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あの日、透明な想い  作者: 中澤ミサキ
三  還魂祭
9/12

2  巫女神楽



 朝、十時を過ぎた頃から、次々と親戚一同が黒い礼服を纏ってヨシノの家を訪れた。アカネは通っている中学の制服姿で、久しぶりに会う親戚たちに挨拶をした。

 今日はアカネの曾祖父である、染井チョウジの三十三回忌の法要が行われる日だった。正直、曾孫にあたるアカネには、親戚全員の顔と名前は分からなかった。

 二つの居間を隔てていた襖は取り外されて一つの大広間となったその部屋に、二十人を超える染井家の親族が集まっていた。ここにいるチョウジの曾孫はアカネのみで、他の家族からは曾孫にあたる者は来ていなかった。年齢が近い親戚はおらず、うろ覚えの顔ばかりが並んでいたため、アカネは一人静かに部屋の隅で座っていた。

 時計の針が十一時を指すと、訪れたお寺の住職が御経を読み上げ始めた。一同は静かに手を合わせる。アカネもそれに習い、仏壇に飾られた会ったことのないチョウジの写真に手を合わせて目を瞑った。ヨシノは親族の一番前で手を合わせて、住職に続くように小さな消え入るような声で御経を上げていた。

 三十分ほどで御経は読み上げられ、チョウジの最後の回忌法要は厳かな空気に包まれたまま終わった。そのあと親戚一同で食事をすることになり、それが終わるころには午後の二時を回っていた。

 それからアカネと母親のカスミの二人だけで、曾祖父の墓参りに行くことになった。四年前に賢木町から離れて以来、なかなか来ることができなかったこともあり、この機会に行くことに決まった。

「チョウジおじいちゃんは口数が少ない人でね……」

 墓石の前で手を合わせていたアカネに、カスミは語りかけた。

「昔気質で少し頑固なところがあって、ちょっと近寄りがたい雰囲気があったの……」

 カスミは何かを思い出したようにくすりと笑って続けた。

「ヨシノおばあちゃんに対しても、やっぱり口数は少なくてね。でもその代わりに、行動で示してたみたいよ。なんだかんだで、おばあちゃんにだけは優しかったのね」

 アカネには、大好きなヨシノと会ったことのないチョウジの若い頃が想像できなかった。昔の二人は何を話していたのだろう。どこかへ行ったのだろうか。二人が若かった頃は、まだ戦争もあったかもしれない。そんな時代で、どんな風に過ごしてきたんだろう。何度想像してみても、やはりアカネには二人の若かりし頃の姿は見えてこなかった。でも、ヨシノが幸せだったことは分かっていた。


――おじいちゃんからは他にもいろんなものを、いっぱい貰ったからね。


 そう言ったときのヨシノの顔は、とても穏やかで優しい顔をしていた。それを見ただけで、アカネには十分だった。アカネは胸元で輝く、チョウジがヨシノへ贈った小さな夢見石を両手で包み込むように握りしめた。



 海老根川と線路に挟まれた、見晴らしのいい長い長い道をアカネは一人歩いていた。還魂祭二日目の今日は、緋桐神社でカエデの従姉ユリが巫女神楽を舞うことになっていた。少し早めに家を出たアカネは、緋桐神社に向かう前に夢見石を目指していた。

 結局昨日は、マサキと会えないまま帰路についた。今日はいつもマサキと会う夢見石に寄ってみることにしていた。ひょっとしたらそこにいるかもしれない。心のどこかでそう願っていた。それでも同じように、心のどこかでは会えないような気もしていた。アカネの心は期待と不安のあいだを揺れていた。

 仮にマサキがいたとして、あたしは何を言うつもりだろう。また、還魂祭に誘うのだろうか。それとも二人が思い出せないでいる〈聞き覚えのあるお互いの名前〉について、話し合うのだろうか。あたしはなぜマサキ君に会いたいと思うのだろうか。アカネの中で、また一つ答えの見つからない難問が生まれていた。

 同じ道を今までとは逆方向に歩いているだけなのに、なぜかまったく別の知らない道を歩いているように思えた。

 夢見石が見えてきたが、そこには誰の姿もなかった。マサキも猫のサクラも。それでもまだ少し時間に余裕のあるアカネは、そこで待つことにした。およそ三十分、夢見石の隣で膝を抱えて座って待つあいだにアカネの視界に入ったのは、わずか三人の見知らぬ人たちだった。

「…………」

 約束の時間までもうあまりない。アカネは一つため息をつくと立ち上がり、埃を払うように服をはたいた。浮かない表情で、アカネは遠くに見える大通りのぼんぼりの明かりに向かって歩き出した。



 緋桐神社の入口にある鳥居の下に、カエデとナツメの姿が見えてきた。まだ約束の時間より少し早い。昨日と違い、今回は二人の方が先に到着していた。

「お待たせ」

 アカネは努めて明るく声を掛けた。だが、親友のカエデにはそれが通用しなかった。

「アカネちゃん、どうかした?」

「ううん、何もないよ。ほら、早く行こ。せっかくだから、いい場所でユリさんの舞を見ないとね」

 自分でも気づかないうちに表情に出ていたのだろうか。そう思いながらアカネは、昨日よりも多い人の合間を縫って舞殿を目指した。

 カエデとナツメは顔を見合わせて、首を傾げつつも置いて行かれないように後に続いた。

 朱色に染められた舞殿で行われるユリの巫女神楽は、夜の七時から始まる予定になっている。三十分ほど早い今は、まだ人の姿はまばらだった。参道の途中で買った綿飴やたこ焼きを手に、アカネたちは一番見やすい舞殿の正面を確保することができた。三人は、熱いたこ焼きを頬張りつつ巫女神楽の始まりを待った。

 夜の七時。陽の明るさも薄れ、空には群青色の空が一面に広がっていた。僅かに残る雲が、群青色の空を薄めている。

 参道から神官や巫女装束に身を包んだ小さな女の子たちが現れると、舞殿に上がってそれぞれ定められた場所に腰を下ろした。

 神官の一人が手にした神楽笛に口をあて、辺りに美しい音色を響かせた。その音に続いてまた一人、神楽笛を奏で始める。そこへさらに十七本の細い竹管を持つ(しょう)が奏でる和音が加わり、巫女神楽の始まりを告げた。

 それを合図に、参道の脇から巫女装束に身を包んだユリが現れた。ユリはゆっくりと舞殿へ向かい、その手前で差し出された目の周りを赤く縁取られた白い狐の面をつけ、神楽鈴を受け取った。

 ユリは足音を立てることなく舞殿の中央へ進み、ゆっくりと振り返った。弧を描くようにゆっくりと両腕を上げ、頭上で一度神楽鈴を鳴らした。

 古くから伝わる日本独特の和楽器が奏でる音色に合わせて行われるユリの舞は、とても幻想的なものだった。舞殿に備え付けられた橙の明かりを放つぼんぼりが、舞殿とユリを温かく照らし出す。その明かりから生まれたユリの影が柱や天井に映り、ユリと同じ動きをした。

 目の前で行われているはずなのに、どこか遠くの出来事のように錯覚させる。まるで舞殿だけが、遥か大昔の日本へ時を巻き戻したかのようにさえ思えた。アカネの全身に電流が走り、それはこれまで体験したことのない刺激を与えた。

 いつの間にか舞殿の周りには、観客で埋め尽くされていた。

 その中央で狐の面をつけたユリは、淀みなく舞を続けた。緩やかな動きは、どこか力強さと優しさを兼ね備えている。時折ユリの身体から溢れる汗が、ぼんぼりの明かりを受けてきらきらと輝きながら落ちていった。

 アカネたちだけでなく、巫女神楽を見ている全員が口を閉じ、ただじっと舞殿で舞うユリの姿に釘付けになっていた。

 約三十分ほどが過ぎて、演奏とともに緋桐ユリの神楽舞は終わった。最後に深くゆっくりと一礼をして祭事の幕は下ろされた。

 一瞬の静寂後に、観客たちから涌き起こった賞賛の拍手がユリへ送られた。

 ユリは来たときと同様にゆっくりと舞殿を降りて、参道脇の細い道へと姿を消した。演奏していた神官たちやユリの舞を見守っていた小さな巫女たちがその場を去るまで、拍手が鳴り止むことはなかった。

 その場にいる誰もがユリの舞に見とれ、その幻想的な空間に浸っていた。アカネの視界には涙を流す青年の姿も見えた。

 アカネの隣では、カエデが自分のことのように喜んでいて、その目にはうっすらと涙を浮かべている。

 アカネと僅か三つしか離れていないユリは、これほどまでに人々を惹きつけて感動させる舞を披露した。今の自分では、とてもそんなことはできない。でも三年後、ユリと同じ年になってもできるだろうか。アカネはユリに対して羨望とほんの少しの嫉妬心を抱きつつ、自分自身に対してほんの少しの苛立ちを覚えた。



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