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「姉だから」十年間も命を削ってきましたが、婚約者まで譲れと言われたので、家族と縁を切ります

作者: KOTOHA
掲載日:2026/09/21

「今日の魔力、少しちょうだい」


 妹のミリアが、いつものように手を差し出した。

 私はその手を握り、魔力を流す。

 

 身体の中から、ごっそりと魔力が抜けていく。


 指先が冷たくなった。

 意識が一瞬飛んだ。

 慌てて肘掛けに腕を突き、身体を支えた。


「もう少しだけ。明日は試験なの」


 離しかけた手を、妹が握り直す。


(もう少し……か)


 十年前は、本当に少しだった。


『お姉ちゃんなんだから、分けてあげて』


 身体の弱かった妹を助けたくて、私は頷いた。

 妹が元気になってからも、毎朝続けた。

 

 授業があるから。試験があるから。先生に褒められたいから。


 そうして、渡す量は増えていった。


「ありがとう、お姉様。先生にも言われたの。こんなに魔力の多い令嬢は珍しいって」


 妹が部屋を出ていく。

 私は少し休んでから、冷めた朝食に手を伸ばした。


 ――その夜、父の書斎に呼ばれた。


「アルベルト殿との婚約を、ミリアに譲ってほしい」


 父の隣には、母とミリアがいた。

 私の座る椅子は用意されていなかった。


「……私の婚約者を、ですか?」


「レイン侯爵家は魔術師の名門だ。魔力の少ないお前より、ミリアの方が相応しい」


 魔力の少ない、お前。


 今朝、私の魔力を受け取った妹は、当然のように父の隣に座っていた。


「エレナ。お姉ちゃんなんだから、妹の幸せを考えてあげて」


 母が、いつもの言葉を口にした。

 ミリアが申し訳なさそうに目を伏せる。


「ごめんね、お姉様。私も最初は断ったの。でも、お父様とお母様が、私の方が相応しいって」


「アルベルト様は、何と?」


「これから話す。ミリアほどの魔力がある娘なら、先方も喜ぶだろう」


 アルベルト様には、まだ話してもいない。

 私の気持ちも、完全に無視だ。


「……嫌です」


 三人が私を見た。


 聞こえなかったのだろうか。


 それとも、私がそう言うとは思わなかったのだろうか。


「アルベルト様との婚約は、譲りません」


「何を言っている。お前には別の相手を探してやる」


 新しいドレスも、一つしかないお菓子も、妹に譲ってきた。


 母と出かける約束だって、ミリアが泣けば留守番になった。


 次はお前の番だと言われ、その次も譲った。


 でも、アルベルト様は。


 別の誰かを用意してもらえば、それでいい人ではない。


「私は、あの方が好きなんです」


「ミリアだって好きなのよ。お姉ちゃんでしょう?」


 母は困ったように眉を下げた。


 聞き分けのない子を、なだめる顔だった。


「では、私の気持ちはどうなるのですか」


「お前が我慢すれば、丸く収まる」


 父は、ためらいもせずに言った。

 ミリアが嬉しそうに母を見る。


 もう決まったと思ったらしい。


 十年間、そうだった。


 私が頷けば、みんな笑ってくれた。

 それが嬉しくて、苦しくても頷いてきた。


「……分かりました」

「ようやく分かったか」


「では、皆様とは今日限りで縁を切ります」

「何?」


「家族だから、姉だから。そう言われて、ずっと譲ってきました。でも、もう嫌です」


「家族を捨てるつもりか!」


 机を叩く音に、肩が跳ねた。


 反射的に謝りそうになる。

 私は両手を握りしめた。


「その『家族』の中に、私はいるのですか!?」


「……」


「私に我慢させることしか考えてくださらないのなら、もう家族ではいられません」


「待って、お姉様」


 ミリアが立ち上がった。


「ごめんなさい、ミリア。でも、私は――」


「明日の分は、どうするの?」


 一瞬、何の話か分からなかった。

 妹は自分の手を差し出していた。


「魔力よ。明日、試験だって言ったでしょう?」


 私が家を出ると聞いて、この子が心配したのは、それだった。


「もう渡しません」

「困るわ!」

「自分の力で、試験に臨んでください」


 差し出された手を取らず、書斎の扉へ向かう。


「出ていくなら、侯爵家との縁談もなくなると思え!」


 足が止まった。

 胸が痛んだ。

 けれど、ここで振り返れば、私は明日も妹の手を握る。


「アルベルト様には、私からお話しします」


 私は、自分で扉を開けた。


 ◇


 自室へ戻り、着替えと少しの貯金を鞄に詰めた。


 それから、アルベルト様にいただいた手紙も。


 屋敷を出ようと廊下を歩いていると、書斎から母の声が聞こえた。


「放っておきなさい。どうせ、すぐに帰ってくるわ」


 追いかけてくる足音は、ひとつもなかった。


 門を出て、辻馬車を呼ぶ。

 行き先は決めていた。


「レイン侯爵家へ、お願いします」


 遅い時間に訪ねるのは失礼だと分かっていた。

 それでも、父より先に伝えたかった。

 私が、あの人との婚約を望んでいることを。


 屋敷に着くと、使用人がすぐに中へ通してくれた。


 応接室へ入ったところで、膝が折れかける。


「エレナ!」


 駆け寄ってきたアルベルト様が、私の腕を支えた。


「どうしたんだ。その荷物は?」

「夜分に、申し訳ありません」

「まずは座ろう。話はそれからでいい」


 ソファに座らされ、肩に毛布を掛けられた。

 温かいお茶が運ばれてくる。


 アルベルト様は、私が一口飲むまで待っていた。


「父が、私ではなく妹と婚約していただきたいと申しております」


 向かいに腰を下ろした彼の表情が変わった。


「ミリア嬢に?」


「はい。魔力の多い妹の方が、侯爵家に相応しいからと」


 カップを置こうとして、受け皿にぶつけてしまった。


 小さな音が、やけに大きく響く。


「私は、お断りしました。でも、父は……」

「私も断る」


 顔を上げた。

 アルベルト様は、まっすぐに私を見ていた。


「私はエレナと婚約したのであって、ミリア嬢と婚約した覚えはない」


「でも、家を出てきてしまったんです。父は、それなら縁談もなくなると」


「君のお父上が何と言おうと、私の気持ちは変わらない」


 ほっとして、息が漏れた。


「……エレナ?」

「はい?」

「これを使うといい」


 差し出されたハンカチを見て、初めて自分が泣いていることに気づいた。


 ああ、私。

 ここへ来るまで、ずっと怖かったのだ。


「お見苦しいところを……申し訳ございません」

「そんなことはいい。君は、どうしたい?」


 急かさずに尋ねられた。

 私はハンカチを握り、膝の上へ視線を落とした。


「……あなたの婚約者で、いたいです」

「よかった」


 アルベルト様も、深く息をついた。


「私だけがそう思っていたら、どうしようかと思った」


 いつも穏やかなあの人の指が、ぎゅっと組まれていた。


 怖かったのは、私だけではなかった。


「私が、あなたを妹に譲りたいと思うわけがありません」


「うん。ありがとう」


 そこで初めて、彼が笑った。

 私も、涙に濡れた目で笑った。


 ◇


 落ち着いてから、家であったことを話した。


 妹に魔力を渡していると言うと、アルベルト様の顔が曇った。


「今も続けているのか?」

「はい。毎朝」

「ミリア嬢は、もう元気だろう?」

「授業で使うんです。足りなくなったら困るからって」


 アルベルト様は、しばらく黙っていた。


「君がいつも疲れていたのは、そのせいか」


 お茶会の途中で席を外したことがある。

 庭を歩いていて、休ませてもらったことも。

 そのたびに、私は自分が情けなかった。


「体力がないだけです。昔からですから」

「魔力を渡し始める前も?」


 答えようとして、口を閉じた。

 子どもの頃は、庭を走っていた。

 木登りをして、母に叱られたこともあった。


 いつからだったのだろう。

 階段の途中で、息を整えるようになったのは。


「……覚えていません」


 アルベルト様は私の手を見た。

 カップを包んでいても、まだ指先が冷たい。


「医師を呼んでもいいか。魔力による不調に詳しい人がいる」


「今からですか? でも、私はいつもこうですし」

「いつも苦しいなら、なおさら診てもらおう」


 その言葉に、返事ができなくなった。


 母には、よく言われた。


 お前は昔から疲れやすいのだから、仕方ないでしょう、と。


 仕方ないことでは、なかったのだろうか。


 呼ばれた医師は、私の手に触れ、顔色を確かめた。


 魔力を渡す量を聞かれ、妹がもういいと言うまでだと答える。


「途中で、気分が悪くなることは?」

「あります。でも、少し休めば動けます」

「そのことは、ご家族に?」

「最初の頃に。妹の方が大変なのだからと、言われました」


 医師が顔を上げた。

 何かを言いかけて、それから静かに頷いた。


「今夜は休んでください。魔力の譲渡は、すぐにやめましょう」


「やめても、大丈夫なのでしょうか。妹の身体は」


「今も治療に必要なのか、妹さんは改めて診察を受けるべきです。ですが、あなたが倒れるほど渡し続けていい理由にはなりません」


 アルベルト様が、私の肩の毛布をかけ直した。

 私はそれ以上、妹のことは口にしなかった。


 翌朝。


 誰かに起こされる前に、目が覚めた。

 昨夜のことを思い出す。


 寝台の端に座って、少し待った。


 扉は開かない。

 魔力をもらいに来る人はいなかった。


 着替えて廊下へ出ると、アルベルト様が待っていた。


「よく眠れた?」

「はい。……あの」

「どうした?」

「朝って、こんなに身体が軽いものなんですね」


 彼の足が止まった。

 私は二、三歩先まで進んでから、振り返る。


 たったそれだけのことが、嬉しかった。


「まだ、疲れていないんです」


 アルベルト様は笑わなかった。

 私のところまで来ると、そっと背中に手を添えた。


「これからは、それが当たり前になるんだ、エレナ」


 ◇


 朝食のあと、昨夜の医師が魔力の測定器を持ってきた。


 水晶に手を置くと、目盛りが上がっていく。

 途中で止まると思っていた。

 針は上がり続け、一番上で動かなくなった。


「……壊してしまいましたか?」

「いいえ。測れる上限を超えています」


 医師が、私の手を水晶から離した。


「これほどの魔力をお持ちだったのですね」

「私が?」


 思わず聞き返した。


「私は、魔力が少ないのではないのですか」

「毎朝、大量に渡した後に測れば、残りは少なくなります」


 年に一度の測定を思い出す。


 父と母は、いつも妹を褒めていた。

 それに比べてお前は、と言われた。

 その日も、朝には妹の部屋へ行っていた。


「……渡す前に測ったことは、一度もありません」


 アルベルト様が、ゆっくり息を吐いた。


「君がミリア嬢に渡した分まで、君と妹を比べる材料にされていたのか」


 胸の奥が痛くなった。

 私は、あの測定が嫌いだった。

 妹が褒められるたび、一緒に喜ばなければと思っていた。


 それでも、父がこちらを見るのが怖かった。

 少しでも魔力が多ければ。

 もっと役に立てれば。

 あんな顔をされずに済むのに、と。


「では、私は……出来損ないでは、なかったのですか」


「エレナ」


 アルベルト様の声に、顔を上げる。


「君をそう呼んだ人が、間違っていたんだ」


 手を見下ろした。


 十年間、何度も役立たずだと思った自分の手だった。


 医師が椅子を寄せた。


「魔力の量とは別に、お伝えしなければならないことがあります」


 その声に、私は背筋を伸ばした。


「魔力が回復しても、身体への負担がすぐになくなるわけではありません。あなたは十分に休まないまま、毎日、大量の譲渡を繰り返してきた」


「……はい」

「これ以上続ければ、命に関わります」


 アルベルト様が、私の隣で身じろぎした。

 私は、すぐには言葉の意味を飲み込めなかった。


「眠れば、戻るものだと」

「魔力は戻っていたでしょう。ですが、そのために身体を酷使していたのです」


 少し休めば、また動けた。

 だから平気だと思っていた。

 動ける間は、まだあげられるのだと。


「私は、命を削っていたのですか」


 医師が頷いた。


「まずは身体を休めましょう。今やめれば、回復を目指せます」


 膝の上で、指が震え始めた。

 昨日も、もう少しと言われて渡した。

 あのまま家にいれば、今朝も同じことをしていた。


「……出てきて、よかったんですね」

「ああ」


 アルベルト様が、すぐに答えた。


「来てくれて、本当によかった」


 背中を丸めると、涙が膝に落ちた。

 誰も、泣きやみなさいとは言わなかった。


 ◇


 その日の午前、ミリアは魔法の試験を受けていた。


「フレイム!」


 杖の先に、小さな火が灯った。

 指先ほどの炎は、すぐに消えた。


 教室が静まり返る。


 いつもなら、的を炎で包めるはずだった。


「……もう一度、お願いします」


 許可を得て、杖を振る。

 結果は同じだった。


「今日は、調子が悪いようだね」


「違うんです。姉が、今朝の魔力をくれなくて……」


 口にしてから、ミリアははっとした。

 教師の採点する手が止まった。


「お姉さんから、毎朝魔力をもらっているのか?」

「……いいえ。何でもありません」


「君の魔力として提出された測定値も、お姉さんからもらった後のものか?」


 ミリアは頷きかけ、慌てて動きを止めた。

 教師は採点表を伏せた。


「今後の成績は、自分の魔力で受け直した試験で判断します。ご両親にも説明しましょう」


 ミリアの手の中で、杖が震えていた。


 試験のあと、学校の医師による診察も受けた。

 

 かつての病気は治っており、治療のために魔力を補う必要はないと告げられた。


 ◇


 三日後。


 私は、侯爵家の客室でお茶を飲んでいた。

 窓の外では、庭師が花壇の手入れをしている。

 何もせずに眺めていると、落ち着かなかった。


「私に出来ることは、ありませんか」


 様子を見に来たアルベルト様に尋ねる。


「帳簿の書き写しでも、お掃除でも。これだけお世話になって、何もしないのは」


「医師から、休むように言われているだろう」

「でも、昨日も休みました」


 彼は隣に座った。


「今日は?」

「……休むほどのことを、していません」


 言ってから、手元を見る。


 毎朝、魔力を渡す。

 そうすれば、少し休んでも叱られなかった。


 今は、何もしていない。


「何かをしないと、ここにいる理由がなくなってしまいます」


 アルベルト様は、しばらく黙っていた。

 それから、私のカップへお茶を注ぎ足した。


「私は、君がいてくれると嬉しい」

「……それだけで、いいのですか」

「ああ」


 返事は短かった。

 その後に頼み事が続くのを、私は待っていた。


 けれど、何もなかった。


 彼は自分のカップを持ち、窓の外を眺めた。


「あの花壇、もう少ししたら白い花が咲く。君が好きだと言っていた花だ」


「覚えていてくださったんですか」


「君が庭へ来るたびに見るからね」


 五年間のことを思い出した。


 疲れた私を休ませてくれるとき、彼はいつもあの花壇の近くを選んだ。


 私は申し訳なくて、うまくお礼を言うことばかり考えていた。


「咲いたら、一緒に見てもいいですか」

「もちろん」


 今度は、すぐに信じられた。

 私はカップを両手で包んだ。


 ◇


 翌日、実家から面会を求める手紙が届いた。


 アルベルト様は、封を切る前に私へ渡してくれた。


「会いたくなければ、断っていい」


 手紙には、帰ってこいと書かれていた。

 ミリアが困っている、とも。


 学校で魔力の譲渡を話してしまい、自分の魔力で試験を受け直すよう言われたらしい。


 私を診た医師からは、父と母にも診断書を送っていた。


 魔力の譲渡をやめ、療養する必要があること。

 続ければ、命に関わること。

 もう、知らないはずはなかった。


「一度だけ、会います」


 手紙を畳み、私は顔を上げた。


「戻らないと、自分で伝えたいです」

「分かった。私も同席していいか?」

「……お願いします」


 一人で言わなければいけないと思っていた。

 でも今は、アルベルト様にそばにいてほしかった。


 翌日の午後。


 応接室に入ってきた父は、座るなり言った。


「エレナ。もう気は済んだだろう。帰るぞ」


 母とミリアも、父の隣に座った。

 妹は私を見て、それからアルベルト様を見た。


「お姉様だけ、ずるいわ。私が大変なときに、アルベルト様と一緒にいるなんて」


「療養のために滞在してもらっています」


 アルベルト様が遮った。


「診断書は、お読みになりましたね」


「もちろんです。こちらでしばらく休めたのなら、もう十分でしょう」


 父が答えた。


 私は膝の上で握っていた手を、ゆっくり開いた。

 一度、息を整えてから口を開いた。


「まだ、休むように言われています」

「家でも休める」

「魔力は渡せません」


 父が黙った。

 ミリアが、身を乗り出す。


「次の試験まででいいの。先生が、今のままではクラスも変わるって。私、ずっと一番だったのよ?」

 

 その声には、泣きそうな響きがあった。

 私は反射的に、何とかしてあげたいと思った。

 いつものように。

 でも、手は動かさなかった。


「先生に、私から魔力をもらっていたと話したのでしょう?」


「仕方ないじゃない。急に何も出来なくなったんだもの」


「それなら、また私から魔力をもらって試験を受けても、あなたの力にはならないわ」


「黙っていれば分からないわ!」


 ミリアの声が、部屋に響いた。


 アルベルト様を見るなり、妹は顔を伏せた。


「……お姉様は、今までどおりにしてくれればいいのよ」


 父が咳払いをした。


「エレナ。妹に恥をかかせたいのか」


「他人の力を自分のものと偽る方が、恥ずかしいのではありませんか?」


「生意気を言うな。周囲はミリアを天才だと思っているんだぞ」


 知っている。

 一番近くで、聞いてきた。

 その隣で、私は何度も自分を恥じてきた。


「私のことは、魔力が少ないとおっしゃっていましたね」


「それは、測定の結果がそうだったからだ」

「ではなぜ、そんな私から魔力を奪おうとなさるのですか」


 父が口を閉じた。


「妹に渡した後に測っていたから、少なかったんです。ミリアが使っていた魔力は、私が毎朝渡していたものでした」


 母が目を伏せた。

 誰も、初めて聞いたような顔はしなかった。


「分かっていて、それでも私に渡せとおっしゃるのですね」


 父は答えなかった。

 代わりに、声を和らげた。


「ならば、話は簡単だ。お前にそれだけ魔力があるのなら、また分ければいい。以前よりも多く分けられるだろう」


 隣で、アルベルト様が息を吸った。

 私は小さく首を振った。

 

「命に関わると、書いてあったはずです」


「深刻に考えすぎだ。現に、お前は生きているではないか。多すぎるというなら、次から減らせばいい」


「誰が、その量を決めるのですか?」


 父が言葉に詰まった。


「今までは、ミリアがもういいと言うまででした。私が気分を悪くしても、少し休めば大丈夫だと」


「だから、今度は気をつければ――」

「私は、十年間もそうしてきたんです」


 自分の声が震えた。

 私は一度、息を継いだ。


「もう、やりません」


 母が、父の袖を引いた。


「あなた。その言い方では、エレナが意地になってしまうわ」


 それから、母は私に微笑んだ。


「ごめんなさいね。あなたがそんなに疲れているなんて、知らなかったの」


 その言葉を聞いて、少しだけ胸が緩んだ。

 知らなかったのなら。

 今、分かってくれたのなら。


「だから、帰ってきてちょうだい。婚約のことも、もう無理は言わないわ。あなたがアルベルト様と結婚すればいいでしょう?」


 父も頷いた。

 私はアルベルト様を見た。

 彼は、母に向き直った。


「私たちの婚約は、二人で続けると決めています。エレナを帰らせる条件にはなりません」


 母の笑顔が止まった。


「ですが、婚約を続けられるのなら、もう不満はないでしょう? 家に戻って、これまでどおりミリアの面倒を見てちょうだい」


 私は、母の顔を見つめた。


「……魔力を渡さなくても、帰ってきてほしいですか?」


 母はすぐには答えなかった。


 私は待った。

 さっきの謝罪を、信じたかった。


「エレナ。家族でしょう。そんなふうに、何もかも嫌だと言わないで」


 胸の奥が、すうっと冷えた。


 何もかも。


 たった二つ、嫌だと言った。


 好きな人を譲ること。

 身体を壊すほど魔力を渡すこと。


 それさえ、この家族の中では許されない。


「お姉様、お願い」


 ミリアが立ち上がった。

 私の前に来て、手を差し出す。


「今日の魔力、ちょうだい」


 見慣れた手だった。

 私の指が、わずかに動いた。

 十年間の癖は、まだ残っていた。

 私は自分の手を、膝の上に戻した。


「もう、あげません」

「でも、私はお姉様の妹よ!」

「ええ。だから十年間、あげてきたの」


 ミリアが唇を噛んだ。


「私が困っても、平気なの?」


 私は妹を見た。


 昔は、元気になってほしかった。

 庭を一緒に走れるようになった日には、嬉しくて、二人で母のところへ駆けていった。


 あの日の気持ちは、嘘ではなかった。


「平気ではないわ」


 ミリアの顔が明るくなる。


「だったら――」


「でも、あなたを困らせないために、私が倒れてもいいとは、もう思えないの」


 妹の手が、ゆっくり下がった。


「今ある魔力で、出来ることを覚えてね」


 私は立ち上がった。

 アルベルト様も隣で立った。


「エレナ!」


 父の声に、身体が強張る。


 私は足を止めた。

 それでも、座り直さなかった。


「本当に家族を捨てるのか。親に向かって、そんな仕打ちをして!」


 父も母も、私を見ていた。


 謝れば、まだ許してやる。

 そう言われている気がした。


「私にしてきたことを、悪かったとは思っていらっしゃらないのですね」


 誰も答えなかった。


「私は、もう帰りません」


 声は、思っていたよりはっきり出た。


「これからは、自分の身体を大切にします。誰と一緒にいるかも、自分で決めます」


 父が何かを言いかけた。

 私は最後まで聞かず、頭を下げた。


「今まで、お世話になりました」


 扉へ向かう私を、アルベルト様が追い越す。

 開けてくれた扉を、私は自分の足で通った。


 ◇


 応接室を出たあと、しばらく廊下で立ち止まっていた。


 膝が震えていた。

 アルベルト様は何も聞かず、隣にいてくれた。


「……言えました」


「ああ」


 彼の顔を見たら、泣いてしまいそうだった。

 だから、前を向いたまま続けた。


「もう、戻りたくありません」

「ああ。戻る必要なんかない」


 それを聞いて、ようやく足を動かせた。

 客室に戻ると、冷めたお茶が残っていた。

 片づけようと手を伸ばしかけて、やめる。


「少し、休んでもいいですか」

「もちろん」

 私はソファに座った。

 今度は、何もしないことを謝らなかった。


 ◇


 半年が過ぎた。


 療養を終えた私は、王立魔術院で働き始めた。

 魔力を測ってくれた医師の紹介だった。


 魔力は多くても、使い方は一から覚えなければならない。


 出来なかったことが出来るようになるのが、楽しかった。


 疲れたら休む。

 無理なことは、無理だと言う。


 それは魔法を覚えるより難しかったけれど、少しずつ出来るようになった。


 ミリアは、自分の魔力に合ったクラスへ移ったと聞いた。


 父と母からは、帰宅の催促と、私の結婚について話し合いたいという手紙が届いた。


 どちらも、お断りした。

 もう、他人だ。


 それ以降、実家から届いた手紙は、封を切らずに返送してもらっている。


 私とアルベルト様は、春に結婚する。

 いつ結婚したいかと、彼が私に尋ねてくれた。

 私は、春がいいと答えた。


「エレナ」


 仕事帰り、魔術院の門の前で呼ばれた。


 アルベルト様が待っていた。


「今日も、来てくださったんですか」

「夕食に誘おうと思って。疲れていない?」


「大丈夫です。今日は、最後まで魔法陣を描けたんですよ」


「それはぜひ詳しく聞きたいな」


 嬉しくなって、隣に並ぶ。

 彼が歩く速さを合わせてくれた。


「何を食べたい?」

「アルベルト様のお好きなもので」


 答えてから、彼を見る。


 アルベルト様は笑いながら、私の次の言葉を待っていた。


「……いえ。広場のお店の、焼きたてのパンが食べたいです」


「では、そこへ行こう」


 それだけで、行き先が決まった。

 私は少し笑ってしまった。


「どうした?」


「食べたいものを言うだけで、いいんだなと思って」


「うん。私もあの店は好きだ」


 門を離れかけたところで、ふと気になった。


「アルベルト様。どうして、私だったんですか?」


 彼がこちらを向く。


「魔力が少ないと聞いていた頃から、ずっと優しくしてくださいましたね」


「君といると、楽しかったから」


 答えは、思ったより簡単だった。


「覚えているかな。庭で私が、植えたばかりの球根を掘り返そうとしたこと」


「芽が出たか確かめたいと、おっしゃったときですか?」


「そう。君に笑われた」


 思い出して、口元が緩んだ。


「だって、毎日掘っていたら、花も落ち着いて咲けません」


「今と同じ顔で、そう言ったんだ」


 アルベルト様が私を見る。


「そのあとも、君と話したくなった。次に来る日が、楽しみになった」


 役に立った覚えのない日のことを、あの人は覚えていた。


 ただ一緒にいて、笑っていた日のことを。


「……私もです」


 私は彼に向き直った。


「あなたに会う日が、楽しみでした。家を出た日も、あなたと離れるのだけは嫌だったんです」


 今なら、言えた。


「私、あなたと一緒にいたいです」


 アルベルト様は目を見開いた。

 それから、嬉しそうに笑った。


「私もだ。エレナ」


 彼が歩き出そうとする。

 私は、その袖をそっと引いた。


「あの。もう一つ、お願いしてもいいですか?」

「もちろん」


 私は、彼の目を見た。


「手をつないで、歩きたいです」


 アルベルト様の頬が、少し赤くなった。


「……私も、そうしたかった」


 差し出された手を、私は握った。

 温かな指が、そっと握り返してくれた。


「食事のあとも、このまま一緒に帰りたいです」

「よろこんで」


 私は、その手を少し強く握った。


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