。
「……兵糧は?」
「捕虜を養えるだけの分はまぁ、あるっちゃあるけど。奪いに来るよきっと」
「そこは俺の手腕でどうにかするとして。……っクソ、戦いたくないな」
早い段階で情報が入って良かったと思った。NINJAことファリンを向かわせているだけあって、情報の伝達には事欠かない。が、彼女が一度帰ってきてから向かうまでにもどうしてもラグは発生してしまう。八日と言えば、おそらくファリンが向こうを発ったあとだろう。
「さぁて、軍議だなこれは」
「そりゃそうだよ。まあでも、何とかなると思いたいね。魔剣使いが二枚も居るわけだしさ」
「……誰が向こうの頭として出てくるか。それにも依るんだよな。とりあえずファリンを向かわせることにする」
「そうだね。賢明だと思う」
軍師と副官の会話はスムーズに、そして的確に淡々と進んでいく。
戦争の足音は、刻一刻と近づいていた。




