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あの日、透明な想い  作者: 中澤ミサキ
三  還魂祭
8/12

1  本音



 アカネが帰省してから三日目の午後。

 一日うちでもっとも暑くなる時間帯だったが、今日は薄い雲が空全体に広がり、夏の暑い日射しを幾分か和らげていた。

「ねぇ、ヨシノおばあちゃん」

 縁側でヨシノと並んで座っていたアカネは訊ねた。

「おばあちゃんは、夢見石に何か願い事したことあるの?」

「願い事?」

「うん。夢見石って、夢を見せるとか夢が叶うって言われてるでしょ。おばあちゃんがこれをチョウジおじいちゃんから貰ったとき、この石に何か願い事したのかなぁと思って」

 アカネは首に掛けた夢見石のネックレスを見せながら言った。

 ヨシノは遠い昔をゆっくりと思い起こすように空を見上げた。時折できる僅かな雲間からは鮮やかな青空が見えている。

「おじいちゃんからそれを貰ったときは、もうほとんど叶っていたからねぇ」

「なになに? 何をお願いしたの?」

 アカネは興味津々で身体を乗り出す。

 そんなアカネに皺の多い笑顔でヨシノは応えた。

「家族のみんなが元気でありますようにって」

 ヨシノの願い事は、アカネが想像していたものような(たぐい)のものではなかった。それでもアカネは、ヨシノらしいその答えが少し嬉しかった。

「アカネはどうなの?」

「えっ?」

「何か願い事、したのかい?」

「あたしは……」

 ヨシノの問いにアカネは言葉が出なかった。やりたいことが見つからないアカネには願うことがなかった。

 伏し目がちでアカネは静かに首を振った。

「あたしはまだ、してない。まだ願い事が見つかってないから……」

 そう、と、ひと言だけいったヨシノは、その細くて小さな手で優しくアカネの頭を撫でた。アカネは何だか〈大丈夫〉と言われているような気がして、自然と口元がほころんだ。

 それからしばらくのあいだ、言葉を交わすことなく二人はただじっと目の前にある小さな庭を見つめた。

 アカネはヨシノの隣にいるだけで安堵感を覚えた。ヨシノの周りだけはゆっくりと時間が流れてるように感じられた。

 ときどき風が吹いては、庭に植えられた草木と土の匂いを運んでくる。小さい頃から変わることのない、懐かしくて、優しい匂い。

 アカネは、ヨシノが作り出すこの空気が好きだった。いつも見ている夢の始まりで感じる、ゆっくりと海の底へと落ちていくあの浮遊感にどこか似ていた。

「あらアカネ。あなた今日、還魂祭に行くんじゃなかったの?」

 心地よさにそのまま眠りにつこうとしていたアカネは、急速に現実の世界へ引き戻された。振り向くと、アカネの後ろには客間にいる母親の姿があった。

 居間の壁に掛けられた時計を覗き込むと、これから家を出ればちょうど良い時間を示している。

「うん。そろそろ行くよ」

「帰りは暗いから気をつけなさいよ」

「はーい」

 返事をするとアカネは元気よく立ち上がった。

「ヨシノおばあちゃん、行ってくるね」

 アカネはヨシノの返事を聞かないまま立ち上がると、玄関へと向かった。

「そうだアカネ。明日の午前中はおじいちゃんの法要だからね」

 玄関で靴を履きながら「分かってるー」と、アカネの声が縁側まで聞こえてきた。

 アカネは靴紐を結んでいた手を止めた。ふと、母親のカスミならマサキのことを何か知っているだろうか、という考えが頭をよぎった。

「お母さーん」

 アカネに呼ばれたカスミは玄関までやってくる。

「なに、アカネ」

「…………」

 しかし、いざ母親を前にすると言葉に詰まった。

 何と言えばいいのだろう。「鈴代マサキ君って知ってる?」だろうか。だが、もし知らなかった場合、変な勘違いされてもちょっと面倒だなとも思った。それに当の本人同士が分からないことなら、母親のカスミが知っている可能性は低いのではないか。

「ううん、ごめん。なんでもない。行ってきまーす!」

 ばつが悪そうに、アカネは慌てた様子で家を飛び出した。

「何だったのかしら……」

 ひとりごちたカスミは、再び縁側へと戻った。

 アカネが出かけた今も変わらず、ヨシノは縁側で座っていた。

「おばあちゃん」

 だが、カスミが声を掛けてもヨシノは何の反応も示さない。

 カスミはヨシノの傍まで行き、その顔を覗き込んだ。

「あら、寝ちゃったの?」

 いつものように座ったまま、ヨシノは小さな寝息を立てていた。

 ヨシノの寝顔を見てカスミは仕方なさそうに息をつき、部屋の奥から扇風機を持ってきた。電源スイッチを入れると扇風機の羽根が小さく音を立てて回りだし、微風がヨシノの頬を撫でた。



 まだ夕陽が届く賢木町には、商店街の人たちによって飾り付けられたぼんぼりに明かりが灯されていた。橙の温かい光が、町の大通りをほんのりと照らしている。

 約束の時間より少し早く緋桐神社に到着したアカネは、その光景を一人眺めていた。真っ直ぐ伸びる大通りと、その左右に飾り付けられた無数のぼんぼりは、どこか知らない遠くの町まで続いているかのように思えた。

 目の前では、時間とともに増えていく浴衣姿の人々が、みな緋桐神社へと歩いていた。後ろを振り向けば、参道にはすでに多くの人で賑わっている。アカネの周りには、還魂祭を楽しみにしている人々で溢れていた。

 三日間行われる還魂祭。初日の今日は〈迎え火〉と呼ばれている。故人の魂が迷わず故郷へと戻ってこられるようにと、目印の役目として大量の薪に火がつけられる。盛大に燃え上がる炎は高く昇り、緋桐神社を煌々と照らす。その明かりを頼りに、故人の魂がこの賢木町へ戻ってくると言われている。

 賢木町を代表する祭りの一つで、賢木町以外からも観光として多くの人が訪れていた。

 ぼんやりと人の流れを眺めながらアカネは、マサキは来るだろうかと考えていた。昨日はほとんど勢いで誘ったが、マサキの反応は良くはなかった。何か用事があるのかもしれない。それでも、心のどこかではマサキが来てくれることを望んでいた。

「アカネちゃん、お待たせ」

 不意にかけられた声に、アカネは僅かに驚いた。

 気がつけば、いつの間にか浴衣姿のカエデが隣にいた。白地を基調に、色鮮やかな花の柄がある。赤い帯は白い浴衣と相まって、その色を際立たせている。清楚で清潔感のある浴衣は、カエデに良く合っていた。

「昨日はいつの間に帰ってたの?」

「ごめんごめん、ちょっと用事があるの思い出してね」

 苦しい言い訳だなと思いつつ、頭を掻きながらアカネは嘘をついた。

「ナツメ君は一緒じゃないの?」

「うん、違うよ」

「そうなんだ」

 昨日の試合の後、楽しげに話しをする二人を見て距離が縮まったかと思っていたが、

たった一日でそこまで変わることはなかった。もしそうなっていたら、どうしていただろう。二人の仲をからかっただろうか。それともカエデが遠くへ行くような気がして、少し寂しく思っただろうか。

 アカネがそんなことを考えているところへ、カエデを呼ぶ声が聞こえた。周防ナツメの声だ。しかし、その声は大通りからではなく、神社の参道から聞こえてきた。

 アカネたちが振り返ると、人混みをかき分けてナツメが現れた。

「柊、遅れて悪い」

「ううん。私も今、来たところだから」

「ナツメ君、先に来てたの?」

 てっきり大通りからやってくると思っていたアカネは、ナツメが予想外の方向から来たことに驚いていた。

「あぁ、言ってなかったな。親戚のじいさんが店出してるんだよ。それでその手伝いをやらされてたんだ」

「そうなんだ」

 アカネは納得がいったように頷いた。

「じゃあ、まずはナツメ君のおじいさんの店、行ってみようか」

「はぁ?」

 アカネはナツメとカエデの背後に回り、二人の背中を押した。

「ちょっと、アカネちゃん?」

「何勝手なこと言ってんだよ」

「いいから、いいから。ほら、歩いて」

 アカネは二人の言うことに聞く耳を持たなかった。二人の背中を押しながら、アカネは後ろを振り返った。しかし、マサキの姿を見つけることはなかった。来るかどうかも分からないマサキを待つわけにいかないアカネは、胸に抱いていた淡い期待を身体から押し出すように、二人の背中を押し進めた。

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ナツメは人混みをかき分けながら進んだ。不満だらけのナツメの顔を見ながら、カエデはくすくすと笑いを堪えた。



 参道を中程(なかほど)まで歩いたところでナツメは足を止めた。

「ここだよ」

 アカネはナツメの後ろから顔を出すと、そこには見知った懐かしい駄菓子が並んでいた。

「ここって……」

「なんだナツメ。忘れ物でもしたか?」

 露店にはアカネがよく知る老人の姿があった。

「おや、アカネちゃんじゃないか」

「アベマキのおじいちゃん」

「水樹、知ってるのか?」

 三人は驚いたように顔を見合わせた。

 三人をよく知るカエデだけが、一人くすっと笑った。

「アカネちゃん。ナツメ君の叔父さんのお父さんが、アベマキのおじいさんなんだって」

「えぇっ!?」

「で、アカネちゃんと私は、小さい頃によくアベマキ商店でお菓子を買ってたの」

「そういうことか」

 カエデは二人にそれぞれの関係を説明した。

「なんだナツメ。アカネちゃんとカエデちゃんの友達だったのか」

「べ、べつに友達とか……そんなんじゃねぇよ」

「違うのか。じゃあ彼女か?」

「あぁもう、余計なこと言うな!」

 ナツメは顔を紅くして声を荒げた。アベマキは孫同然のナツメをからかって豪快に笑い飛ばした。

「なんというか……世の中って狭いね」

 意外な接点にアカネはぽつりとこぼした。

「ねぇ、せっかくだから何か買っていこうよ」

 びっしりと並べられた駄菓子を見て、カエデは懐かしそうに口元をほころばせた。

 棒状のスナック菓子に、一口サイズほどの容器に入ったヨーグルト風味の菓子、ソースを塗って食べる薄いせんべい、水あめ、缶に入ったドロップ。どれも、今ではコンビニやスーパーなどでは見ることのない、一つ百円としない駄菓子ばかりが並んでいた。

 三人は、それぞれ思い入れのある駄菓子を買うと、アベマキは昔と変わらない笑顔で「ありがとう」と言った。そんなアベマキの笑顔を見ると、小さい頃よく行ったアベマキ商店がもうすぐ無くなってしまうなんて、アカネには想像できなかった。

 アカネは買った駄菓子の一つを口にすると、懐かしさと寂しさが口の中に広がった。

 突然、神社の奥から大きな歓声が上がった。

 三人が歓声の方を振り向くと、人集りの奥に火の先端が見をみつけた。

「迎え火がついたみたいだな」

 背伸びをして人壁の頭越しに覗けた橙色の明かりを見てナツメは言った。

「それじゃ、近くに行ってみようよ」

 カエデは言うと、神社の奥へと進み始めた。アカネとナツメも、はぐれないようにカエデのすぐ後を追った。

 迎え火と呼ばれる盛大に燃えさかる炎は、神社の開けた場所にある舞殿のすぐ前にあった。その周辺には、人が近づかないようにロープが張り巡らされている。すでに陽は沈み、濃紺から夜闇に変わろうとしていた空は、炎の明かりをよりいっそう引き立てた。迎え火の傍には、神社の宮司が炎の様子を見ながら薪の位置を調整していた。ロープ際で迎え火を眺めていたアカネたちに気づいた宮司が声を掛けてきた。

「カエデちゃん、来てたのか」

「叔父さん」

 夜とはいえ、昼間の夏の暑さが残る中、炎の傍にいた宮司の顔にはいくつもの汗の粒が浮かんでいる。

「そうだカエデちゃん。今なら奥にある道場にユリがいるはずだよ。明日はユリの神楽舞があるから、練習してると思うよ」

「ホントに? 見に行っても大丈夫かな?」

「あぁ」

 宮司は、にこやかな笑顔のまま頷いて見せた。

「ね、アカネちゃん。見に行ってみようよ」

 カエデは子どものように瞳を輝かせながらアカネの腕を引っ張った。

「うん、行こうか」

 二人は迎え火をあとに、参道の脇にある細い道を抜けて道場へと向かった。

「ちょっと待てよ、オレも行くよ」

 二人に置いて行かれそうになったナツメは、慌てて二人の後を追いかけた。



 迎え火の場所からわずか十数メートル離れた場所にある道場は、参道の賑わいが嘘のように思えるほど静けさに包まれていた。砂利が敷きつめられた暗く細い道を進んでいくと、やがて明かりが漏れる道場が見えてきた。

 カエデが道場の扉からこっそりと中を覗き見ると、長くて艶やかな黒髪はシュシュでまとめられ、Tシャツにショートパンツという涼しげな服装で練習するユリの姿があった。

 ユリが手首を振るたびに、手にした神楽鈴がシャンと美しい音色を響かせた。ゆっくりとすり足で前へ進んでふわりと身体を反転させる。流れる汗が形の良い頬を伝い、細い顎からこぼれ落ちた。

 緩やかで流れるような動きをするには、並々ならない集中力が必要になる。緩やかな動作ほど、手足の僅かな震えは途端にみっともない舞に見えてしまう。さらに手には神楽鈴を持っているため、不必要に音を鳴らすわけにもいかない。

 ユリは口を真一文字に結び、瞳は真っ直ぐ一点を見据えていた。両腕をゆっくりと前へ出し、神楽鈴の柄を両手で包むように握り直そうとしたとき、ユリの手から神楽鈴がこぼれ落ちた。鈴は大きく音を立てて道場に響き渡った。

 集中力が途切れたのか、ユリは大きく息をついた。

 固唾を飲んでユリの練習を見守っていたカエデたちは、音に驚いて思わず声を上げた。

「誰?」

 声に気づいたユリが振り返ると、申し訳なさそうにカエデが扉を開けて姿を見せた。

「ごめんねユリちゃん。覗き見するつもりはなかったんだけど……」

「カエデ?」

 従妹の姿を見たユリは、さっきまでの引き締まった凛々しい表情から、晴れ渡った空のように爽やかな笑顔へと変わった。

「なんだ、来てたのなら言ってくれれば良かったのに」

「だって……舞の練習を邪魔しちゃ悪いと思って……」

「そんな気を遣わなくていーの」

 ユリは床に置いたタオルをそっと拾い上げると、顔や腕を流れる汗をゆっくりと丁寧に拭き取った。

 ユリの整った顔立ち、背中まで伸びた流れるような綺麗な黒髪、長くて細い手足、そして熱を帯びてほんのり紅く染まった白い肌に、ナツメは見とれてしまった。

 それを横目で見ていたアカネは、ナツメの脇腹を肘で小突いた。

「なぁに見とれてるのよ」

「み、見とれてねぇよ……何言ってんだよ」

「ふーん……」

 明らかに動揺しているナツメを、アカネは咎めるように目で追い詰めた。

 その目から逃れるようにナツメは、とぼけたような表情で顔を逸らした。そして、話題を変えようと、とっさに言葉を口にした。

「そ……そういえばさ」

「ん、何?」

「その……ありがとな」

「えっ?」

 ナツメの予想外の言葉にアカネは驚いた。同時に、ナツメが何に対してお礼を言っているのか、とっさには分からなかった。

「昨日のアレだ。その……試合が終わった後、柊にオレんとこに行けって、言ってくれたんだろ。柊から聞いた」

 ナツメは照れ隠しのように鼻の頭を掻きながら、歯切れ悪く言った。

「あぁ……別に感謝されるようなことじゃないよ」

「ん、まぁ……そっか」

「それで、少しはまとに話しはできたのかなぁ?」

 アカネは、いたずらっぽく上目遣いでナツメの顔を覗き込む。

「そ、それは、その……水樹には関係ないだろ」

 アカネの質問から逃れるように視線を外し、ナツメは言葉を濁す。

「さっきまで感謝してたくせにぃ」

 少しずつナツメという人間が分かってきたのか、アカネは隙を見てはナツメをからかっては楽しむようになっていた。今では、初対面での第一印象はほとんど消えて無くなっている。

 アカネは目線をカエデとユリに向けたまま訊ねた。

「ねぇ。カエデのこと、どう思ってるの?」

「な、なんだよ。いきなり……」

「どう、思ってるの?」

 さっきまでとは違い、アカネの声にはナツメをからかう音は無かった。アカネの目は真っ直ぐにナツメを捕らえていた。アカネの真剣な表情に、ナツメはごまかして話題を逸らすのは諦めた。

「何て言うのかな。ひと言でいうなら……放っておけない、かな」

「…………」

 アカネの目はまだナツメの目を捕らえ続けた。

 ナツメはユリと話すカエデを見つめながら続けた。

「水樹も知ってるだろうけど。柊はさ、誰に対してもあんな感じなんだよな。誰に対しても優しくて、気を遣って、柔らかく笑ってさ。時々、本気なのか冗談なのか分からないことも言うけど。でも柊はすごく人を見ていると思う。外見じゃなくて中身を。たまにそれが、本人も気づいてないこともあるんだよな」

 ナツメは穏やかに言葉を紡いだ。カエデのことを話すナツメの横顔にアカネは、ナツメの中にあるカエデへの思いを見た。

「オレは中学からだったけど、三年間同じクラスで隣の席になったこともある。自分で言うのも何だけど、柊のこと一番近くで見てきたと思ってる。ずっと見てきた。気がついたら、柊のことを目で追うようになってた」

 ナツメは自分が何を言ったのかに気づき、紅い顔で咳払いを一つした。それでも、そこで話をやめることはなかった。自然と、カエデのことをどう思っているのかが声になっていた。

「柊はどこかふわふわしてて、つかみ所がないことがあるから……。だから、放っておけない」

 ナツメの中にある正直な思いをアカネは見た。強く、そして真っ直ぐにカエデに向かう思いを。ふわふわとしてつかみ所がない、とはアカネも感じていた。だからアカネにも、どこか放っておけないという思いはあった。

 カエデは、アカネとナツメは似ていると言った。それは案外、当たってるような気がした。アカネは自然と微笑みをこぼした。

「回りくどいわねぇ。でも、そっか……」

 言葉遣いは荒いところがあるが、それでもカエデを思うナツメの気持ちにカエデは少し安心した。確かにナツメの言う通りカエデには人をよく見ている、外見ではなくその中身を。

 それから二人は喋ることもなく、ただじっとカエデとユリを見つめた。

「ごめんね二人とも」

 弾んだような声で言うと、ユリと話し込んでいたカエデは二人のもとへと戻ってきた。

「カエデが無理に引っ張ってきたんだって? ごめんね」

 カエデの後ろからユリが笑いながら言った。

「無理矢理じゃないよー」

 カエデは頬を膨らませて反論した。怒っていることを主張しているつもりのその表情には、まったくの凄みはなく、むしろ可愛らしくさえ見えた。

「明日、舞殿で舞をやるから。良かったら二人も見に来てよ」

 二人はカエデの可愛い反論に笑いながら、はい、と短く答えた。



 ユリはもう遅いから三人に帰るように言って見送った。

 三人はユリに手を振ると、細く暗い砂利道を参道へと向かって歩き出した。

 その姿が見えなくなったのを確認したユリは、扉をそっと静かに閉めた。床に転がったままの神楽鈴を拾おうと指先に柄が触れたとき、苦悶の表情を浮かべた。じっと見た手のひらには、痺れるような鋭い痛みが残っていた。

「いよいよ明日、か……」

 きつく目を瞑ったユリの顔は、どこか祈るように見えた。



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