ep.14 物語は始まる
アリサ王女は肌で感じた。甘く殺意に満ちた風を。それは風雲急を告げるアッシア王国の、崩壊への序曲に他ならなかった。
エル・アリアノーズ戦記 第一章 冒頭より抜粋
アリサは北アッシア城へ戻ってきていた。
事後処理を済ませ、数百の兵を凱旋させたことを誇りに思いながら。
今の自分には力がない。敵を救うことが出来なかった後悔はあれど、それ以上に自分の味方を守れたことに胸を張る。
「リューキの到着はいつ頃になりそうかしらね」
「う~ん。どうだろね~……眠い。寝たい」
「貴方に聞いた私がバカだったわ」
グリアッドと共に、朝の廊下を進む。時折すれ違う使用人にまで軽く笑みを見せるところに、彼女の人徳が感じられる。
隣の眠そうな金短髪は、そんな彼女に仕えていることを誇らしく思っていた。
「で、今からどこに行くの? あ~ちゃん」
「あ~ちゃんはやめなさい……捕虜のところにお話にね」
「捕虜? ……リューキが拾った少年かい?」
「あれ、女の子よ」
「え」
さらりと性別を間違えていたことに、パタリと足を止めるグリアッド。不思議に思ったアリサが振り返ると同時に、彼は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ぼ、僕が女の子を野郎扱いするなんて……!」
「はいはい茶番はいいから付いてきなさい。そんなフェミニストじゃないでしょ貴方は」
「そーだけどさ。最近僕に対する仕打ちが厳しくないあ~ちゃん?」
蹲るグリアッドを一瞥してさっさと歩みを再開するアリサ。
慌てて追い付いたグリアッドが言うぶつくさとした文句も軽く聞き流す。
「ところでその捕虜の女の子はどこに居るのさ」
「本当なら地下牢に入れておくのが普通なのだけれど……リューキの部下らしい位置に黒装束の隠密が居たの覚えてる?」
「隠密じゃなくてNINJAだよ」
「うるさい」
紅玉の瞳がグリアッドをジト目で一睨み。
知っているのならいいわ、と続けたアリサは、歩きながらも指を一つ立てて。
「彼女が得た情報でね……殺されたらしいわ、サイエンの領主」
「えぇ?」
十日ほど前。あの村で様々な後始末をしていた時に、竜基はあのNINJAに状況把握を命じていた。周囲の情報を得るだけで良いと言ったはずなのに、何故か数日でサイエン地方の情報を揃えてきた彼女に驚いたのは措いておくとしても。
レザム卿が何者かに殺されていたということに、竜基は思うところがあったようで。
しばし考えていた竜基がアリサに話した内容は、「捕虜にあまり不遇な扱いをしないでくれ」ということだった。
「リューキに考えがあるってこと?」
「考えがある、というわけではないみたい。リューキの言うには、六千の兵はレザム卿に恨みがあったのだろう、とのことよ。下手をすれば敗残兵や逃亡兵がレザム卿を殺しに掛かったかもしれない……なんて言ってたわ」
「……それはないんじゃないかな。いくらなんでも領主に逆らうなんて発想が平民にあるわけがないし」
グリアッドの意見はもっともだ。アリサの考えも彼の物に近い。だが、ほかならぬ竜基の発想を、アリサは無為にしようとは思えなかった。
「……敗残兵を扇動した輩が居るかもしれない、ということかしらね」
「まぁ、いいけど。それで、捕虜の扱いにどういう関係が?」
「ちゃんとした扱いをしてあげれば、もしかしたら内情をべらべら話してくれるかもしれないじゃない」
「あ~、恨みがあれば、そうかもしれないね」
納得して頷くと同時に欠伸をかました隣の部下を、アリサは一瞬殴ろうかと思案して。
目の前の一室がその捕虜の居る部屋であることに気付き、踏みとどまった。
件の捕虜は、数日前に目を覚ましてから酷い錯乱状態が続いていたらしい。
彼女の経歴を知っている人ならば分からない話ではなかったが、既に彼女の半生を知る人など居ない。
六千の兵を率いる副官が、まさか覚醒と同時に喚き散らすとは思わなかった北アッシアの兵たちはとても慌てて取り押さえたそうだ。
火傷のせいで未だ歩けない状態にある彼女は、与えられた部屋で寝たきりの状態だった。
毎夜魘されては、昼時は放心したように天井を眺めるのみ。そんなルーチンから回復したのが、アリサが尋ねる前日のことだったという。
『……お水を、いただけますか?』
部屋の掃除をしていた使用人に、彼女はそう話しかけたのだという。
慌てて使用人が一杯の水を持ってくると、彼女はゆっくりと飲み干して、一息ついた。
『ありがとうございます。落ち着きました』
そう微笑んだ彼女の表情は、とても柔らかく美しかったと、使用人は話していた。
「ふ~ん……じゃあもう話せるようになってるんだ?」
「多分ね。私が行けばまた狂うかもしれないけれど……その時はその時ね」
「あ~ちゃんて変なところで思い切りがいいよね」
「うっさいばーか」
部屋の前で経緯を語ったアリサは、グリアッドのとぼけた返答に呆れながら、小さく部屋の扉を叩いた。
『どうぞ』
「失礼するわ」
殺風景な一室だった。
ベッドと、テーブル。椅子。あるのは、それだけ。だからだろうか、妙に部屋が広く感じた。明らかにアリサの執務室の方が広いはずなのに、彼女はゆっくりと周りを見回してしまった。
テーブルの上には、花瓶。差してあるのはこの地方で良く見る紫の花。
アリサ自身も好きな花で、思わず笑みをこぼしてから、この部屋の仮の主へと目を移した。
痩せている。
それが少女の第一印象。アリサよりもどう見ても年上のはずなのに、どうにも弱弱しい印象を受ける。
この少女があの軍の副官だったのかと考えると、首を傾げてしまう。
「……キミは誰かな?」
「あ、と。私はこの城の主。アリサ・ル・ドール・アッシアよ」
そう言った途端だろうか。彼女の瞳が大きく見開かれた。竜基と同じ黒い瞳。竜基の鋭いものとは違い、丸くくりくりとした愛らしいものだった。
だが、そんな観察をする暇なく、アリサの目をその瞳が射抜く。
映るのは、悲哀と……後悔。
「領主、さまなの?」
「ええ、そうよ」
不穏な、問いかけ。だが、アリサは胸を張って彼女を見返す。
だが、アリサの態度を見た少女はその仕草が頭に来たらしく、大きく息を吸い込んだ。
「どうして……! どうして僕たちばかりこんな目に遭わせるのさ!!」
その叫びは、ただただ殺風景な一室に酷く響いた。
前に進み出ようとするグリアッドを止め、アリサは彼女を見返す。
「……こんな目って?」
「分からないの!? 王女様なんだよね!? 皆を苦しませて! 無理やり戦争まで起こるような環境で! ギースさんだって……ギースさんだって……殺したくせに!!」
泣き喚く目の前の少女の言葉は、アリサの心に突き刺さる。
王女なのに。
分かっていた。自分が、領土は違えど同じ国の人間を皆殺しにした事実。そして、本来ならば自分が全ての土地を豊かにせねばならないということも。
そして何より、このような罵倒を受けても、それに返す力さえも無いことも。
「……」
「黙ってちゃ分からないよ! なんでよ!? なんでこんなことになってるのさ! 僕たちは何も悪いことなんかしてない! ただ無理やり領土を奪いに行かされて、いつの間にか皆……皆死んじゃって!! 何だよこれ……何だよコレ!!」
堪えた。分かってはいても、自分が未だ無力で何も変えられない事実。
だが、王女という肩書は、この国のトップであることに間違いはない。
少女の怒りは、もっとも。王女のクセに何もできていない……これは、悪だ。
「ねぇ! 返してよ! ギースさんを! 皆をさぁ! なんで「いい加減黙りなよ」……え?」
「……グリアッド?」
ポツリと呟いた、隣の青年の声は。少女の叫びすらも、閉ざしてしまった。
顔を見上げれば、その表情は無。そして瞳には淡泊なまでに殺意を湛えていた。
「あ~ちゃんが……あ~ちゃんがどれだけ苦労してんのか、お前知ってるの? 第二王女なんてレッテルみたいに貼られても歯を食いしばって頑張って、それでも無力な自分をいつも責めて。悪いのはあ~ちゃんじゃない。この腐った国だ。そんなことも知らないヤツがぎゃーぎゃー喚くなよ」
「ちょ、グリアッド――」
「黙ってろあ~ちゃん」
先ほど彼を留めたように、今度はアリサが口を塞がれてしまった。
むぐむぐ言うアリサに慈愛の瞳を向けてから、再度グリアッドは少女へと目を向ける。
「お前が王女様だから責任を負えって言ってるの、お前より年下の女の子だって分かってる? んで、その年下の女の子がお前の数百倍努力して、それでも未だ報われてないって分かってる? 報われないことを罪だと糾弾されてもこうして我慢してるって分かってる?」
「……いみ、わかんないよ」
「分かんないんだったら黙れよガキが!!」
「ぐり、あっど?」
グリアッドの怒鳴り声など、初めて聞いたアリサは瞠目する。
だが、当然だった。グリアッドが怒るのは、本当に大切な人の為だけ。それが、アリサなのだから。
少女は、先ほどまで眠たげだった青年が急に怒りを露わにしたことに酷く動揺していたが、彼女とて怒りは絶大だった。
「じゃあどうしろって言うのさ! こんな風に隣の地方で殺し合ってる責任が、国に無くてどこにあるって言うのさ!」
「国にあるに決まってるだろ」
「はぁ!?」
「国にはあってもこの健気な王女に責任があるとは絶対に言わせない! 絶対にだ!」
「暴論じゃないか! そんな庇護するくらいだったら、その王女担ぎあげてさっさとこの腐った国をどうにかすればいいじゃん!」
「そのつもりに決まってるだろ」
「……え?」
「だから――」
「いい加減にしなさい」
呆けた少女に、グリアッドはなおも口を開こうとしてアリサに後頭部を引っ叩かれた。
「……あ~ちゃん?」
「そこから先は機密事項よ。あまりしゃべらないの。それにこの子は高々捕虜でしかない。……別に、何を言われようと気にしないわ」
「嘘つけ辛そうな顔してたくせに」
「でもグリアッド」
「何さ」
「ありがとう」
ニコリと微笑んだアリサに、バツが悪くなったグリアッドは頬を掻いた。
そんな一連の流れを、少女は黙って見つめていた。
「私は、この国を変えたいと思ってる。そのためには、どんな骸の道も渡って見せると誓った。だから貴女に何と言われようとかまわないわ」
「……」
少女に向き直ったアリサは、先ほどとは打って変わった強い意志の籠った瞳を彼女に向けた。アリサの一言一句が、少女へ向けて放たれる。
「ギースというのは、隊長の名前だったかしら。彼を殺したのは間違いなく私よ」
「っ」
「でも、私は今貴女に謝罪をする気はない。もしかしたら、また私は国民を殺すかもしれない……ううん、必ず殺すからよ」
アリサの覚悟は、固まっていた。決意したのは、王宮から脱した日。そして先日、新たに加わってくれたあの軍師の御蔭で心を決めることが出来た。
自分には、味方が居る。一緒に背負ってくれるあの少年が居る。
それだけで、十分だった。
「豊かで優しい国を作る為。私は手段を厭わない」
睨み据えるように放った言葉は、少女へしっかりと届いた。
どう受け取るかは、別にしても。
胸を張るアリサを、グリアッドは誇らしげに見つめていた。
「ところで、レザム卿が何者かに殺されていたのだけれど、知らないかしら?」
「え!?」
素直に驚いた様子。
「こ、殺された……?」
「知らないならいいわ。……下手をすれば、王国側からの差し金かもしれない可能性が上がったけれど」
ふぅ、と一つため息を吐いた。
酷く狼狽する少女を一瞥しつつ、アリサは改めて近くの椅子に腰かけた。
「さっき、無理やり領土を奪いにいかされて、と言ってたけれどアレはどういうこと?」
「……レザム卿の命令で、食糧を奪いに行くって。でもギースさんは……王女を殺すって言ってた。その辺はもう分からない……」
「そう」
王女を殺す。その言葉を反芻する。
おそらく部隊長のギースはレザム卿の思惑を知っていた。そして、王女を殺すということは、絶対にレザム卿にはバックが居たということ。彼だけで、そんな動きを出来るはずもない。
「なるほど……良く分かったわ」
一つ頷いたアリサは、くるりと踵を返した。
「あ~ちゃん?」
「何よ? まだ聞くことあったっけ?」
「いやそーじゃないけど」
何事も無かったかのように部屋を後にしようとする彼女に、一度グリアッドは声をかけたものの。彼女の言うとおりであった。
あの少女は人質でしかない。それも、アリサに対して敵意を持っている。
そんな少女に対してアリサの信念についての話を繰り広げたところで、確かに意味はない。
少女の返事を待つこともなく、アリサは部屋の外へと出た。
グリアッドも続き、彼が扉を閉めたところで、彼女はグリアッドに背を向けたまま口を開く。
「グリアッド、勘違いしてないかしら?」
「え?」
「“今”は意味がないだけよ……でなきゃ、わざわざ城の中に置かないわ」
「……あはは。じゃああ~ちゃんは、あの子を登用するつもりってこと?」
「……ことと次第によってはね。あんな、どう見ても戦闘経験なさそうな人が、副官であった理由……気になるでしょう?」
「確かに、ね」
「さて、もうすぐリューキが来るのだし、数日中に粗方の準備は済ませるわよ!」
長袖の、紫色をしたワンピースドレス。その袖を捲って、アリサは機嫌よさげに歩いていく。
グリアッドはその背を眺めて一つため息を吐いた。
「強くなったなぁ、あ~ちゃん。これも、アイツの御蔭なのかな~……」
その呟きは、アリサの耳に入ることは無かった。
ザザザ……
Now loading,,,another wars of evil blades
“黒き三爪”
少年達が今も憧れる最強の戦闘者集団として有名な、好みで仕事を選び、己の正義の為だけに戦い続けたたった三人の流れ者である。
目印は、肩に入れられた黒い三本傷の刺青。
一人の女、一人の男、そして、その二人を束ねた太刀を使う魔剣使い。
その三名からなる戦闘者集団が、あの時代に己の正義を掲げて戦ったのだ。
そんな彼らだが、どんな人物だったのか、細かいところは文献によって多種多様であり、輪郭さえつかめていない。
しかしながらどうしてかその三人の雄姿が容易に想像できるのはなぜだろう。
私の童心がくすぐられるからか、それとも幼少よりずっとこの英雄譚を聞かされてきたからか。私には、分からない。
考察 戦闘者“黒き三爪”にみる正義 冒頭より抜粋
それは、小さな荷馬車だった。
見渡す限り平原の、その間を細い糸のように通る街道を、小さな荷馬車が走っていた。
二頭立ての馬車を、少女と見まがうような容貌の少年が御している。
その馬たちが引く荷車の中には、彼らの食するための牧草と、埋もれるように二人の人間が寝転がっていた。
「なぁなぁ兄ちゃん。これどこに向かっとるん?」
一人が、むくりと上体を起こした。そのまま、荷車の壁に寄りかかる。
成長期をちょうど終えた程度の少女だった。
軽装に身を包んだだけという簡素な格好も相まって、よりボディラインがくっきりしている。スタイルも良く、ちょうど娘盛りの年頃といったところであろうか。
その目立つ容姿の中でも特に目を惹く流れるような緑の髪は、ところどころに藁がついて鬱陶しそうだ。
彼女はそれを払いながら、小さく可愛らしい欠伸をして、前方で牧草に埋もれるもう一人に問いかけた。
「……」
「寝とるんかい……しゃあないなぁもう」
口上とは裏腹に、何か悪戯でも思いついたかのような楽しそうな笑みを浮かべて、少女は藁の中を四つん這いで進む。
といっても荷車の中は広くない。
すっと首を伸ばせば、そこには目当ての顔があった。
北に向かっていることもあり暖かいとまではいかないが、それでも心地の良い昼前の日差し。その陽光に照らされるようにして気持ちよさげに寝ているのは、一人の青年であった。
アイスブルーの瞳を細め、少女はその青年の寝顔を眺めた。
兄、と呼称した割には、その歳はいくばくか離れているように見える。
彼女が十代後半だとするならば、目の前の青年はだいたい二十五程度であろうか。
さっと、少女はその長い緑髪を後ろで縛る。綺麗な布を引き裂いただけの簡易なもので、見た目重視ではないのだろう。
後頭部でひとまとめにした長髪はさながら馬の尾のようで。
彼女は今からする悪戯に笑みを馳せながら……
青年とは反対方向に勢いよく振り向いた。
猛然と振るわれる長い一つに纏められた髪。
それが青年の顔面を襲いかけ――
「いだだだだ!?」
「……む? なんだコレ」
「いだいいだい!? 兄ちゃん放してぇな!!」
――突如目を開いた青年の右手がその一房の髪をむんずと掴んだ。
涙ながらに訴える少女を一瞥して。
青年はさらにその髪を引っ張る。
「あだだだだ!?」
「……妙な気を感じたんだが? ちなみにこの緑の鞭は視界に入った瞬間既にこの俺に迫ってきていたように思えた。さて、どういう状況だ?」
にやり、とサディスティックな笑みを浮かべ、青年は笑う。オールバックに極めた黒の短髪といい、寝転がった状態からでも分かる長身といい、笑みも含めて威圧感は尋常なものではない。
「ちょ、兄ちゃん容赦ない!? う、ウチが悪かった! 悪かったから放して!」
「ほい」
「ぎゃふ!?」
突如解放され、余った力の行き所を失った少女はバランスを崩して藁の中へと突っ込んだ。そんな彼女を、心配するでもなく青年はただ笑う。
「クハハ、起き抜けから愉快なヤツだな」
「うぅ……半分は兄ちゃんのせいや……」
痛む後頭部を抑え、ころりと反転するように荷馬車の壁によりかかった緑髪の少女。
黒い短髪の青年は、欠伸混じりに楽しそうだった。
「で、兄ちゃん。これどこに向かっとるん?」
「ん? 言ってなかったか。アッシア王国だ。というよりもう、国境は越えたぞ?」
「えぇ!? な、ななななんであんな辺境に!?」
「なんでって……おいケスティマ」
驚きにわたわたと意味の伝わらないジェスチャーを開始する少女を後目に、青年は御者台の方を向いた。そういった状況の説明ならば、自分よりも御者台に座るケスティマの方が適任だと思ったからだ。
しかし、御者を務めているはずのケスティマからの返答はない。
「……ケスティマ?」
訝しげに青年は立ち上がる。
なるほど長身で、しかも引き締まった体躯は歴戦の騎士を思い立たせる。
だがその鋭い目つきと口角の上がった口元が、どうにも騎士より傭兵のようなイメージを抱かせていた。
ともあれ御者台である。
ケスティマと呼ばれた人物は、御者台に座ったままこちらを見向きもしない。
鮮やかなオレンジ色の、肩甲骨まで伸ばした髪が目に入る。
小柄な体格と相まって、後ろから見ても中性的な少年であった。
「……まさかケスティマの野郎」
ポツリと、青年は呟いた。
後ろで不安そうな緑髪の少女を置き去りに、青年は御者台へと乗り込んで。
バッと青年がケスティマと呼ばれた少年の顔を覗き込んだのと、馬車の車輪が街道を踏み外してがくんと揺れたのは同時の出来事だった。
「寝てんじゃねえええええ!!」
周囲の草原に居たはずの蝶たちですらその怒声に飛び立った。
だがそれとは別に車輪は街道から外れたまま、整備の行き届いていない土に踏み込んでがくがく揺れる。
さすがに目を覚ましたのか、その少女のような外見を持つ少年は、寝ぼけ眼をこするなり混乱に声を上げる。
「ふわわ!? あ、あれここはどこっていうかなんで先輩が目の前にっていうか!?」
「馬を御しながら寝るとはどういう了見だ! くの、くの!」
「あああダメです! 先輩は御者のやり方なんて知らないでしょう!?」
「じゃあ寝てるなよ!?」
「ちょ、馬が興奮しだしてるって! こんな速度でがっくんがっくん揺られちゃ……!」
青年は車輪をどうにか街道に戻そうと慣れない手綱を引くものの、それは知識のある者にとっては最悪の御し方で。
ケスティマは慌てて青年から手綱を奪い返す。
「ってもう! こんながくがくじゃ車輪外れちゃうよ!? 一旦止まりましょう! ちょちょ、止まって! レイ、ライ、止まれえええ!」
必死で手綱を操るケスティマ、為す術なく御者台でがくがく揺られる青年。既に後方で酔い始めたばかりか藁の中でころころ転がる少女。
カオスだった。
「気持ち悪い~! 兄ちゃんウチを止めてぇ~!」
「そんなことより馬を止めてください! 先輩のせいですよ!?」
「いやいやいやいや貴様が寝ていたからだバカタレが!!」
責任転嫁押し合いへし合い。
その間も馬車は止まらず、ただただかき混ぜられるように彼らの足場はおぼつかない。
と、そんな時だった。
御者台に座るケスティマの前方に見えたのは、小さな集落。
このままいけば、門に突っ込む。
「うわわ! 前方に村!?」
「よし、突っ込ませれば止まる」
「暴論過ぎません先輩!?」
「気持ち悪い~、ぎゃ!? 頭ぶつけた~!! もう嫌や~……!」
「ヴェルデも少し黙ってくれないかな!?」
青年のせいで馬は既に興奮状態。馬車の車輪が街道から外れていることなど気にせず、自分たちがどんどんと村へまい進していく。
青年は既に諦め状態で目を瞑り、胡坐をかいていた。時折揺れる馬車のせいで、危うく転げ落ちそうになっても根性で耐えている。
ケスティマと呼ばれた中性的な少年も半ば諦めながらも、それでも四苦八苦してどうにか村に被害の無いように努力している。馬を鎮めることに必死であった。
最後にヴェルデと呼ばれた緑髪の少女だが、既に満身創痍。吐かないことに尽力する以外、何もできない様子だった。
「……ああもう! 仕方がないなぁ!」
やりたくは無かったが、急ブレーキをかけることにしたケスティマ。
自身はしっかりと踏みとどまる準備を完了させた上で、手綱を強く、かつ繊細に操る。
「止まってくれ! ごめん!」
「うおぁ!?」
瞬間胡坐をかいていた青年は御者台から転げ落ちる。幸い、並外れた身体能力で荷台の中へと退避した。
「…………もう、あかん」
酔いが最大限になってしまっていた状況。だというのに、大きなブレーキでトドメのごとく荷台が揺れた。
ふらりと、ヴェルデは倒れるように荷台の壁へ寄りかかり、干し物のように上半身を乗り出して……色々と催した。
馬が二頭嘶いた。
村を目の前にして、ようやく暴走馬車は停止したのだった。
「……死ぬ……ウチ、もう……」
「汚いヤツだな」
「身も蓋もないんかい!? もうちょっとこの可憐な女の子に対してやな!?」
「ああはいはい」
「……お嫁にいけへん」
ぐでー、と壁に垂れ下がるようにして一息ついていたヴェルデに、青年の容赦ない一言が突き刺さる。
がっくりと項垂れた彼女は、再度荷馬車の外へと上半身を放り出した。
「……なんや。この村」
ポツリと、呟いた。
暴走騒動のせいで気にしていなかったが、いつの間にか平原は荒野に変わっていた。
それどころか、目の前にある村はどこか空気が重く、活気がない。
ヴェルデにとってはあまり思い出したくない過去と重なりあって、この村に良い印象を抱けなかった。
「……アッシアの悪政がもたらした結果、なのかもな」
村を外から眺めてもこれである。
青年も荷台の藁に寄りかかり、後頭部に手を組んで村に目をやった。
そして、呟く。
「先代国王までは善政を敷いていたらしいが……ふむ。今代の王が相当愚王という情報。強ち間違っては居ないのかもしれんな」
「……頭が腐りよったら、その手足なんて何も出来へんのに。それが分からん王が王座に座るんやない……」
先ほどまでの吐き気やらはどこへ行ったのか。ヴェルデの瞳には、強くも危うい意志が宿っていた。
成長しきっていないふんわりとした頬が、紅潮している。
「ま、ヴェルデは特にそう思うか」
晴天を見上げた。雲が多いものの、陽の光は届いていた。
と、そこへ別の色が現れる。
オレンジ色の髪だと気づいた時には、隣にケスティマが降り立っていた。
「……ふぅ。先輩、もう御者の仕事を取るのはやめてくださいね」
「ケスティマか。……いや待て。お前が白河夜船を漕ぐことがなければこんなことにはならなかったのだがな」
睨み据えれば、ケスティマは声を漏らして黙りこくる。反論のしようがないのだろう。事実、最初に車輪が乗り上げたのはケスティマの責任だった。
「……恨むで、ケスティマ」
「あはは……」
ジト目でヴェルデにまで言われては、苦笑するより他なかったのだから仕方がない。
と、そこでケスティマの表情が変わった。
「っとそうじゃないや。ここはアッシアの南方、メルトルムとの国境にほど近い場所ですね。ヴェルデには言ってませんでしたが、今回の旅はグルッテルバニアの皇女殿下からの依頼です」
「グルッテルバニアの皇女? そんな大物からの依頼なんか。……大仕事になりそうやけど、よぉ受けたな兄ちゃん。権力者嫌いって口癖みたいに言うとんのに」
「……あのお転婆皇女には借りがあるからな。……まあそれに、俺の主義に反する仕事だったら受けないとも言ってある。調べた上で、やるならやる。それだけだ」
指を立てて説明するケスティマに、ヴェルデは首を傾げた。
権力者嫌いの目の前の青年が、とてもではないがそんな依頼を受けるとは思えなかったから。
……とはいえ、ヴェルデの解釈にも誤解があった。
彼としては、その権力者が優秀ならば何の問題もないのだ。
何らかの理由で手にした力。その力の使い方次第で、この男は権力者を好きにも嫌いにもなり得る。
基本、己の流儀に反する人間が嫌いなだけなのだ。
“借りがある”の言葉に反応したのは、ヴェルデだった。
「そっか……兄ちゃん、変な記憶があるんやもんな」
「ああ。誰のとも分からない記憶が片隅に残っているような妙な感覚。これをどうにかするために、俺は旅をしなければならないからな。これは、十八までの記憶がない俺の、一つの生きる意味と言ってもいい」
後頭部をコツコツと叩きながら、青年は笑う。記憶と言ってもかなり曖昧だがなと続けて、肩を竦めた。
「ところで――」
結局仕事の内容ってなんやのん? と聞こうとして、ヴェルデは口を閉ざした。
「……誰や?」
荷馬車の後方。ちょうど彼女が寄りかかっている壁の背の方面に、視線を感じたのだ。
「ひ!? え、えとあの! あ、あやしいものでは……」
「え?」
振り返ってみれば、ボロ布を纏った少女であった。少女と言っても、ヴェルデとは比べものにならないほど小さい。
二桁にも届いていないかもしれない、そんな年端もいかぬ童女であった。
それに堪らず笑い転げたのは青年とケスティマである。
「誰や? だと!! 何をカッコつけているんだこのバカたれ……!」
「あはは! お腹痛い! ひぃぃ!!」
彼らはヴェルデと向き合うようにしていたのだから、当然少女の姿が見えていた。
小さな女の子に対していっそ清々しいほどの威圧を放ったヴェルデが、おかしくてしょうがなかったのだ。
当然ヴェルデの顔は真っ赤である。
「ああああ!! ウチは気配察知苦手なの知っとるやろ!? なんで笑うん!? ケスティマに到ってはそれすら出来へんのとちゃうの!?」
「ぶっ……いやぼ、僕だってそのくらい分かる……てゆかヴェルデはよくそれで戦闘者なんて言えるよね……!」
「言うたな!? ウチこー見えても兄ちゃん除けば負けなしやで!?」
喧嘩をおっ始めた二人を差し置き、いつの間にか青年は荷馬車を下りていた。
藁の中に埋もれていた己の得物、鞘に入った黒い太刀を背負い、少女の前へと進む。
そして、少女の前でしゃがみこんだ。
「どうした?」
「え……あの……その……」
「ふむ」
青年の欠点は、その鋭い目つきだった。強面ではなく、むしろ薄く整っている方ではあるのだが、如何せんどんな状況でも睨んでいるように見えてしまう。
きっとそのせいでこの少女も怯えているのだろうと青年は思案に暮れた。
「……とりあえず、俺達はただの旅人だ。キミに悪さなんてしないよ」
「ホント?」
「ああ」
とりあえず相手の瞳を直視することを辞め、彼女の頭あたりを見つめながら青年は言葉を紡いだ。安心させるには、警戒しているであろうことをこちらから言うべきだと考えて。
そのまま彼は立ち上がって背を向けた。彼女の不安を取り除く作業は終わったのだから、もう会話をする必要はない。
ところが、むしろ用があったのは少女だった。
「……あの!」
「ん?」
「ひぅ!?」
「……難儀な目だ。俺の目は」
思わず声を掛けられて振り向いた。目を合わせるとびくつく少女に、額に手をあてて空を仰ぐ。
「……旅人さんは……強いですか……?」
「強い?」
反芻すれば、コクコクと頷く少女。
首を傾げながらも、青年は彼女の元へもう一度しゃがみこむ。その際、荷馬車の方から未だに喧騒が聞こえてくるのは知らないフリをした。
「……あの。ミナのパパ……どっかにつれてかれたです……」
舌足らずながらも懸命に言葉を紡ぐ彼女に、青年は耳を傾ける。
纏めれば、彼女――ミナの父親始め、村の働き手がどこかに連れ去られているとのこと。そのせいで村に労働力はなく、今も目の前の少女が一生懸命食糧をかき集めてきたそうだ。
見れば、歳不相応に汚れてひび割れた手の平に、青年も良く知る食用の草が十数本。
――アッシアの悪政。
父親が連れて行かれた理由など分からないが、こんな幼い子が奮闘しているというのに国から村へのフォローすらないのかと、青年は少々怒りを覚えていた。
盗賊に襲われたのだとしたら、この近くの領主がなんとかするべきだ。
だというのに。
ちらりと視線をやれば、ミナと言う少女は不安げに青年を眺めていた。
ポン、と手を頭に乗せる。
「安心しろ。俺も、荷馬車で遊んでるバカ共も、とても強いぞ。お父さんを取り返してやる」
「本当!?」
「ああ、本当だとも」
この時点で、青年にとっての悪は決まっていた。
この年端もいかない少女の“敵”が、彼にとっての悪である。
父親が連れ去られた理由などどうでも良い。この少女が顔も知らぬような人間に助けを求めている事実を許せなかった。
「ミナ、だっけか。村に案内してくれ。そこでお母さんに会いたい。ちゃんと事情を知っているかもしれないからね」
そう言うと、どこか使命感に燃えた頼もしい表情で少女は頷いた。
こっちです! と力強い声とともに、手を引かれる。
これは、必ずどうにかしてやる必要があるな。そう思いながら、青年は声を上げた。
「ヴェルデ! ケスティマ! 村へ入るぞ! 早くしろ!!」
どういうことだの、何でなんなどと文句が聞こえてくるが、青年にとっては関係ない。
とりあえずたった今視界にチラついている“悪”を根本から叩き潰すため、少女に付いていくことしか考えていなかった。
と、門の目前で少女が思い出したように振り向く。
「そういえば、お名前はなんていうですか? 私はミナです!」
元気よく自己紹介されてはかなわない。
肩を竦めた青年は、苦笑しながら口を開いた。
「俺はリューヘイ。リューヘイと、言うらしい」
らしい、という言葉に首を傾げる少女だったが、しばらくすると気にもしなかった様子でリューヘイと共に村へと駆けこんだ。
感想返信は夜にいたしますので、しばしお待ちくださいな。




