ep.24 凱旋
エル・アリアノーズ戦記においてアッシア王国の王族は、見下げ果てた俗物の集まりとして描かれている。歴史の流れを辿っても、敗者側がそう言った描写をされることは当然と言えば当然だが、写実的な戦記として名高いエル・アリアノーズ戦記がこのような描写をしていることは至極稀なことだと言えるだろう。
黒き三爪に見る正義 より抜粋
西の山脈偵察隊が凱旋したのは、ある日の昼過ぎだった。
ライカは、さっそく訓練を開始しようとするガイアスの首根っこを摑まえて救護室へと送還し、兵士たちには休みが出された。北アッシアの城下町に帰って来た時の彼らは満身創痍ではあったが、きっと得るものもあったのだろう。
竜基は一人そう思うことにして――この小さな城の訓練場の、兵士達の解散した後の場所で、ずっと待っていた彼女に振り返った。
「ただいま。心配かけた」
「本当よ……気が気じゃなかったんだからぁ……」
竜基達が予定日を過ぎても戻って来ないことにやきもきしながらも、毅然とした態度で一日一日を送り続けた少女。不安定な精神状態で、普段以上の、彼らが居ない分回ってくる仕事をもこなす。
どれほど大変で、どれほど心労が溜まって。
今どれほど安心しているのかなど、想像できる余地もない。
だからこそ、竜基は笑った。
「ごめんな。でも収穫も多かったし、これからの領土経営は楽になる。……だからそんな顔するなよ」
「ガイアスが……あんなふうにぼろぼろになって……それで……」
「あぁはいはい、大丈夫だから。死んでないし、死なせないから。な?」
死なせないから。
自分で吐いたその一言を、竜基は心の中で強く胸に刻んだ。竜基自身には、殆ど何もできなかった。あのような状況にあって、結局ライカやガイアスと言った魔剣使い頼りであったことは間違いない。そのことが悔しくて堪らない。
それでも。
自分に出来る精一杯で、必ず彼らを守り抜く。そう決意の出来た数日間だと自戒した。自戒出来た。今度は、絶対に。
目の前の少女を、こんなに心配させないためにも。彼女はきっと、竜基の前以外で弱みを見せることなど決して無いのだから。
一通り落ち着いたのか、アリサは毅然とした表情で竜基を見やった。
「……とりあえず、部屋で話さない? 色々と報告もあるんでしょう?」
「そうだな。これからのことについても」
くるりと反転した彼女に着いて歩き出す。ほどなくして自然に隣同士になって、城内へと入っていく。
だからと言ってこの二人の間に気まずい雰囲気が溢れるでもなく。先ほどの空気はどこへやら、当然のように経営の話に興じ始めていた。
「養蚕というものは、おっかなビックリだけれど始めてみたの。どうなるか分からないけど楽しみね」
「シルクの取り方については一通り、書類に纏めてシムラに渡してある。アイツがきっとどうにかしてくれるさ」
「……そうね。じゃあ彼女に任せるとしましょうか」
隣を歩きながら真剣に人事を考える少女に、自分は帰って来たのだと安心感を覚えつつも竜基は思考を辞めない。とにもかくにも今は自分が居ない間に変わった情報を仕入れる必要があった。そして、そろそろその頃だと思っていた。
ふと足を止める。するとアリサも数歩進んでから、不思議そうに振り返った。
城内に入り、小奇麗に清掃された廊下。昼下がりの斜陽が差し込む中で。
「……アリサ」
「何?」
「そろそろ、本気で国盗りの準備を始めるぞ。北アッシア戦記の幕開けだ」
「……! 期待してるわ。私の、軍師」
竜基は小さく、されども強い意志の籠った笑みを浮かべた。
「とにかく私の部屋に来て。しばらくの間で色々と込み入った話もあるだろうし、西の山脈の活用方法についても詳しく打ち合わせる必要があると思うの。それに……向こうも動き出すとしたらそろそろよ。レザム卿の一件から音沙汰がないのは、私もちょっと怖い」
竜基の宣言に、アリサも不敵な笑みを返した。これからが正念場なのだ。足踏みなど、きっとしていられない。
階段を上り、二階へ。『りゅーきのしろ☆』を通り過ぎ(何かイラストが追加されていた気がしないでもないが。具体的にはデフォルメアリサの隣に舌を出した黒いサイドテール少女のデフォルメ絵が。ついでに星もついて居なかったはず)、竜基の居ない間の北アッシアに関する細かな情勢に関して言葉を交わしていく。
「なるほどな、住民が増え続けているのはいい傾向だ。後は城下町のキャパシティか」
「ちょっとね。竜基が前に言っていた共同住宅というものも考えては見たけど……」
「……難しいだろうな。町人の暮らしに根付いた文化とかけ離れすぎる。導入は考えてみるが」
廊下奥正面の部屋。アリサの執務室の扉には何故か『ありさのしろ』と“しろ”シリーズの看板が下げられているが竜基は気にしないことにした。
デフォルメされた黒髪の少年なんざ見ていない。ウィンクに拳をぶつけたくなったが気にしない。
アリサの先導で部屋へ入ると、随分と整頓されていた。ここに入るのは、一度彼女を無理やり竜基の部屋の掃除につまみ出した時以来になるが、以前よりも遥かに広く感じる。
「竹簡が散乱していない……だと……?」
「片付けられない子みたいに言わないでくれないかしら」
ぶすっとふてくされたような表情をするアリサに苦笑してから、テーブルを挟んだ席に対座する。窓際で心地の良い席だ。午後の日差しを感じながら、棚の高所から背伸びして竹簡を取っている領主の姿を眺めて、なんだか微笑ましい気分にさえなっていた。
帰ってきたことをここまで実感するとは、やはり生死を分ける戦いというのは恐ろしいものだとも思った。
「んしょ……最近のだと、だいたいこの辺の資料を見ればいいんじゃないかしら」
「……さらっと取って来られる辺り、相当整理されたんだな。誰にやって貰ったんだ?」
「馬鹿にしないで。私に決まってるじゃない」
「そうだな、よく頑張った」
「うぐ」
テーブルに置かれた竹簡は計六つ。その一つを紐解き、竜基は視線をそちらに移した。
随分と丁寧に、そして分かりやすく纏められている。まるで平成の世のような文書作成能力にまず驚き、ついでこの資料に書かれた一つの項目に瞠目した。
「……この資料のまとめ方は凄いな。とても分かりやすく文書形式でまとめられている上に、キチンと数値が叩きだされている。今の北アッシアの情勢が手に取るように分かるよ」
「シムラよ。彼女が自然に作っていた文書が見やすくて、真似しているだけ」
「……そこまで有能とは。副官にして良かったな。……で」
これは?
「ここ数日の間だけで、三回も野盗の襲撃を受けているというのは何事だ?」
「グリアッドが丁寧に殲滅してくれたわ。だから被害は無いのだけれど……理由は分からない」
「野盗の類ではなく集団規模。ちょっと冗談きついな」
狙ったかのようにこのタイミングでの攻撃。本当に盗賊ならば、同じテリトリー内に他の盗賊が居るのはウマくないはず……それが三回。
「何か吐いたか?」
「自害したわ、捕まってすぐに」
「……ふむ、忍び込んだのは城の内部か?」
「そうね」
全員が、というならもう確定とみて良いだろう。
捨て駒、あわよくば兼設備・システムの破壊。陽動・疲労狙い。いや、一番濃いのはアリサの暗殺。
いくつか候補はあるものの、間違いなくあるのは。
「バックが居るな、これは。野盗に金でも握らせたか、行き場の無い放浪の民を煽ったか……何れにせよ、そろそろ向こうも仕掛けてくる頃とみていいだろ」
「……」
神妙に頷くアリサに、ふと竜基は顔を上げた。
そして、笑う。
「おかえり。待ってたよ、ファリン」
「ただいま戻りました、りゅ……ぁぅ……」
「うぁ!?」
慌てて立ち上がるアリサに苦笑してから、竜基は目の前の少女に向き直った。装束に身を包んだ、ポニーテールが特徴的な覆面の少女。NINJAこと、ファリン。
天井から突如現れた彼女は、竜基の傍に傅いたまま微動だにしない。噛んだせいか頬を染めているのが残念ではあるが。
「アッシア王都はどうだった?」
「貧富の差激しく、リューキ様の仰られた通り、諸悪の根源は上層部に」
「なるほど。……国王、ないし……王妃辺りかな?」
「左様」
小さく、竜基の顔に笑みが浮かんだ。
「……いつの間に帰って来てたの!?」
「なんか、今居そうな感じがしたから呼んでみた」
「仰せのとおり、ただいま帰りました」
「グッドタイミングだったみたいだよアリサ」
「何で!? ねぇ何で分かるのよ?!」
はてなマークを大量に浮かべるアリサに、竜基とファリンは顔を見合わせて。すぐに頬を赤くしたファリンが目を逸らしたのを見て、竜基は肩を竦めてアリサに向き直った。
「まあとりあえず、だ。やっぱり王族がやらかしているそうだが、王妃だそうだ。詳しく聞かせてくれるか? アリサ」
「……王妃、ね」
ポツリと呟いたその言葉は、いつにもまして寂しそうな声だった。
だが、すっくと顔を上げて竜基を見据える瞳に迷いはない。
「王妃の名前はミモザ。典型的な馬鹿貴族上がりの妃よ。政略結婚で嫁いだ現宰相の娘で、外戚の力を強める為に利用された存在。哀しいのはソレに本人が気づいていない点よね。リューキなら察せると思うけど、馬鹿よ」
「二度も言われなくとも分かってる。……ただ、どういう馬鹿なのかは知りたいかな」
「そうね、じゃあ――私の過去でも、話しましょうか」
生まれた時から王族らしく煌びやかな暮らしが出来ていたかと言えば、嘘になる。
アリサの母親はマリア・コンドーという女性で、市井の娘であったからだ。どんな経緯であったかなど、アリサは知る由もなかったが、少なくとも冷遇された状態で彼女は子を為すこととなった。
側室とは名ばかりの、泥棒猫の小娘。それがマリアの立ち位置で、最初は本当にどうしていいかなど分からなかったアリサが持ち得たのは、マリアが持っていた知識を受け継ぐことが出来るほどの柔らかで賢い頭だけだった。
様々なことを聞いた。マリアが持っていた知識は幅広く、どうしてこの知識を持ってしても周りの人々から冷たくあしらわれるのか、とアリサに問われたところ、「ごめんね、ごめんね」と涙を浮かべて抱き締められた。
マリアは聡明だった。だが、争いを好まず、それどころか人に怯えて他の人間との会話すら拒んだという。
きっと王との婚姻時に色々あったのだろう、だがその件に関してアリサは、何も分からない。
言語を解し、知識を得、心身共に成長したアリサは、心労で亡くなったマリアの遺志を胸に、動き出した。社交界に出ることは叶わずとも、あの手この手を使って後宮内を駆けずり回り、クサカという理解者を味方にして前を向いた。
姉や兄から蔑まれようと、どうにかして地盤を築くことだけを考えて。
功を奏したのは、それからしばらくして。
苦汁を舐めさせられる日々ばかりを送っていた彼女に訪れた転機は、商人エイコウの存在だった。
彼女の工作で王妃ミモザに宝物を贈り、宝石の産地を北アッシアの地だと虚言を吐いて採掘の為にアリサが出立。そして、そのまま北アッシアに根付いた。ミモザはしばらくして騙されたことに気付き、やはり女狐の娘だったと騒ぎ出した……とのことだった。
「……あの頃は、私も弱かったの」
ポツリと呟くアリサは、執務室の窓際に立って、髪を小さく耳に掛けながら空を眺めていた。
竜基は、勧められた席から動くことなく彼女を見つめた。過去を語り出した彼女の横顔は、寂しげに彩られていて。ファリンはいつの間にか姿を消していた。
「例えば私がもう少し成長して、今みたいに力を付けることが出来ていたら。母様はまだ生きていられたかも知れない。そうしたら、同じ国の出身かも分からないリューキに会わせることも出来たのにね」
振り返った彼女は笑っていた。彼女の中では踏ん切りがついていることなのだろう。今何かを言ったとしても何の前進にもならない、そう思って竜基はアリサを見据えた。
アリサはしばらく考えたように黙って、人差し指を顎に当てて天井を見上げたあと、もう一度竜基に向き直った。
その時にはもう、寂しさの欠片も残っておらず、その代わりにいつの日か見たような覚悟が、瞳に踊っていた。
「ミモザは簡単に騙せるでしょうけど、曲者は姉。第一王女のエリザだと私は思う」
「エリザ?」
首を傾げる竜基に、アリサは頷いた。
竜基の前の席に腰かけると、神妙な面持ちで口を開く。
「エリザ。エリザ・ラ・フォリア・アッシア。配下のルーという男に関しては私も詳しくは知らないけれど、きっと私たちがアッシアを倒すに当たって一番の障壁になるのは彼女らだと思う。……きっとね」
「アリサの姉、か」
ポツリと呟いた。天井を見上げると、そこにはいつもと変わることのない、無表情な灰色が広がっていた。
「今後の指標を決めましょう」
沈黙の時間を断ち切って、アリサの涼やかな声が部屋に響いた。
合わせて竜基も、頷いて書類の山に手を伸ばす。
「経済的に安定させるための今回の山脈調査だったが、これに関しては一応の成功と考えていいと思う。鉱石を売りつける相手は、王都と、他国だ」
「この地域の商人に捌く訳ではないの?」
「それよりも、相手側の国庫を空にしてやる。兵士や馬は愚か、食料すら怪しい状況に陥れるんだ。高級品には皆、目がない。特に貴族という連中はな。だからこそソイツらを含め国の財産を奪い取ってやる。……もちろん、ここの商人にも捌くが、まあ少数だろうな」
「相手方の経営を傾かせる……そういうことね」
アリサも頬に手をあて、一つ納得したように小さく微笑んだ。
ファリンにだいたいの調査を終わらせさせてきた今、事実上アッシア王国の金銭事情やパワーバランス、経済状況は筒抜けもいいところだ。後で詳しく彼女に細部を聞いたのちに、エイコウを使ってアッシア王都の銭を奪い去ってやろう、というのが竜基のプランだった。
「ならまず、エイコウに連絡を取りましょう。価格の判断にしろ、彼女に話さないことには貿易も何もないわ」
「いや、それは……どうだろうな?」
楽しげに話を続けるアリサを、しかし竜基は留めた。
「……ファリン」
「はい」
降り立ったNINJAの少女。竜基は振り向きざま、思案するように口を開いた。
「エイコウは、俺達と別れたあと王都に向かったんだ。久々の行商、ましてや困窮地帯にあんな豊富な資源を持った商人が現れて……何かが起こらない方が不思議だと思わないか? ましてや、王都は腐り果て、まさしく飢えた獣たちの巣窟だと言ったのは……アリサ、キミだ」
「……エイコウの身に何かあったとでも言うの?」
「そこまでの確信はない。何よりも俺達には相手方の情報が足りないのだからな……だからこそ、ファリンを密偵に行かせたんだ」
口元を吊り上げる竜基は、自らの部下を見やる。彼女は小さく頷いて、恥ずかしげに目を逸らしてから、ポツリポツリと語り出した。
「商人エイコウに関しては、まず、貴族に捕まったという噂が広まっていました」
「っ!」
「……やっぱりか」
「王城に潜入したところ、ミモザ王妃によって処刑の判断が下されたとのことでしたが……商人エイコウは生きています」
「……ふむ。どうしてそう言い切れる」
「王城から這う這うの体で抜け出してきたらしき一人の密偵を追った結果得た情報です。エイコウに接触したらしく、上司らしき男に報告していたところを。聴けば、ルーという男は相当の手練れで……かつ魔剣使いだとか」
「……ほぅ。エリザ王女は魔剣使いを一人抱えているのか」
「……それで私に隠していた訳ね」
「はい。エリザ王女がエイコウと何かしらの関係にあることは確かですが、ルーという男のせいで一歩も近づけず。申し訳ありません」
「……ファリンでも抜けないほどの防衛線となると、暗躍に適した魔剣使いかも知れないな」
ファリンの報告に含まれていた密偵に関してはひとまず保留としても。まず一つの問題として、ルーという男のより詳しい情報と、エイコウに関しての確かな情報が欲しいところだ。
「問題点はいくつかあるな。まずはルーという男の詳細。派手に動いているわけでもなさそうだから、どんな力を持っているのかは気になるが。後はエイコウのこれから。エリザという王女がアリサの言うとおり曲者だとしたら、間違いなくエイコウを使って何等かのアクションを起こすつもりなんだろう。……下手をしたら、俺達が宝石貿易を仕掛けようとしていることに気付いている可能性もある。……逆手に取ってやろうかな。まあそれと……」
ペラペラと口から出てくる仮説の山、そのだいたいを吐き散らしてから、竜基は立ち上がってクルリと反転、ファリンに向き直った。
「その別の密偵ってのも気になるな。どこの人間だろう」
「分かり兼ねますが……オレンジ色の髪をした少女、上司は黒髪の青年でした」
「……情報が少なすぎるな」
腕を組む。すると、アリサがぽんと手を打った。
「その二人、まさかとは思うけど……魔剣使いと接触して逃れたことも含めて一つだけ心あたりがあるわ」
「……どんな?」
素直に疑問を口にする竜基に、アリサは告げる。
「リューヘイという、大陸最強の魔剣使いと、彼が率いる戦闘者集団――」
瞬間的に反応したのは竜基、その名前は自分が共に魔剣戦記をプレイした――
「――黒き三爪」
……物語は動きだす。




