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あの日、透明な想い  作者: 中澤ミサキ
一  再会
4/12

3  懐かしくて、寂しくて



 ナツメと別れると、カエデは日陰がある券売機の隣に移動した。

 昔から日に焼けると、肌が黒くならずに赤くひりひりする体質だったので、できるだけ強い日射しには当たらないようにしている。

 カエデは駅を支える柱に背中を預けた。暑い日射しを避ける位置にあるコンクリート製の柱はひんやりとしていて、わずかに汗ばんだ背中を冷やしてくれた。その心地良さにカエデは目を閉じて、全身で冷たさを感じていた。

「カエデーっ!」

 遠くからアカネの呼ぶ声が聞こえた。

 カエデの姿を見つけたアカネは、小走りに駆け寄ってきた。カエデの前まで来ると、アカネは軽く切らした息を整えるように大きく呼吸した。

「お待たせっ」

「ううん」

 カエデは柔らかく首を横に振った。

 アカネは辺りを見渡してカエデに訊ねた。

「あれ、ナツメ君は?」

「周防くんなら、野球の練習に行ったよ」

「野球? へぇ、野球部なんだ」

「ううん。明日の隣町との交流試合に参加することになったから、その練習なんだって」

「交流試合? あぁ、毎年やってたアレね」

「うん」

 毎年行われている隣町との交流試合は、アカネが生まれる前から続いている祭事で、参加したことはないものの、何度か遠巻きに見かけたことはあった。

「で、明日一緒に応援しに行かない?」

「応援? ナツメ君の?」

「うん。どうかな?」

 カエデはいつものように、にこやかな笑みを浮かべていた。アカネはカエデの真意を探ろうと、じっとカエデの目を見つめたがすぐに断念した。カエデのふわふわした、柔らかい言葉は雲のように掴みどころがない。直接聞くのは簡単だったが、なんだか野暮ったく思えていたので、そこまでして聞きだそうという気にはならなかった。

「いいよ」

「ホント? じゃあ、明日一緒に行こうね」

 カエデの顔に、春のような暖かな笑みが広がった。

 本当にカエデは、女のあたしから見ても可愛い子だ。カエデの笑顔を見て、アカネは改めて思った。

「さて、それじゃあ今日はどこ行こっか」

 アカネは気持ちを切り替えるように、わざと少し大げさに言った。

「ん~……いろいろ!」

 カエデの答えにならない答えに、アカネは思わず吹き出した。

「ぷっ、何それ」

「いろいろは、いろいろなの。ほら、行こ」

 先に歩き始めるカエデのあとに続いて、アカネも歩を進めた。

「あ、そうそう。明後日から還魂祭が始まるから、そっちもよろしくね」

「よろしくって……一緒に行くってこと?」

「うん」

 満面の笑みでカエデは頷いた。

 アカネは少し考えてから、先程のことを思い返し、カエデに確認した。

「ひょっとして……ナツメ君も?」

「そうだよ」

 ほら、早く。そう言いながら、カエデはアカネの手を引いた。

 カエデとナツメは付き合っているのだろうか。そのことが頭の中をよぎったが、駅でのやりとりを考えるとそうとは思えなかった。一体カエデは、ナツメ君のことをどう思っているのだろう。だが、柔らかくてふわふわしたカエデの気持ちは、アカネには掴みきれない。皮肉にも付き合いの長いカエデのことよりも、今日初めてあったナツメの方が分かりやすかった。おそらくナツメは、カエデに好意を持っている。カエデが言った、〈真っ直ぐ〉という部分が分かりやすくさせているのではと、アカネは考えた。

 付き合いの長いあたしがこうなら、ナツメ君はもっと振り回されてるんじゃないか。そう思うと、アカネはほんの少しだけナツメに同情した。



 宣言通り、特にあてもない二人は賢木町を散策した。カエデは住み慣れた町を、アカネは四年ぶりの町を。同じ風景を見ていても、二人の目にはほんの少し違って見えていた。

 何気なく歩いているつもりだったが、足は自然と馴染みのある道を歩いている。

「あ、この辺りってアカネちゃんの……」

「うん、そうだね」

 特に意識していたわけでもなかったが、視界の奥に四年前までアカネが暮らしていたマンションが見えていた。近くまで行くと、そこには四年前と変わらない、アカネたちの家族が暮らしていたマンションが佇んでいた。

 五階建ての白い壁のマンションで、アカネが住んでいた部屋は二階の一番奥の部屋だった。アカネは自然と、かつて自分が住んでいた部屋のドアを見つめていた。すると、ふいにそのドアが開き、アカネの知らない親子が出てきた。

「あ……」

 それを見たアカネは、胸の奥深いところに小さな寂しさが生まれた。

 四年も経てば、他の誰かが住んでいてもおかしくない。そこが賃貸マンションならなおさらだ。それでもアカネは、なぜだか少し寂しく思った。あの部屋には生まれてからの十一年間の思い出が詰まっている。小さい頃に落書きをしたあの壁は、真新しい壁紙に張り替えられているだろう。はしゃぎすぎて倒してしまった、椅子がつけたフローリングの傷はもう綺麗に修復されているだろう。アカネは、自分の思い出までもが綺麗に掃除されてしまったような気がしていた。

 アカネの寂しげな横顔を見たカエデは、明るく声を掛けた。

「アカネちゃん、神社に行かない? 緋桐神社」

「小さい頃よく遊びに行った、あの神社?」

「うん。今だと還魂祭の準備で人が多いかもしれないけど」

 アカネは、カエデが気を遣ってくれているんだと悟った。少しぎこちないながらも、アカネは微笑みながら頷いた。

「……ん、行こっか」

 今度はアカネが先に歩き出し、カエデがその後に続いた。

 カエデの優しさに応えるように、元気よく一歩一歩踏み出した。

 賢木町の外観は、四年前のそれと比べて大きな変化はない。だがよく見ると、空き地だった場所に建築中の家があったり、家族でよく行ったレストランが別系列のレストランになっていたりと、少しずつ変わっていた。

 四年前の記憶をもとに、過去の賢木町と見比べながらアカネは歩いた。本来、新しい発見というものは、楽しいことのはず。なのにアカネは、違いを見つけるたびに胸の奥に寂しさを少しずつ降り積もらせていった。

「うわぁ!」

 カエデが感嘆の声を上げた。前を見ると緋桐神社が見えてきた。

 入口にある大きな鳥居をくぐると、明後日に控えた還魂祭の準備で人が溢れていた。

 緋桐神社は賢木町だけでなく、隣町を含めても一番広い敷地面積を有している。入口の鳥居から真っ直ぐ伸びた参道を二百メートルほど進むと舞殿(まいどの)があり、その奥にある石段を上がると、ようやく本宮へたどり着く。

 参道の幅は約五十メートルあり、中央には石畳が敷かれその左右は砂利敷きになっている。参道から横へ外れると大きな池もあり、鯉や亀などが生息している。また、本宮のすぐ裏には山があり、ときどき野生のリスなどが餌を求めて緋桐神社に迷い込んでくることもある。

 そんな広い緋桐神社では、還魂祭に向けての準備が行われていた。明日は隣町との交流試合もあることから、その両方の準備に追われる人もいる。還魂祭は明後日だが、早い人はその前日から店を始めていることもあった。

 準備の邪魔にならないよう、アカネとカエデは参道の脇を奥へと進んだ。舞殿の傍まで来たところで、カエデを呼ぶ声が聞こえてきた。

「おや、カエデちゃんじゃないか」

 声がした方を振り返ると、白衣に浅葱色の袴を身につけた男性の姿があった。

「叔父さん」

 袴姿の男性は、ゆっくりとカエデたちへ近づいてきた。

「カエデちゃん、久しぶりじゃないか。元気にしてたかい?」

「はい」

 カエデが、見知らぬ中年の男性との話を横で眺めつつ、アカネはどうやらカエデの親戚の人らしいということは分かった。

「アカネちゃんに話してたかなぁ。こちらは私の叔父さんで、この緋桐神社の宮司なの」

 不意にカエデに紹介されて、アカネはたどたどしく挨拶した。

「そうだ、叔父さん。ユリちゃんいる?」

「ユリは確か……今日は部活で学校に行ってるんじゃなかったかな」

「そっかぁ。残念」

 カエデはアカネの方へ振り返り、説明をはじめた。

「あ、ユリちゃんっていうのは私の従姉で、叔父さんの娘さんなの。ここで巫女もやってるんだよ」

「あぁ、ずいぶん前に話しだけは聞いたことがあったかも」

 アカネは記憶を遡って、かすかに残っている記憶の断片を整理した。カエデの従姉で、確か三歳年上のお姉さん。年が近いこともあって二人は仲が良く、カエデが実の姉のように慕っている。そこまでは、なんとなく聞き覚えがあった。

「叔父さん。ユリちゃん、今年の還魂祭で巫女神楽を舞うって聞いたけど本当?」

「あぁ。ここ最近、家にある道場でずっと練習してたからね。当日、楽しみにしているといいよ」

 そう言い残して、カエデの叔父は還魂祭の準備へと戻った。

 還魂祭の二日目には、舞殿で巫女神楽が行われていた。そのことはアカネも知っていたが、舞殿の周辺は人集りができて、当時小学生のアカネが見るのは身長のことを考えると困難だった。

「ユリちゃん、ここで舞うんだ。凄そうだね」

 カエデは小さな子どものように目をキラキラと輝かせて、まるで自分のことのように興奮していた。これまでテレビなどで見たことがある程度だったアカネも、実際に目の前で見られるかと思うとユリの舞が楽しみではあった。

 参道をゆっくりと歩きながら還魂祭の準備に追われる人々を眺めていると、懐かしい人の姿が飛び込んできた。

「あれって、ひょっとして……」

 アカネたちは準備の邪魔にならないように参道の脇を歩きつつ、懐かしい人のそばへと進んだ。

 頭は白く染められ、その頭髪の隙間からは頭皮も少し見え隠れしていた。腰に悪そうな中腰の体勢のまま、老人は黙々と露店の準備を進めていた。

「アベマキのおじいちゃん……?」

 自分の記憶に少し自信がなかったアカネは、おずおずと老人に声を掛けた。聞き覚えのある懐かしい声に自分の名前を呼ばれた老人は、手を止めて声の方へ顔を上げた。

「おぉ、ひょっとしてアカネちゃんかい?」

「やっぱりそうだ。おじいちゃん、久しぶりー」

 アベマキと呼ばれた老人は予想外の客に目を大きく開き、確認するかのようにアカネの顔を凝視した。四年ぶり会うアカネの元気そうな顔を見て、アベマキはうんうんと大きく頷いた。

「アベマキのおじいちゃんも、お店出すんだ?」

 アカネは骨組み状態の露店を見て訊ねた。

「ああ、そうだよ。もう今年で最後だしね」

「最後?」

 アカネは言葉の意味が分からず、軽く首を傾げた。事情を知らないアカネに、カエデが後ろから説明する。

「アベマキ商店はね、今月で店終いなんだって」

「えぇっ!?」

「まぁ、扱ってる商品も古いものばっかりで、お客さんもだいぶ減ってきたし。このへんが潮時だと思ってねぇ」

 アベマキは頭をかきながら伏し目がちにこぼした。

 アベマキが店主を務めるアベマキ商店は、アカネたちが通っていた小学校のすぐそばにある小さな駄菓子屋。アカネが生まれる前からずっと変わらず、同じ場所、同じ商品でアベマキが店を構えていた。アカネやカエデたちも小学生の頃は、学校の帰り際にアベマキ商店に寄っては、よくお菓子を買っていた。

「これも時代かねぇ……」

 苦笑いをしながら弱々しくこぼしたアベマキの目には、小さく光る粒が見えた。店が無くなることの悲しさと悔しさと……。きっと、もっといろいろな想いが、その粒には込められているんじゃないか。

 アカネが生まれる前からそこにあったものが、無くなろうとしている。だが、アベマキ商店よりも若いアカネには、うまく実感できないでいた。アカネには、アベマキに掛けられる言葉を見つけられなかった。


 アベマキ商店には、小さい頃よく遊びに行っていたし、お菓子もたくさん買った。

 そのお店が無くなることは、とても残念だと思う。

 悲しい……? うん、それもあるけど……。

 ずっとそこにあると、当たり前のように思っていたものが、無くなっていく。

 四年前まで住んでいたマンションには、今は見知らぬ家族が住んでいる。

 遊び場の一つだった空き地には、一軒家が建築中で。

 今月にはアベマキ商店の長い歴史が終わろうとしている。

 たった四年いないあいだに、賢木町は少しずつだけど確実に変わっていっている。

 あたしは、そのことが少し〈寂しい〉と思った。


 四年ぶりに賢木町に戻ってきたアカネは、カエデとの再会に喜んだ。ヨシノとの再会が嬉しかった。そして賢木町との再会には、懐かしさと寂しさを覚えた。

 アカネの中では、故郷というものはいつまでも姿を変えずに、ずっとそこにあり続けるものだと思い込んでいた。自分自身でも、そんな考えは自分勝手だと分かっている。だが、四年ぶりの町は確かに変化していた。少しずつ変わろうとしていた。どうしても、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

 気がつけば太陽は西の空へと沈みかけており、雲一つ無い空には鮮やかな朱色が広がっていた。昼の暑い日射しは終わりを告げ、緩やかに夜着を纏う準備を始めている。今のアカネの心境を投影したような、物憂げな空だった。



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