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魔剣戦記~異界の軍師乱世を行く~  作者: 藍藤 唯
エル・アリアノーズ戦記 2
20/81

ep.18 始まりへの準備、そして。

遅くなってしまいましたが、第二十二話。そして、天様より頂いたイラスト「アリサ」と「リューキ」も公開いたします。

「お前、俺の副官になったからよろしく」

 父親同然の男を戦争で失った少女シムラ。捕虜となった彼女のもとに、一人の少年が訪れた。天才軍師リューキ。先の戦争で、父親のような存在だったギースもろともシムラの軍を葬った一大要因。そんな少年から宣告された、唐突な任命。訳の分からないうちに、少女シムラの副官生活は幕を開けてしまったのだった。――だんだんと明らかになる、先の戦争と国の関係、そして王室の思惑。解き明かされる真実と、芽生えた小さな恋心。魔剣時代の書物を元に描く、本格派歴史ラヴロマンス、ここに開幕!


                  副官少女の上司観察日記。あらすじより。






 アリサによる歓迎会から数日が経った。彼女は現在、様々な業務や勉強に追われて忙しそうに走り回っている。

 今日も、動きやすくも気品のある簡易ドレスに身を包み、廊下を速足で歩いていた。


「リューキ、税率はもう少し下がらないの?」

「無理だな今のところは。というか平民の生活時間帯とか考えると、まだもう少し学術的なことは後回しの方がよさそうだ。今は食文化かな……むしろ商人から所得税を取った方が……いやそうするとまだ循環が良くないからな」

「そう。報告書だけは出してちょうだい」

「了解」


 並ぶように歩くのは、黒髪の少年リューキ。この城の若き軍師にして、行政を一手に担う政務官だ。

 朝日が差し込む廊下を、様々な思考を交えながら二人は歩む。


「それじゃ、俺はこっちだから」

「えぇ。私はこれからクサカのところに行ってくるわ」


『りゅーきのしろ』の前で立ち止まった竜基は、アリサに手だけを挙げて扉を開く。

 一瞥して、アリサは小さく笑った。


「頼むわよ。貴方が来てくれて、本当に助かってるんだから。疲れたらすぐに言いなさい」

「はいはい、頼もしいな王女様は」

「茶化すな」


 若干むくれた様子で、されど胸を張って立ち去っていく自らの主君を眺め、竜基は小さく笑った。

 悪くない、と。これからも頑張れそうだ、と。

 睡眠時間はほぼないに等しかったが、それでも活力はまだ尽きない。若さなのか、それとも彼女に魅せられたやる気なのか。

 だがそれでも、竜基は機嫌よく腕まくりをして、自らの仕事に取り掛かった。










「……っとと。寝落ちしちまいそうだ」


 デスクに向かっていたは良いが、さすがに睡眠が足りていない。何時間寝たかすら分からないのだから、正直寝落ちは怖いんだ。……日時計とか本気で作らせたいが、深夜帯の時間も分かるようにしたいな。


 刻限さえ守れるようになれば戦争でもかなり有利になるほか、様々な点でアドバンテージを持つことが出来る。


 うとうとしてしまったのは仕方ない。

 背後を振り向くと、まだまだ日は上っている最中。

 なんだ、午前中ならまだ安心だな。


『根性見せろっ!! 男ならぁああああああああああああ!!』

『もう……きつい……』

『……まだ午前中だ……はは』

『? あたしは女の子だぞ?』


 ……窓の外の連中にとっては、午前中という事実は有難くないらしいが。

 それにしても眠たい。これから考えたいこととしては、やはり西の山脈に出向くことと……あと、俺の知識を持ってしても、北の海から海産物を得られないか、という二つか。

 区画整理に関してもまだまだやりたいことは多いが……アリサには伝えてあるし、あとか彼女が上手くやってくれるだろう。

 クサカには、部隊編成を組み直させている。

 元々の形よりもさらに細分化した、五人一組のチーム編成。褒賞にしろ、作戦行動にしろ。最小単位を五人。リーダーの伍長を付けることで、仲間意識も強く芽生え、お互いを助けあったり、協力することで何倍もの力を発揮する。


 軍事に関しては、今は主に守備と牽制に重点を置いている。牽制に関しては、今一人お出かけさせているし……斥候を鍛えさせる意味でも、彼女が居れば大丈夫だろう。


 ……城の近くの森にクノイチの里とか出来たら楽しそうだなぁ。

 ……っと、あとだあと。


「……う~ん、眠気覚ましが欲しいな」

「紅茶、とか?」

「そうそう、紅茶とか」

「はい」

「お、助かる……ん?」


 手渡されたカップ。

 ふと顔を上げれば、前かがみの紫。いいおっぱい。


「どこ見てんのよ!?」

「アリサのおっぱいたゆんたゆん」

「ここここここのアホ軍師いいいいいいいいいいいい!!」



 リューキのしろに、怒声が響いた。




「で、どうしたんだよ」

「別にいいでしょ? 勉強しにきたのよ勉強。お仕事の」


 いつの間に俺の部屋にいたのか。そんなことは分からないが、近くの椅子で、むすっとしながら足をぶらつかせている我らが領主。


 てゆーか、普通に考えてグリアッドのあのセリフってセクハラだよな? 良いのかな? 女の子にああいうこと言うのって。知らんけど。


「今は何をしているの?」

「資料を見て、この地方をどうやったら裕福に、強く出来るかを模索してる」


 書簡を一つ、アリサに差し出す。

 今手渡したのは、一見なんでもない、現在の市場の様子。


「これが、どうかしたの?」

「食に関しての文化が強いんだが、どうしてだと思う?」

「……食にこだわりがあるから?」

「まぁ、つまりはそういうことだ」


 北アッシアグルメ革命、なんて遊びのような発想をした理由もそこにある。

 この北アッシアは食文化が潤っている。それはどういうことか。つまり、“食に関してはこの街は欲すら出てきている”ということ。


「金銭流通経路に、食品を通す傾向が強い理由。それは確実に食に関する欲があるからだ。この都市の人間はみな、“食べられればなんでもいい”ってレベルは脱している」

「そうね、確かに」

「だから、食に関しては、当たり外れなく事業を進めやすいということは分かる」


 反対に。

 そう言いつつ、俺はもう一つの竹簡をアリサに手渡した。


「……装飾品には疎い。着られればいい」

「流石に理解が早くて助かるよ」


 俺なりに、今の装飾品店の量や質を纏めたデータだ。

 アリサは一目見るなり、楽しそうに回答を出してきた。


 本当に、彼女ほど勉強が好きな人を見たことがないよ。好き、というより貪欲なんだとは思うが。


「そう。服に関しては、この地方で材料を現地調達できないと思っているのか、疎いんだ。今は商人が流れてきて売り捌いているけれども、ね」

「ちょっと待って? その口ぶりだと、あたかも生産出来ると言いたげだけれど」

「出来るさ」


 言いつつ、俺がデスクの上に転がしたのは、白い物体。


「……? 森に良くいる絹虫ね?」

「ああ。まさか、コイツが居るとは思わなかった」


 本当にな。


 養蚕されていないとはな。


「この虫を養殖することが出来れば、かなり有益だ。集めるように達しは、グリアッドに出してある」

「え? 養殖?」

「そう。わざわざ取りにいく必要なんざない。集めて育てて量産し、独自に生産まで漕ぎつければ莫大な利益につながる」

「……育てるところから。家畜と同じような形ね!」

「つまりはそういうこと。……そういえば、すっかり忘れていたな」


 いや、これで金銭的な目途が立つ。コイツらは本当に、種類によっては年中生産が可能だからな。……俺達が独占して始めてしまえば、最初は凄まじい儲けとなる。

 ……資金は、溜まっていくぞ。


「やり方は俺が教える」

「頼むわよ。流石は、日ノ本の国の人間ってことかしら?」

「……まぁ、そうだな。元々別の国で製法が確立していたんだが……養蚕が世界に認知されるようになったのは中世以降。下手すりゃ養殖という概念が無いとは考えていたんだ。ドンピシャだとは思わなかったが、ラッキーだ」


 まずは、第一段階。安定した資金を確保することに関しては、少し納得いく結果が出たかな。




















「ち~っす」

「……何さ。失礼しますとか言えないの?」


 おどけて、体を傾けつつピースして部屋へと侵入してきた闖入者に、シムラはジト目を向ける。


「んだよ、いいじゃないか。ほれ、本日は商いのおっさんがおまけでくれたリンゴ」


 ぽいっと、赤い木の実を放られて、わたわたと慌てつつも何とか掴めたことにほっとする。ついで、投擲者に向けて非難の視線。


「食べ物は投げるものじゃないんだけど」

「そう言うなよ」

「そして悠々と僕のベッドに座るな」

「そう言うなよ」

「聞いてる?」

「そう言うなよ」

「むきゃあああああ!!」


 自分も木の実を齧りつつ、竜基はシムラのベッドにどかりと座った。


「……ベッド硬いな。どうにか出来ないものか」

「文句言うなら立てばいいじゃん。僕は寝られるだけで有難いんだ」

「なら寝かせてやってる上司にほれ、お礼を言うがいい」

「お前最近エラく図々しいよね!?」


 瞠目するシムラに、しばしクスクスと笑ったあと。竜基は、ふと天井を見上げて呟いた。


「なんでだろうな。お前見てるとつい、さ」

「……」


 少し、哀しげな瞳。

 この数日で、彼の身の上は聞いていた。なんでも、倒れていたところを一人の少女に救われて以来、この国で暮らしていると。記憶はあるものの、無いのと同じようなものだと。どういう意味か分からなかったが、自分の記憶も一年ほど前以前は無いのだ。

 深く聞くことなど、出来なかった。



「からかいたくなって仕方がないんだ」

「……。……ん?」

「いやだから――「僕の感慨を返せええええええええええええええ!!!」何だよ急に!?」

「何がからかいたくなるだよ!? バカじゃないのやっぱり!? そして言い直さなくていいよ! 聞こえてるわこのアホ軍師いいいいいい!」

「とうとうシムラまでアホ軍師と呼ぶようになったか」


 どなりちらしたものの、別段気にした様子もなく木の実を頬張る竜基。

 今ほど、足が動かなくて腹立たしかったことは無かった。


「……なんだろ。気兼ねなく接していられると言うのか。からかっても害がないからというか。……昔はこれでも、弄られるより弄る方が多かったからな」


 何せ、参謀だったし。

 と、訳の分からないことを呟いて竜基は口を閉じた。


 この男は。とシムラはため息を吐いた。

 前回の邂逅以来数日。彼は自分で言った通り、毎日シムラのところへとやってきた。

 だが、勧誘はアレ切りで、いつもこの街の土産を持ってきて、いつもこの街の話をしてきて、いつも彼女をからかっては、しばらくして「また来るわ」と消えていく。

 いったい何がしたいのか。

 

 数日考えても、答えは出なかった。ならば、こちらから聞いてしまおう。

 今日は、そう考えていた。


「……数日前の話だけど」

「ん?」

「んじゃないよ。とぼけてんの? 副官がどうのっていう」

「なる気になった?」

「じゃなくてっ!!」


 どうもペースを握られる。

 頭を抱えつつ、シムラは言葉を探した。


「……あの日以来聞いてこないけど、何でなのさ」

「ん~?」


 そうだなぁ。

 一口木の実を齧った竜基は、そのままシムラから視線を外してベッドから立ち上がった。そして、窓の隣へと歩んでいく。

 シムラはその姿を、ゆったりと目で追っていた。


「この街を、お前が気に入ってくれたら。その時はお前から言ってくれると思ってさ」

「……」


 あぁ、そういうことか。


 いつもこの街の話をするのも。いつもこの街の美味しいものや不思議なものを持ってくるのも。上司になる予定のこの男が終始フレンドリーなのも。


 全部、この街を好きになってもらうためか。


 小さく、ため息を吐いた。

 この男を許すつもりはないし、竜基だってそれは分かっているはず。

 だと言うのに、彼は。許さないと言った相手にこうまでして、協力してもらおうと。

 本当に。本当に。


「嫌なヤツ」

「はぁ!?」

「何でそんな露骨に好感度あげしちゃってるの? バカ?」

「いや、え!? 好感、え!?」


 突然の罵倒に、竜基は素っ頓狂な声をあげる。

 その姿がおかしくて、ついシムラは笑みを浮かべた。


「ねぇ」

「なんだよ」

「僕も、からかう方が好きだ」

「知らないけどっ!?」


 窓の外を見やる。

 なるほど確かに綺麗で静かな青空と、対照的な、人で賑わう街。

 楽しそうで、幸せそうな、街。


「……しょうがないから、なってあげるよ」

「今度は何だよ!? またくだらない話か!?」


 困惑する竜基がおかしくて、少々涙を浮かべながら。

 ベッドの脇で頭を抱える彼を見て、シムラは。


「副官」

「え?」

「副官だよ。キミの下でなら、いいよ。なってあげる」

「……え?」

「勘違いするなよ? 僕はキミを許さない。けど……面白そうだからなってあげる。キミの、副官にさ」


 この城に来てから始めて、本物の笑みを浮かべて言った。




















「ふぎぎ……」

「……ふむ、じゃあここにしようか」

「難しいわね。……なら私はここに一手」

「ぬぎぎ……ふぐ……」

「アリサも上手くなったな。というか成長具合が異常」

「ふふ、ありがと。でも楽しいわねコレ」


 アリサと蚕の話をして、シムラが副官になることを承諾してから、数日。


 お互いの空いた時間が重なったアリサと竜基は、二人対座して木製の台を囲っていた。

即席で作られたにしては精巧な立方体。彼ら二人の眺める立方体の表面には無数の格子。そう、碁盤である。

数日でルールを覚えたアリサに、竜基は度々こうして囲碁の相手を誘っていた。この碁盤は娯楽の少ないこの世界で、彼が一年間暇を見ては作っていたものだ。

元々現代では、竜基の相手といえば“強すぎる父親”しか居なかった。友人たちは全くルールを知らず興味もなかったので、寂しかったことを覚えている。

その点アリサはこの碁盤を一目見て興味を示し、なおかつ覚えるのも早かったので相手にはうってつけであったのだ。


もっとも、一週間に突入しようとする今日でアリサが勝てるほど、竜基は甘い相手でもないのだが。

 本日も、盤を見れば一瞬で白が劣勢だと気づくことが出来る。


「じゃ、ここで」

「手加減してよリューキ」

「ぐにに……うぐぐ……」


 ぶぅ垂れるアリサを一瞥した竜基は小さく笑った。

 昔はこの立場に自分が居たものだと苦笑して。

 そういえば、親父はどうしているのだろうか……。


 風が吹いた。心地の良い風が。波打つ蛇のような妙な風であったが、少々涼が取れるほどの快さを孕んでいた。


 その風は、まずベッドを通り過ぎ、碁を打つ二人を通り過ぎ、そして廊下へと抜けていく。


「……風が吹く季節になってきたわね」

「でも、南からの風は珍しいな」

「ぬぐ!! ふぐ!!」

「「いい加減静かにしてくれないか(しら)?」」


 二人の碁打ちがベッドの方へ一斉に向いた。

 ベッドの上では一人の少女が、何やら手元の木製リングのようなものを必死で引きちぎろうとしていた。


「……あのさシムラ。お前があまりに暇だ暇だと言うから渡した俺が言うのも何だけど、アリサはそれすぐに解いたぞ?」

「ぬぐぅ……!」

「力じゃないんだけど……聞いてないみたいね」


 シムラが顔を真っ赤に染めて弄っていたのは、知恵の輪であった。


 これも竜基が、一年間の間に作った暇つぶしアイテムである。

 解くのにかかった時間は、アリサが、一目見てすぐ。リューキは製作者なので除外して、グリアッドが竜基の目測で一分ほど。ガイアスが一瞬。ライカは竜基のストップがかかっている。


「ライカは解けないと見るやすぐに大斧を振りかぶったからな」

「ガイアスは素手で一瞬で引きちぎったわ」


 お互いの抱える魔剣使いに、同時にため息が漏れた。


「うるさいなっ! これすっごい難しいんだよ!」

「製作者が解けないと思うのか?」

「見てすぐ解けたわね」

「自分が出来るからって悦に浸るんだ? これだから下衆は」

「「何で罵倒されたの!?」」


 その後も知恵の輪に没頭するシムラを放置して、竜基とアリサは碁盤へと目を戻した。

 パチっと、竜基の指先から心地よい音が放たれる。


「……そういえば。区画整理の方は順調なの?」

「割といい具合に進んでるよ。商業の場は商業の場。でも同じ商いをする者同士は間隔を開ける。そうすることで、はかどるしな。特に今は食文化に力を入れようと思ってる」

「なるほど。一年後には採算取れるみたいね……。他には何か進めていたかしら?」

「防衛の為の外壁……昨日の内に概要は把握したから、これからちょこちょこっと改造の設計図を作るよ。あとは兵器も手掛けているし、蚕の方も順調だ。それに……そろそろあの子が帰ってくる」

「ああ、そういえば最近見てなかったわね……どこに行かせてるのかはだいたい想像着くけれど」

「そりゃな。あの子が帰ってくる前に、西の山脈の下見に行く。色々準備を整えないとな……さ、これでどうだ」


 定期的に鳴り響いていた石の音が、止んだ。

 シムラも、何かに気付いたようでちらりと二人の方へ眼を向ける。

 竜基が笑い、アリサが顔を赤くして彼を睨んでいるところであった。

 頬まで膨らませてジト目になるところなど、シムラは当初想像もできなかった。初対面の時のような、猛犬を飼い慣らしているカリスマ然とした雰囲気はどこにもない。ただただ悔しげな少女の表情が、意外でしかたがなかった。


「……ありません」

「はい、ありがとうございました」


 ぶすっとした顔で呟いたその言葉に、竜基は苦笑する。

 このやり取りも何度目だろうか。この展開以外で対局が終了したことなど、一度を除いては、無かった気がする。

 ちなみにその一回とは、最初の、ルールを教えながら行ったものである。「面白そうね!」と目を輝かせた次の対局では、もうボロクソにやられていた。なまじ敗北が分からないものだから、整地まで行って目の差に愕然としていたことを、竜基は思い出す。


「……もっかい」


 さかさかと石を色分けして、石入れに戻し始めるアリサ。その表情は憮然である。


「マジで?」

「うるさい」


 このところのアリサの負けず嫌いというか、年相応な雰囲気には竜基も満足している節があった。自分が一度犯した過ちを、ちゃんと赦してくれているようでほっとする。

 もしあそこでちゃんと謝っていなかったら……そこはグリアッドに感謝だなと、一人頷いた。

 もちろん、アリサは公の場……というより竜基の前以外ではちゃんと引き際を心得ており、戦略面でも負けず嫌い、なんてことはない。負けても美しく。被害の一番少ない退却法や反転の仕方を、きっちり竜基から教わっていた。


「コテンパンに負けるの分かってて再戦を申し込むって凄いなー。僕にはマネできないよ」

「うぐ」


 知恵の輪に苦戦してフラストレーションでも溜まっているのか、ポツリと呟かれた言葉でアリサが胸を抑えた。

 呆れた竜基がシムラを一瞥する。


「知恵の輪も解けない残念少女が何を言うか」

「手加減も出来ない参謀(笑)が何を言うか」

「アリサみたいなヤツに手加減をする意味も考えられない癖にトンだご高説だな。ほれ、手が止まってるじゃないか。さっさとその木端くらい解体しなよ捕虜(笑)が」

「……うぐぐ」


 時たま毒を吐くこの少女だが。どうにも相変わらず、この口回りの異常に早い男相手は分が悪いようで。悔しげに竜基を睨んでいた。


「……いつかぶったおす」

「来世で楽しみにしてるよ」

「むっきゃあああああああああ!」


 鼻で笑った竜基が、碁盤に目を落とすと。既にアリサが対局準備を整えていた。


「……シムラに構ってないで早くやりましょう」

「ん? そんなに急かすなよ。アイツ弄り倒すの面白いじゃないか」

「私と碁をやるより? さっさと握ってよ」


 どこか不機嫌そうなアリサ。放っておかれたのが気に食わなかったのか、何か。

 竜基は肩を竦めると、自分の手元にあった黒石を、二つ取り出した。ちなみに握りとは、石の黒白を決める、独特の手法のことである。


「私が黒ね……こっちに集中しなさい」

「なんでそんな怒ってんだよ……あれか? コテンパンにやられたからか?」

「知らないわよ。今日は絶対負かす」


 石の音が、また快く室内に響き始めた。

 知恵の輪に飽きたのか、いつの間にかベッドの方からシムラが竜基たちの対局を覗いていた。


「ところでリューキ。なんで僕の部屋でやってるのさ」

「お前の部屋じゃないからここ。……まあアレだ。暇な時は来るっつったしな。んでアリサの休みも重なったから、面倒なんで一緒にした」

「ちょっと。それはどういうことかしら?」


 相変わらず不機嫌モードのアリサが、割と大き目な音を立てて、石を打った。ちなみにその位置は悪手である。


「どういうことって、言ったままだが? 忙しいしな。休憩時間にアリサの部屋いって、それからシムラんとこ行って……って、なぁ?」

「なぁじゃないよ。僕だってそんなぞんざいに扱われたらカチンと来るんだけど。リューキってさ。何か自分の賢さ的な部分に酔いしれてるところあるけど、実のところ割とバカだよ。理解できてないよ人の心とかを」

「……今回は結構ぐっさり来たな」

「あら? 私からも同意見よ?」

「おうおうマジか」


 女の子は、苦手だ。

 あっけらかんとしたライカとの生活を恋しく感じる竜基であった。


「だいたい、シムラには粗方、話はしただろうに」

「僕は確かに、副官になることは了承したよ? けどそれとこれとは別問題だ。僕はキミやアリサ王女を許したわけじゃないし、元々この場では僕に色々と業務を教えてくれるって話だったじゃないか」

「……え? でもお前その割に暇だから暇つぶし作ってこいとか――」

「うるさいな。細かいことを気にするなよ男の子。いいかい? 僕としては、ちゃんと副官になるに当たってしっかりとした対話を要求する。そうでなければ、理不尽だよ」

「理不尽なのは俺の弁を遮るシムラじゃないの?」

「……細かいことを気にしないでよ」

「無茶苦茶な上に目線泳いでやがるコイツ」


 ため息が漏れた。シムラもどうにも不機嫌だ。こちらもどうにかする必要がありそうだが……先ほどから、無言の王女様が怖いのだ。


「……アリサ、何故、さっきっから黙って睨んでんだ?」

「……」


 不機嫌そうに眼を細めた王女様は、どうにもご立腹のようで。竜基は何度目になるか分からないため息を吐いて、石を手に取った。


「続けろってことね?」

「……ばか」

「違うのかよ」


 何故か今度はアリサのため息。竜基が打った石の位置に口元をひくつかせながらも、彼を見据えて言葉を紡ぐ。


「シムラに業務を伝えることぐらいすぐ出来るんじゃない? 私とこうしてゆっくりする時間を、他のこととの片手間にしないで欲しいんだけど」

「あ、そういうことか」

「そういうことかじゃないでしょ。やっぱりバカなんじゃないかな?」


 確かに、配慮が足らなかったと考える。こうして碁を打つのは日課になっているし、何より一日でアリサが一番楽しみにしている時間なのだ。それを、他のことの片手間にされたら誰だって嫌だろう。

 だがちょっと待って欲しい。自分だって、正直手一杯なのだ。こうしてアリサと碁を打ちたい気持ちはとても強いが、この街の行政は、ほぼ一手に担っている状態だ。

 普通の善政を敷くだけでも辛いのに、赴任一週間目で改革にまで手を出しているこの状況は、決して竜基の体には優しくない。副官教育は口頭でも出来るのだから、このくらいは許して欲しいと思う自分も居る。


 と、そんな表情を読み取られたのだろうか。

 アリサが、少々複雑そうに顔を歪めた。


 おそらく、アリサにもわがままを言っている自覚があるのだろう。王女としての、トップとしての自分が、彼女に苦言を呈しているに違いない。


「ねえリューキ」

「ん?」

「最近私、甘え過ぎかな?」

「……俺としては、それでアリサのリラックスになるならこのままで構わないよ。体が壊れそうになったら、流石に休ませてもらうから」

「……そっか。でもねリューキ。“副官への教授”は休憩時間にしなくてもいいのよ? ……もう少し、時間空けられるように私も努力するから」


 嬉しいことを言ってくれる。

 真摯な紅玉の瞳が、俺を見つめていた。


 この時期にあって、やはりゆっくりと遊ぶことなど殆ど出来やしないのだ。俺が彼女との時間に囲碁を選択したのだって、戦術的な俯瞰を含めているから。ただの娯楽にあってすら、そういう視点を含まなければならない時勢。


 ……アリサにも、日本のような、何も考えずとも暮らせるような生活をさせてあげたい。


 切にそう思った。






副官少女の上司観察日記――大人気連載中の、大手出版社より出版されている歴史恋愛漫画。魔剣戦記の時代をベースに、自由極まる上司に振り回されながらも一生懸命頑張る少女の姿を描く。特徴的なのは主人公シムラのサバサバとしたキャラクター、そして魔剣時代を生きた英雄たちの個性を捕えながらも、パロディらしくデフォルメしている点であろう。魔剣ファンにとっても堪らない一作に仕上がっている。あの「猛火の凶将」と恐れられた猛将ライカをただの童女キャラにしている点など、書物からは想像もつかない。


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