Who is my Cinderella?
※当作品には、一部BL描写がございます。苦手な方は、お気を付け下さいませ。
ガラスの靴、推定二十八センチ。
どういうシンデレラだと言いたいのをぐっとこらえ、その違和感の塊を検分する。造形は文句なしに美しい。が、一体これはどういうことなのか。僕は困惑して持ち主を見やった。
持ち主である青年の顔立ちは、目の前にある靴にも見劣りしない程美しい。胸まである金糸の髪を後ろで一つに括り、透き通った蒼色の瞳を持つ彼は、男である僕ですらも思わずうっとりしてしまうような美貌を持ち合わせている。
……しかし、今はこの男に見とれている場合じゃない。僕は、動揺を隠さずに、彼に問いかける。
「……ギルバード。これは一体、どういう事だ?」
僕がそう呟いた瞬間、ギルバードの形の良い唇が妖しげに弧を描く。何とも不気味な笑みを湛えたまま、彼は口を開いた。
「ですから、先程から何度も申し上げているでしょう? この靴がぴったり合う方と、結婚していただくと……」
「……こんな足のデカい女がいてたまるかぁ~~!!」
僕の悲痛な叫び声は、優に1アールは超えているであろう広い私室の中で、空しく掻き消されるだけだった……。
アルフォンス・K・レドモンド。職業、クリントン王国第一王子。――簡単に自己紹介をするなら、こんな所だろうか。
今年で二十三歳を迎える僕は、現在深刻な問題に頭を抱えている。
国交にも絶大な影響を及ぼし、この国の未来すらかかっている問題――婚活だ。
結婚活動、略して婚活。……一応王太子という身分を持つ身としては、適当な相手を妻に迎えるわけにもいかない。
知性や教養を兼ね備え、ダンスや読書を嗜み、尚且つ皆が羨む美貌を持つ、深窓の令嬢――腐るほどいる人の中から、そのような条件に当てはまる女性を見つけ出すのは至難の業だ。
そう考えた僕は、従者であるギルバードに調査を頼んだ。名門フォスター伯爵家出身で、現在は自身も子爵を名乗っている彼は、非常に優秀な男のはずなのだが……。
ありえない従者の言葉を思い出した僕は、溜息をつかざるを得なかった。
「殿下、お手が止まっておりますよ」
「……あ」
耳元に響く艶めいた声で、僕は現在執務中だった事を思い出す。
慌てて作業中であった右手を見やると、インクで大きなシミが出来ているのが見えた。急いでペンを離すものの、時既に遅し。
最初から書き直しとなるであろうその手紙を見ながら、僕は再び大きな溜息をつくのだった。
それを見たギルバードは、不快気に眉根を寄せる。
「――殿下。先程から、何を呆けていらっしゃるのですか? そのようなご様子では、民に示しがつきませんよ?」
「ほ、呆けてなどいない!! ……ただ、少し考え事をしていただけだ」
“考え事”その一言だけで、ギルバードは事の全てを察したらしい。急に、口元に浮かべていた渋面を、気色悪い微笑みへと変える。
「さては殿下、私の調査結果を疑っておられるのですね?」
「……あの条件に合った上で、あのような靴が履ける者なんているわけがないだろう! 社交界にはそれなりに参加しているが、足の大きい令嬢の話など、聞いた事が――」
「いらっしゃいますよ、一人だけ。……あの条件にぴったり合った、素敵な方が」
興奮した僕の声は、いつになく真剣な従者の声に遮られる。一旦言葉を止めるものの、本当か――とでも言わんばかりの僕を見ながら、ギルバードは小さく苦笑を浮かべた。
「私が、王子と釣り合う方を散々吟味した上で、見つけ出したお方です。王子も、きっと気に入られると思いますよ」
そう告げる従者の瞳は全く笑っていない。彼がこの目をする時は、必ず嘘はついていない。長い経験からそれを知る僕は、小さく溜息を吐き、苦々しげに吐き捨てる。
「――ニ週間後、この屋敷で舞踏会を開く。そこに、その“素敵な方”とやらをお呼びしろ。いいな?」
僕がそう言った瞬間、ギルバードの頬がふっと緩む。自分の意見が通った事が、余程嬉しいのだろう。
畏まりました――そう言いながら、妖しい笑みを浮かべる従者を見ていると、何故か僕は背筋に悪寒を覚えるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
とうとうこの日がやって来てしまったか……。
僕は自室の鏡を見やりながら、本日七度目の溜息をついた。勿論、僕の罪作りな美しさが憎くて――というわけじゃない。もっと別の理由がある。
丁寧な硝子細工が施されたそれに映っているのは、王家一族に代々受け継がれる焦げ茶色の髪と、憂いを帯びた薄い緑色の瞳。まごうことなく、見慣れた僕の顔だ。
ただ一つだけ常と違うのは、その細い体躯を包む衣装。執務をこなす時のような飾り気の無いスーツではなく、所々にフリルのあしらわれた、紺色のコートだ。――今日の為に用意された特注品である。
そう。今日は僕の婚約者を決める、舞踏会当日だ。言いだしっぺは自分とはいえ、やはり不安は募る。
ギルバードの紹介する令嬢というのは、一体誰なのだろうか? ――結婚は僕達だけの問題じゃない。この国の民や、その行く末さえ決める大切な問題なのだ。生半可な覚悟で嫁いでもらう訳にはいかない。……その方には、その心意気があるのだろうか?
決して彼の事を信頼していないわけでは無かったが、それを思うと不安に感じずにはいられないのもまた真実だった。
――と、そう思った時。突如部屋に軽いノック音が響く。それと共に、僕の悩みの原因である張本人の声が響きわたった。
「失礼致します、アルフォンス殿下。そろそろ御時間で御座います」
「……分かった。今行く」
正直、今はギルバードの顔なんて見たくは無かったが、そうも言っていられない。僕が溜息をつくのとほぼ同時に、部屋にはコツコツという靴音が響いてきた。
「殿下、支度が整いました。そろそろ参りましょう」
「ああ。ご苦労」
式典という事もあり、今日の彼は真黒な燕尾服を纏っている。
常のような妖しい笑みを浮かべず、きりりと唇を引き結ぶ彼は、思わずこちらが本物の王太子なのではないか――と、錯覚してしまう程美しい。
いつもとは雰囲気の違う彼を物珍しげに眺めていると、背中で一つに括られた金糸の髪が、さらりと揺れる。
小首を傾げたまま、ギルバードは不思議そうに問いかけた。
「……如何なされましたか、殿下?」
「いや。いつもより、随分様になっているなと思ってな――っ!」
ぼーっとしていた事もあり、ぽろりと失言をしてしまう。慌てて口を噤むが、ギルバードにはしっかり聞こえていたらしい。先程までの無表情が、一気に薄気味悪い微笑みへと変わってしまうのに、そう時間は掛からなかった。
「……成程。私のあまりの美しさに、思わず見惚れてしまったのですね?」
「き、気色悪い事を言うな! 生憎だが、僕にそんな趣味はない!!」
「今はそうでも、これから目覚めるかもしれませんよ?」
「目覚めるか、馬鹿!!」
僕がぜいぜいと息を荒げると、ギルバードはククク、と小さく笑いを噛み殺す。からかわれたのだ――と悟った僕は、かあっと頬が熱くなるのを感じた。
未だ忍び笑いを漏らすギルバードを、僕はきっと睨めつける。するとようやくその笑い声は治まった。彼はしっかりと僕を見据えながら、小さく微笑みかける。
「さて、どうやら、緊張もほぐれたようですし……。そろそろ参りましょうか」
その言葉に、僕ははっと目を見張る。
「お前……まさか、僕の為に」
「……はて。何のことやら」
ギルバードは相変わらず飄々としており、掴みどころが無い。しかし、先程まで高鳴っていた胸の鼓動は、落ち着きを取り戻しつつある。
珍しく役に立った従者を見ながら、僕は久しぶりに小さく頬を綻ばせた。
今日、例えどんな令嬢があらわれようとも、僕はその人を選ぶ事が出来るだろう――彼の選んだ、その方なら。何故だか僕は、ふっとそう思えた。
そんな僕の穏やかな心情を察したのか、ギルバードがふわりと笑う。
「私の事を見ながら、そのような笑みを浮かべられるとは……。やはり殿下は、そちらの気がおありなのですね」
前言撤回。やはりこいつは異常だ。
照れ笑いを浮かべるギルバードを、僕は軽く蹴飛ばした。
「ギルバード・Z・フォスター子爵、アルフォンス・K・レドモンド殿下――」
従僕によって僕等の名前が呼ばれると、一瞬会場がシン――と静まり返った。
辺りからはひそひそ話が聞こえてくる。どうやら、僕の妻を決める舞踏会だという事は、皆にも伝わっているらしい。
絢爛豪華なドレスを纏った令嬢達が、鷹のような視線を浴びせてきたが、王族として育ってきた僕には、既に慣れた物だ。適当に愛想笑いを浮かべながら会場を歩いていると、ほとんどの令嬢はほうっと溜息をついた。
「流石殿下、随分と手慣れていらっしゃいますね」
「まあな。伊達に二十三年も王子をやっているわけじゃない」
そっと耳元で囁かれた言葉を、僕は得意げに返す。そういうギルバードも、先程から沢山の女性の熱い視線を受けているのだが、全て華麗に無視している。
そういえば、彼も二十五歳という結婚適齢期だというのに、浮ついた話は全く聞いた事が無い。
未婚の令嬢が多く集まる会なのだ。もしかしたら今夜、もう一組のカップルが出来るのかもしれない――。まるで影のように、ぴったりと自分の傍を離れない従者を見ながら、僕はそんな事を思った。
そんな僕の耳に、突如年若い少女の声音が響く。声のした方を見やると、濃いピンクのドレスを身に纏った少女の姿が目に映った。
「御機嫌麗しゅう、アルフォンス殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございますわ」
「……これはこれは、カティーナ嬢ではありませんか」
再び愛想笑いを浮かべながら、僕がそう告げると、少女――カティーナ嬢はふわりと微笑んだ。
彼女の生家であるスタンドフォード公爵家は、政界での発言力も強い有力な貴族の一つである。そんな名家の一人娘に生まれた彼女は、御歳16を迎えたばかりの深窓の令嬢だ。
未だ幼さの抜けきらない白磁の肌を彩るのは、琥珀色の瞳に、真っ赤な唇。色素の薄い亜麻色の髪は、高く二つに括られていた。
まるでフランス人形のような可憐さを持つ彼女は、今年社交界デビューしたばかりで、様々な貴族の男達から求婚を求められているという。
僕がまじまじと見つめているのに気が付いたのか、カティーナ嬢は小首を傾げる。まるで小悪魔のような洗練されたその仕草は、男を虜にするには充分なものだ。
誰もが羨む美貌を持つ深窓の令嬢であり、僕を目の前にしても全く動じない彼女なら、皇太子妃殿下としての器量も充分にあるだろう。……もしや、ギルバードの選んだ“その方”とは、彼女ではないのだろうか? そう思った僕は、彼女の耳元へ唇を近付ける。
「カティーナ嬢。……ここでは色々と人目に付きます。宜しければ、別室へといらっしゃいませんか?」
「まあ、アルフォンス殿下ったら……一体、何を考えていらっしゃるのかしら?」
そう言いながらも、彼女は穏やかな微笑みを湛えたままだ。どうやら、これから何が起きるのか何となく察しているらしい。
僕は軽く一礼すると、恭しく差し出された彼女の手をとった。
数分後。僕等は会場のすぐ近くにある隠し部屋へと姿を隠していた。
「――ここは、一体」
会場と比べると、随分装飾の少ない部屋の内装を見ながら、カティーナ嬢は小さく眉根を寄せる。装飾品の多い広い部屋ばかり見て育ってきた彼女には、仕方のない事なのかもしれない。
そんな彼女の問いには答えず、僕はギルバードにそっと告げた。
「ギルバード。……例のモノを持ってこい」
「畏まりました」
「……例の、モノ?」
整った容姿を訝しげに歪めるカティーナ嬢の元へ、ギルバードは例のモノ――ガラスの靴を持ってくる。
それを見ても、用途が全く理解できないらしい。カティーナ嬢は、不思議そうに僕を見据えた。
「殿下。これは、一体……」
「……既に知っているとは思いますが、僕は今、婚約者探しに精を入れています。今宵の舞踏会も、次期皇太子妃殿下としての令嬢を選ぶために開かせて頂きました。数多くの令嬢の中で、貴女は妃殿下としての資質がある――と、そう判断させて頂いたので、この部屋にお連れした次第です」
「……それは、光栄でございますわ」
そう言いながらも、カティーナ嬢の顔は複雑そうだ。恐らく、これから何が起こるのか想像出来ず、不安に思っているのだろう。
心配せずとも大丈夫ですよ――そうアイコンタクトを取った後、僕は言葉を継ぐ。
「貴女に妃殿下となってもらうための唯一の条件――それは、この靴がぴったり合う、という事です」
「……はい?」
カティーナ嬢は、大きな瞳をぱちぱちと瞬かせた。……無理もない。最初は流石の僕ですら面喰ったのだ。
彼女はぷるぷると肩を震わせている。あまりのくだらなさに笑いでも込み上げているのだろうか――と思っていたら、きっと睨みつけられた。
「ふ、ふざけるのも大概にして下さいませ! 人を馬鹿にするのにも、限度が御座いますことよ!!」
「……え?」
「失礼致しますわっ!!」
カティーナ嬢は、ドレスの裾を摘みながら扉の方へと駆けて行く。もっとも、シンデレラのように、履いていたミュールを落とす――なんてヘマはしなかったが。
「……あの様子では、靴云々の事を置いておいても、婚約を受けては下さらないでしょうね」
それどころか、今後王家との関係にひびが入る可能性もありますね――真顔でそう告げるギルバードを見ながら、僕は大きな溜息を一つついた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日付が変わって二時間後。舞踏会を終えた僕は、欠伸を噛み殺しながら胸を締め付けていたクラヴァットを緩めていた。その心情は暗い。
そんな僕を見やりながら、傍に控えているギルバードがぼそりと呟く。
「――結局、見つかりませんでしたね」
「お前の意見を呑んだ、僕が馬鹿だった。……いる筈がなかったんだ。こんなに足の大きい、深窓の令嬢など」
僕は愚痴っぽくそう言いながら、すぐ脇に置いてあるガラスの靴を見やる。主を持たないそれは、美しくもどこか悲しげだった。
そんな僕を見ながら、ギルバードはくすりと笑みを溢す。
「いいえ? 私の選んだ方は、きちんと本日の舞踏会にいらしておりましたよ」
「……嘘を吐け。あの会場に集まった僕の妻に相応しい方は、皆別室へとお連れした」
舞踏会中、僕は十数名程の少女達を別室へと招いた。カティーナ嬢を除いた少女達は、皆靴を履いてくれたが、結局あの靴がぴったりと合う少女はいなかったのだ。
「やはり、カティーナ嬢には無理にでも履いて貰うべきだったのだろうか……」
「いいえ。私の選んだ方は、彼女ではありませんよ」
「……では、一体誰だったというんだ」
苛立ちの混じった口調でそう問いかけると、ギルバードは意味ありげに微笑んだ。
その余裕のある微笑みが妙に癪に障り、僕は眉間に皺を寄せる。
「殿下。そのような表情では、折角の美形が台無しですよ?」
「だ、誰のせいだと――」
「……いるではありませんか。貴方の、丁度目の前に」
「は?」
呆けている僕の存在を無視しつつ、ギルバードは近くに置いてあるガラスの靴へと足を通す。
白い靴下に包まれた彼の足は、ぴったりと靴に収まった。
「ね?」
「……何が、“ね?”だ! この変態野郎!!」
得意げに僕を見やるギルバードを、僕は力いっぱい蹴りつけた。……結構痛かったと思うのだが、彼がそれに動じる事は無い。
「殿下が仰った、“知性や教養を兼ね備え、ダンスや読書を嗜み、尚且つ皆が羨む美貌を持つ御方”――この条件に合う方を、私は各国の貴族から探しました。しかし、私はその方を見つける事はできませんでした。ただ一人を除いて……」
「……それが、お前だというのか?」
「貴族としての嗜みであるダンスや読書は勿論、知性や教養――自慢するつもりはありませんが、この容姿には自信があります」
確かにギルバードは、その条件にぴったり当てはまる。背中に零れ落ちる金糸の髪はさらさらで、透き通った蒼い瞳はまるで海のよう。物怖じしない性格から、しっかりと公務をこなす事も出来よう。
……だが、それ以前に根本的な部分がおかしい。ギルバードは男、僕も男だ。僕にそっちの気は全く無いし、男を妻に迎えよう――なんて思った事は、一度たりともない。
そんな僕の心情を察したのか、ギルバードは意味ありげに微笑んだ。
「確か、此処クリントン王国では、同性同士の結婚も認められている筈……。私達の愛を阻む物は、何一つありませんよ?」
「何が愛だ! お前にそういう感情を抱いた事は、一度たりともない!!」
「今はそうでも、いつか変わっていくかもしれませんよ?」
「変わるか、馬鹿! ……大体、世継ぎ問題はどうするつもりだ。お前と僕では……その、生物学的に不可能だと思うのだが」
「そんな物は、どこかそこら辺にいる男児をかっさらってくればいいんですよ」
「お前は僕を犯罪者にするつもりか!!」
くだらない言い争いが嫌になり、僕はぜいぜいと息を荒げる。いつものギルバードならば、ここでくつくつと笑い始めるのだろうが――今日の彼は何かがおかしい。茶化す事も無く、まっすぐに僕を見据える。
そして、その形の良い唇をゆっくりと開き――
「I am your Cinderella」
そう、呟いた。