三、
市花さんの提案は、驚くような提案だった。
市花さん曰く、このまま優音を守るだけではコウリンをばら撒いている人達の目的や組織力・その実体が分からなさ過ぎる。だから、このままでは不用意な先手を打たれる可能性も高くって、そうなったら市花さん一人で優音を守り切れない場合も出てくるかもしれない。だから、先手を打たれる前に、こちらから打って出る。
要するに、コウリンを売っている人を捕まえようって話で……当然市花さんは一人しかいないから、捕まえに行くなら優音もその場所に付いていかなくちゃいけなくって……もちろん、茜ちゃんと楓ちゃんが「応援を呼べないんですか!?」って聞いたけど、「高校生じゃとても払えない様な依頼料が必要だけどいいの?」って聞かれて、二人は悔しそうに黙るしかなかった。
そんな二人を見かねてなのか、市花さんは「そんなに心配なら……一緒に来る?」って聞いちゃって……今、市花さんを先頭に優音達三人が後を付いて夜の繁華街を歩いている。
茜ちゃんも楓ちゃんもしばらく部活とかないって話だけど……あんまり優音の事で二人に迷惑かけたくないな……それを口に出すのは……怖いからしないけど……
「……何か……不思議な感じだね……」
繁華街をしばらく歩いていると楓ちゃんが不思議そうに周りを見回した。
「そうね……こんなに不自然な格好で歩いているって言うのに、誰も見向きもしない」
茜ちゃんが言う様に、優音達の格好は制服のまま、優音達の家は高校からちょっと離れた所にあるから、帰って着替えるって分けにもいかなくてそのままの格好で来ちゃってるんだけど……
「先ほど説明したように、今、わたくし達の周りには認識阻害結界を張っています。名の通り、結界内の対象の認識を阻害する結界なので、普通の方々には見える事はありませんよ」
そうさっきと同じ説明をしてくれる市花さん。
市花さんが、優音達が補導される事を防ぐ為に使ってくれた退魔術らしいんだけど……本当に不思議な感じ……もしかして、このままいたずらとかしても気付かれないかな?
「言い忘れましたが、あくまで認識の阻害ですから、こちらから何かをすると結界が解除されますので、くれぐれも人などにぶつからない様に」
…………危ない危ない、もうちょっとでいたずらの誘惑に負けるところだった。
優音が子供みたいな葛藤をしている間も、市花さんは携帯を耳に当てながらゆっくりと優音達の前を歩いている。
まったく目が見えたいのに、結構な人波の中を誰にもぶつからずに歩く市花さん。
どんな修行をしたらそんな風になれるのか疑問だけど……それより、
「市花さん。さっきから携帯を耳に当てて何をしているんです?」
優音の質問に、市花さんは立ち止まって携帯電話の画面を見せてくれた。
そこには電子式神音声ナビゲーション中って書かれてて……なにこれ?
「実は風峰さん達に会いに行く前に、少々怪しい人物に出会いまして……金兎に頼んで電子式神をその人物の携帯電話に憑かせて貰っているんです」
「電子式神?」
「名の通り、紙ではなく電子情報で構築させた式神……らしいです。仕組みとかは聞かないでくださいね。わたくしも専門外の話ですから……」
「えっと……じゃあ、今市花さんが携帯で聞いているのは……」
「ええ、その式神からの位置ナビゲートです」
……なんだが想像していたのと大分違う。もうちょっとこう、陰陽師って感じのを想像してたんだけど……
「怪しい人物って言いましたけど……もしかして、その人物ってうちの生徒だったりします?」
茜ちゃんのビックリする様な質問に、優音と楓ちゃんは思わず立ち止まって茜ちゃんを見た。
「いや、だってさ、さっき市花さんが助けに来てくれた時、警告するだけのつもりだったのですがって言ってたじゃない。それってつまり、警告しなくちゃいけない様な事があったって事でしょ? そう考えると、コウリンが学生の間で一番広がっているって話を聞いたことがあるから、私達の学校に怪しい人物がいる可能性が高いじゃない? ね?」
……えっと……そう言われると、確かにそんな気がするけど……
茜ちゃんの質問の答えを求めて、優音達の視線が市花さんに集まって、市花さんは微笑んだ。
「はい。わたくしが目を付けた人物は、確かに風峰さんと同じ学校の生徒の様でした。ですから、出会った縁もあって警告だけでもと思ったのですが……まさかあの様な事態になっているとは想像もしてませんでした」
それは、優音達もそうだけど……でも、優音達の学校にコウリンって薬を売っている人がいるなんて……
「考えてみれば……優音にコウリンを飲まさせたのも私達の学校の生徒達だったわけだから……売人が学校にいるのは当たり前の話だよね……」
そんな事を言いながら、楓ちゃんが優音を見る。
……えっと……
「ごめんなさい?」
「何で疑問形で謝る?」
「謝罪に心がこもってない!」
優音の謝罪の言葉に、楓ちゃんと茜ちゃんが即座に言葉を返してきて……市花さんはその様子に苦笑してた。
繁華街からやや外れた場所に、寂れた立体駐車場があった。
少し前までは夜も頻繁に使われていた立体駐車場なのだが、近所にここより立地条件がいい立体駐車場が建った為、現在の様に寂れてしまっている。
もっとも、使われていない最大の理由は、夜になるといわゆる不良と呼ばれる類の輩が続々と集まってくるからに他ならない。
集まった不良達は各々が所属するグループごとに階層に分かれて集まり、世間一般がイメージするような不良行為に明け暮れる。
そんな不良達の中に、ピアスの少年とメガネの少年はいた。
彼らはどこのグループにも所属はしていないが、ピアスの少年の親が何者であるかは周知の事実である為、実質的にピアスの少年は彼らのボスの様な存在となっている。
それ故に、彼らを介して既存のルートとは違う、新規の販売ルートを確立し、そこから既存のルートに広がり、本職の者達の領分まで浸食してしまっており、場合によってはコウリン販売を本職の者達に乗っ取られかねない事態にまで発展していた。
もっとも、ピアスの少年はその事態をさほど気にもとめていない。
何故ならコウリンは魔術で作られた魔術ドラックである為、魔術などを禁忌としている裏社会の物達が本格的に乗っ取ろうと動く事はまずあり得ないからだ。
その証拠として、乗っ取りに動いているのは、魔術の事を知らない組織の末端のみであり、上層部は動いている気配すらない。
ただ、
「あ? 連絡がつかねぇだ?」
ピアスの少年からコウリンを買い取っている者達から、仲間の何人かと連絡が付かないと報告を受けた。
しかも、その連絡の使いない者達が相手にしているのは、本職の者達。
(あの女がうちに来たせいでオヤジ達が本格的に動き出したか? ……まあ、後もう少しで俺達の計画は完成するわけだし、支障はねぇか)
そう考えたピアスの少年は、報告してきた少年を手だけで下がらせ、入れ替わりに近付いてきたメガネの少年に視線を向ける。
「どうよ?」
「……ちゃんと皆に渡したよ」
「なら、後はこっちからあの女を招待」
ピアスの少年の言葉を遮るように、メガネの少年の携帯電話が鳴った。
メガネの少年が慌てて携帯電話を確認すると、
「……ど、どうして……」
急速に青ざめた為、ピアスの少年は眉を潜める。
「あ? 何だってンだよ」
「っこ、これ……」
小刻みに震える手でピアスの少年に自分の携帯電話の画面を見せるメガネの少年。
ピアスの少年の目に、画面の中に映る市花の姿が入り、更にその後ろに自分達が求めている風峰優音の姿も確認した。
「っは! 丁度いいじゃねぇか。こっちから誘い出す手間が省けたってもんさ」
「っで、でも!」
「いいからてめぇはさっさと切り札の準備をしとけってんだ」
急速な事態に震えるメガネの少年を蹴ってこの場所から追い出し、ピアスの少年はポケットから小瓶を取り出し、にやりと笑った。
その小瓶には禁と書かれたラベルが貼られており、明らかに危険な気配を醸し出していた。
繁華街から路地裏に入ってちょっと歩くと、その先に寂れた感じの立体駐車場があった。
その入り口には見るからに不良って感じの人達がたむろしてて……えっと……
「市花さん?」
「この立体駐車場の最上階に目標の人物はいるようです」
やっぱり……でも、
「じゃあ、このまま進んじゃうんですね?」
「いいえ、それは危険だと思います」
「危険?」
「認識阻害結界は、確かに普通の人間がわたくし達を認識するのを阻害させますが、それはあくまで普通の人に対してのみなのです」
「え? でも、ここの人達だって普通の人達ですよね?」
「もちろん。コウリンを飲んでいなければ普通の人ですよ」
コウリンを飲んでいなければ?
「えっと……じゃあ、ここの人達って、今、何かに取り憑かれてる?」
「ええ、しかも、昨夜の風峰さんと違って飲み慣れている模様ですね……あきらかに本人の意識が残っているようです」
「それって……」
「ええ、宿った霊的存在の力をある程度コントロール出来る。と言う事です」
「? ……霊的な存在の力って……」
「動物霊だったら、動物の身体能力を、特殊技能者の霊だったらその特殊技能などを、宿った霊の生前の特徴をある程度具現化出来るパターンが多いですね」
「そんな人達の所に乗り込むんですか!」
「安心してください。さきほどこのまま乗り込むのは危険とは言いましたが、それはあくまで結界を頼って乗り込む事でして……この程度の連中なら、風峰さん達を守りながらでも全滅させられますから」
そう微笑んで市花さんはさっさと立体駐車場に向かって歩き出そうとしたので、
「待ってください! せめてなるべく見つからない場所から進入した方が」
「それは無理だと思いますよ?」
「え!?」
「既に見つかっているようですから」
そう市花さんが言うと、立体駐車場の入り口にたむろしていた人達の一人が携帯電話を見た。
すると、一斉にこっちを見てきて……
「皆さん。わたくしの後ろから離れない様に付いて来てくださいね」
立体駐車場に特に迷いもなく近付く市花達。
それを迎え打つ様に見ていた不良達は、その迷いの無さに一瞬違和感を覚えた。
少なくともここは、年頃の少女が近付く様な場所じゃない事は、誰が見ても分かる。
常識や思慮に掛ける不良達自身でもそう思うぐらいだ。
だからこそ、先頭を歩く市花の様子に違和感を覚え、後ろに続く普通の反応をしている少女達に安堵し、彼女達から襲うことにした。
不良達は目配せで意思を統一して、一斉にコウリンを飲む。
ぞわっと何かが背中から降りてくる気配と、まるで別の存在になったかの様な高揚感。
それらと共に、彼らの体に変化が起きる。
ある者は着ている服がはち切れんばかりに体が膨張し、ある者はまるで獣の様に牙や爪・体毛が生えた。
前者が人間霊、後者が動物霊、が憑依した様だった。
コウリンを飲みなれていないものなら、ここまで肉体の変化は起きない。
それほど高位な魔術でコウリンは構成されていないからだ。
だが、何度もコウリンを飲む事により、霊体を宿してもその霊体に意識を奪われることがなくなり、かつ、その霊体を支配出来るようになる。
そうなる事でコウリン服用者は霊体の生前の能力などを使う事が出来るようになるのだが、
(やっぱり随分お粗末な感じね)
コウリン以上の降魔術を知っている市花としては、どう感じてもその程度の感想しか浮かばなかった。
動物霊が憑依した不良達が一斉に襲い掛かってくる。
人間とは思えない跳躍力で市花を飛び越え、真上から、建物の壁を使って横上から楓に抱き着いて悲鳴を上げている優音達に襲い掛かった。
「……まるで本当の獣ね」
そう呟いて小さなため息を吐いた市花は、仕込み杖を前に構え、居合一閃、少し抜いて音を立てて納刀。
その瞬間、囲む様に飛び掛かってきた動物霊を憑依させた不良達が優音達を通り越して地面に落ち、飛び掛かった勢いのまま滑り止まった。
続けて襲い掛かってきた人間霊を憑依させた不良達は、何らかの武術を体得している霊達だったのか、普通の人間なら避けられない速度で市花に殴り掛かろうとするが、再び市花が先ほどと同じ動作で居合を一閃するとその動きをぴたりと止め、バタバタとその場に倒れた。
今の居合技は、市花の家に伝わる居合技の一つ『未』。
攻撃してきた者に対してカウンターで居合を放つ防御型居合であり、偽刀流鋼に使用した技でもある。
そして、今の未には退魔術の基礎である一時的に力を込めた刀身を非物質化し、魂などの非物理だけを斬る『心抜き』を使用していた。
それにより、仕込み刀で斬られたはずの不良達は無傷のまま意識を失い地面に倒れている。
その事実に気付いた優音達が驚いた顔を市花に向けていると、市花は振り返って、
「では入りましょうか?」
そうこともなげに言って微笑んだ。
市花さんの言葉を信用してなかったわけじゃないけど……何だか本当に優音達を守りながら市花さん一人でここの人達を全滅させちゃいそう。
そんな事を思いながら優音は市花さんの後ろに付いて立体駐車場を上っていた。
ただ上ってるだけじゃなくって、上った先の階層にいる不良さん達がいるのを確認すると、市花さんは優音達に、
「ちょっと待っててくださいね」
と言って、物凄いスピードで駆け出して、襲い掛かってこようとしていた不良さん達を通り抜けざまに居合切りしてた……らしい。
優音にはただ市花さんが通り抜けると同時にパタパタと不良さん達が倒れているとしか見えなくて、剣道をやっている楓ちゃんが辛うじて抜きの動作と納刀の動作だけ見えるみたいで、その事を市花さんに言ったら、
「雨傘さんは良い目をお持ちですね。一般の方に『午』を僅かでも見られたのは初めてですよ」
そう言って少し驚いてた。
その後聞いた話だと、普通の居合術には走ったまま連続で居合抜きをする事はしない……と言うより出来ないって楓は言ってた。少なくとも抜く事は出来るかもしれないけど、そのまま納刀するなんて危なくて出来ない。でも、それを市花さんは出来ていて、それを可能にしているのが、気操術って言う肉体を限界以上まで強化出来る退魔術のおかげで、それで普通ならありえない身体能力を発揮出来ているんだって。
ちなみに午って言うのは、駆け抜けながら居合抜きを放つ技の名前で、市花さんの家に伝わる居合術の十二基礎の一つだとか……十二ってことは、十二支から名前が取られているのかな? 駆け抜けながらって言うのが馬みたいだし……
市花さんがそんな話をしている間も、不良さん達は襲い掛かってきていたけど、市花さんはそんな人たち全員をあっという間に倒しちゃってて、そんなに時間を掛けずに最上階まで辿り着いちゃってた。
最上階には、市花さんが言う様に、うちの学校の制服を着た人がいた。
メガネを掛けた気弱そうな人で、その人を見た楓ちゃんが、
「……どこかで見た事がある奴だな……」
そうつぶやいて首を傾げる。
「少なくとも私達の学年の人達じゃないわね……」
茜ちゃんもそうつぶやいたので、優音も頷いた。
そんな優音達のつぶやきを市花さんは少し気にしながら、
「やはりあなたでしたか……わたくしの要件は分かっていますね」
そう声を掛けたのは、メガネを掛けた人じゃなくて、その隣で市花さんを物凄く睨んでいるピアスをいっぱい付けた人だった。
「っへ、分かってんよ。こいつだろ?」
そう言ってピアスの人が瓶をジャラジャラと振って見せた。
「それの入手ルート。優音さんに偽刀流を差し向けた理由を教えていただけませんか?」
「あ? んな事素直に教えるわけねぇだろうが! 馬鹿じゃねぇか?」
ピアスの人の暴言に、市花さんは小さくため息を吐き、
「実力差が明白なはずなのにその様な事を言うとは……この場所に何らかの罠でも仕掛けているんでしょうね……下の階にいた方々にコウリンを飲ませ、それによって生じた魔法を隠れ蓑にして」
そんな事を言うと、メガネの少年がギクッとした。
うわ……分かりやすい。
「言っておきますが、わたくしに下手な罠を掛けない方がよろしいですよ。万が一何らかの障害がわたくしに発生した場合……加減が出来なくなりますので」
「そうかい。それは大変だ」
「そもそもあの程度の降魔術しか使えない魔術師にわたくしをどうこう出来る…………!?」
え?
気が付いたら、市花さんが密接するぐらい優音達に近付いてて、物凄い音を立てて仕込み刀を納刀した。
次の瞬間、耳が痛いほど何かがはじかれる音がして、
「魔術の質が上がった!?」
市花さんが驚きの声を上げる。
「そりゃそうさ。技と魔術資質が劣ってるこいつが作ったコウリンと違い。今、てめぇらに使ってるのは魔術資質がアホみたいにたけぇ奴のオリジナルさ」
「……これは」
偽刀流鋼と今後の打ち合わせをしていた男の耳に、おさげの少女の不愉快そうな声が入った。
「どうした?」
男の問い掛けに、おさげの少女はそれまで見ていたノートパソコンの画面を見せた。
そこにはおさげの少女が自作している魔術の魔術式が置かれているサーバーに、メガネの少年がアクセスしている事を意味するアイコンが出ており、男は眉を潜めるしかなかった。
実の所、男には魔法・魔術に関する知識はあっても、それを応用する力や使う力がない。
それ故に、才能があるおさげの少女やメガネの少年に魔術を教え、コウリンの販売ルートを獲得する為にピアスの少年を仲間にした。
もっとも、おさげの少女は魔術の才能はあっても、魔法の才能はなく、自ら作った魔術をうまく魔法として発動出来ない事も多々あった。逆にメガネの少年は魔術の才能があまりなく、魔法の才能はそれなりにあった為、おさげの少女が構築した魔術をメガネの少年が自分で使いやすいように劣化させたのがコウリン製造魔術。
魔術の才能がないメガネの少年が再構築した為、退魔士である市花からしたら質の悪い魔術ドラックが出来たのだが、それがかえって市花の油断を誘った結果となっているのだが……
「使われている場所は分かるか?」
男の問いに、おさげの少女はノートパソコンを操作し、画面に地図を出す。
その地図上には光点が二つ、コウリンの取引でよくピアスの少年が使っている立体駐車場にあった。
「……どう思う?」
ため息一つ吐き、目頭を揉みながら男は答えを求めた。
「使われている魔術式は、二つとも普通の人間に対して使うには過剰過ぎるものです……そこから考えると二人の、いえ、あの馬鹿の暴走と考えるのが自然でしょう」
「こちらから何もするなと言ったんだがな……勝算はあると思うか?」
「さあ? 私達の魔術はほとんどが我流ですから、強力と言ってもそれが退魔士に通じるかどうかまでは……」
そう言っておさげの少女は視線を鋼に向けた。
「まあ、どんな魔法かにもよるんじゃね? どんな魔法か言ってみ?」
鋼のどうでもよさげな感じにおさげの少女は不快感を感じながら使われている魔法の詳細を口にした。
その詳細を聞いた鋼はにやりと笑って、
「あ~あ、死んだなこれは」
そう口にし、男とおさげの少女を驚かせた。
ピアスの人が喋っている間も市花さんの姿が掻き消えては金属音がして、何かが弾かれる音が続いた。
「インビジブルスカー。指定した範囲内で事前指定した条件が整った瞬間に発動し、範囲内にいる生物に傷と言う事象だけを発生させる魔法……だとさ」
ポケットから取り出したメモ用紙を読み上げたピアスの人は、そのメモ用紙をぐしゃぐしゃにして後ろに捨てる。
「ちなみに範囲指定は俺達のいる場所以外のこの階全部だ。てめぇだけならまだしも、足手まといの女どもを守りながらじゃ逃げる事も出来ねぇよな?」
高笑いを上げながらピアスの付いた舌を見せるピアスの人。
「……市花さん……」
何かから守ってくれている見えない市花さんに対して何もできない優音は、小さく声を出す事しか出来なかった。
優音の不安そうな声に、優音達の周りを高速でぐるぐる回りながら魔法現象を防いでいる市花は、優音達をこの場に連れて来た事を少し後悔した。
コウリンの製造精度から魔術レベルはかなり低いと高を括っていた。
だからこそ、警戒すべきは基本的に単独で行動する偽刀流のみ。
そう考えていた為、どこかに避難させるより自分と一緒にいた方がいいと考え連れて来たのだが、今防いでいる魔法のレベルは、間違いなく高レベルな魔術で構成されていた。
市花はある程度の魔術レベルで構成された魔法なら、コウリンによって取り憑いた霊体と同じ様に居合の一閃で掻き消すことが出来る。
だが、今防いでいる魔法はそれが出来ない。
もちろん、最初の一撃で魔法を掻き消そうとしたが、それが出来なかった。
低レベルの魔術で構成された魔法なら、起きた現象を入り口に力を送り込めば魔法を発生させている魔術式まで力が届き、魔術式が乱れ魔法は壊れる。
だが、高レベルの魔術で構成された魔法は、魔術式そのもの量が多く、その魔術式の核をなしている部分に力を叩き込まなくては魔術式を乱す事は出来ず、多少乱す事が出来たとしても直ぐに元の状態に自己修復されてしまうのが大半。
その様な高レベルの魔法を破壊する為には、ある程度その魔法がどんな魔術式で構築されているか理解し、どこを壊せばいいか見当を付けないといけないのだが、それらが出来るのは退魔士の中でも魔法使いや魔術師と呼ばれる者達ぐらいであり、当然、市花は魔法使いや魔術師でもないので、今、なんとなく力を送り込みインビジブルスカーとか言う魔法を壊そうと試みてはいる。
もっとも、やっている市花自身、その試みに手ごたえを一切感じていない。
適当でどうにかなるレベルではないという事なのだが、こうなると市花が魔法の効果が切れるまで防ぎきれるか切れないかの問題になるが、かと言ってこれ以上相手が何もしてこないとは考えにくい。
市花は防御しながらピアスの少年の方に意識を向ける。
すると、メガネの少年がノートパソコンを見ながら何事かを唱えているのが確認出来た。
魔術により魔法を生じさせるには、魔力と呼ばれるこの世には本来存在しない世界の外のエネルギーが必要とされている。
この魔力は普通の人間でもある程度特殊な訓練を積めば認識出来る様になりはするが、呼び込む・扱う事が出来るようになるにはある程度の才能が必要であり、その才能をメガネの少年は多大に持っている事がうかがえた。
そもそも経過を無視して結果のみを起こすのは、魔法ではよくある事だが、ことそれが魂を持った対象になるとそれは非常に難しくなる。
何故なら魂を持った存在が持つ意志力は、魔力とは相容れない属性を持ち、コウリンの様に望んで受け入れなければ魂を持つ存在そのものに魔法が発動する事はまずなく、それを強引に行うには意志力量に対して倍の魔力量が必要とされていた。
つまり、それが出来ると言う事は、メガネの少年は魔術の才能が低くても、魔法の才能はかなり高いという事。
だが、裏を返せば、自らその場で新たな魔術を構築出来ず、用意された魔術しか使えないという事。
市花はメガネの少年の気配をより注意深く探る。
(……感じからして今使っているような戦闘系ではなさそうね……偽刀流も優音ちゃんを無傷で捕まえようとしていたし、このインビジブルスカーとか言うのも致命傷を与える所に傷が出来ない様にしてはいるようだし……一体彼女に何があると言うのかしら? …………何にせよ。こちらに向かって使う魔法であるのなら、こちらからの攻撃は防ぐことが出来ないはず。なら、魔法を解いた瞬間を狙えば!)
そう思った市花は、インビジブルスカーが止まる前兆を見極めようと神経をインビジブルスカーに集中させる。
そして、一瞬だけインビジブルスカーの発動タイミングがずれたその瞬間、
(これだけの事をしたんだから、腕の一本は覚悟しなさいよ!)
優音達の前に移動し、仕込み杖を上段に構え、居合一閃。
その瞬間、仕込み刀の軌跡に真空が生じ、小さな衝撃波が生じる。
普段なら対した影響もないこの衝撃波だが、今の一閃には市花の力が込められており、生じた衝撃は全て指向性を持たされ、衝撃波の刃となってメガネの少年へと飛ぶ。
十二の基礎居合技の一つ『酉』。
生じた衝撃刃は使い手によっては鉄をも切り裂き、市花の酉も当然鉄など難なく切れる。
その衝撃刃が狙い違わずメガネの少年の腕を切り裂こうとした瞬間、少年の隣から黒々とした腕が現れ、衝撃刃を殴り散らしてしまった。
市花は小さく息を整えながら、黒々とした腕の持ち主を確認し、再び思惑を超える事態が起きた事を悟る。
メガネの少年の隣には、一回り大きく黒くなったまるで悪魔の様な姿になったピアスの少年がいたからだ。
ピアスの人の姿がいきなり黒い悪魔みたいになったと思ったら、腕をメガネの人の前に振るった。
そしたら次の瞬間、ちょっとした衝撃波が起きて、
「ぎゃははは! 残念だったな!」
そんな事をピアスの人が言った。
「悪魔をその身に宿すなんて、正気とは思えませんね」
いつの間にか市花さんが優音達の前に現れてて、小さく息を整えながらそう言うと……
って、今、悪魔って言った? 悪魔ってあの悪魔?
「っは! 俺が今飲んでるコウリンは、俺らがばら撒いている質のわりぃコウリンとは違うオリジナルのコウリンさ。だから、こんなすげぇのを憑かせても平気なのさ」
そう言いながらピアスの人はメガネの人を守る様に一歩前に出た。
「あなた程度の人間が悪魔の力を手に入れたとしても程度が知れますよ? わたくしに勝てると思ってるのですか?」
「ああ、勝てるね。ってか、もう勝ってるしな」
もう勝ってる?
ピアスの人の勝利宣言に、意味が分からなくて市花さんを見ると、市花さんはため息を吐いて、
「すいません皆さん。守りながらでも全滅させられますって言っておきながら、完全に守り切る事が出来ないみたいです」
市花さんがそう言った優音達に言った途端……何だか……急に……眠……く……
ゆっくり倒れる様に眠りに付く優音達三人。
だが、優音達の前にいる市花は一向に倒れる気配がない。
「……おい。ちゃんと魔法は発動してるんだろうな?」
ピアスの少年がより厳つくなった顔でメガネの少年を睨む。
「だ、大丈夫だよ……魔法はちゃんと発動してるし……立ったまま寝てるんじゃない?」
辛そうにノートパソコンの画面を見ながらそう口にするメガネの少年。
強力な魔法を立て続けに二回使用したことにより、いくら魔法を使う才能が高いメガネの少年でも疲弊の色は隠せないようだった。
メガネの少年にそう言われ市花を凝視するピアスの少年。
悪魔の力が宿った目に、確かに市花は眠りに付いている様に見えた。
オリジナルコウリンにより強力な悪魔をその身に宿しているとは言え、それをピアスの少年が完全に使いこなしているのかと言うと、実はほとんど使いこなせていない。
本来、降魔術により自らの身体に何かを憑依させた場合、その憑依させる相手の名前・特徴・思考などあらゆる事を知っていないと完全に操る事が出来ないとされている。
それは言わば使い方の分からない道具を説明書なしに使うのと同じであり、ピアスの少年はそう言った予備知識を一切入れずに悪魔をその身に宿していた。
当然、その性質・危険性も理解せずに。
もし、仮に彼がそれらを知っていたのとしたら、また違った状況になっていただろうが……
「っへ、脅かしやがって」
そう言って、ピアスの少年は凝視していた市花への視線を、下へ下へと向け、唐突に肥大化した体によりはち切れそうになっている服を無造作に破き始めた。
「ちょ、何しての!?」
突然の奇行に、メガネの少年が驚きの声を上げると、ピアスの少年がゆっくりと振り返る。
「き、決まっ、てんだろ。や、やっちま、うんだよ!」
血走った定まらない視線に、メガネの少年はピアスの少年に異常が起きている事を悟った。
本来の作戦では、大量の劣化コウリンによりインビジブルスカーの存在を隠し発動させ、それで行動不能に出来なかったら次の魔法で行動不能に追い込み、更にその次の魔法で拘束する。
そう言う話だったが、ピアスの少年が荒い息を吐きながらまだ拘束魔法を掛けていない市花へと近付く。
メガネの少年はそれを止めようか止めないか迷ったが、結局止めはしなかった。
まともな精神状態じゃないのはもちろん、通常の状態でもメガネの少年の言葉で彼が止まる事はありえないからだが、それで後悔しないかはまた別の話であり、これから起こるであろう事から目を背ける為にメガネの少年は視線をノートパソコンの画面へと移す。
そこには今使っている魔法が完全に発現した事を示すアイコンが出ており、
「これでもうこっちが魔法を解かない限り……目覚めないよね?」
そうメガネの少年は呟いた。