#9 怪異の集まる居酒屋
『宵の境』
/所在地
〒△△△-✕✕✕✕
K市第三区桜町十三丁目三十七ー八八
/アクセス
K市桜町駅三番出口より徒歩十三分
大通りから一本入った路地裏
目印:古い石造りの地蔵がある角を曲がる
/営業時間
18:00〜翌2:00
ラストオーダー: 1:30
/定休日
不定休
満月の夜と新月の夜は休業
/店内のルール
店内での喧嘩・争いは厳禁
禁煙(魔除けの効果があるため)
人間の客は「店を認識できる者」のみ
客の正体を無理に暴こうとする行為は禁止
とある日の夜。クロと玖壱は、繁華街から少し外れた場所にある居酒屋に来ていた。
古びた雑居ビルが立ち並ぶ路地裏の一角に、小さな看板が掲げられている。
『宵の境』
シンプルな木製の看板に、達筆な文字で店名が書かれている。一見すると、普通の小料理屋のようだ。
だが、クロには分かった。この店からは、微かに怪異の気配が漂っている。
「ここは……」
「『宵の境』。怪異たちが集まる居酒屋やな」
玖壱は軽い調子で言った。今日は素顔で、カジュアルな服装をしている。
「怪異が集まる店、ね」
「せや。知っとると思うけど、人間の世界に溶け込んで生活している怪異も多い。そういう連中が、仕事終わりに一杯やるための店や。まあ、人間も入れることは入れるけどな。ただし、この店を認識できる人間だけや」
玖壱はそう言って、店の扉を開けた。
♢♢♢♢♢
店内に足を踏み入れると、酒の匂いが漂っていた。カウンター席とテーブル席が並ぶ、こじんまりとした居酒屋だ。しかし、ここにいる客たちは明らかに普通ではない。
カウンター席には、屈強な体格の男が座っている。テーブル席では、若い女性が仲間と笑い合っている。奥の席には、青白い顔色の老人が、静かに酒を飲んでいる。
怪異だ。
一見すると人間と変わらない姿をしているが、クロの目には彼らの本質が見える。店内にいる客の大半が、怪異だった。だが、店内の雰囲気は穏やかだった。客たちは皆、リラックスした様子で酒を楽しんでいる。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、声が聞こえた。そこには、人間の姿をした店主が立っている。だが、その瞳は金色に光っており、人間ではないことが窺える。
「久しぶりやな、店主はん」
「おお、玖壱か。今日は連れがいるんだな」
店主は玖壱を見て、にこりと笑った。そしてクロに視線を向ける。
「初めて見る顔だな。あんたも公安関係者か?」
「いや、俺は探偵だ」
クロは短く答える。店主は興味深そうにクロを見つめた後、カウンター席を示した。
「ほお、探偵さんか。まあ、座ってくれ。ここでは人間も怪異も関係ない。皆、平等に酒を楽しむ場所だ」
玖壱とクロはカウンター席に座った。店主が水を出し、メニューを渡してくる。
「飲み物は何にする?」
「うちは、いつもので」
「俺も同じで」
店主は頷き、奥へと消えた。しばらくして、二人の前に徳利と猪口、そしてお通しが置かれる。玖壱が徳利を持ち、クロの猪口に酒を注いだ。
「さ、飲もうや」
二人は猪口を合わせ、酒を口に含んだ。辛口の日本酒が、喉を通っていく。
「なかなか珍しい店だな」
「やろ? ここは、人間の世界で暮らす怪異たちの憩いの場や。普段は人間に紛れて生活しとるから、こういう場所で気を抜くんやろな」
玖壱の言葉に、クロは頷いた。
「人間の世界で働く怪異か……、意外と多いんだな」
「せや。怪異の中には、人間にはない特殊な能力を持っている者もおる。その能力をうまいこと活用して生活している連中も多いんよ」
玖壱は続けた。
「例えば、あそこにおる屈強な男。あれは鬼の末裔や。怪力を活かして、建設現場で働いとる。あっちの若い女性は妖狐、嗅覚が優れとるさかい、食材の目利きとして料理店で重宝されとるんや」
クロは客たちの様子を眺めた。確かに、怪異の能力を人間社会で活かすというのは重宝されるだろう。人間の世界に溶け込んで生活している怪異。一般的に怪異といえば人を襲う存在だと思われている。だが、この店にいる怪異たちは、普通に働き、普通に生活している。
「不思議だな」
「何が?」
「こうやって見ると、怪異も人間も変わらないように感じる」
クロの言葉に、玖壱は笑った。
「せやろ? 怪異には、人を襲う者と、こうやって人間と共存する者がおる。その違いは何か、クロは知っとるか?」
「知性の有無、か?」
「半分正解や」
玖壱は酒を一口飲んでから、続けた。
「人間と同等の知性があり、人間社会のルールに従うことができ、何より『人との共存を望む』怪異やから、こうやって一緒に暮らせる」
「逆に言えば、知性がなければ共存はできない」
「せや。知性のない怪異は、野生動物と同じように本能のままに動く。人を襲い、恐怖を糧にする。そういう怪異は、祓うしかない」
玖壱は少し表情を曇らせた。
「そして厄介なんが、知性がありながら人を襲う奴らや。そういう連中は、大抵が一級以上に分類される。知恵があるさかい、罠を仕掛けたり、人を欺いたりする。極めて危険な存在やな」
クロは黙って頷いた。先日のトンネルの怪異も、そうだった。電話で依頼を装い、クロを誘き寄せた。あれは、知性ある怪異の仕業だった。
「もちろん、人間と同じルールに従う努力っちゅうのも必要や。法律を守り、税金を払い、社会の一員として責任を持つ。それができる怪異だけが、こうやって人間の世界で暮らせる」
クロは徳利を手に取り、自分の猪口に酒を注いだ。ここにいる怪異たちは、皆リラックスした様子で酒nの場を楽しんでいる。普段は人間に紛れて暮らしている彼らにとって、この店は正体を隠さずにくつろげる貴重な場なのだ。
「そういえば、クロは知らんかもしれへんけど、うちの公安にも怪異はおるんやで」
「公安に?」
「せや。事実、うちの調査班のメンバーは、ほとんどが怪異や」
玖壱の言葉に、クロは少し驚いた表情を見せた。
「調査班は、場合によっては戦闘班よりも危険な仕事や。怪異の巣に潜入したり、危険な場所を調査したりする。せやから、相応の実力者しか所属を許されへん。ま、そのせいで数が足らへんのやけどな」
玖壱は苦笑した。
「怪異の方が、怪異のことをよう知っとる。それに、人間にはない能力を持っとるさかい、調査には向いとるんや。もちろん、信頼できる怪異だけやけどな」
「なるほどな」
怪異が怪異を祓う。それは、ある意味では皮肉な話だが、同時に理にかなっている。人間の信頼を得るための行動としてこれ以上のものはないだろう。
♢♢♢♢♢
それから、二人は他愛もない話をしながら酒と料理を楽しんだ。料理は和食中心でどれも絶品だった。
途中、隣の席に座っていた屈強な男が、クロに声をかけてきた。
「見ない顔だな。楽しんでるか?」
男は豪快に笑いながら、ビールのジョッキを傾けている。
「ああ、悪くない」
「そうか、それは良かった」
男は満足そうに頷いた。クロは少し考えた後、男に尋ねた。
「一つ、聞いてもいいか」
「おう、何だ?」
「怪異討伐に対して、共存を望む怪異側の意見を聞きたい」
クロの質問に、男は一瞬、驚きの色が顔に浮かんだ。だが、すぐに真剣な顔になり、ビールを置いた。
「ほお、あんたみたいな若い人が、そんなこと聞くのか」
「この店に来て、思うところがあった」
男は感心したように頷いた。
「そうか。なら、俺の考えを話してやるよ」
男はビールを一口飲んでから、口を開いた。
「人と怪異の歴史は昔から変わらねえ。人と共存する怪異も居れば、敵対する怪異も居る。それは今も昔も同じだ」
男は腕を組んで話を続ける。
「人を襲う怪異は、俺たちにとっても敵だ。そういうやつらがいるせいで、俺たちまで白い目で見られる。悪いことしたやつは、罰を受けるべきだ。それが人間だろうと、怪異だろうと、関係ねえ。だから、遠慮なくぶっ飛ばしてやれ」
男の言葉には、確かな信念が込められていた。
「そうか。ありがとう」
「いや、こっちこそ。あんたみたいに、ちゃんと話を聞いてくれる人間は少ないからな」
男は再びビールを手に取り、笑った。
「俺たちも、別に人間と敵対したいわけじゃねえ。ただ、普通に生きたいだけだ。仕事して、飯食って、酒飲んで。それだけだ」
「わかるわー」
玖壱が相槌を打つ。
「人間も怪異も、やりたいことの本質は大して変わらへんからな」
「そういうこった」
男は満足そうに笑い、追加の酒を頼む。
「……貴重な話が聞けたな」
「せやな。結局のところ、人も怪異も、それぞれの立場で生きとるだけや。大事なのは、お互いを理解しようとする姿勢やな」
玖壱の言葉に、クロは黙って頷いた。
時刻は零時を過ぎていた。店内の客も、少しずつ減ってきている。玖壱が勘定を済ませ、二人は店を出た。
♢♢♢♢♢
繫華街の喧騒が、遠くから聞こえてくる。酒が回っていることもあり、夜風が心地よい。
「どうやった? 初めての『宵の境』は」
「なかなか良かった。また来たいな」
「せやろ? あの店は、ほんまにええ店や」
玖壱は満足そうに笑った。
「人と怪異が一緒に酒を飲める場所。それが『宵の境』や。そういう場所が、もっと増えればええんやけどな」
「そうだな」
クロは頷いた。人と怪異の共存。それは簡単なことではない。だが、不可能なことでもない。『宵の境』のような場所が存在することがその証だ。
お久しぶりです。Wright/__です。
お酒は全く飲まないので、居酒屋の解像度は低めです…。
ちなみに、玖壱は『宵の境』の常連なので、ほかの客とはそれなりに仲がいいです。




