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あの日、透明な想い  作者: 中澤ミサキ
一  再会
3/12

2  願い



「やりたいこと、か……」

 曾祖母の家までの約十分のあいだ、つい先程思い起こした〈悩み〉について考えていた。だが、わずかな時間でこれまで見つけられなかった答えが得られるはずもなく、気がつけば遠くに曾祖母の家が見えていた。アカネは頭を振って、悩みから逃げ出すように駆け出した。

「ヨシノおばあちゃーん」

 家の玄関を勢いよく開けて、アカネは持ち前の明るさと元気さで曾祖母の名前を呼んだ。家の奥から、一足先に来ていた母親のカスミが現れた。

 食器でも洗っていたのか、カスミは小さなタオルで手を拭いていた。

「アカネ、ちゃんと来られたみたいね」

「そんな子供じゃないんだから、道に迷ったりしないって」

 アカネは口を尖らせながら、靴を脱いで家の奥へと進んだ。

「私たちの部屋は奥の居間だから。荷物、置いてきなさい」

「はーい」

「あ、おばあちゃんなら縁側にいるわよ」

 アカネは廊下を進み、台所を経由して母親に言われた部屋へと向かった。

 ヨシノの家は一軒家の平屋建て。四つの和室と台所に、西には縁側とちょっとした庭がある。かつては三人の子供たちと暮らしていた家なだけに、それぞれの部屋が広い家だ。

 今となっては、その子供たちはそれぞれ自分たちの家を持ち、曾祖父のチョウジが亡くなってからの約三十年は、この広い家にはヨシノが一人で暮らしている。正確にはヨシノと、四年前から飼い始めた猫のサクラの、一人と一匹暮らしだ。

 小さい頃アカネは、よくこの家に遊びに来てはヨシノの傍から離れなかった。ヨシノのことはもちろんだが、アカネはこの家の匂いも好きだった。今も引っ越す前も、アカネの自宅はマンションで、中はフローリングになっていた。アカネには、冷たくて硬い洋室の床よりも、イグサで編み込まれた畳の方が好みだった。今ではフローリングにも慣れて、洋室も受け入れられるようになったが、それでも和室が作り出す独特の匂いと空間は今でも変わらず好きだった。

 賢木駅に着いたときと同じように懐かしい匂いを嗅ぎつつ、アカネはあてがわれた部屋へ荷物を置いた。ひと呼吸してから縁側へ向かうと、そこには四年前と同じ光景があった。

 襖を開けると、客間から見える庭。大きな松の木が庭の隅に一本と、大小さまざまな形の庭石。これで池でもあれば、と思ったこともあったが、残念ながらそこまで広い庭ではなかった。

 縁側にはいつものように、ヨシノが座ったまま眠っていた。ヨシノの膝には年老いた茶トラ猫のサクラが、ヨシノと同じく気持ちよさそうに寝ている。その光景は緻密に描かれた絵のように、四年前と同じに見えた。

 変わらないその光景に、アカネは自然と微笑がこぼれる。

「ヨシノおばあちゃん」

 小さくヨシノの身体をそっと揺すりながら、アカネはヨシノの名前を呼んだ。

 先に反応したのは、ヨシノの膝の上で寝ていたサクラだった。

 サクラは眠そうに目を細めたまま顔を上げると、一つ大きな欠伸をした。四年ぶりに会うアカネに挨拶するかのように一声鳴いた。

「サクラ、元気だった?」

 寝起きのサクラの頭を撫でながらアカネは話しかけた。しばらくアカネの撫でる手を堪能したサクラは、身体を起こすとヨシノの膝から降りて、そのまま外へと出かけてしまった。

 サクラが出かけたところで、今度はヨシノが目を覚ました。

「おや、アカネ。いつこっちに来たんだい?」

「ついさっき。ヨシノおばあちゃん、元気だった?」

 うんうんと頷きながら、ヨシノはひとしきりアカネを姿を見つめた。

 小さく細い手でアカネの腕に触れる。まるで、アカネの成長を目だけでなく直に触れて確かめるように。

「大きくなったねぇ。それに、相変わらず元気良さそうで」

 ヨシノは、くしゃっと笑顔を見せた。九十二歳のヨシノの顔は、ただでさえ皺が多いので、笑うとそれはよりいっそう深くなり、数も増えた。

 でもアカネは、そんなヨシノの笑顔が小さい頃から大好きだった。ヨシノが笑うと、不思議とアカネもつられて笑顔になる。

「おや、その首飾り……」

「あぁ、これ?」

 アカネはヨシノの目線の先にあるネックレスを手に取った。四年前にヨシノから貰った、夢見石から作られた手製のネックレスが小さく輝く。

 かつて、曾祖父のチョウジが妻であるヨシノにプレゼントしたものらしい。手先が器用だったチョウジが、賢木町にある夢見石を削り取って作った物だという話をアカネは聞いたことがあった。それが今では、アカネの首にかけられている。

「うん、ヨシノおばあちゃんから貰ったネックレス。ちゃんと身に付けてるよ」

 アカネはどこか誇らしげに石を掲げて見せる。

 それを見たヨシノは、嬉しそうに頷いた。

 夢見石は少し変わった鉱石で、光が当たると、やや鈍いながらも様々な色に輝く性質がある。表面の削れ具合や光の当たる角度でその輝き方は千差万別で、まるで万華鏡のように不可思議に変化する。宝石のような美しい輝きはないが、七色に輝くその石は、ヨシノたちが若い頃には人気があり、夢見石を少し削り取っては装飾品を作ることが流行っていた時期があった。

 見た目の不思議さだけでなく、夢見石には古くからちょっとした言い伝えがあった。

〈その石に触れた者に夢を見せる、夢を叶える〉

 もちろん、あくまで言い伝えや伝承の類であって、本当にそうなのか真偽のほどは確かではない。だが、そのことも相まって夢見石はどんどん削られていき、大人の身長ほどあった岩は、今では小学生の身長と変わらないくらいまでに小さくなってしまった。

 賢木町に伝わる伝承がこのような形で失うわけにはいかない、ということから、夢見石を削り取ることは禁止され、以降は緋桐(ひぎり)神社が管理することになった。今では、伝承と禁止事項が記された立て札が、夢見石の隣に立てられている。

 やがて夢見石を使った装飾は、少しずつ賢木町の人々から忘れ去られていった。ある意味、アカネの持つネックレスは稀少品と言えた。

 アカネはネックレスを掲げて、夢見石に真夏の陽光を浴びせた。琥珀のように薄い樹脂で覆われた石から反射した光は、アカネの顔に様々な色を落とした。

「でも、これ。本当にあたしが貰ってよかったの? チョウジおじいちゃんから貰ったものなんでしょう?」

「いいんだよ。おじいちゃんからは他にもいろんなものを、いっぱい貰ったからね」

「これだってそうだよ。その……チョウジおじいちゃんとの思い出とか、あるんじゃないの?」

「おばあちゃんがいい言ってるんだから、貰っておきなさい」

 客間から母親のカスミが言った。

 小さく息をつき、やや呆れた様子でカスミは続けた。

「それをおばあちゃんからもらったの四年前でしょ。今更、気を遣ってどうするのよ」

「あのときは、まだ小学生でそんな気を遣うとか……」

 チョウジがヨシノに渡した手作りのプレゼント。

 アカネが生まれたときには、すでにチョウジはこの世にはいなかった。だからアカネにはチョウジとの思い出はないし、チョウジがどんな人だったかも知らない。でも、ヨシノにとっては大切な人で、これはその人から貰った手作りのプレゼント。そんな大事なものを貰っていいものかどうかと、今更ながら考えていた。

「まぁ、それもそうなんだけど……」

「アカネ」

 ヨシノはいつもと同じように、アカネに優しく話しかけた。

「それ、嫌いかい?」

「ううん」

 アカネは大きく首を横に振って見せた。そのことに関してはアカネの本心だったので、しっかりと否定した。

「なら、それでいいじゃない。おばあちゃんはね、アカネが今もそれを持っていてくれるだけで嬉しいんだよ」

「うん……」

 ヨシノに諭される形で、アカネは自身を納得させた。

 ひとまずは事が収拾したことで、カスミは軽く息をついてみせた。

「そうだアカネ。この後予定がないなら、ちょっと買い物に……」

「あっ!」

 アカネはカスミの言葉を遮るように叫んだ。

「な、なに?」

「いけない、カエデと待ち合わせしてたんだった!」

 アカネは慌ただしく立ち上がると、玄関へと駆け出していった。

「ごめん、お母さん。夕飯までには帰ると思うから」

「ちょっと、アカネ。おじいちゃんにお線香あげてからにしなさい」

 母親に言われて、アカネはチョウジの仏壇の前へ引き返した。慌ただしく一本の線香に火をつけて線香立てに立て、りんを打った。短く手を合わせると、再び玄関へと駆け出す。

 ヨシノとの会話はいつも時間がゆっくり流れているようで、アカネは心地よかった。それは時間を忘れるくらい穏やかで柔らかくて、温かなものだった。

 アカネは走りながらポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認した。幸い、それほど時間は経っていなかったが、急いだ方がいいことには違いなかった。懐中時計を再びポケットへ忍ばせると、夏の日射しが照りつける中、カエデが待つ賢木駅へと向かった。



 アカネが去ってカエデと二人きりになったナツメは、ますます落ち着きをなくしていた。つい先程〈芯が強くて真っ直ぐ〉と言われたこともあり、ナツメの意思に反して全身を脈打つような動悸はなかなか治まってくれなかった。

 ナツメは一つ、大きく深呼吸をした。

「柊、明後日なんだけどさ……。その、時間空いてるか?」

「明後日? う~ん、今のところ大丈夫だけど……?」

「じゃ、じゃあさ……一緒に、還魂祭(かんこんさい)に行かないか?」

 毎年、夏の暑い時期には、還魂祭という賢木町独自の祭事が緋桐神社で執り行われる。いわゆる〈お盆〉に相当するもので、祭りは三日間行われることになる。

 初日は故人の魂を迎え入れる〈迎え火〉の日。故人が迷うことなく故郷へ戻ってこられるよう、その目印として盛大に火が焚かれる。

 二日目は故人と賢木町の人々がその一日を楽しく過ごせるよう、露店が出たり巫女神楽が行われたりと、町中が文字通りお祭り騒ぎになる。

 最終日の三日目は、故人を再び送り出す〈送り火〉の日。賢木町では、蛍の光が故人の魂を導くという伝承があり、送り火には無数の蛍が海老根(えびね)川に放生されることになっていた。

「そういえば還魂祭って、明後日だったね」

「む、無理にとは言わねぇけど……」

「いいよ」

「そっか。やっぱ無理……って、えっ? マジで?」

「うん」

 玉砕覚悟で誘ったナツメは、あっさりとカエデからOKをもらえたことにやや拍子抜けした。何はともあれ、まずは一つ目の関門を突破したことに、ナツメは心の中でガッツポーズをした。

「せっかくだから、アカネちゃんも誘っていいかな?」

「えっ? 水樹? あ、あぁ……」

「こういうのって、人数が多い方が楽しいもんね」

 ナツメの真意にまったく気づくこともなく、カエデはにこやかな笑顔で応えた。それとは対照的にナツメは、さっきまでの高揚感は一瞬にしてどこかへと消え去ってしまった。

「そ、そうだな……」

「じゃあ後で、私から伝えておくね」

 ナツメがこの賢木町へ引っ越してきたのは、ちょうど中学一年になるときだった。カエデと同じクラスになり、席が隣同士だった。

 初めは単に可愛い子だな、と思うくらいでそれ以上の感情はナツメにはなかった。が、カエデの誰とでも分け隔てなく接する性格や、可愛らしい笑顔を見るたびに、少しずつカエデに惹かれていった。席が隣同士ということもあって、友達と呼べる間柄になるまでにそれほど時間は要しなかった。

 だが、それ以上の進展は、ない。偶然にも中学の三年間は同じクラスになったが、次の一手が思いつかないまま時間だけが流れ、現在に至る。

 カエデは時々、意味が分からないことを言うこともあれば、驚くほど鋭いことを言うこともあった。さっきのそれがまさにそうだ。


――芯が強くて真っ直ぐなところ。


 三年もこの想いをくすぶらせていることは、芯が強いと言えるのだろうか。真っ直ぐなんだろうか。いつまで経っても次の一手に進めない、この想いは……。できれば、カエデの言う通りでありたい。そう思いたい。だがナツメもアカネと同じように、その部分だけは当たっているとは思えないでいた。

「あ、それ……」

「ん……あぁ、これ?」

 カエデが示した指の先には、ナツメが乗っている自転車のカゴに入った野球のバットとグローブがあった。

「毎年恒例の交流試合があるからな」

「ということは……今年は周防くんも参加するんだ」

「ホントはそんな予定はなかったんだけど、叔父さんの代わりに。ほとんど無理矢理なんだけどな」

 賢木町と隣町の大井町とで、商店街の人々による野球の交流試合が毎年行われていた。あくまで交流試合なので、勝敗に対するこだわりよりも純粋に試合を楽しむ志向が強い。

 参加者のほとんどが四十代以上の大人たち。子供の参加も認められてはいるが、自発的に参加したいという子供はいなかった。ナツメもそのうちの一人だったが、叔父が還魂祭で出す露店の準備で参加できなくなったため、代わりとして強制的に参加させられることになった。

 交流試合は、ただ試合を楽しむだけでなく、勝った方には相手チームがお店で扱っている商品を景品として貰えることになっていた。たまに、高価な商品が紛れていることもあるので、案外馬鹿にはできない。特に今年は、大井町のメンバーの中に大きな家電量販店が参加しているらしく、賢木町のメンバーは景品に淡い期待を寄せていたのだった。

「交流試合でも一応は練習するらしくてな。試合、明日だし。とはいっても、勝つための練習じゃなくて子供たちの前で醜態をさらさなくて済むように、大人たちが体を慣らす程度なんだけどな」

「そうなんだ。それじゃあ、明日は応援しに行こうかな」

「えっ?」

 カエデの予想外の申し出に驚きつつ、ナツメは嬉しさを隠し切れなかった。わずかに顔が緩んでしまった。

「特に予定もないし。スポーツは得意じゃないけど見るのは楽しいし」

「そ、そっか。試合、ひ、昼の二時からだから……。ば、場所は、海老根川の河川敷にある……あのグラウンドな」

 ナツメは嬉しさと緊張とで逸る気持ちを抑えようとしたが、わずかに溢れてしまい、少し早口になった上に上手く喋れなかった。

 そんなナツメの心情にまったく気づいていないカエデは、ナツメの好きな柔らかい笑顔で応えた。

「うん。それじゃあ、アカネちゃんも誘っておくね」

「あ……そ、そうだな……うん……」

 ナツメの淡い期待は再び、カエデの善意によって打ち砕かれた。

「それじゃあオレ、そろそろ練習いってくる」

 期待するたびに返り討ちにあったナツメは、これ以上の余計な期待をしなくて済むように自転車をこぎ出した。

「うん、頑張ってね」

 遠ざかるナツメの背中に向けて、カエデは優しいトゲを投げかけた。

「柊の天然なところが、ときどき恐ろしく感じる……」

 ナツメは、ペダルに全力を注ぎながらこぼした。

 それでも、これまでの三年間のことを考えれば、ナツメにとっては大収穫と言えた。カエデの気持ちはまったく見えてこないが、ナツメは素直に喜んでいる自分がいることは確信していた。それは、いつの間にか表情にも表れていた。

「よっし! とにかく頑張るしかねぇなっ!」

 ナツメはさらに速度を上げて、緩やかな坂を下ってグラウンドがある河川敷へと向かった。全身に受ける向かい風が、ナツメのもやもやとした気持ちを吹き飛ばした。



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