#7 <!>
<!>標識は、「その他の危険」を知らせるものであり、言葉では説明できない"ナニカ"に対しての警告だと噂されることもある――。
………
……
…
───玖壱に誘われて食事に出かけた日のこと。
クロは食事中に一本の電話を受けた。テラスの端へと移動し、画面に表示された知らない番号に対して通話ボタンを押す。
「もしもし」
『あの, こちら怪異探偵さんのお電話でしょうか?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、若い男性の声だった。だが、その声には妙な違和感があった。抑揚が不自然で、まるで台本を読んでいるかのような。クロは一瞬そのことに引っかかりを覚えたが、あまり気にしないことにした。
「そうだ」
『あ, よかった. 実は依頼をお願いしたくて……』
クロは片手をポケットに突っ込み、街路樹の葉が揺れる音を聞きながら男の話に耳を傾けた。
大学のサークルで心霊スポットに行く計画があり、彼はその場所選びを任されたという。心霊的な噂はあっても実際には危険がない場所を探しており、とあるトンネルを見つけたので事前に調査してほしいとのことだった。
「場所は?」
『市の外れにある旧道のトンネルです. 詳しい住所は……』
男が教えてくれた場所は、クロも名前だけは聞いたことがある廃トンネルだった。数十年前に新しい道路が開通してから使われなくなり、今では地元の人間すら近づかないという場所だ。
「わかった。明日にでも調査しよう」
『本当ですか. ありがとうございます』
報酬の話を軽く済ませ、クロは通話を切った。別に難しい依頼ではない。トンネルを一通り調べて、報告すればいいだけだ。そう思いながら、クロはテーブルへと戻っていった。
♦♦♦♦♦
翌日の昼過ぎ。クロは一人、タクシーの後部座席に座っていた。窓の外を流れる景色は、次第に市街地から郊外へと変わっていく。運転手は中年の男性で、バックミラー越しにちらりとクロを見た。
「お客さん、本当にあの辺まで行くんですか?」
「ああ」
「あそこは何にもないですよ。昔の道路が残ってるだけで、今じゃ誰も通らない。若い人が心霊スポット探しで行くことはあるみたいですけど」
運転手は少し心配そうな口調で言った。クロは短く答える。
「仕事だ」
「そうですか……。まあ、気をつけてくださいね」
それ以上、運転手は何も聞いてこなかった。クロは窓の外を眺めながら、腰に差したナイフの位置を確認する。やがて、周囲の景色は森林へと変わり、舗装された道路も古びて見えるようになった。
「この辺で止めてくれ」
クロが声をかけると、運転手はゆっくりと車を停めた。
「本当にここでいいんですか? 帰りのタクシーなんて、この辺じゃ拾えませんよ」
「問題ない」
クロは料金を払い、車を降りた。タクシーが走り去る音が遠ざかり、やがて静寂だけが残された。周囲には人の気配がまったく感じられない。昼間だというのに、木々に囲まれた旧道は薄暗く、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。
クロは深く息を吸い込み、目的の場所へと歩き始めた。舗装は所々剥がれ、雑草が生い茂っている。明らかに長い間、人が通った形跡がない。足元に注意しながら、慎重に進んでいく。
しばらく歩くと、前方に何かが見えてきた。道の脇に立っている、黄色いひし形の標識。近づいてよく見ると、<!>マークだ。
「……ふむ」
クロは立ち止まり、標識を見上げた。注意を促すための標識だが、廃道に設置されているのは特別おかしいというわけでもない。クロは歩き続けた。
さらに進むと、また<!>マークの標識が現れた。そして、また一つ。道の脇に点々と、<!>の標識が続いている。クロは眉を寄せた。一つや二つならともかく、これは多すぎる。まるでトンネルへ近づくなと警告しているかのように、<!>の標識の数は徐々に増えていった。
最初は片側に一つだったのが、両側に一つずつになり、やがて数メートルおきに並ぶようになる。クロは足を止め、周囲を見渡した。<!>標識が、まるで道の両脇を埋め尽くすように立ち並んでいる。「これより先へ進むな」と、叫んでいるかのように。
「……異常だな、過剰すぎる」
クロは呟いた。これは明らかに普通ではない。誰かが意図的に設置したのか、それとも怪異の仕業なのか。嫌な予感がクロの背筋を撫でる。だが、依頼を受け、ここまで来た以上引き返すのも憚れる。クロは警戒を強めながら、<!>標識の列の間を進んでいった。
やがて、視界の先に巨大な黒い穴が現れた。
トンネルだ。
入口は崩れかけており、コンクリートの壁には無数の亀裂が走っている。
クロは足を止め、トンネルの周囲を観察した。左側は崖になっており、下を覗き込むと深い谷が広がっている。そして右側には、山の斜面から流れ込んだのか、大量の土砂がトンネルの壁にかかっていた。今にも崩れ落ちそうなほど、不安定な状態だ。土砂の一部は既にトンネルの入口付近にまで流れ込んでおり、長い年月の間に少しずつ崩れてきたことが分かる。
「……危ないな」
これは物理的にも危険な場所だ。地盤が不安定で、いつ崩落してもおかしくない。心霊スポットとして訪れるには、別の意味で危険すぎる。
クロはポケットから懐中電灯を取り出し、トンネルの入口へと近づいた。壁に手を当てると、ひんやりとした感触が伝わってくる。内部を照らすと、真っ直ぐに続く暗い通路が見えた。長さはおそらく二百メートルほどだろう。反対側の出口から、わずかに光が差し込んでいる。
「行くか」
クロは息を整え、トンネルの中へと足を踏み入れた。足音が壁に反響し、不気味な音を立てる。懐中電灯の光が壁を照らすと、古びた配管や錆びた金属の残骸が見えた。天井からは水滴が滴り落ち、規則的な音を立てている。
数歩進むごとに、クロは立ち止まって周囲を確認した。怪異の気配を探るが、今のところ何も感じられない。ただの廃トンネル。それ以上でも以下でもないように思える。
トンネルの中ほどまで来たとき、クロは壁に何かが書かれているのに気づいた。懐中電灯を向けると、そこには無数の落書きがあった。日付や名前、意味不明な記号。中には「戻れ」という警告めいた文字もある。
心霊スポットとして有名な場所なら、こうした落書きがあるのは珍しくない。
そのまま進み続け、クロはついに反対側の出口へと辿り着いた。外に出ると、目の前には木々が生い茂っていた。いや、木々どころではない。雑草や低木、蔦が絡まり合い、完全に道を塞いでいる。まるで誰も通らせないと言わんばかりに、自然が道を飲み込んでいた。
「行き止まりか」
クロは周囲を見回した。<!>標識は、こちら側には一つもなかった。クロは少し考えた後、来た道を引き返すことにした。どのみち、これ以上先へは進めない。
再びトンネルの中へと入り、今度は入口へと向かって歩き始めた。往路では気づかなかった細部にも注意を払いながら、壁や天井を丹念に調べていく。だが、やはり怪異の痕跡は見当たらない。
「結局何もなかった……か」
クロは小さく呟いた。拍子抜けするほど、何も起こらない。このまま調査を終えて、依頼人に報告すればいい。そう思いながら、クロは出口へと向かった。
そして、トンネルの入口から外へ出た瞬間、クロは凍りついた。
目の前に広がっていたのは、<!>標識の海だった。
往路では木々に隠れて見えていなかったのだろう。トンネルの入口を取り囲むように、無数の<!>標識が立ち並んでいる。その数は百や二百ではきかない。道の両脇どころか、森の中にまで、ありとあらゆる場所に<!>標識が設置されていた。
そして、全ての標識が同じ方向を向いていた。
トンネルだ。
まるで「ここに"ナニカ"がいる」と警告するかのように、全ての<!>標識がトンネルの入口を指し示している。クロの背筋に悪寒が走った。
「これは……」
その瞬間、背後から強烈な気配を感じた。殺気。それも尋常ではない。クロは反射的に横へ飛び、同時に腰のナイフを引き抜いた。
直後、クロが立っていた場所を、巨大な何かが通過した。風圧だけで地面が抉れ、土と石が飛び散る。クロは体勢を立て直し、背後を振り返った。
そこには、異形の姿があった。
トンネル内部に居るため、はっきりとした姿が見えない。だが、その存在からは圧倒的な悪意が溢れ出ていた。
怪異が再び動いた。今度は正面から、信じられない速度で迫ってくる。クロはナイフを構え、その一撃を受け止めようとした。
だが、怪異の腕はナイフをすり抜け、クロの胸を直撃した。
「がっ……!」
クロの身体が吹き飛ばされ、木に叩きつけられた。激痛が全身を駆け巡り、肺の中の空気が一気に吐き出される。
まずい。このままでは殺される。
クロは必死に身体を起こし、ナイフを握り直した。だが、怪異は容赦なく迫ってくる。圧倒的な力の差。クロのナイフは怪異を切り裂くことができるはずだが、相手の動きがあまりにも速すぎて捉えられない。
怪異が再び腕を振り上げる。クロは横へ転がり、その攻撃をかわした。直後、クロが立っていた場所の木が真っ二つに裂けた。
このままでは勝ち目がない。
クロは歯を食いしばり、立ち上がった。怪異が再び襲いかかってくる。その全身が明らかになった瞬間、クロは息を呑んだ。人の形をしているが、腕も足も何本と生えており、いびつに繋がった関節が不自然な角度で折れ曲がっている。まるで複数の人間が融合したかのような、おぞましい姿だった。
クロは怪異の攻撃を紙一重でかわしながら、トンネルから距離を取った。
怪異はトンネルの入口から一定以上離れることができないようで、その場で苛立ったように身体を揺らしている。
「地縛霊か?」
このまま逃げることを考えたが、多少なりとも知性がありそうだ。背を向ければ、見知らぬ攻撃をしてくる可能性も考えられる。山奥にいるせいか、携帯の電波もつながらないため助けを呼ぶこともできない。
ふと、クロの視界にトンネルの右側にかかっていた大量の土砂が映った。あれを崩せれば……。
しかし、クロの攻撃では威力が足りないだろう。ならば、怪異をトンネル右側の壁へ誘導し、攻撃を壁に当てさせる。そうすれば、老朽化したトンネルは耐えられず土砂で埋まるはずだ。
「おい、こっちだ!」
クロはトンネルの入口付近、土砂がかかった壁の前に立った。怪異が喜んだように迫ってくる。クロは攻撃が当たるギリギリまで待ち、そして横へ飛んだ。
怪異の腕が壁を直撃する。
ミシミシ…という嫌な音とともに、壁に亀裂が走る。そして、その衝撃が土砂を揺らした。山の斜面から不安定に積もっていた土砂が、一気に崩れ始めた。
大量の土砂がトンネルの入口へと流れ込んでくる。クロは急いで離れるが、怪異は逃げることができずに土砂に飲み込まれた。轟音と共にトンネル全体が土砂で埋まり、トンネル左の崖まで流れ込んでいく。
クロは十数メートル離れたところで立ち止まり、振り返った。土煙が舞い上がる中、トンネルは完全に崩落し土砂で埋まっていた。怪異の気配ももう感じられない。
「相手が地縛霊っぽくて助かったぜ」
ナイフを鞘に戻し、クロは来た道を引き返し始めた。
♢♢♢♢♢
クロは<!>標識の列を抜け、旧道を歩いて車通りのある道まで戻った。タクシーを拾い、事務所へと帰路につく。
事務所に戻ると、クロはまず依頼人へ電話をかけた。携帯電話の履歴から番号を探し、発信ボタンを押す。
《おかけになった電話番号は、現在使われておりません》
自動音声が流れた。クロは眉を寄せた。昨日、確かにこの番号から電話がかかってきたはずだ。
嫌な予感がする。
クロはパソコンを起動し、あのトンネルについて調べる。
検索をかけると、いくつかの記事がヒットした。その中の一つを開く。
〔市外れの旧道トンネルで事故 大学生5名が死亡〕
記事の日付は、十年以上前のものだった。とある大学のサークルメンバーが心霊スポット巡りのためにトンネルを訪れ、その場所で事故を起こし、全員が死亡したという。
「クソッ、嵌められたか……」
クロは歯噛みした。依頼そのものが罠だった可能性がある。そもそも、電話の時点で違和感は感じていた。
「……ちゃんと調べてから行くべきだった」
依頼内容と事故の内容が酷似している。電話をかけてきた依頼人はこの世のモノではなかったのかもしれない。あの地縛霊が新たな犠牲者を求めて仕組んだ罠だったのだろうか。
クロは立ち上がり、事務所の扉に「依頼は対面受付のみ」という張り紙を貼った。
街中に貼ったポスターもすべて修正しなければならない。
「はぁ、電話での依頼受付はやめだな」
対面なら相手が人間かどうかを見極められる。少なくとも、今回のような罠には嵌まらないだろう。
しかし、あの<!>標識はいったい誰が設置したのだろうか。クロにそれを知る術はないし、怪異が消えた今、それを知る必要もないだろう。
♦♦♦♦♦
事件記録
場所 市外 旧道の廃トンネル
怪異 仮称『トンネルの地縛霊』
等級 推定二級
特徴 見た目は、複数人の人間が混ざり合ったかのような姿。
何かしらの手段で人間を呼び寄せている?
トンネルの崩落に巻き込まれて消えた。
Wright/__です。
本作品を読んでいただき、ありがとうございます。
最近寒いですね(小並感)。




