15
仕立てのいい馬車が屋敷の前に停まっている。
とうとう二人を帰すための魔法が完成したとして、ハルトの迎えに王宮が馬車を寄越したからだ。
一年と一か月。それが彼がこの世界で過ごした時間。
こちらの時間の流れが、彼らの世界と同じならば、二人は向こうの世界で一年以上行方不明になっていしまっていると思う。
それが彼らにどんな影響をもたらすのか、私たちに知るすべはない。ただ不幸なことになっていませんようにと願うことしかできない。
「今までお世話になりました。みなさんと出会えてよかった。この一年間楽しかったです」
「私たちも楽しかったよ。最初の頃はどうなるかと思っていたが、君のおかげでみんな楽しく過ごせた。ありがとう」
ハルトとお父さまは、お互いの手を握り締め言葉を交わした。
少しの寂しさと大きな安堵に包まれながら、ハルトが最後の挨拶をそれぞれに言っていく。
「奥様も本当にありがとうございました。このお屋敷が居心地が良かったのは、奥様が何かと配慮してくださったからです」
「まあ、私はなにもしていないわ。そう思えるのは、貴方が努力し皆と打ち解けようとしたからよ。元の世界に帰っても元気でね」
「はい」
朗らかに笑いながら、お母さまの目に少しだけ涙が浮かんでいる。
この一年、使用人でもお客さまでもなく、家族のような関係を構築してきたからの涙に、私もつられて溢れた涙を目を袖で拭った。
「クロエお嬢様、そう乱暴に拭っては目を傷つけますよ」
「だってぇ! ハルトともう会えなくなると溢れてきちゃうんだもん!うぅ……寂しいよ……」
ぐずぐず泣く私と視線を合わせるように腰を落とし、ハルトはポンと頭に手をのせ軽く撫でてくれた。
「私も……俺も寂しいよ。君はお転婆で目が離せなくて、そしてオマセさんで、それでもカワイイ子で、妹のように思ってる。
俺は帰ってしまうから、君を注意する人は少なくなってしまうし、もうお転婆は控えるように。貰い手が見つからなくなってしまうからね」
「さ、最後の最後にお説教なんて卑怯よ~!」
今までちょっと注意するだけで、あとは褒めてくれたり一緒にバカやったりしてたのに、最後に本当のお兄さんのようなお説教は涙腺にくるわ。
えぐえぐ泣く私の頭をもう一度撫でお父さまに預けると、ハルトは私の隣にいたお姉さまに声をかけた。
「ルイーズお嬢様もお世話になりました。改めて振り返ると、クロエお嬢様と違い、ルイーズお嬢様とは勉強の話ばかりでしたね」
「そ、そうね。でもお互い切磋琢磨できて楽しかったわ。ハルト、今日までありがとう」
「はい。俺も勉強がここまで楽しいなんて思ったことがなかったから、お嬢様と一緒に勉強できてよかった。
ルイーズお嬢様。あなたは誰よりも努力家で誇り高くて、俺にはとても眩しく思える存在だった。あなたのその努力は将来にきっと役に立つはずです。
でもどこかで息が詰まりそうになったら、気が許せる人に寄りかかって息抜きをしてくださいね」
「……ええ、わかったわ」
微笑むハルトと対照的に、お姉さまの返事は素っ気ない。
でもその手が僅かに震えていることに彼は気づいたのか、そっとお姉さまの手を取り優しく笑った。
「きっとあなたは、誰よりも誇り高く美しいご令嬢になります。その誇り高い花を見守れないのが、少しだけ寂しいですが、どうか元気に過ごしてください」
「わ、私も……寂しいわ。少しだけ。ほんの少しだけよ」
お姉さま、最後の最後まで素直じゃない。もう!じれったいな!
私は引っ付いていたお父さまから離れ、後ろで控えていたコレットに「あれを!」と声をかける。
コレットはひと頷きすると、執事に許可をとり一歩前に進み、そっと薄青の布をお姉さまの前にさし出した。
「お嬢様、これを」
「そ、それ……っ!なぜあなたが持っているの!?」
「それは私が教えたからです!」
エッヘン!と胸を張り、お姉さまに向かって「後悔しちゃダメですよ!」と後押しする。
お父さまとお母さまは何のことか分からず、首を傾げつつも口を挟むことはしないでくれた。
「それはなんですか?」
「こ、これは、その……。ハ、ハンカチですわ!その、えっと……は、ハルトにはお世話になったお礼として、差し上げたいと思いましたの。ですが、その……。納得いくものが刺せなくて……。もう!どうして、今これが出てくるのっ!」
「綺麗に刺繍されてるのに仕舞いこんであたので、私の独断でハルトに差し上げることにしたんです!」
「クロエ!あなた!」と叫ぶお姉さまを無視しつつ、ハルトに手に取るよう促すと、彼は戸惑いながらもコレットから薄青のハンカチを受け取った。
「すごい……丁寧に刺繍されてる。これはクローバーと花?」
「スズランです。この国では幸運の象徴として、親しい相手に贈るんですよ」
私の説明にハルトは目を瞬かせ、感心した様子でハンカチを見ている。
「へえ。お嬢様、俺のために刺してくれていたんですね。これは頂いてもいいですか?」
「そ、そんなものでいいなら、持って行ってかまわないわ。上手く刺せてないけど……」
「そんなことはありませんよ。大事にします」
本当に素直じゃないな。まあ、それもお姉さまのいい所なんだけど。
それはハルトも分かっているからか、ふと笑いながら大切そうに持ち直していた。
「ハルト様。お時間が迫っていますので、どうぞ馬車にお乗りください」
「……あ、はい。わかりました」
王宮から来た官吏が、ハルトを馬車に促す。
ハルトは頷くと、もう一度お父さまに会釈をして馬車に乗り込んだ。
これでもう、本当にお別れだ。私は一歩前に踏み出すと「ハルト!」と声を上げる。
「私たちの事、時々思い出してね!」
馬車の中にいても私の声が聞こえたのか、ハルトは一瞬驚きそして笑いながら頷いてくれた。
そして彼を乗せた馬車は、ゆっくりと動き出し、数分もすれば見えなくなってしまった。
「ルイーズ、こちらにいらっしゃい」
「お、お母様ぁ……」
ハルトを見送り皆言葉なく玄関前に佇む中、お母様の優しい声がした。
「貴女は本当に聡くて優しい子ね。その涙はきっと、貴方を魅力的にさせてくれる糧になるわ」
「そうだね。彼が君をそうさせてくれた」
「お父さまぁ……」
ああ。二人もお姉さまの恋心を知っていたんだ。そして、それを表に出さず、一歩引いて接していたことを分かっていた。
本当にこの両親には頭が下がる。ちょっと他とは違う自覚のある私を見守っていてくれたり、少し天の邪鬼なお姉さまの真意をくみ取ったり。
他の家ならば教育と称して行動を制限するところを、叱るだけでそれほど厳しいことはしないことも。
ああ、やっぱりこの家族が好きだなぁ。この中にハルトもいてくれたら最高だったのに。
そう思うとまた涙がこみ上げてきて、私は三人の所に駆け出した。




