#12 道草
「学校が早く終わる日って、気分いいよね」
「特に何かあるわけじゃないけど、得した感じがするね」
「そうそう、それ」
校門を出たところで会話をしているのは琥珀と紫苑。今日は学校が早く終わったらしい。
「どこかに寄る?」
「そうだね……今日は塾もないし」
「じゃあ、ぶらぶらしよー」
特に予定もないまま、二人は並んで街の方へと歩き出した。
年の瀬も近づいた冬の昼過ぎ、クロは事務所のソファで天井を眺めていた。
今日で十日。そう、依頼が来ていない日数だ。別に珍しいことではない。この仕事は波が激しく、忙しい時期は連日依頼が重なるが、暇な時期は本当に何もない。クロの稼ぎは完全にそれに左右され、いつからか食材の買い出しをするついでに財布の中身を確認する癖がついた。
いくら考えても依頼が来ないのは仕方がない。
気持ちを切り替えて起き上がり、アウターを引っ掴んで事務所を出た。買わなければならないものが幾つかある。
天気予報によると、今日のかなり冷え込むらしい。白い息が前に流れ、古びたシャッターが冬の日差しを鈍く反射していた。
♢♢♢♢♢
「あ、クロさん!」
スーパーで買い物を済ませて外へ出ると、道の向こうから明るい声が飛んできた。
振り返ると、二人の少女が走ってくる。一人は琥珀で、もう一人は紫苑だ。二人とも制服の上にコートを合わせており、ちょうど学校帰りのようだった。
「琥珀か。紫苑も」
「お久しぶりです、クロさん!」
琥珀が弾んだ声で挨拶をする。紫苑もクロを見て、少し頭を下げた。
「ご無沙汰しています」
「ああ、久しぶりだな」
「クロさんって、これからお仕事ですか?」
琥珀が袋を見ながら訊いてくる。
「いや、事務所に帰る」
「じゃあ、私たちと途中まで一緒だ」
そう言って琥珀は、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
三人は並んで歩き始めた。冬の陽が低く傾き、三人分の影を道に長く伸ばしていく。
「今日はお仕事ではなかったんですね」
紫苑が会話を切り出す。
「最近はずっと暇だ」
「……怪異探偵というお仕事は、毎日のように依頼があるものだと思っていました。こんなご時世ですし」
「この仕事は、暇のほうが多いな」
「それで生活は成り立つんですか」
「なんとかな」
「……そうですか」
紫苑はそれ以上は突っ込まなかった。
「クロさんって、普段どんな依頼が来るんですか」
質問者が琥珀に変わる。
「調査依頼が多いな。変な物音がした、とかいう話を聞きに行って、その音の正体が怪異なのか、そして危険かどうか調べる。場合によっては、そのまま討伐依頼に代わることもある」
「毎回危ないわけじゃないんですね」
「危なくない依頼のほうが多い。老朽化で家が軋む音だったとか、動物が居着いてるだけだったとか、そういうのがほとんどだ」
「拍子抜けしませんか」
「別にしないな。危なくない方がいい」
「それはそうですね」
紫苑もその意見に納得して相槌を打った。
「…結構、心配してたんです」
少し歩いてから、琥珀が言った。
「この前、玖壱さんから少し聞いたんですけど……クロさんのお仕事、かなり危ないこともあるって。だから、疲れてるように見えるときがあると…」
「玖壱の野郎…、余計なこと言いやがって。それにお前が気にすることじゃないだろ」
「気にしますよ、それは」
言い返す琥珀の声には、不満ではなく本気の心配が滲んでいた。クロは少し黙ってから、前を向いたまま答えた。
「毎回なんとかなってる。それでいいだろ」
「よくないです」
「……面倒だな」
「クロさんが何も言わないからじゃないですか」
「お前…玖壱に似てきたな」
紫苑が小さく笑うのが、視界の端に映った。
それから三人は、たわいのない会話を続けながら細道へと入っていく。
三人で並ぶと微妙に道が狭い。古びた塀と枯れた植え込みの間を、三人分の足音が刻む。冬の空気は乾いて澄んでおり、歩を進める三人を包み込んでいた。
♢♢♢♢♢
「あれ、何だろう…?」
ふと、紫苑が足を止める。
クロは反射的に腰のナイフに手を添えた。道の真ん中に何かがある。正確に言えば、あるように見えている。黒みがかった、霞のようなもので、ちょうど影が一つ余分に落ちているかのような。
「本当だ、何か動いてる」
琥珀も足を止め、首を傾けた。
何かがこちらにゆっくりと移動してくる。
次の瞬間、クロの肌が粟立った。
理屈ではない。怪異を相手にしてきた年月が、本能として刻み込んでいる感覚がある。あれは危ない。今すぐ距離を置くべきだ。
クロは即座に二人の前に出た。視界を遮るように立ち、二人を押し出すようにして来た道を引き返し始める。
「えっ、どうしたんですか」
「クロさん?」
「……行きたい場所があったのを思い出した、お前らも少し付き合え」
「……急ですね」
紫苑と琥珀は戸惑いながらも足を動かす。クロは二人を促すようにして、少し離れた角を曲がった。裏道を抜けて、一本隣の通りに出る。そこは少し賑やかで、飲食店の看板が並んでいる。クロは歩きながら周囲を確認した。先ほどの気配は追ってきていない。
(玖壱に報告しておくか)
あの手の存在がこのあたりをうろついているなら、放っておくわけにはいかない。しかし、今は二人を巻き込まないことが最優先事項だ。
クロはポケットから携帯電話を取り出し、玖壱へ短い報告を送った。場所と状況を打ち込んで、送信。ここは公安に任せるべきだろう。
当の二人は黙ってついてきていた。何かあったとは気づいているだろうが、聞いてはこない。それだけで十分だった。
♢♢♢♢♢
「ここに用があった」
クロが足を止めたのは、女性客が十人ほど並んでいるテイクアウト専門の店の前だった。白い外壁に淡いオレンジの看板が目立つ。店先からは甘いバターの匂いが漂い、接客の明るい声がきこえてくる。
「クレープ屋さん……!」
琥珀が声を上げた。
「依頼のお礼にこの店の割引券をもらったんだが、俺一人だと浮くからな。付き合ってもらう礼だ、奢ってやるから好きなの頼め」
クロは財布から折り畳まれた小さな紙を取り出した。紙にはお店の名前が書かれている。
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
「ありがとうございます、嬉しいです」
琥珀が嬉しそうに感謝を述べる。紫苑も笑顔を浮かべ感謝を伝えた。
三人は列に加わった。クロの両側に二人が並ぶと、周囲の女性客の視線が少し集まったが、クロは気にしなかった。気にしないようにした。
「メニュー、何があるんだろう」
紫苑が店先のメニューボードを覗き込んだ。写真付きで色々な種類のクレープが並んでいる。
「普通のもいいけど…、ブリュレもいいな。表面がパリパリになってるやつ」
「本当だ。私もこれにしようかな、キャラメルブリュレ……あ、でもトリプルベリースペシャルも気になる」
「うーん……悩ましいね」
「全部食べたーい」
「こはく、夜ご飯もあるんだから一個にしておきなよ」
二人がわいわいやっているのを、クロは横で眺めていた。列は少しずつ進んでいく。順番が来ると、クロは抹茶のクレープを、琥珀はキャラメルブリュレ、紫苑はクレームブリュレのクレープをそれぞれ頼んだ。割引券を使い、三人分の代金を払って店を出る。
「近くにベンチがあったな」
クロが先に歩き出す。川沿いの小さな広場で、冬枯れの木の下にベンチが並んでいた。人はほとんどいない。三人は並んで腰を下ろした。
「お外で食べるなんて久しぶりです。冬は寒いけど、空気が澄んでいて気持ちいいですよね」
紫苑が包み紙を開きながら言った。琥珀はクレープをひと口かじって、目を細めた。
「おいしい……! ブリュレの部分がパリパリで」
「本当! これは悪魔的ですね」
紫苑もクレープを口に運んで、うん、と満足そうに頷いた。
「つい最近できたらしい」
「意外とこういうお店に詳しいんですね、クロさん」
「依頼人から聞いただけだ」
クロも二人の隣で、抹茶のクレープをひと口食べた。ほろ苦い抹茶クリームがたっぷりで、甘すぎない大人の味が口に広がる。初めて食べたが悪くない。
川沿いに風が吹き、枯れた木の枝が揺れる。バターと砂糖の甘い匂いが冬の空気に混じって流れていく。
二人は食べながら学校のことを話し始めた。来週テストがあるらしく、琥珀が「全然手が回らなーい」と困り顔で言っている。
「昨日一緒に勉強したでしょ」
「紫苑みたいに集中力続かないよ。申し訳ないけど…」
「申し訳ないじゃなくて、もうちょっと頑張ってくれると嬉しいんだけど」
「分かってるけど、眠いものは眠くて」
「それは、こはくが夜遅くまで起きてるからでしょ」
紫苑が呆れ顔で琥珀を見た。琥珀は「紫苑って真面目だよねえ……」とのんびり返す。二人のやり取りに、クロは黙って耳を傾けていた。
(仲がいいな)
親しい友人というのは、こういう空気感を持つものらしい。
自分の学生時代はどうだっただろうか。二人を見ていると、そんなことを考えてしまう。
しばらくして、紫苑がふとクロを見た。
「そういえば、さっき急に方向を変えましたよね」
「ああ」
「あれって、何かあったんですか」
「……。一般人が近づくべきではないナニカがいた、それだけだ」
「……怪異ですか」
「おそらくな」
「近づかない方がいい、というのは分かります。でも視界に入ってしまったときはどうすればいいのでしょうか」
「玖壱から貰った御守りがあるはずだ」
クロは二人の通学カバンに付いている御守りを指さした。
「それさえ持ってればおそらく問題ない。ただ、変なものを見たときは深く考えずにすぐ距離を取れ。それだけだ」
「分かりました」
紫苑は素直に頷いた。
琥珀は二人のやり取りを静かに聞いていた。それ以上は訊かず、クレープの最後のひとくちを食べ終えた。
♢♢♢♢♢
食べ終えた頃、まだ空は明るかったが、冬の日は短い。立ち上がると、一段と空気が冷えている。
「さて、帰るか」
「クレープありがとうございました」
「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「はいよ」
三人は並んで歩き出した。来た道とは違うルートをとり、先ほど何かがいた場所を自然に避けるように進む。
「クロさんって、ああいうものをいつも気にしながら歩いてるんですか」
紫苑が白い息を吐きながら訊いた。
「仕事中はな」
「今日は仕事中じゃないのに、気づいていましたよね」
「あー、体に染みついてんだよ」
「大変ですね」
「まあ、慣れだな」
紫苑はふうん、と言って、空を見上げた。冬の空は澄んでいて、雲一つない。
「ねえ、こはく。クロさんの仕事って、かっこいいと思わない?」
唐突な問いに、琥珀がわずかに硬直した。
「べ、別に、私にその質問して何に……」
「ごまかさなくていいじゃん。前に言ってたよね、守ってもらったみたいで、とか」
「言ってない! そんな言い方してない!」
「大体そういうことを言ってたじゃない」
「紫苑!」
二人の言い合いを、クロは黙って聞いていた。
(こういうのは、相変わらずだな)
この二人のやり取りには、型がある。紫苑がからかい、琥珀が慌てる。
琥珀がこちらを気にするように横目で見てきたが、クロは前を向いたまま気付かなかった。
「こっからお前らは駅の方面だったな」
小さな住宅街の分岐点に出た。ここから先は分かれての帰り道だ。
「ありがとうございました! クレープ、おいしかったです」
琥珀が深く頭を下げた。
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
紫苑も丁寧に頭を下げた。
「今日は偶然会えてよかったです。クロさんもお気を付けて」
「ああ」
クロは軽く手を上げて、二人に背を向けた。
「気をつけて帰れ」
「「はい!」」
二人分の声が、背後から弾んだ。
♢♢♢♢♢
一人になると、住宅街は静かだった。
クロはポケットから携帯を取り出し通知を確認する。すると玖壱から調査班が出動した報告と通報に対する感謝の旨が送られてきていた。
携帯をしまう際、ふと腰のナイフの感触が気になった。最近の依頼で何度か荒い使い方をした。刃の状態は自分でも見ているが、念入りに診てもらう頃合いかもしれない。
(明日あたり、いつもの道具屋に顔を出して装備を整えとくか)
なんだかんだで後回しにしていたが、ちょうど仕事も入っていない。近いうちに行っておいた方がいいだろう。
クロはそう決め、事務所への帰途についた。
Wright/__です。
本作品を読んでいただき、ありがとうございます。
二十を超えてから、甘いものと脂っこいものがきつくなりました。
クレープ……、甘いものを純粋に楽しめるというのは、若者の特権ですね




