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あの日、透明な想い  作者: 中澤ミサキ
プロローグ
1/12

追憶

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。


※誤字・脱字がありましたら、その都度修正いたします。



 ――また、あの夢だ。


 身体がゆっくりと、海の底へ沈んでいくかのような感覚に身を任せたまま、水樹アカネはぽつりと呟いた。

 緩やかに沈んでいき、辺りをキラキラと輝かせていた陽の光も、少しずつ鈍さを増していく。そしてついには、光が届かない暗闇に包まれた場所へと辿り着いた。

 最初はこの感覚に、アカネは不安や恐怖心を覚えた。だが、何度も同じことを繰り返していくうちに、次第にそれは薄れていった。たとえ光が届かない暗闇でも、一切の音が存在しない世界であっても、この何とも言えない浮遊感に、今では心地良さすらも感じるようになっていた。

 これが、アカネが見るいつもの夢の始まり。夏もいよいよ本格的な暑さを迎えようとする頃になると、たびたび見るようになる、あの夢だった。



 そこは、色があるのかどうかもよく分からない不可思議な空間。

 陽の光の下に彩られた、光の三原色で構成された世界ではない。かといって、無彩色で構成されたモノクロの世界でもない。強いて言うなら、その中間。有彩色と無彩色のあいだにある、夢の中の世界。

 どう表現したらいいのか、誰かに説明するときにすごく困る世界だ。アカネは、そうこぼしたことがあった。

 学校の友達に、この夢のことを説明しようとしたこともあった。だが、これから始まる夢の本編が何を意味しているのか分からなかったので、結局のところ誰にも話をしていない。そこが何色の世界なのかなんて、本当のところは些細なことだった。

 夢の中ではいつも、その光景を遠くから眺めるだけ。夢の主人公ではなく、夢の傍観者。それが、この夢における水樹アカネに与えられた役割だ。

 夢の中の登場人物は決まっている。アカネから十数メートルほど離れたところに、小学生くらいの男の子らしい人物と、同じく小学生くらいの女の子らしい人物の二人。なぜ〈らしい〉かと言うと、二人の姿はいつも磨りガラス越しに眺めるような、ぼんやりとしか見えないからだった。何となく見える姿から、〈男の子と女の子らしい人物〉としか言えなかった。

 いつものように二人は何事かを話しているようなのだが、それがアカネの耳に届くことはない。二人の声が小さいからではなく、そこは音がない世界だからだった。二人の声も、空気の流れる音も、自分自身の息を吸って吐く音も聞こえることはない。

 それでも二人に近づけば、ひょっとしたら何を話しているのか聞こえるかもしれない。そう考えたこともあった。でも、不思議とそれを行動に移そうという気にはならなかった。

 試したことはないけど、たぶんあたしの身体は動かない。足どころか指一本も動かせない。(まばた)きすらもできないんじゃないか。アカネは、心のどこかでそう決め込んでいた。

 やがて、登場人物の短い話しが終わると、主人公の二人はそれぞれ別の方向へ歩き出した。これが、数年前から見るようになった夢の内容。何度も見てきた、展開も結末も変わらない、とても短い物語だった。

 不意に、鋭い光がアカネの瞼を、擦り合うような甲高い金属音が耳を、それぞれ刺激した。

 それを合図に、世界は急速に変化した。空間の奥から差し込まれた一筋の光が急速に辺りを包み込み、たちまち白い世界に塗り替えられていく。夢は終わり、アカネは色と音が存在する現実の世界へと引き戻された。



 アカネがゆっくりと目を開けると、窓の外には夏の日射しに照らされた、光り輝く海が広がっていた。時折、電車が小刻みに揺れては、耳をつんざく様な金属音を短く響かせる。

「うぅん……」

 いつの間にか電車の中で眠っていたアカネは、気怠そうに一度大きく伸びをした。眠っているあいだに蓄積していた疲れが、身体の中心から手足の先端へと一気に駆け抜けていくのを感じた。

 自分の前髪を覗き込むように見上げて、右手の指先でつまんでは髪の位置を整える。

 空いた左手で、ポケットに入っている懐中時計を取り出す。目的の賢木(さかき)駅まで、あと十分ほどだ。

 アカネはもう一度、今度は短く伸びをした。目的地までの時間と、自分がどれくらい寝ていたのかを確認すると、役目を終えた懐中時計をポケットへと戻した。

 頬杖をついて、窓の外に広がる景色に目を向けた。少しずつ、見覚えのある景色が近づいてくるのが分かる。

 四年ぶりに戻ってくる、アカネの生まれ育った小さな田舎町。

 賢木駅は、長さが百メートルもない小さな駅で、プラットホームは二面二線。駅員は一応一人いるが、見かけるのは朝と夕方のラッシュ時のみ。ラッシュといっても利用客が少ないため、都会のそれと比べたら到底ラッシュとは呼べない。そんな小さな駅を中心に、アカネがかつて暮らしていた賢木町は広がっている。

 賢木駅から延びる線路に併走するかのように、一本の浅い川が流れている。透き通るようなきれいな川は今も変わらず、賢木町の合間を縫うように流れている。川を数キロほど遡った先にある山のさらに奥には、落差二十メートルほどの細い滝へと繋がっている。そこは、賢木町の数少ない観光地の一つになっていた。

 駅周辺は商店街になっており、十分ほど歩けば住宅街へ入り込む。そこからさらにもう十分ほど歩くと、小高い丘や山へと続いている。駅周辺は人の暮らす空間だが、駅からほんの二十分も歩けば緑豊かな自然が広がっている。そんな街と自然が同居する賢木町が、アカネは大好きだった。

 今年は、曾祖父チョウジの三十三回忌を最後の法要にするということで、アカネは会ったこともない曾祖父のために、四年前まで住んでいたこの賢木町へ帰省することになっていた。アカネには曾祖父のチョウジの記憶がない。アカネが生まれる前にすでに亡くなっているのだから当然だった。だが、曾祖母のヨシノは健在で、今も変わらずあの広い家で暮らしている。

 アカネはヨシノのことが大好きだった。小さい頃は、よくヨシノにくっついては、なかなか離れなかった。アカネが幼い頃、母親のカスミが呆れ顔で「あなた、ヨシノおばあちゃんの子供になる?」と聞いたとき、笑顔で「なるー!」と即答したほどだった。ヨシノもまた、初の曾孫ということもあって、アカネには特に優しかった。

 アカネにとって今回の帰省は、チョウジの最後の法要よりも、ヨシノに会えることの方が重要だった。もちろん、他にも楽しみはある。小学校時代からの親友のカエデに会えることだ。

 柊カエデは、ひと言でいえば〈女の子〉だ。女の子だから当たり前なのだが、アカネに言わせると〈女の子らしい女の子〉という意味だった。今も昔も、アカネは髪は短く、スカートよりもパンツ姿を好む。それに対してカエデは、肩まで伸びた真っ直ぐできれいな黒髪が特徴的な少女で、スカートがよく似合っていた。そよ風が吹けば、カエデの細い黒髪はふわりと舞い上がった。

 性格もアカネとは正反対。大人しいとまではいかなくとも、落ち着きがあり、ころころと笑うカエデは、同性のアカネから見ても、とても可愛らしかった。

 昔のことに思いを巡らせながら、アカネは窓から見える景色を眺めては、時間とともに郷愁の思いを募らせていく。アカネの顔からは自然と微笑みがこぼれた。胸元では、四年前にヨシノから貰った夢見石(ゆめみいわ)から削り作られたネックレスが、光を反射して虹色に輝いていた。



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