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子爵家に来て一か月。子爵と母が正式に再婚をしたことで、私の名前はクロエ・バイヤールとなった。
アドルフさまをお父さま、ルイーズをお姉さまと呼ぶのも慣れてきたと思う。そしてこの一か月は、環境に慣れる一か月でもあった。
元々住んでいた伯爵家の屋敷よりもこじんまりとしていても、そこはやっぱり貴族の屋敷。部屋数はそれなりにあり、使用人もそれなりにいる。
その把握や使用人たちとの関係構築。新しく家族になった子爵親子との関係構築などかなり頑張った。
使用人には詳細を省きつつも、私たち親子を向かい入れた理由を話してくれていたみたいで、嫌われることはなかった。もしかしたら、嫌がらせでも受けるのかと思っていた自分が恥ずかしい。
だってここの使用人たちは、亡き子爵夫人を慕っていたというし、その忠誠心は生家の伯爵家の者達よりも高いと思えるほどだったから。
それなのに、嫌がらせどころかあれこれ不便はないかと細心の配慮をしてくれて、こちらが申し訳なく思うほどだった。
それからもう一つの心配事。後妻におさまった母の指示に従てくれるのかも心配し損だった。
家裁は妻の仕事の一つなので、子爵家の中は母が取り仕切る。
伯爵家に比べそれほど難しくはないとはいえ、母の指示を聞いてくれるのかとちょっと覗き見したら、なんだかすんなり受け入れ得られていた。
母は亡き前子爵夫人の面影を取り払うのではなく、そこにひと手間加え屋敷を整えていったことが功を奏したらしい。それにあの母の性格も警戒するだけ馬鹿らしくなるのだろう。
普段はおっとりとした態度なのに、いざこれと決めたら頑として譲らない。
そして高位貴族出身にも関わらず、使用人を丁寧に扱う。無茶苦茶な要求もしないし、なんなら一目見て相手の不調を見抜き休みを与える。理想の女主人を地でいく人だから。我ながら自慢の母だ。
そうこうして、一か月。慣れには慣れてきたが、一つだけ難しい問題に直面している。
そう、ルイーズことお姉さまである。
彼女は天の邪鬼な性格なのか、実に素直じゃない。始めは挨拶を無視され、物を隠されとイジワルをされた。私も最初は頑張ってみたが、さらに意固地になってしまったので、今度はやられたことをやりかえしてみた。
無視には無視を、紛失には紛失を、嫌味には嫌味を。十歳のすることなど些細で可愛らしいもの。こっちはたぶん精神年齢かなり上なので、にこやかに対応してあげた。
その様子を見ていたお父さまはヤレヤレと苦笑いし、母――お母さまは相変わらず歳相応じゃないと呆れていたけれども。
そんな攻防を一か月繰り返し、とうとうお姉さまは部屋に閉じこもってしまった。
「お姉さま、私です。開けてもらえませんか?」
「い、いやよ!」
「でも開けてもらえないと、ラ・フルールのケーキが……」
私の真横にはカートに乗せられた茶器とケーキが置かれてある。
お茶の時間に来なかったお姉さまの分を、使用人が運ぼうとしたところに遭遇し、私が運びたいと無理を言って運んで来たのだ。
今日のケーキは人気店の限定物。お父さまが家族――とりわけお姉さまのために手を尽くして入手した一品。人気店のケーキなだけあり、舌の肥えた私でも大満足する美味しさだった。
「ケーキが……ケーキが私の胃袋に消えちゃいますよ!」
「そ、そんなのダメよ!!」
残ったら私が食べていいといった約束はないし、なんならお姉さまのために買ってきたケーキなので、彼女のためにそっと夕食のデザートにでも出す予定のはずだが、そこはしれっと無視をする。
私の脅しに反射的に扉を開け放ったお姉さまに、にっと笑いかける。
「やっとでてきてくれた!これ、お父さまがお姉さまのために買ってきたケーキなんですよ。美味しいうちに食べないとお父さまが悲しみます」
「……いただくわ。だからさっさと消えてくれないかしら」
「イヤです。だって私がいなくなったら、お姉さま一人ですよね? それってなんだか寂しいじゃないですか!」
「コレットがいるわ」
「コレットがいても寂しいです! 寂しいお茶は美味しくないって、お茶は楽しんだもの勝ちだってお母さまも言ってました!」
「お嬢様、それは意味が少し違うよう気がしますが……」
私の言い分に付き添いの使用人のコレットが呟く。ええ、私も分かっている。嫌味の応酬のお茶会は、楽しんだもの勝ちって意味だってこともね。
でもここは子供の特権を生かして、無邪気に「違うの?」とでもとぼけてやる。普通の子供は難しいことは分からないものだもんね。
「さあさあ、お茶の準備もあるんですから入りますよ!」
「あ、ちょっと!」
部屋の入り口で押し問答なんて時間の無駄だし、さっさと押し入ってしまった方が勝ち。
ちょっと押手が高いけれど、それでもカートを押して強引に部屋に入り込む。
コレットは苦笑いで私の補助をしてくれて助かった。入り口ってちょっとした段差があるから、押しずらいんだよね。
「ルイーズお嬢様、お茶が冷めては美味しくありませんから、諦めてくださいませ」
「コ、コレットまで……っ」
「それに、このままではいけないことくらい、聡明なお嬢様は理解していらっしゃりますよね?」
再婚後、私たち母子を避けている自覚があるのか、お姉さまはくっと顔を顰めた。
一応食事は一緒だけど、それ以外はあまり顔を合わせないようにしているものね。
意識していなければできないことだし、意識しているということは、こちらが気になっているということ。
まだ心の中の整理ができていないだけで、私たち母子を本気で嫌っているわけじゃないのがわかる。
嫌味だって可愛らしいく「こんなことも出来ないの?」程度だし、物を隠されても次の日には元の場所に戻されているくらい。無視は朝の挨拶の時だけだった。
それに私は知っている。嫌がらせをした後「こんなこと、本当はしてはいけないって分かっているわ」と呟いていたことも。
どう接すればいいのか、彼女なりに探りながら頑張っているのを知っているから、こちらも嫌えないのだ。
「う……。わ、わかったわよ!す、少しの間なら一緒にいてもいいわ」
「やった!お姉さまありがとうございます!」
ふふ、強引だったけれど私の勝ちだね。
きゃっきゃと笑う私の後ろで、コレットが「この強引さ奥様にそっくりです」とこぼしていたのは聞かなかったことにした。




